始皇帝や織田信長を思わせる君主?
オスマン帝国編は、前回のデヴシルメ ── オスマン帝国が主にキリスト教徒の少年を徴集し、改宗・教育して軍人や官僚に育てた制度。彼らはスルタンの奴隷という身分で仕えました制度と奴隷制の話を経て、この回でついにメフメト2世にたどり着きます。
楊さんによると、オスマン帝国はメフメト2世の代で、スルタン ── イスラム世界の君主の称号。オスマン帝国では皇帝にあたる最高権力者を指しますが権力を一手に握る集権的な大帝国を作ることに成功します。今回は、その人物像と生い立ちから詳しく語られます。
史料に残るメフメト2世の容姿は、背が平均より高く、武器を堂々と所持し、尊敬よりも畏怖を抱かせる人物だったというものです。面長で色白、目つきは鋭く、ヒゲは縮れて長かったと細かく記録されています。
メフメト2世の性格は非常にストイックで、楊さんは「自分にも人にも厳しい人」と表現します。好奇心が尽きず、酒や宴会、おどけたことを好まず、ほとんど笑わない。常に何かをしているか考えている人物だったといいます。
ちょっと始皇帝っぽい感じは。
始皇帝っぽいよね、ちょっとね。
一方で、メフメト2世は芸術家には優しく、ヨーロッパから画家を招いて自分の肖像画を描かせました。偶像崇拝につながるとしてイスラムでは避けられる肖像画をあえて描かせた点に、楊さんは織田信長のような気質を重ねます。
メフメト2世が憧れたのは、アレクサンドロス大王 ── 古代マケドニアの王。紀元前4世紀にギリシアからインダス川流域まで遠征し大帝国を築きました。若い頃にアリストテレスに学んだことでも知られますでした。楊さんは、メフメト2世を「名声のために頑張った人」と語ります。
(メフメト2世の野心は)別にそれはなんかすごい利己的なあれな感じじゃないもんね。もっと純粋に己を高めたい。
5つの言語を操った文武両道の王子
メフメト2世は頭がよく、文武両道の人物でした。若い頃は勉強より武芸に関心がありましたが、のちに勉強に目覚め、トルコ語以外にアラビア語、ペルシア語、南スラヴの言語、ギリシャ語を話せたといいます。
すごいね。それならいろんな国の人たちに指示が出せるよね。
メフメト2世はヨーロッパから知識人を集め、哲学や歴史を熱心に学んでいたそうです。
メフメト2世の母は非ムスリムの奴隷出身で、セルビアかマケドニアの出身とされます。楊さんは、メフメト2世が母からも父からもあまり愛情を受けていなかったらしいと紹介しました。
幼少期のメフメト2世は、ビザンツ帝国から奪った都市エディルネで、母や召使いの女性、女性の家庭教師に育てられました。そして11歳でマニサという地方の総督として派遣されます。
ちょっと現場から鍛えろよみたいな。すげえ小五とか小六っすよね。
王子に地方行政を任せて経験を積ませるのは、オスマン帝国の慣習でした。大人の言うことを聞かない子どもだったメフメト2世も、マニサで優れた家庭教師に出会い、勉強の大切さに気づいたといいます。
12歳でスルタンに、そして父が何度も戻ってくる
メフメト2世が勉強に向かった背景には、父ムラト2世の影響もあったかもしれないと楊さんは見ています。ムラト2世は好戦的ではなく、芸術や学問を好む人物でした。
そのムラト2世が、歴史上あまり起こらないことをします。早々に引退し、メフメト2世に王位を譲ったのです。理由は究極的にはわかっていません。
12歳ほどでスルタンになったメフメト2世を補佐したのが、当時最も力を持っていた大臣、チャンダルル・ハリル・パシャでした。ムラト2世は周辺国と休戦条約を結び、引退の環境を整えていました。
ところが代替わりの直後、周辺国は休戦条約を破棄して攻め込みます。楊さんは、新しい王が12歳なら今が滅ぼすチャンスだと考えられるのは、チンギス・カンの時と同じ視点だと説明します。ハンガリーの英雄ヤノシュ・フニャディらも攻めてきました。
危機に直面したハリル・パシャは、ムラト2世に復位を求めます。ムラト2世は反乱した国々を次々に倒して事態を収め、事後処理だけになると再び引退しました。
その後、イェニチェリ ── オスマン帝国の常備歩兵軍団。デヴシルメで集められた若者などで構成され、スルタン直属の精鋭でしたの反乱が起こると、ハリル・パシャはまたムラト2世を呼び戻します。この復位と引退が繰り返されました。
父の引退
ムラト2世が引退し、12歳ほどのメフメト2世がスルタンに即位
周辺国の侵攻
周辺国が休戦条約を破棄して攻撃。ハリル・パシャの要請でムラト2世が復位
再びの引退
ムラト2世が事態を収めて再引退し、メフメト2世が再即位
イェニチェリの反乱
ハリル・パシャが再びムラト2世を呼び戻し、メフメト2世はまた王座を降りる
振り回しすぎだろ。
ハリル・パシャとザガノス・パシャの暗闘
父の復位を繰り返されたメフメト2世について、楊さんは「ハリル・パシャ殺す」という心境になったと語ります。
12歳ぐらいで血気盛んで、よっしゃ王様になったぞってなった時に邪魔されて、なんでだよってなって、俺にもできるよみたいに思ってて。
深井さんは、父が戻れば収まるという状況そのものに、メフメト2世がリスクを感じていたかもしれないと推測します。臣下の忠誠心が父に集まったままでは、自分が王座についても実権を握れないからです。
楊さんも、メフメト2世は発言権を得られないまま終わる危機感を持っていたはずだと話します。ハリル・パシャは、オスマン帝国の創成期から大宰相を出してきたチャンダルル家の人物で、イスラム法学者の訓練を受けた超エリートでした。
対照的なのがザガノス・パシャです。奴隷出身でスルタンの所有物という立場のため、メフメト2世とは運命共同体でした。ハリル・パシャが父の復位を求めるたびに、ザガノス・パシャは反対し続けたといいます。
由緒ある家柄のイスラム法学者出身。実力で大宰相に上り、先代ムラト2世の信頼が厚い
奴隷出身でスルタンの所有物。メフメト2世と運命共同体で、父の復位に一貫して反対
メフメト2世の時代には、ザガノス・パシャがハリル・パシャに勝ち、以後は奴隷出身の宰相が増えていきます。奴隷が最上位の地位を占めることで、スルタンへの一極集中が完成するという流れです。
経験も実力もあるハリル・パシャがなぜ負けたのか。楊さんは、そこにコンスタンティノープルの陥落が大きく影響していると予告します。深井さんはハリル・パシャの立場を、マンガ『キングダム』の呂不韋 ── 中国・秦の政治家。若き嬴政(のちの始皇帝)を支えて権勢をふるいましたが、のちに失脚しましたに重ねました。
なぜ難攻不落の都を攻めたのか?
