台本は130ページ超、その前に届いた2つの告知
織田信長シリーズの第1回は、深井さんが「今日はちゃんと寝た」と話す和やかな雑談から始まります。ただ、今回の台本は130何ページもあり、これまで最長だった第一次世界大戦編を超えるボリュームだといいます。
だからあのインフレしてるんですよ、ずっと。ずーっとインフレーションなんです。
本編に入る前に、深井さんから2つの告知がありました。1つ目は、Spotifyでしか聴けないオリジナル番組「コテンラジオSpotifyオリジナル」です。深井さんによれば、再生数を見ると、まだあまり聴かれていないそうです。
Spotifyオリジナルでは、孔子、グーテンベルク、キング牧師、カーネル・サンダース、マヤ文明などを取り上げています。楊さんがメインスピーカーを務める回も多く、65歳からケンタッキーを作り上げたカーネル・サンダースの回は特に評判がよかったといいます。
本編は1シリーズ10〜12話ほどですが、Spotifyオリジナルはどれも前編・後編の2話構成で、合わせて1時間半以内に収まります。樋口さんは、コテンラジオの入り口としても聴きやすいと話しています。
2つ目の告知は、新しく始めたポッドキャスト番組『超相対性理論』です。深井さんが、学びデザインの荒木博行さん、Takramのコンテクストデザイナーである渡邉康太郎さんと3人で、テーマを決めて雑談する番組だといいます。
(超相対性理論は)ポッドキャストだからちょっと振り切ってみようと思って。結構難しい言葉とかももう使っちゃってるんだけど、素で話す時はあれが僕らも楽っていう感じ。
『超相対性理論』のテーマの例として、深井さんは「我々は数字の奴隷から脱却できるのか」を挙げています。樋口さんは「頭良すぎてエロい」と反応し、スタジオが笑いに包まれました。
「魔王」で「革新者」の信長像はどこまで本当か?
織田信長について、樋口さんが抱いているイメージは「かっこいい、強い、ホトトギスを殺す人」です。残虐で能力が高く、魔王のような人物だといいます。
残虐で、能力がめちゃくちゃ高くて、魔王みたいなイメージなんですよ。
深井さんは、樋口さんのこのイメージは大きくはずれていないと答えます。信長は実際にそこそこ残虐で強く、自ら「魔王」と名乗ったこともあるそうです。楊さんは、魔王が仏教の中の考え方の1つだと補足しています。
一方で、信長の「革新者」「イノベーター」というイメージは、最近の研究では史実と違っている部分があるといいます。研究が進み、深井さんたちが学校で習った頃とは信長像がかなり変わってきているそうです。
楊さんによれば、日本史の研究は細分化が進んでいて、信長の経済政策のような個別テーマの本は多い一方、信長の一生を通して全体像を書いた本は少なかったといいます。
今回の準備で集めた本は、バリューブックスが用意した40冊に、楊さんが追加で買った20冊、さらに深井さんたちの購入分が加わり、100冊ほどになったかもしれないそうです。
ただし、台本をすべて読み上げるわけではなく、諸説が分かれていて定まった見解がない部分も多いため、エッセンスを抜き出して話すと深井さんは説明しています。
天下布武の意味から、室町幕府を終わらせた人へ
戦国時代を取り上げるのが遅くなった理由について、深井さんは、登場人物が多く、全員がキャラ立ちしていて誰を選ぶか迷っていたからだと話します。そこで今回は、ど真ん中の織田信長を選んだといいます。
信長像の変化を示す例として挙がったのが天下布武 ── 織田信長が印判に用いた言葉。「天下に武を布く」と読まれ、天下統一の意志を示すと長く解釈されてきましたが、意味については研究者の間で議論がありますです。天下統一への意志を示す言葉として知られていますが、最近は「信長は天下のことなど考えていなかったのではないか」という説もあるといいます。
楊さんは、「天下」がどの範囲を指すかも研究者によって違うと指摘します。深井さんは、畿内 ── 京都を中心とした周辺地域を指す言葉で、おおむね現在の近畿地方の中心部にあたりますだけを指すという説と、東北まで含めた日本全体を指すという説を紹介しています。
当時の「天下」は、畿内と呼ばれた関西の一部だけを指していたという考え方
信長は、東北まで含めた日本全体を「天下」と呼んでいたという考え方
深井さんによれば、信長の人物像がぼやけているのは、情報が多すぎるからではなく、少なすぎるからです。信長自身が「天下とはこういう意味だ」と書き残していれば決着しますが、そうした記録がないため、諸説が分かれていきます。
そこで今回のシリーズは、信長が何をしたか・しなかったかというファクトを起点に整理していきます。信長が何をした人かと聞かれた樋口さんは「天下統一の礎を作った人」と答え、深井さんはそれも正しいと応じました。
深井さんは、信長を一言で表すなら室町幕府を実質的に終わらせた人だと考えています。最後の将軍である足利義昭を追放したことで、将軍という称号は残ったものの、室町幕府は実質的に終わりました。これが大きなターニングポイントだったと深井さんは見ています。
ただし、この評価は深井さんが五、六十冊を読んだうえでの私見で、人によって答えは違うだろうと断っています。
シリーズでは、今川義元との桶狭間の戦い ── 1560年、尾張の織田信長が、大軍を率いて侵攻してきた駿河の今川義元を討ち取った戦いです、甲斐の武田氏との長篠の戦い、浅井長政との姉川の戦い、比叡山延暦寺の焼き打ちといった有名な出来事も取り上げる予定です。
信長は多くの戦いに勝ちましたが、豊臣秀吉や徳川家康のように日本を統一したわけではありません。毛利輝元と戦っている最中に、明智光秀の謀反によって本能寺で命を落とします。
なぜ信長の話が800年前から始まるのか?
