電話の発明者ベルは、なぜ聾唖教育に情熱を注いだのか?
ヘレン・ケラーの父アーサーは、娘の教育の道を探してベル博士に会いに行きます。深井さんは、この人物の人生そのものがヘレンに影響していたと前置きし、ベル博士の人物像から紹介を始めます。
ベル博士ことアレキサンダー・グラハム・ベルは発明家で物理学者でもあり、AT&T ── アメリカの大手通信会社。ベルの電話特許を起点とする企業群から発展し、長くアメリカの電話事業を担ってきましたの創始者で、デシベルという単位にも名前を残した人物です。そのベルの母親は、耳が聞こえない人でした。
(ベルが)そもそも聾唖教育に情熱を注いでいるのはなぜかといったら、母が耳が聞こえないからなんですよ、一つは。
深井さんによると、ベルが10代前半ぐらいの頃に母親の耳が聞こえなくなっていき、そこからベルは音声の研究を始めます。楊さんは、その研究の技術の一部が電話に利用されていったと補います。
ベル家は父も祖父もスピーチの先生で、障害者教育にも携わっていました。スピーチ術や、唇の動きを読む読唇術、さらに「可視音声」という技を持っていたといいます。
全く喋ったことがないような言葉でも、発音一回も音で聞いたことないやつでも、書き記したやつを読めば発音できるっていう技を持ってたんです。
深井さんは、可視音声では鳥の鳴き声さえ表せたと話します。ベルは20歳ぐらいのとき、発音するアンドロイドのような装置にママと発音させたこともあったそうで、楊さんは「天才や」と驚きます。
母の聴覚喪失
10代前半の頃、母親の耳が聞こえなくなっていく
音声の研究
母とコミュニケーションを取りたい思いから音声研究を始める
電話の発明
研究の技術の一部が電話に利用される
聾唖教育
ボランティアレベルで聾唖教育の活動に打ち込む
上の図のように、ベルの音声への関心は母とのコミュニケーションを取りたいという思いに根ざしていた、と深井さんは整理しています。
ベル博士の紹介状がつないだパーキンス学院
聾唖教育に熱心だったベルのもとへ、アーサーとヘレン、叔母がワシントンまで会いに行きます。ベルはヘレンをとてもかわいがり、ここで運命的な紹介状を書いてくれます。
ヘレンの母は、かつて目も耳も不自由なローラ・ブリッジマンを教育したハウ博士がすでに亡くなっていたことに失望していました。ベル博士はそこで、ハウ博士の偉業を引き継ぐパーキンス学院に相談してはどうかと勧めます。
楊さんが指摘するとおり、パーキンス学院はサリヴァン先生が通っていた学校です。ベルの紹介が、ヘレンとサリヴァンを結ぶきっかけになりました。
アーサーと母ケイトは、一日千秋の思いで学院からの返事を待ちます。やがて、サリヴァンという人を家庭教師として送るという手紙が届き、二人は大いに喜びます。
だって今までどうすればいいか全くわからないところに、ハウ博士の偉業を継いでると言われてる学校から家庭教師が来るって言われたから、めちゃくちゃ喜んだわけですよ。
サリヴァンが家庭教師を引き受けた切実な理由
サリヴァン側は、パーキンス学院の校長からアーサーの手紙とベル博士の紹介文を渡されます。手紙にはヘレンをなんとかしたいという切実な思いが書かれており、サリヴァンは引き受けることにしました。
ただし、サリヴァンには教師経験がなく、大きな不安を抱えていました。目が悪く、身寄りもないサリヴァンにとって、自分で働いて生きていくしかなかったと深井さんは説明します。ヘレンの家は裕福で、給料も高かったそうです。
最初はね、やっぱり稼がないといけないって思いで引き受けたと本人が言ってます。サリバン先生が。
楊さんによれば、サリヴァンは学院卒業後に福祉の仕事に就きたかったものの、まだそうした働き口が少ない社会でした。寮母の家に居候しながら自立を望んでいたところに、この話が来たといいます。
サリヴァンが慈善の気持ちより生計のために引き受けたという話は、偉人としてのイメージとは少し違う、生活者としての姿を伝えています。
ローラ・ブリッジマンが授けた「甘やかすな」という助言
深井さんが運命的だと話すのは、ハウ博士の教え子ローラ・ブリッジマンが、まだパーキンス学院に住んでいたことです。サリヴァンはブリッジマンに話を聞きに行き、ハウ博士が残した書物や文献もすべて読んで勉強しました。