楊さんは、メフメト2世が防御力の高いコンスタンティノープルをリスクを取って攻める決断をした動機を、いくつか挙げます。
- 自分たちの勢力の発言権を増したい
- アレクサンドロスのように自分の名声を得たい
- 先代、先々代が包囲しても落とせなかった都を落としたい
国としての悲願だよね。
アレクサンドロスもアリストテレスに学んでいたことから、楊さんは、メフメト2世がアレクサンドロスを学ぶうちに自分を重ね、勉強と武芸に励むようになったのではないかと見ています。
ただしメフメト2世は、権力を持つハリル・パシャにすぐ反抗はしませんでした。本心を隠し、コンスタンティノープルが落ちた瞬間に攻撃に出たといいます。楊さんはこれを、自分の感情をコントロールできる頭のよさだと評します。
でも見せしめとかするからね、この人。みんなの前で叱ったりするマネージャーだからね。
父の死と兄弟殺しの冷徹さ
やがて父ムラト2世が亡くなり、メフメト2世は19〜21歳ほどで、ついに自分が確実に王でいられる立場になります。楊さんによると、メフメト2世は父の死をとても喜んだそうです。
皇帝になったメフメト2世が最初にしたのは、兄弟を殺すことでした。オスマン帝国には後継者争いの芽を摘む兄弟殺しの慣習があり、メフメト2世の時代にそれが明文化されたと深井さんは説明します。
メフメト2世には、異母弟でまだ赤ちゃんの弟がいました。父の死を悲しむ義理の母の話を聞きながら、メフメト2世は部下に赤ちゃんを浴槽で溺死させるよう命じたといいます。
はい、当時のね、価値観だったんでしょうね、それが。今やったらきついけど。
一方でメフメト2世は、ハリル・パシャの実力を評価し、活用して国家を安定させる考えも持っていました。即位直後には周辺国に攻める意思はないと伝え、それでも攻めてくる相手は倒していきます。
すぐになんか権力闘争しないのがいいよね。
ハリル・パシャの合理と、メフメト2世の決意
メフメト2世は即位当初から、コンスタンティノープル攻略をテーマとして持っていました。アレクサンドロスの栄光に匹敵する偉業として、先々代以前から果たせなかった攻略を選んだと楊さんは語ります。
コンスタンティノープルは東ローマ帝国の末裔という由緒ある国で、キリスト教国への入り口でもあります。さらに、都市自体は貧しくても貿易の中心地で、地理的なメリットもありました。
そうそう、実利もあるんや、ちゃんと。
しかしハリル・パシャは強く反対します。好戦的でない先代のもとで国を立て直してきた宰相からすれば、若い王の無謀な攻撃は、十字軍を招いて努力を水の泡にしかねないものでした。
立て直したばかりの国をリスクにさらすべきではない。十字軍を招くおそれもあり、今やる必要はない
名声、自分たちの発言権、国の悲願、貿易の要衝という実利のために攻略を決める
楊さんは、ハリル・パシャの反対を保守的とも合理的とも言えるとしたうえで、織田信長への反対や、周囲に止められる起業家に重ねます。結果を知る後世から見れば正しく見える挑戦も、当時は止められるのが普通だという見方です。
次回はビザンツ帝国の側から見る
メフメト2世の決心はついていましたが、楊さんは攻略の話に入る前に、攻められる側のビザンツ帝国の視点を次回で扱うと予告します。
コンスタンティノープルの話って、ビザンツの気持ちわかんないと何もわかんないんですよ。
樋口さんは、領土を削る側を「果実の木に果実を取りに行く」ような感覚で聞いていたと振り返り、削られる側も人だという点に気づきます。楊さんは、ビザンツ帝国がどんな政治と心境で滅びていったのかを追体験したいと語りました。
まとめ
メフメト2世は、アレクサンドロス大王に憧れたストイックで知的な君主でした。父の度重なる復位とハリル・パシャへの反発、そして名声と実利への意志が、コンスタンティノープル攻略の決意につながっていきます。
- メフメト2世の代で、スルタンに権力が集中するオスマン帝国の体制が完成した
- 12歳ほどで即位したが、ハリル・パシャの要請で父ムラト2世が何度も復位し、王位を奪われ続けた
- 奴隷出身のザガノス・パシャがハリル・パシャに勝ち、奴隷宰相の流れが一極集中を支えた
- コンスタンティノープル攻略には、名声、発言権、国の悲願、貿易の実利という動機が重なっていた
- 次回は攻められる側のビザンツ帝国の視点から語られる




