人質の子が13歳で王に?始皇帝の特殊な出自
漫画『キングダム』の時代背景を扱ってきたコテンラジオの秦の始皇帝編は、この回でいよいよ始皇帝その人に焦点を移します。樋口さんに「どんな人ですか?」と聞かれた深井さんは、まず「非常に優秀な人」だと答えます。
深井さんが最初に挙げるのは、始皇帝の生まれと育ちが非常に特殊だったという点です。始皇帝の父は趙 ── 戦国七雄の一つで、秦の東北方に位置した国。人質の交換は当時の国同士の外交で広く行われていましたに人質として出されていて、王位からはとても遠い立場の人物でした。
その父に全財産を賭けたのが、漫画にも登場する呂不韋 ── 戦国末期の大商人。始皇帝の父を王位につけた功績で秦の宰相となり、若い始皇帝に代わって国政を握りましたです。深井さんによると、呂不韋はビジネスですでに大成功していて、次は政界進出という段階で、この人質の父に「フルベット」したといいます。
なんでそんなわかったんですかね。こいつ(始皇帝の父)才能があるぞと。
才能なんてないです。
ないんだけど、この人を王様にするっていうところに対して賄賂を使いまくって王様にするんですよ。
呂不韋の賭けは当たり、始皇帝の父は本当に王になります。ただし深井さんは、始皇帝自身も7〜8歳ぐらいまでは趙で人質として暮らしていたはずで、その時代は大変だったと思うと話しています。
始皇帝の名は政です。人質の子だった政は、父が君主になったことで突然太子となり、さらにその父がすぐに亡くなったため、13歳で即位します。若い政に代わって政治を行ったのはナンバーツーの呂不韋で、深井さんはこれが漫画の始まりの状況だと説明します。
始皇帝が即位するまでの流れは、次のように整理できます。
樋口さんは、呂不韋が国の財力や物流のほとんどを支配していたこと、漫画で政と呂不韋が争い政が勝つ展開も史実に沿っていることを確認します。
なぜ始皇帝は人を信頼せず、すべてを自分で決めたのか
深井さんは、始皇帝を「非常に苦労した人」だと見ています。人質スタートから傀儡に近い王として即位し、呂不韋から王権を奪い取っていかなければなりませんでした。
さらに即位後の始皇帝は、弟の反乱、他国が連合を組んで秦に攻め込む合従軍 ── 秦に対抗するため、他の諸国が縦に連合して結成した軍。漫画『キングダム』でも大きな山場として描かれています、そして度重なる暗殺未遂に直面します。深井さんは、こうした経験によって始皇帝が人を信頼しない人になっていったと話します。
人に任せるとか信頼するということをあまりしない人になっていくんですよね、この人(始皇帝)は。全部自分でやっちゃうんですよね。
始皇帝は優秀だったため、他の人よりうまくできてしまい、仕事を全部巻き取って決裁権もあまり人に渡しませんでした。中央集権の体制だったので、決裁はすべて王のもとに回ってきます。
その働きぶりを示す伝説として、深井さんは毎日30キロ分の書類を決裁していたという話を紹介します。当時の書類は紙ではなく竹なので今の30キロとは違うものの、それを読み続けることが始皇帝自身のノルマだったといいます。
中華統一した後も、別に女遊びに走るわけでもなく、酒色にふけるわけでもなく、ちゃんと働き続けて。ストイックな人です。
楊さんが「統一した後の話ですよね」と確認すると、深井さんは統一の前もずっと勤勉だったと答えます。始皇帝は、暴君のイメージとは違う「真面目な王様」として描かれています。
ワンマン経営の限界と、統一国家のインフラづくり
楊さんは、伸びるスタートアップは現場に決裁権を渡すほうがいいとされている、と現代の組織論を持ち出します。深井さんもそれに同意し、本来はそうすべきだったが、始皇帝にはそれをするメンタリティーと素地がなかったと話します。
楊さんが「それでもワンマンでやれるくらい能力が高かった」と返すと、深井さんはその代償を指摘します。
(能力は)高かったけど、結果彼が死んだ瞬間に秦って崩壊しますから、15年しか持たないんで、この国の統一は。
深井さんは、始皇帝のやり方は「とても属人的」で、創始者である始皇帝だからなんとか持ったものだったと見ています。そのうえで、始皇帝の本当の功績は統一そのものよりも、統一後のシステムを動かしたことにあると強調します。
それまで中国に統一国家はなく、深井さんは、イタリアとフランスとドイツを初めてまとめ上げるような状況だったと例えます。言葉も文化も風習も違う地域を、1つの国としてどう運営するかが始皇帝の課題でした。
始皇帝が取り組んだ統一国家のための施策を、深井さんの説明から整理すると次のようになります。
| 施策 | 内容 | 効果 |
|---|---|---|
