「自分」は存在しない?ブッダの無我とピラミッドの例え
前回は、当時の時代背景の中で仏教がどんな役割を担っていたかが語られました。今回はその中で出てきた「唯識論」という言葉を掘り下げます。
深井さんはまず、唯識論は相当難解な哲学で、出演者も100%は理解できていないと前置きします。20分ほどで語れる内容ではないため、あくまで概略の紹介だとしています。
唯識論の出発点として深井さんが挙げるのは、ブッダが説いた無我 ── 仏教の基本的な教えの一つ。固定した不変の「自分(我)」は存在しないとする考え方で、諸行無常などと並んで仏教の根幹をなしますという概念です。みんな自分のことを自分だと認識しているけれど、それは概念でしかなく、存在はしていないという考え方です。
深井さんは、読んだ本にあった例えとしてピラミッドを紹介します。ピラミッドと呼んでいても、一つひとつを見れば石の集まりにすぎません。
だからピラミッドって存在してないわけ。石はあるけど。
人間も同じで、細胞によって構成されているものを「個体」だと思って認識しているだけだと深井さんは説明します。人と車をセットで一つの個体と認識しても、本当はおかしくないというのが無我の視点です。
勝手に人間個体だと思って認識してるけど、それってただあなたがそう思ってるだけであって、そんなもの存在しないんだよって言ってるんです。
深井さんによれば、ブッダが最初に説いたのは、存在しないはずの「自分」という単位で物事を考えるから苦しみが生まれる、ということでした。
自分という概念
細胞の集まりを、人間が勝手に「個体」としてまとめている
自分単位の思考
何かをやりたい、欲しい、満たされていないと考える
苦しみ
存在しないはずの「自分」を前提にするから苦しみが生じる
空の思想とは何か?色即是空を読み解く
無我の考え方が発展したものが「空の思想」です。空の思想について詳しい楊さんが、専門家から怒られるかもしれない解釈だと断ったうえで、ざっくり説明します。
楊さんによれば、空の思想は玄奘が訳した般若心経 ── 大乗仏教の空の思想を短くまとめた経典。日本でも広く唱えられており、玄奘による漢訳が有名ですの中で語られる色即是空 ── 「色(形あるもの)」はそのまま「空(固定した実体がないもの)」であるという意味の、般若心経の一節です、空即是色の考え方です。私たちが認識しているものに、固定された一定のものは実はないということです。
楊さんは、ピラミッドの例と同じく、人間は分解すれば細胞の塊になり、パソコンも分解すれば部品になり、さらに分解すれば原子になると話します。どの段階でそれをパソコンや人間と認識するのかを突き詰めると、結局何もないということになります。
楊さんの説明では、見えているものはすべて、直接的・間接的な要因のつながり、仏教でいう「因縁」によって、たまたま一つの形に見えているにすぎません。色は見えていると思しきもの、空は実は何もないということであり、ブッダはこれを悟ったといいます。
目の前の人も宇宙も証明できない?空の思想を突き詰めると
深井さんは空の思想をさらに突き詰めると、目の前に並んでいる樋口さんや楊さんが存在しているかどうかも不明になると話します。観測している相手は感覚として受け取っていても、実体として存在するかは証明できないという考え方です。
触ったという感覚は僕の感覚じゃないですか。だから本当はないのに触ってあるって思ってるだけかもしんないし。
「そばにいますよ」と返されて笑いが起きるものの、深井さんは、理論的には証明できないので、いるかいないかはまずわからないと続けます。大事なのは、すべては自分が感覚で受け取っているものでしかないという点です。
話は宇宙にも広がります。みんなが同じ一つの宇宙にいると思っているけれど、一人ひとりが自分の宇宙を持ち、その中の感覚だけで完結している可能性もあるというのです。深井さんは本で読んだ面白い例として、毎朝起きるときにビッグバンが起こり、寝ているときには宇宙がなくなっているという考え方を紹介します。
忙しいですね、俺の宇宙。
深井さんは、この考え方は量子論 ── ミクロの世界を扱う物理学の理論。粒子が波のようにふるまうことや、観測によって状態が決まることなど、直感に反する性質を扱いますとの類似性も指摘されていると話し、物理学者にこそ読んでみてほしいと語ります。観測者がいて、観測による影響を受けるという理論とリンクするところがあるといいます。
深井さんによれば、常に一定不変のものは存在しません。目の前の樋口さんも細胞が入れ替わり続けていて、1秒前の樋口さんとは厳密には違うのに、まとまった固定したものとして認識しているだけだといいます。
比叡山の川から八つの認識へ。唯識論の構造とは
樋口さんは、唯識の考え方に「なるほど」と思った体験として、比叡山から下りて川沿いを歩いたときの話をします。目の前を流れる水は、少し前までは雪で、山頂に積もれば比叡山の一部になり、解けて川になり、やがて琵琶湖になります。
雪
数日前まで、おそらく比叡山の山頂に降った雪
比叡山
山頂の土の上に積もった雪は比叡山の一部
川
解けて流れる間は川
琵琶湖
琵琶湖に着けば湖になる
川ってなんや?って言われた時に分からなくなって、システムとしか言えないんですよ。
