求婚を断った後、ヨーロッパの勢力図はどう動いた?
スペイン王フェリペ2世からの求婚を断った後も、エリザベス1世のもとには外国から結婚の申し込みが次々に届きました。特に熱心だったのは、神聖ローマ皇帝を出すオーストリアのハプスブルク家で、皇帝の息子たちが何度も話を持ち込みます。
エリザベスは、これらの縁談をすべて軽くあしらったといいます。樋口さんが言うように、結婚すれば各国の権利の網の目に絡め取られてしまうからです。
縁談が続くあいだに、国際情勢も変わっていきます。二大巨頭であるハプスブルク家のスペインとヴァロア家のフランスが、どちらも戦争で財政が苦しくなり、講和を結びました。
イングランドはフランスとの戦争に巻き込まれ、カレーを失うほどの大敗を喫して泥沼化していました。フランスとスペインの講和によって、イングランドも自動的に戦う理由がなくなります。
フェリペ2世は、エリザベスに断られた後、フランス王アンリ2世の娘エリザベートと再婚しました。この素早い再婚に、エリザベスは皮肉を言ったと伝えられています。
(エリザベスは)「陛下は私をあまりお好きではなかったようですね。たった2ヶ月もお待ちになれなかったのですから」って言ったらしいですよ。
スコットランドとの関係も改善に向かいます。スコットランドでは、フランスとカトリックの支配をはねのけたいプロテスタント勢力が現れ、イングランドがこれを支援して、フランスとカトリック勢力を打倒しました。
その結果、カトリック教徒の女王メアリー・スチュアートは貴族の国務会議に統治される状態になります。さらに、それまでイングランド王位の継承権を主張していたメアリー・スチュアートが、エリザベスの王位を認めました。
大国フランスは、この時期に弱体化していきます。アンリ2世が馬上槍試合の事故により40歳で亡くなり、十代半ばのフランソワ2世が即位すると、政権が不安定になりました。
不安定なフランスでは、カルヴァン ── 16世紀の宗教改革者。予定説を唱え、勤勉な職業生活を重んじる考え方はヨーロッパ各地のプロテスタントに大きな影響を与えましたの影響で広がったプロテスタントとカトリックの対立が激しくなります。対立はやがてユグノー戦争 ── 16世紀後半のフランスで起きた、カトリックとユグノー(カルヴァン派プロテスタント)の宗教内戦。数十年にわたって断続的に続きましたへと発展しました。
アンリ2世の事故死
馬上槍試合で負った傷がもとで40歳で亡くなる
幼い王の即位
十代半ばのフランソワ2世が即位し、政権が不安定になる
宗派対立の激化
カルヴァンの影響でプロテスタントが勃興し、カトリックと衝突する
内戦と弱体化
ユグノー戦争に突入し、強国フランスが一時的に弱まる
天然痘とダドリーの妻の死、エリザベスはどう振る舞った?
フランスの情勢が動いていた頃、エリザベス自身も天然痘で一時危篤に陥ります。29歳のときで、当時の医療ではあばたが残る病気でした。
エリザベスが回復すると、女王に子どもがいないのは危ないとして、周囲は口々に結婚を求めました。それでもエリザベスは結婚せず、その意思は全く揺らがなかったと深井さんは話します。
結婚はしないものの、エリザベスには恋人がいました。有名なのが、背が高くて美男子だったロバート・ダドリーです。ダドリーは常に女王のそばで過ごし、結婚まで噂されていました。
ただしダドリーにはもともと妻がいました。その妻がある日、階段から落ちて亡くなっているのが見つかります。
これ(ダドリーの妻の死)事故じゃなくて暗殺だろうってみんな思ったんですよね。
当時はダドリーが妻を殺したのではないかと疑われました。一方で、妻は精神を病んでいて自殺したという説もあります。エリザベスとダドリーの仲は公然の秘密で、妻もそれを知り、つらい思いをしていたという見方もあると紹介されています。
ダドリーの妻の死に対して、エリザベスはダドリーと距離を置きました。暗殺の噂がある人物と結婚すれば、政治的に攻撃される隙になるからです。
ダドリーは重臣として地位は維持させるんだけれども、恋愛に関しては一歩距離を置くっていうことができるんですよね、この人(エリザベス)。
深井さんは、エリザベスには自分の感情よりも政治を優先して距離を取るバランス感覚があったと見ています。ダドリーはその後も長く重臣として仕えました。
あだ名は「ザ・スピリット」、セシルはどれほど働いた?
