南部の名家に生まれたヘレン・ケラーは「イージーモード」?
ヘレン・ケラーは、アメリカ南部のとても裕福な家に生まれました。深井さんは、この家の豊かさが後の人生にとって大きな幸運だったと見ています。
(ヘレン・ケラーは)めちゃくちゃ裕福な家に生まれます。これすごいラッキーだったなと思いますね。これが貧乏だったら結構もう一回詰んでたんじゃないかなと思うんですけど。
生まれた場所は、現在ディープサウス ── アメリカ南部の中でも、特に奴隷制や綿花栽培などの歴史が色濃い地域を指す呼び名。アラバマ州やミシシッピ州などが含まれますと呼ばれるアラバマ州です。深井さんによると、ケラー家はぶどう畑を持ち、ワインを作るような家でした。
ヘレン・ケラーの父親は、南北戦争で南軍の大尉を務めた人物です。家系をさかのぼると、曽祖父はスイス人で、カスパー・ケラーという人の子孫にあたるといいます。
深井さんが「運命的」と紹介したのは、スイスの先祖がチューリヒで最初の聾唖教育者だったという話です。ただし、教育のノウハウがヘレン・ケラーの家に受け継がれていたわけではなく、あくまで偶然そういう先祖がいたということでした。
ヘレン・ケラーの祖母の家系も華やかです。ラファイエット ── フランスの貴族・軍人。アメリカ独立戦争に参加して独立派を支援し、のちのフランス革命でも重要な役割を果たしましたの副官アレキサンダー・ムーアの娘であり、バージニア州の初代知事の孫で、南軍の将軍ロバート・リー ── 南北戦争で南軍を率いた将軍。南部では今も知られた人物ですのまたいとこでもあるといいます。
いや、もう勝ち組じゃないですか。
イージーモードイージーモード。
ヘレン・ケラーの母親ケイトは、父アーサーの2番目の妻で、20歳ほど年下の若い母親でした。ヘレン・ケラーはそのケイトにとって初めての子どもで、腹違いの兄がいたそうです。
生後19か月の高熱が奪ったもの
生まれた頃のヘレン・ケラーは、まったく障害のない健康な子どもでした。言葉を覚えるのも早く、初めての子として、名家の両親から何でも与えられるほど愛されて育ちます。
深井さんによると、ヘレン・ケラーは1歳7か月の頃にはすでにかなり言葉を話していました。楊さんも「How do you do?」と言っていたらしいと補い、バイバイをするなどのしぐさもしていたそうです。
しかし生後19か月目に、ヘレン・ケラーは突然ひどい高熱を出します。呼ばれた医者も、脳がやられているようだが治し方はわからず、命の保証もできないと告げました。
ここだ。ここが転換期。
両親のアーサーとケイトは必死に看病しますが、赤ちゃんはどんどん痩せていきます。子どもを持つ楊さんは、この場面を「結構きつい」と受け止めていました。
ある日、ヘレン・ケラーの熱は突然下がり、家じゅうが大喜びしました。ところが呼びかけても反応がなく、一点をぼーっと見つめているだけです。もう一度医者を呼ぶと、目が見えず耳も聞こえなくなっていると宣告されました。
健康で言葉の覚えも早く、1歳7か月でかなり話し、バイバイなどのしぐさもしていた
熱は下がったものの、目が見えず耳も聞こえない状態になり、呼びかけにも反応しなくなった
ヘレン・ケラーの障害は、生まれつきではなく後天的なものでした。深井さんは、自我が芽生える前だったので本人が不幸を感じていたとは限らないとしつつ、両親にとっては本当につらい出来事だったと話します。
何よりもどう育てていいのかがわからないんですよ。目も耳も聞こえないこの子。その将来この子はどうやって生きていくんだろうっていう不安をね、両親はめちゃくちゃ強く持ってたわけです。
「人間になる資格がない」とされた時代と、研ぎ澄まされた感覚
当時のアメリカの障害者福祉はどんな状況だったのか。樋口さんは今の社会と比べて説明します。現在は福祉制度や施設、相談先があり、同じ境遇の人と情報交換もできますが、当時はまだ始まったばかりでした。
なんならもう耳が聞こえない、目が見えないっていうのは、もう知的障害と同じだっていう風に言われてたんですよ。もう人間に人間になる資格がない。