深井さんは、樋口さんの体験は「自分なんてものは存在しない」という話と近く、唯識を考えた人たちと同じような出発点だろうと応じます。そこから、人間の認識はどんなステップで成り立っているのかを、脳科学がなくても認識だけで哲学していったのが唯識論だと説明します。
唯識論では、認識が8つあるとされます。まず目・耳・鼻・舌・体による5感があり、次に言葉を用いて対象の概念を把握する「意識」があります。さらに末那識と阿頼耶識という2つがあるといいます。
深井さんによれば、唯識論はそれぞれの認識を定義し、どの段階で何を認識しているからこう思うのかを、全部ロジックで解析します。そのうえで、苦しみがどの感覚のどんなステップで生まれ、証明できない部分があるから「この認識って勘違いじゃね?」と突き詰めていくといいます。
なぜ玄奘は唯識論にハマり、インドを目指したのか
樋口さんが「超ロジカル」と驚くと、深井さんは、このロジックに玄奘がハマったのだと話します。ところが、原典がないとこれ以上は突き詰められないと気づいたといいます。
樋口さんは玄奘の知的好奇心を、好きなバンドのCDにハマるとライブに行きたくなる感覚に例えます。深井さんはさらに、音質の悪いブート版で聴いていたところに、ハイレゾ版があると聞いた感覚に近いと言い換えます。
そういう感覚でもういても立ってもいられなくなったんですよね。
深井さんは唯識論の本を2冊読んで、玄奘の気持ちが「確かにな」とわかったといいます。唯識論は世界のすべての認識を司るため、そこを突き詰めないとどうしようもない、という切実さがあったと考えられます。
砂漠で死にかけた玄奘は、なぜ般若心経を唱えたのか
唯識論の考え方では、玄奘の旅そのものも、存在しないかもしれないものになります。砂漠を歩いていても、その砂漠は自分が感じているだけだと玄奘は思っていたはずだと深井さんは話します。
玄奘は旅の途中、砂漠で死にかけたときも、殺されかけたときも、般若心経を唱え続けたといいます。深井さんは以前はその理由がわからなかったものの、唯識を勉強して腑に落ちたと語ります。
僕多分15分前までアホかって思ってたんですけど、ちょっとその入り口知っちゃったんで、そうかもって思う。
深井さんは、唯識論はロジックで反論しきれる人はいないのではと思うほど頭のいい理論だとしつつ、理解には2年ほど勉強が必要な難易度だろうと話します。樋口さんは、理解するだけでなく自分の隅々まで降ろして実践して生きなければならないと聞き、それは出家しないと無理だと感じたといいます。
社会に出ずに座禅を組む理由と、玄奘の「狂った」探究心
深井さんは、ブッダの回で「なぜ社会経験をせずに座禅を組むのか」と話していた疑問が、唯識論を読んで少しわかったといいます。自分の認識だけで全て完結しているので、社会に出る必要がなく、感覚と認識を深め続ければよいという理屈です。
樋口さんも、外からの刺激があってこそ深まると思っていたけれど、それすら自分が作り出した勝手なルールの可能性があると気づきます。そう思えるからこそブッダの境地までいけるのかもしれない、と深井さんは応じます。
一方で樋口さんがどうしても理解できないのは、玄奘が「知りたい」という興味を満たすためだけに、とてつもない旅をした点です。樋口さんは「ここがやっぱ狂ってるところ」と表現します。
狂ってるけど、やっぱよっぽど知りたかったというか。真理の追求したかったんでしょうね。
深井さんによれば、玄奘が感じた葛藤は、経典がちゃんと訳されていればわかるかもしれない、ブッダの言葉がもっと残っているかもしれないのに、それが手元になく勉強できないということでした。歩けば一応行ける、だから行く、という決断だったといいます。
玄奘の行動を「アホか」と思っていた
入り口を知り、命をかける気持ちに興味が湧いた。ただし旅に出るほどの探究心は「狂ってる」と感じる
唯識論に興味を持った人へのおすすめ本
最後に深井さんは、唯識論に興味を持った人に向けて本を紹介します。何冊か読んで本当にわからないものもあった中で、横山紘一さんの『唯識の思想』はわかりやすかったといいます。
深井さんによれば、この本は図解も入っていて、理解できるかどうかは別として、この哲学がどれだけすごいかはわかるはずだとしています。樋口さんも、玄奘たちがやっていたことがなんとなくわかるなら頑張って読んでみたいと応じます。
命かける気持ちはわかるなってなる。
まとめ
今回は、玄奘の旅の動機の根底にあった唯識論を、ブッダの無我から空の思想、そして8つの認識という構造まで概略でたどりました。すべては認識でしかないという考え方を知ると、砂漠で般若心経を唱え、原典を求めてインドを目指した玄奘の行動が少し見えてきます。
- ブッダの無我は、「自分」はピラミッドのように要素の集まりを概念でまとめたものにすぎないと考える
- 空の思想は、固定した実体はなく、すべては因縁によってたまたま形に見えているだけだとする
- 唯識論は、認識だけが存在を証明できるとし、8つの認識をロジックで徹底的に解析する
- 玄奘は唯識論にハマり、原典がなければこれ以上突き詰められないとしてインドを目指した
- 砂漠で般若心経を唱えたのは、苦しさも認識の問題だと捉えていたからかもしれない