エリザベスには、気に入った部下にあだ名を付ける面白い習慣がありました。ロバート・ダドリーのあだ名は、目がとても綺麗だったことから「ザ・ツーアイズ」です。
最も重要な家臣の1人が、「ザ・スピリット」と呼ばれたウィリアム・セシルです。長年エリザベスを補佐した国務長官で、番組では宰相のような存在、諸葛孔明のような人物とたとえられています。
ウィリアム・セシルはメモ魔として知られていました。問題が起きると何から何まで書き出し、利点と欠点を並べて分析し、感想まで書き留めて熟考してから意見を出したといいます。
ウィリアム・セシルは天才的な記憶力を持ち、とにかく勤勉でした。毎日大量に届く嘆願書を夜に片付け、朝には返事がすべて出来上がっていたそうです。
(セシルの部下が)お仕えした4年間の間で、30分でさえ休んでるのを見たことがない。寝床に横になってもずっと何か考えてるか本読んでた。
深井さんは、エリザベスが人に恵まれていただけでなく、部下の力を生かすのがうまかったと話します。その前提として、エリザベスは部下になめられなかったといいます。
(部下が相談したことを)相談した本人よりも、そのことをエリザベス女王はもっとよく知っているっていう風にいう記述が結構残ってるんですよね。
セシルのような賢い家臣とも対等以上に話せたため、エリザベスは軽んじられなかったと考えられます。深井さんは、姉のメアリー1世の時代とは全く違ったはずだと見ています。
ウィリアム・セシル自身は、女王に助言が許されるなら、反対されても自分の考えを変えないという方針を持っていました。それは神を冒涜することになるから、という理由です。
スパイの長に海賊まで、家臣団の顔ぶれは?
ウィリアム・セシルの息子ロバート・セシルも、父より優秀だったとさえ言われる人物です。ロバート・セシルは腰が曲がる身体障害を抱えており、当時は障害のある人が差別される時代でした。
美しさを重んじるエリザベスは、本来そうした人物を側近に入れなかったといいます。それでもロバート・セシルはあまりに優秀だったため、側近に加えられました。
フランシス・ウォルシンガムのあだ名は「ザ・ムーア」で、ムーア人のように肌が黒かったことに由来します。深井さんは、ウォルシンガムを映画「007」のMのような人物、つまり諜報機関の長官だと説明します。
ウォルシンガムは国内外にスパイ網を張り巡らせ、エリザベスに対する暗殺計画などの陰謀を次々に潰していきました。外交の専門家でもありました。
ほかにも個性的なあだ名の家臣がいます。オックスフォード大学で学んだジェントリー出身のクリストファー・ハットンは、「ザ・リッズ(まぶた)」や「羊ちゃん」「鈴付き羊ちゃん」と呼ばれました。
女王護衛隊長のウォルター・ローリーは「ザ・ウォーター」と呼ばれています。さらに、フランシス・ドレークやジョン・ホーキンスといった海賊まで、エリザベスの部下に含まれていました。
| 人物 | あだ名 | 役割・特徴 |
|---|---|---|
| ロバート・ダドリー | ザ・ツーアイズ | 恋人で重臣。目が綺麗だった |
| ウィリアム・セシル | ザ・スピリット | 国務長官。メモ魔で働き者 |
| フランシス・ウォルシンガム | ザ・ムーア | 諜報の長。暗殺計画を潰す |
| クリストファー・ハットン | ザ・リッズ、羊ちゃん | オックスフォードで学んだ秀才 |
| ウォルター・ローリー | ザ・ウォーター | 女王護衛隊長 |
深井さんは、イングランドではこうした人材が力を発揮しやすかったと見ています。フランスのような大陸の国では生まれや血統が重視されましたが、辺境で貧しいイングランドでは、能力や実際の財力が重んじられました。
エリザベスもその価値観を大事にして、自分の政権を作っていったと深井さんは話します。
悪貨は良貨を駆逐する、インフレと貧困にどう挑んだ?
