羊の皮5枚で買われた宰相、百里奚とは何者か
秦の始皇帝編の3回目は、前回までの制度の話を受けて、秦を強くした個々の人物を取り上げます。楊さんは、秦の強国化には何人もの人物による「バトンの渡し合い」があったと話します。
最初に名前が挙がるのが、秦を大きな国に押し上げた百里奚 ── 春秋時代の秦の宰相。秦の穆公に仕え、異民族の服属などで秦の勢力拡大に貢献したと伝えられます。「五羖大夫」の異名でも知られますです。楊さんによると、漫画『キングダム』にも1〜2コマだけ登場しているそうです。
百里奚が登場する前の秦は、中国の一番西の果てにありました。さらに西にいる異民族から攻められ、その平定に手いっぱいで、東の中国の中心部に目を向ける余力がなかったといいます。
百里奚は、その異民族の諸部族を人徳だけで秦の傘下に入れたと語られます。「百里奚さんが宰相なら下に入る」と部族がまとまって加わり、秦の領土は一気に広がりました。
(異民族の)その人たちがこう一気に秦に入ったんで、秦の領土がいきなり大きくなるっていうのが、この百里奚っていう人がやったこと。
百里奚の人生は、かなりの遅咲きだったことでも知られます。秦とは別の国で必死に就職先を探しても認められず、ようやく小さな国の役人になったものの、その国が滅んで奴隷として売られてしまいます。
転機は、秦の官僚が奴隷として雇った百里奚の頭の良さに気づいたことでした。ちょうど秦の王が「優秀な人材には自分が全員会う」と言っていたため、百里奚は王に面会して採用されます。
百里奚は秦の役人になってから徐々に出世し、高齢になってようやく宰相の地位に就いたといいます。樋口さんの「定年ないんすね」という反応に、楊さんは「勇気を与えてくれますよね」と返しています。
「五羖大夫」という呼び名は、羊の皮5枚という意味です。奴隷だった百里奚が羊の皮5枚で買われ、それほど安く優秀な人材を得たという話が、生前から広まったことに由来すると紹介されます。
生きるビットコインじゃないですか。
「神クラス」の白起、武将の強さとは何か
楊さんは、百里奚のおかげで秦の領土は倍ほどになり、秦は西ではなく東へ目を向けられるようになったと話します。次に登場するのが、『キングダム』の回想シーンにも描かれる白起 ── 戦国時代の秦の将軍。楚の都を陥落させるなど数多くの戦いで勝利を重ね、中国史屈指の名将とされますです。
楊さんは白起を、中国史どころか世界史を通じても天才的な将軍の代表格に数えてよいほどの存在だと評します。前回話した、首級を上げれば出世できる仕組みのもとで、白起は戦果を重ねてどんどん出世していきました。
白起の時代には、秦はすでに国力の大きな国になっていました。秦・斉・楚が三大強国で、その下に魏、さらに下に韓があるという構図の中、白起は強国の楚を打ち破り、楚の首都まで陥落させたといいます。
樋口さんの「武将が強いって何なんですか」という問いに、楊さんは状況判断と戦略性を挙げます。このレベルの将軍になると、相手の将軍の政治的な立ち位置まで探り、戦う前に勝てる状態を作るといいます。
孫子の兵法にありますけど、戦う前に勝てってあるじゃないですか。
一方で、将軍のタイプにはいろいろあるとも楊さんは話します。後の時代の項羽は自ら先頭で戦う漫画のような武将で、孫臏は足の腱を切られて前線に出られない代わりに、戦略で相手を術中にはめるタイプでした。
| 人物 | タイプ | 強さの源 |
|---|---|---|
| 項羽 | 自分が強い猛将 | 先頭で戦い兵士の士気を上げる |
| 孫臏 | 前線に出ない知将 | 戦略で相手の裏をかく |
| 白起・楽毅 | 知将かつ猛将 | 強さと頭の良さの両方 |
楊さんによれば、白起と楽毅はその両方を兼ね備えた「知将で猛将」でした。だからこそ超強い、というのが楊さんの見立てです。
楽毅はなぜ斉の72城中70城を落とせたのか
白起が隣国の力を削いでいく一方で、秦にとって幸運な出来事が起こります。当時の秦の最大のライバルは斉で、『キングダム』の少し前の世代には、すでに斉と秦の二大強国の状態になっていました。