仕事が決まってから赴任するまでは、3か月か半年ほどの時間があったそうです。サリヴァンはその間に、目も耳も不自由な子をどう教育するかの土台を情報としてインプットしました。
深井さんは、サリヴァンが最初に一番重視したのは、ヘレンを甘やかさないことだったと話します。自身もほぼ目が見えなくなった経験から、障害者が自立するための向き合い方を感覚的に理解していたのだろう、という見立てです。
ローラブリッジマンからアドバイスしたことは、もう絶対障害を持っている子供でも絶対わがままを許しちゃいけない、甘やかしちゃいけないというアドバイスをしたらしいんですよね。
厳しさが最初に必要だよっていう風に言われたらしいですよ。
北部から南部へ、汽車の中で泣いた20歳の旅
ヘレンの家は、アラバマ州のタスカンビアにありました。マサチューセッツ出身のサリヴァンにとっては遠い場所で、汽車で向かう途中、不安のあまり泣いてしまったといいます。
楊さんによれば、そのとき車内で安心できる言葉をかけてもらえたそうです。初めての仕事で、20歳で北部から南部へ向かう長旅は、相当心細かったと楊さんは推し量ります。
まだ南北戦争が終わってからそんなに経ってないから、二十年ぐらいしか経ってないから。やっぱり南北の違いみたいなのも絶対あるから、すごい遠くに行く感覚だったと思うんですよね。
楊さんは、南部にはまだ反北部の雰囲気も残っていたと付け加え、樋口さんは「それは怖いな」と応じます。
「思ってたんとちゃう」ヘレンとの初対面
いよいよ対面したヘレンは、最初サリヴァンを母親と間違えて突進し、抱きついてきました。けれど触覚ですぐに母ではないと気づき、今度はカバンを開けて食べ物を探し始めたといいます。
サリヴァンは、目も耳も不自由な子と聞いて、色白で神経質な子どもを想像していました。実際のヘレンは体格も血色もよく、イメージとはだいぶ違ったそうです。
思ってたんとちゃうって。
ヘレンは短気でわがままで、すぐにキレる子でした。サリヴァンは、家族が甘やかしていることをすぐに見て取ります。腹違いの兄だけはヘレンに厳しかったものの、ほかの家族は知らん顔だったといいます。
サリヴァンは友人への手紙で、ヘレンの顔つきは知的だが魂が抜けている、一瞬たりともじっとしておらず馬のように動き回って困る、と書いていました。
ヘレンに会う前のサリヴァンは、教育方針を決めていました。ヘレンの気質を損なわずに訓練すること、愛情を勝ち取り信頼関係を築くこと、そして力ずくで押さえつけたり体罰をしたりしないことです。深井さんは、この時点でものすごく立派な考え方だったと評価しています。
DOLLから始まった指文字の最初の一歩
ヘレンがカバンの中で見つけたのは、パーキンス学院の人たちがみんなで作ったプレゼントの人形でした。人形で遊び始めたヘレンの手に、サリヴァンはすかさず指文字 ── 指の形でアルファベットなどの文字を表す方法。触覚で受け取ることもでき、目と耳が不自由な人とのコミュニケーションにも使われますで「DOLL」とつづります。
サリヴァンは同じように、ケーキを持ってきては「CAKE」、カードを持ってきては「CARD」とつづって見せました。するとヘレンも真似して「DOLL」とつづり、サリヴァンが褒めてあげます。
嬉しくなったヘレンは母親のもとへ走り、指で「DOLL」とつづって見せました。当時7歳のヘレンは褒めてもらいたかったのです。母親は文献によっては泣いたとされるほど感動したそうです。
ただし深井さんは、この時点のヘレンはまだ何のことか全くわかっていなかったと強調します。楊さんの言うように、ヘレンにとっては単なる指遊びでした。
単語っていう概念がないから。言葉という概念がないので、それをすると喜ばれるみたいな、これをするとケーキもらえるとか、そんな感じで思ってる状態ですね。
厳しくするつもりだったサリヴァンは、甘いもの好きのヘレンが食べていたケーキを取り上げ、つづりを教えようとします。ヘレンはかんしゃくを起こして怒り、その日はもうサリヴァンに近づかなかったそうです。
まあでも確かに食べ物を奪う敵ですからね。
食卓で始まった「どっちが先に諦めるか」の格闘
ヘレンは家族の食事中もマナーがなく、ナイフやフォークも使えず、食卓の周りを歩き回っては隣の人の皿に手を突っ込んで食べていました。家族は、目も耳も不自由で教えられないし、かわいそうだからと、それを許容していました。