エリザベスが即位した時点で、イングランドは深刻なインフレを抱えていました。ヘンリー8世が質の悪い硬貨を大量に作ったため物価が安定せず、輸入品が高騰して国民生活に支障が出ていたのです。
インフレの対策を担ったのが、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉で知られるトマス・グレシャムです。金の含有率が高い硬貨と低い硬貨が同じ価値とされると、人々は良い硬貨を貯め込み、悪い硬貨を先に使います。
その結果、市場には悪貨ばかりが出回り、通貨の価値が安定しなくなります。そこでエリザベスの政権は銀貨の改鋳を進め、ポンドの評価を安定させました。
もう1つ有名な政策が救貧法 ── 貧困者の救済を目的としたイングランドの法律群。エリザベス1世の時代に整備されたものは、のちの社会保障制度の源流の1つとされますです。イギリスの社会保障の始まりと言われますが、深井さんは「正直そんな感じじゃない」とも付け加えています。
救貧法が必要になった背景には、毛織物産業の拡大があります。通貨の価値が下がって輸出が儲かるようになり、ジェントリーなどの富裕層が農地を羊の放牧地へと変えていきました。
通貨価値の低下
ポンドが下がり、毛織物の輸出が儲かるようになる
農地の牧畜化
富裕層が農耕地を羊の放牧地に転換する
失業者の発生
牧畜は面積あたりの人手が少なく、仕事が減る
都市への流入
仕事を失った人々が都市に流れ込む
大量の失業者に対し、救貧法では働ける者はきちんと働くよう定めました。もともと貧しい人の受け皿となっていたのはカトリック教会でしたが、宗教改革で教会の土地は没収され、利益を求める富裕層の手に渡っていました。
セーフティネットを担う人がいなくなったため、エリザベスは土地を持つ側に、引き続き社会保障を担うよう求めます。資金の拠出を呼びかけ、能力があるのに応じない者には処罰を定めて、強制的に出させました。
番組では、当時は産業革命の前で、毛織物や農業くらいしか雇用を吸収する仕事がなかったという補足もありました。さらに、カルヴァン派の考えでは職業は天職とされ、貧しいことは義務を果たしていないと見られがちで、貧困者への見方が厳しくなっていました。
救貧法をはじめとする貧困対策は、そもそもお金が足りなかったこともあり、あまり効果がなかったと話されています。
一方でエリザベスは重商主義 ── 国家が貿易や商業を管理・保護し、国の富を増やそうとする経済政策の考え方。16〜18世紀のヨーロッパ諸国で広く採られましたと呼ばれる政策も進めました。儲かっていた貿易を国家の厳重な管理のもとで行い、経済活動を後押ししたのです。
なぜエリザベスは1人の家臣を重用しなかったのか?
エリザベスの統治で特に評価されているのが、1人の人を必ず重用しないという姿勢です。特定の人物の話だけを聞くことはせず、多くの家臣から満遍なく意見を聞いて判断しました。
さっきほら、優秀な部下っていっぱい出てきたじゃん。あれわざとなんです。
番組では、家臣どうしの意見対立も紹介されています。ウォルシンガムとロバート・ダドリーは対カトリックの強硬派で、ウィリアム・セシルは穏健派でした。エリザベスは対立する人物をあえて両方とも政権に入れ、互いに牽制させたのです。
ウォルシンガム、ロバート・ダドリー
ウィリアム・セシル
深井さんは、この分散型の統治にヘンリー8世とのつながりを見ています。ヘンリー8世がエドワード6世に残した遺言は、1人の家臣に偏らず分散させて統治せよというものでした。
ヘンリー8世は、の、その遺言をちゃんとやり遂げたのは娘(エリザベス)だったっていうのが面白いなと。
番組では、家臣どうしのバランスを保たせる采配も、エリザベス本人がなめられていないからこそできると指摘されています。家臣より優秀でなければ求心力がなく、言うことを聞かせられないからです。
こうしてエリザベスは、政治課題を1つずつ、完璧ではないにせよ施策を打って解決していきます。その中でフェリペ2世のスペインとの関係が悪化していき、次回はその政治的な展開が語られる予定です。
最後に樋口さんは、結婚が国家の問題と絡み合う複雑さに触れました。深井さんは、恋愛結婚はごく最近のもので、基本はどの国でも政略結婚だったと応じています。
まとめ
今回のエリザベス1世は、結婚を拒んで外交の自由を保ちつつ、優秀で個性的な家臣団を対立ごと抱え込み、1人に権力を集めない政治を行いました。その土台には、部下になめられないエリザベス自身の知性と、感情より政治を優先するバランス感覚がありました。
- フランスとスペインの講和、スコットランドの関係改善、フランスの内戦によって、イングランドを取り巻く情勢は好転した
- ダドリーの妻の死では、恋人と距離を置きつつ重臣としては残すという政治的な判断をした
- セシル、ウォルシンガムなど能力重視で集めた家臣にあだ名を付け、その力を生かした
- 銀貨の改鋳や救貧法、重商主義でインフレや失業に取り組んだが、貧困対策の効果は限られていた
- 意見が対立する家臣をあえて並べ、1人を重用しない体制で権力の偏りを防いだ