そこへ、弱小国の燕に天才将軍の楽毅 ── 戦国時代の燕の将軍。諸国の連合軍を率いて斉を攻め、70余りの城を落としたことで知られますが現れます。斉の王が諸国から嫌われていたこともあり、燕は合従軍 ── 複数の国が同盟して一つの強国に対抗する連合軍。『キングダム』では秦を攻める合従軍が描かれていますを組織して斉を攻めました。
楽毅は、超巨大国家だった斉の72城のうち70城を落とし、斉を滅亡寸前まで追い込みます。樋口さんは思わず「第三の手強すぎでしょ」と驚いています。
ところが、楽毅と深い関係を築いていた燕の王が亡くなり、太子が新たな王になります。新王は楽毅があまりに手柄を立てすぎることを恐れ、楽毅を更迭してしまいました。
燕の合従軍
楽毅が斉の72城中70城を落とす
燕王の死去
跡を継いだ新王が楽毅を恐れて更迭する
斉の反撃
将軍が代わった途端に70城が取り戻される
斉の国力低下
回復に時間がかかり、秦が一強の時代へ
将軍が替わった瞬間に、斉は70城をすべて取り戻します。楊さんはこの逆転こそ、楽毅個人の強さを示すわかりやすい例だと語ります。
それでも斉は国力を大きく削がれ、回復には時間がかかりました。こうして秦の一強時代が始まり、それが『キングダム』の始まる時代、つまり1巻にあたるといいます。
成り上がりの秦はどう中華統一へ進んだのか
樋口さんは、この前史を知っているかどうかで『キングダム』の見え方がまったく違うと話します。秦はもともと強い国ではなく、成り上がって最後に統一したという理解です。
その前には白起とか楽毅とか百里奚とかいうバトンを持ってた人たちがいて。で、その前の先代の王様の頭の良さとかもあってっていうね、
こうなんか連綿と続くね、ストーリーがあるのが面白いんだよね。
その後、始皇帝は中華を統一し、最後に滅ぼされたのは斉でした。楊さんによれば、斉は無血開城に近い形で戦わずに負けたといいます。
統一の過程で、史実で特に強かったのは王翦と蒙恬だと楊さんは話します。主人公の信のモデルである李信は、将軍の中では一番強いわけではないかもしれないという見立てです。王翦については『史記 ── 前漢の司馬遷が著した歴史書。人物ごとの伝記である「列伝」を多く含み、中国史の基本史料とされます』に伝が立てられていることにも触れています。
統一を支えた外交と、始皇帝の本当のすごさ
楊さんは、秦の外交戦略を支えた人物として樊於期の名前も挙げます。白起と同じ前の世代に登場し、斉の無血開城につながる外交を斉と結んでいたのはこの人物だといいます。
漫画では始皇帝が外交を担っているような描かれ方をしているかもしれないが、実際には前の世代からの外交戦略が効いていた、というのが楊さんの説明です。ここにも世代をまたいだバトンがあります。
樋口さんは、秦の統一を今に例えるとどういう状態かと尋ねます。楊さんは、6か国や7か国で争う状況は今はあまりないとしたうえで、ビジネスに例えます。
一番弱かった国が、その構造改革によって結果的にどんどん一番強くなっちゃって、もともといたその既存勢力たちを全部やっぱり滅ぼしちゃうっていう、
でもビジネスの中でよくある話じゃないですか。途中から出てきた人が全市場を席巻してしまうみたいな。
最後に楊さんは、始皇帝のすごさは統一そのものより、その後にあると予告します。今まで存在しなかった統一国家の運営方法を考えて運用したことが、次回以降のテーマになります。
まとめ
秦の中華統一は始皇帝一人の功績ではなく、百里奚の領土拡大、白起の軍事的勝利、燕の楽毅による斉の弱体化、前世代からの外交など、多くの人物のバトンの上に成り立っていたと語られた回です。
- 百里奚は人徳で西方の異民族を服属させ、秦が東へ向かう土台を作った
- 白起は知将かつ猛将として楚を破り、秦の周辺国の力を削いだ
- 燕の楽毅が斉の72城中70城を落としたことが、秦一強時代の遠因になった
- 秦は弱小から構造改革で成り上がった国で、始皇帝のすごさは統一後の国家運営にあるとされる