| 道路 | 高速道路にあたる道を作り、車輪の幅を揃える | 国ごとの馬車の乗り換えが不要になる |
| 度量衡 | 重さや長さの単位を統一する | 単位の違いによる混乱がなくなる |
| 貨幣 | 重さで測っていたお金を、重さの統一とあわせて統一する | 同じお金が使えるようになる |
| 土木工事 | 万里の長城、運河、造船所などを作る | 流通の基礎となるインフラが整う |
単位の統一について、深井さんは「僕がメートルを使っているのに、向こうがインチを使っていたら困る」と身近な例で説明します。また世界遺産の万里の長城 ── 中国北方に築かれた長大な城壁。現在よく知られる姿の多くは明代に整備されたものですは明の時代のもので、それとは別に秦の時代に作られた長城があると補足しています。
楊さんはこれらを「インフラですよね」とまとめ、これだけ大規模で件数の多い事業なら、決裁の書類が30キロ分にもなるわけだと納得します。
「皇帝」はなぜ生まれた?王の上に作った新しい概念
深井さんは、始皇帝が「皇帝」という概念そのものを作ったと話します。それまでの中国には「王」という言葉しかありませんでした。
楊さんが「キングダムってなんですか?」と尋ねると、深井さんは、キングダムは王国であり、統一前の国々が王国、統一後は皇帝が治める帝国と呼べると説明します。
さっきまでみんな王様だったわけじゃないですか。そのまんま王様だったら変わらないじゃないですか。
その上位概念作んないといけないんですよ。いや、俺王様の上だからっていうこと言わないといけないから。
楊さんが「スーパーサイヤ人みたいな」と例えると、深井さんは、サイヤ人より上の存在をサイヤ人と呼んだらわからないので、ちゃんとスーパーサイヤ人と呼ばせる、ということだと乗っかります。
深井さんは、皇帝という名称の決め方にも始皇帝らしさが表れていると話します。始皇帝はまず部下に案を考えさせ、出てきた案を少し変えて自分の最終決定にするスタイルをとっていました。皇帝の名称も、別の案が出てきたものをもじって「皇帝」にしたといいます。
いいとこ取り込んで取り込んで最終的に自分の手柄にするってバキューミングですね。
さらに始皇帝は文字も統一しました。深井さんは、文字の統一が、その後の中国が中国として機能するためにとても大事だったと考えています。文字と交通を整えたことで、初めて「中国」という国が姿を現したと語られます。
15年で崩壊した秦は、漢帝国に何を渡したのか?
深井さんによると、始皇帝が作ったシステムは、次の漢帝国に濃厚に受け継がれます。漢帝国は400年以上続き、楊さんと深井さんは、これが今の中国のアイデンティティーの出発点になったと話します。
始皇帝はね、自分の帝国をもう未来永劫続けていくつもりだった。
始皇帝の願いはかないませんでしたが、漢帝国は秦のシステムを受け継ぎつつ、15年で潰れた反省を生かして、だめだった部分だけを変えました。この継承の流れは、次のように整理できます。
始皇帝の統一
道路・単位・文字などの統一国家のシステムを作る
秦の崩壊
属人的な体制のため、始皇帝の死後15年で崩壊する
漢の継承
システムを濃厚に受け継ぎ、だめだった部分だけを変える
長い安定
漢帝国が400年以上続き、中国の出発点となる
深井さんは、この関係を織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にも似ていると例えます。先駆者はすぐ死に、引き継いだ人が長い治世を実現するという構図に、ロマンがあると話しています。
楊さんは、切り開く人と引き継いで守っていく人では、求められるスキルや性質が違うのだろうと受け止めます。そして次回は、そんな始皇帝が不老不死を求めていた話に進むと予告して、この回は締めくくられます。
まとめ
この回で語られた始皇帝は、暴君というより、苦労の多い生い立ちから人を信頼しなくなり、すべてを自分で背負った勤勉な現実主義者でした。その属人的なやり方が秦を短命にした一方で、始皇帝が作った統一国家の仕組みは漢帝国に引き継がれ、中国の出発点になったと話されています。
- 始皇帝は趙の人質の子として育ち、呂不韋の賭けによって父が王となったのち、13歳で即位した
- 暗殺や反乱を経験した始皇帝は人に任せず、毎日30キロ分の書類を決裁するハードワーカーだった
- 道路、度量衡、貨幣、文字の統一やインフラ整備によって、初めて「中国」という国が形づくられた
- 王の上位概念として「皇帝」を作り、部下の案を取り込んで自分で最終決定するのが始皇帝のスタイルだった
- 秦は15年で崩壊したが、そのシステムを受け継いだ漢帝国が400年以上続いた