サリヴァンがまず許さなかったのが、この食卓での振る舞いでした。深井さんは、この場面が映画『奇跡の人 ── ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンを描いた作品。原題は『The Miracle Worker』で、1962年に白黒映画として公開されました』(原題ミラクルワーカー)でも描かれていると紹介しています。
サリヴァンは自分の皿のものを絶対に食べさせません。誰の食事という概念がないヘレンは、阻止されて怒り、テーブルをバンバン叩き始めます。迷惑した家族はみな部屋を出ていき、二人だけが残りました。
父アーサーは、ヘレンの好きなようにさせてほしいとサリヴァンに頼んだそうです。サリヴァンは逆に、ここで甘やかしたら自立できない、必要なのは同情ではなく厳しいしつけだと両親に反論しました。
サリヴァンはヘレンにフォークを持たせ、椅子に座らせて食べさせようとします。ヘレンがスプーンを投げれば、力ずくで拾わせました。深井さんは、ここで当初の「力ずくでやらない」という方針をもう破っていると指摘します。
力ずくやらないとか、もうそこで破ってるんだよね。そうそう、子育てってこんな感じなんだろうなって思った。
楊さんによれば、サリヴァンは愛を持って接するつもりでしたが、こうしたことが続くうちに、愛より先にまず服従を教えなければいけないと教育方針を切り替えました。
気質を損なわず、愛情と信頼関係を築き、力ずくや体罰はしない
まず言うことを聞かせる状態を作るため、服従を教えることに集中する
深井さんは、まず言うことを聞く状態を作らないとスタート地点に立てなかったと説明します。ヘレンがつねってくると、サリヴァンは平手打ちもしていたそうで、深井さんは「この時代、この状況ではしょうがないかな」と受け止めています。
ナプキン一つ畳むのに時間かけて、もうどっちが先に諦めるかの問題なんですよ。これは。
スプーンを投げても投げても拾わせ続けると、ヘレンはやがてスプーンを持たざるを得ないと理解します。次はナプキンを畳ませようとして、また一から格闘が始まりました。
樋口さんは「自分なら1日で辞めている」と言います。実際、サリヴァンも初日は部屋に戻ってから思いきり泣いていたそうです。ヘレンから見れば、自分の自由を奪う完全な敵が来た状態でした。
単語の先にある文章や抽象概念はどう伝えたのか?
深井さんは、ここから本格的にサリヴァンの教育が始まると話し、次回以降のテーマを予告します。ヘレンがものの概念を理解するまでの変遷、そして単語の先にある文章をどう伝えたのかという問題です。
例えば勇敢だとかいうことを彼女にそれをどうやって伝えるのか。
樋口さんは、勇敢さや神様のような抽象的な概念を伝えるのは「絶対きつい」と反応します。文法をどう伝えたのかも大きな謎です。
深井さんによれば、ヘレン・ケラーは最終的にハーバード大学に進み、数学のほかラテン語、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語も学びました。自伝の文章も、7歳まで言葉を使えなかった人とは思えないほど普通に書かれているといいます。
しかも、この時点ではサリヴァン自身もその方法をまだ知りません。7歳まで言葉を持たなかった少女がどう言葉を獲得したのかが、次回以降の本題になります。
まとめ
ベル博士の紹介状を起点に、生計のために家庭教師を引き受けたサリヴァンは、甘やかされたヘレンと出会い、初日から食卓で壮絶な格闘を繰り広げました。指文字の最初の一歩は踏み出したものの、ヘレンはまだ言葉の概念を持たず、本当の教育はここから始まります。
- ベル博士の聾唖教育への情熱は、耳が聞こえなくなった母とのコミュニケーションへの思いに根ざしていた
- サリヴァンは慈善より生計のために仕事を引き受け、赴任前にローラ・ブリッジマンから「甘やかすな」と助言を受けた
- 指文字でDOLLとつづれるようになっても、ヘレンにとってはまだ単なる指遊びだった
- 食卓での格闘を経て、サリヴァンは愛情より先に服従を教える方針へ転換した
- 文章や抽象概念をどう伝えたのかが、次回以降の本題になる