深井さんも、当時は社会の役に立つかどうかでしか人を判断していなかったと話します。その中で、ヘレン・ケラーの両親は不安を抱え、どうすればいいかわからずにいました。
一方で、ヘレン・ケラー自身はすくすく育ちます。目と耳以外はとても健康で体も強く、触覚・嗅覚・味覚が大きく発達していきました。
深井さんによると、ヘレン・ケラーは服を触っただけで誰なのかがわかり、その人の精神状態までわかったといいます。床の振動からもいろいろなことを理解していたそうです。
え、もう僕らからしたら超能力レベルじゃないですか。
触覚とか嗅覚とか味覚とか視覚とか、そういう感覚の延長線上に超感覚があるのかなって、ちょっとこれ見て思ったんですけど。
樋口さんは、墓地に連れて行かれたときの話を紹介します。ヘレン・ケラーは墓地という概念を知らなかったのに、その場の雰囲気を感じ取ったように静かになったそうです。目と耳という情報の窓口が閉ざされた分、ほかの感覚が鋭くなったと考えられています。
ジェスチャーだけの世界と、たまっていくストレス
ケラー家には黒人のお手伝いさんもいて、ヘレン・ケラーの面倒を見ていました。母ケイトは一日中ヘレン・ケラーと過ごし、不自由を感じさせないよう世話をします。深井さんは、お手伝いさんがいない家ではこれは難しかっただろうと見ています。
ヘレン・ケラーと家族は、ジェスチャーで最低限の意思を伝え合っていました。深井さんが挙げた例は次のとおりです。
| 動作 | 伝えていた意味 |
|---|---|
| 首を横に振る | ノー |
| 縦にうなずく | イエス |
| 手で押す | ゴー(行け) |
| 手で引っ張る | カム(来い) |
| パンにバターを塗るまね | お腹がすいた、パンがほしい |
| 震えてみせる | 寒い |
ただし、このときのヘレン・ケラーには「パン」というものの名前の概念はありません。こうすればご飯がもらえる、という動作の結びつきで覚えていた状態です。
ママっていうその存在があることは認知してるんだけど、お母さんっていう概念はまだわからないし、あとは冷たいとかあったかいみたいな形容詞も存在してないから。
幼いうちは、どの子どももあまり言葉を話さないので大きな問題にはなりません。けれど成長して自我が芽生えると、本来は言葉で自分を表現していくはずです。ヘレン・ケラーにはそれができず、ストレスがたまり、激しい癇癪を起こして暴れるようになりました。
知能が発達していってさ、表現したいことがどんどん増えてるのに、全然何も伝わらないっていうのがストレスがあったかもしれないね。
ヘレン・ケラーは、物を取ってきたり洗濯物を畳んだりと、家事の手伝いもできていました。それでも5、6歳ごろには、気に入らないことがあったり食事が少し遅れたりするだけで暴れるようになります。深井さんはここに、知能の成長がかえってストレスを生むという皮肉な構図を見ています。
妹ミルドレッドの誕生で一変した家庭
それまでのケラー家は、困ったら母親が何かしてあげるという形で、ある意味完結していました。その状態を変えたのが、妹ミルドレッドの誕生です。
母親はもうヘレン・ケラーだけを見ているわけにはいきません。ところがヘレン・ケラーには赤ちゃんという概念がなく、それが弱い存在だということもわかりません。
今まで自分にずっと付きっきりだったそのお母さんという存在が、なんか違うものに今集中してて、これ何だ?ってなる。
イライラしたヘレン・ケラーは、ゆりかごで寝ていた妹を押し倒してしまいます。母親がたまたま見ていて抱きとめたので無事でしたが、深井さんは、殺してしまっていたかもしれない出来事だったと話します。
楊さんは、この出来事が両親にとって「このまま放っておくとまずい」と感じる引き金になったと補います。何より、それをしてはいけないとヘレン・ケラーに伝える手段がありませんでした。
ちなみに死ぬっていう概念を見つけたのだいぶ後だからね。
深井さんによると、ヘレン・ケラーが動物と人間の違いを理解したのも、犬に言葉が通じないとわかったのもずっと後でした。周りの誰も言葉を話していないように感じられる世界だったからです。
もうなんかあれがステージが違いすぎて想像が難しいな。一個一個ちょっと意識して想像するしかない。
ローラ・ブリッジマンの本が両親に見せた希望とは
叱っても伝わらず、どうすればいいかわからない。ヘレン・ケラーを深く愛しているからこそ、両親は袋小路に迷い込んでいました。そんなとき、母ケイトがたまたまローラ・ブリッジマン ── アメリカで初めて教育に成功したとされる盲ろうの女性。パーキンス盲学校で指文字などを通じて言葉を学びましたについて書かれた本を読みます。
ローラ・ブリッジマンも、ヘレン・ケラーと同じく2歳ごろに目と耳が使えなくなった人です。楊さんは50年ほど前の話だと補っており、同じ時代に近い出来事として紹介されています。
ローラ・ブリッジマンは教育によって、いろいろなことを理解できるようになりました。その事例を成功させたのがハウ博士で、ハウ博士は目の見えない子どもたちのためのパーキンス学院 ── アメリカ・ボストンにある、視覚障害のある子どもたちのための学校。現在のパーキンス盲学校の前身ですを作っていました。
どうすればいいかわかんないというよりは、本当にもうできないからどうしようって思ってた。だって目と耳が聞こえないから。けど、やったらできるんだって初めてここで発見するわけです。
楊さんは、目と耳の機能を失えば普通の人間ではないと考えるのが当時の常識で、障害者教育の知見も誰でもアクセスできるものではなかったと話します。だからこそ、母ケイトにとってローラ・ブリッジマンの本は、教育はできるという大発見でした。
電話の父グラハム・ベルの知られざる本業
ローラ・ブリッジマンの本で希望を得た一方で、両親はヘレン・ケラーの目と耳を治そうと、さまざまな著名な眼科医に診せます。しかし、どの医者からも「無理です」と言われ続けました。
ある日、とても有名な眼科医のもとを訪れたとき、両親はグラハム・ベルを紹介されます。電話を発明した人物で、デシベルの「ベル」もこの人の名前に由来すると深井さんは話します。
深井さんが強調したのは、グラハム・ベルが電話の発明で有名な一方、聴覚障害者の言葉の支援でも知られていたという点です。楊さんは「全然知らなかった」と驚いていました。
父アーサーは、ヒントを得たい一心で、遠く離れたワシントンまでグラハム・ベルに会いに行きます。それほど両親は追い詰められていました。
絶望
目と耳を失ったヘレン・ケラーをどう育てればいいかわからない
希望
母ケイトがローラ・ブリッジマンの本を読み、教育は可能だと知る
治療の模索
著名な眼科医を回るが、どこでも治せないと言われる
紹介
有名な眼科医からグラハム・ベルを紹介される
出会い
父アーサーがワシントンまで会いに行き、のちにサリヴァンが家に来るきっかけになる
このグラハム・ベルとの出会いが運命的なものになり、結果としてアン・サリヴァンがケラー家に来ることになります。その話は次回に続きます。
結構すでにジェットコースターみたいな人生やな。なんかいろんなことが起こってますね。
楊さんは、ヘレン・ケラーの世界は想像すること自体が難しいと話します。当たり前だと思っていることが当たり前ではない世界を、一つずつ理解していく必要があると感じたようです。
深井さんは最後に、言葉を覚える前に障害を持つ人と、後から持つ人とでは大きく違うらしいと付け加えていました。
まとめ
ヘレン・ケラーは南部の名家に生まれ、生後19か月の高熱で目と耳の機能を失いました。障害への理解がなかった時代に、両親は育て方もわからず追い詰められます。しかしローラ・ブリッジマンの本が教育の可能性を示し、グラハム・ベルとの出会いがアン・サリヴァンへとつながっていきます。
- ヘレン・ケラーは裕福な名家の生まれで、その環境が家族の支えになった
- 生後19か月の高熱で、目と耳の機能を後天的に失った
- 表現できないストレスから癇癪が激しくなり、妹を押し倒す出来事も起きた
- 当時は盲ろうの人は教育できないと考えられ、ローラ・ブリッジマンの事例が大きな希望になった
- 電話の発明者グラハム・ベルは聴覚障害者の支援でも知られ、サリヴァンとの出会いの鍵になった