今回のシリーズでは、そもそも武士とは何か、どうやって生まれたのかを掘り下げます。そのために、話は信長が生まれる800年前までさかのぼることになったといいます。
深井さんが800年前までさかのぼった理由は、自分自身が疑問だったからです。教科書に出てくる守護や地頭といった役職を読んでも、実際には誰なのか、どういうことなのかがわからなかったといいます。
信長の上にこういう人がいるんだけど、この人と信長の関係がどういう状況なのかがわかんないから、ずっとモヤモヤするんですよ。
深井さんによれば、幕府とは何か、足利義昭は何をしていた人なのか、信長と天皇、毛利・上杉・武田との関係はどうだったのかがわからないと、戦国時代は理解できないといいます。
たとえば信長は途中で上洛して京都へ行きますが、なぜ上洛したのか、なぜ上杉や武田、朝倉は上洛しなかったのかは、前提となる構造がわからないと説明できません。
今回、そこ(800年前)まで遡ることによって、そこそこクリアになるんじゃないかなと思ってます。そこそこね、むずいよ。むずいけど、そこそこクリア。
樋口さんは、戦国時代はドラマや文学作品でなじみがあるぶん簡単だと思っていたそうです。しかし実際の社会の構造や価値観は今とまったく違い、ドラマのイメージがかえってノイズになると気づいたといいます。
全員悪人の戦国時代、彼らはなぜ命をかけて戦ったのか?
樋口さんは、戦国時代は海賊が多かったソマリアに近かったと書いた本を読んだことがあると話します。深井さんも、戦国時代は命のハードルが極めて低く、人を簡単に殺す感覚だったと応じています。
信長が残虐だったというイメージについても、深井さんは、今の感覚から見れば残虐だが、当時は周りの人たちも同じように残虐だったと説明します。
深井さんによれば、当時は謀反もだまし討ちも当たり前でした。明智光秀が裏切った理由がよく話題になりますが、みんなが裏切っていたので光秀だけが特別なわけではなく、信長自身も弟をだまして殺しているといいます。
デフォルトで裏切ってるから、みんなが。
深井さんは、戦国時代の人たちがなぜ戦っていたのかも、実はよくわかっていないはずだと問いかけます。樋口さんが「領土を広くしたいから」と答えると、深井さんはさらに、なぜ命をかけてまで領土を広げたいのかと重ねて問います。
例えば今(樋口さん)が収入上げるか死ぬかどっちか選べるよって言われた時に、収入上げる方を全員で選ぶと思いますか?
今回のシリーズでは、こうした戦う動機にも答えていきます。前半では戦国大名、将軍、国人、地頭、守護などの関係性や成り立ちを掘り下げ、後半では、その時代に現れた信長という1人の人間がどのような決断をし、最後に謀反されるに至ったのかを語る構成です。
本能寺の変については、先に結論が示されました。明智光秀の動機はわかっておらず、新しい史料が出てこない限り、おそらく今後もわからないといいます。光秀が理由を語ったという記録は残っていますが、何と言ったかは残っていないそうです。
楊さんは、どこに注目するかで解釈の振れ幅が大きくなる点を「人文学」らしさとして挙げています。深井さんは、検証できない領域があることを受け止め、モヤっとしたものをモヤっとしたまま受け取ることも今回やっていきたいと話しています。
マトリョーシカのような権威と権力の入れ子構造
800年前までさかのぼることで、平安時代後期から戦国時代までの流れをある程度つかめるようになると深井さんは話します。その中で深井さんが特に面白いと感じたのが、日本の権力構造の複雑さです。
日本には守護、地頭、国人、戦国大名、守護大名、将軍、天皇に加え、幕府の中にも管領 ── 室町幕府で将軍を補佐し、政務を統括した役職。細川・斯波・畠山の3家が交代で務めましたなどの役職があり、御家人・非御家人といった区分もありました。
深井さんと楊さんは、この日本の構造を中国と比べています。中国の役職はルールベースで権限が明記され、システムの中での機能がわかるようになっていますが、日本は空気で決まり、書いてあることと実態が違うこともあるといいます。
ルールベースで、役職ごとに何の権限を持つかが確定・明記されている
空気で決まる部分が大きく、建前と本音が違い、常に流動的
深井さんは、日本の外的変動要因は白村江の戦い、元寇、黒船来航、太平洋戦争の4回ほどしかなく、世界史的に見ても極めて少ないと説明します。そのため、天皇というシステムを置き換える必要がなかったといいます。
めちゃくちゃ昔に作った古いシステムを増改築してなんとか使ってて、運用でもう実態とはめっちゃ離れてるんだけど、設計思想が。
深井さんは、日本の権力構造の特徴として、権威と権力が必ず分かれていく点を挙げます。まず天皇と将軍の間で分かれ、次に将軍と管領、さらに守護と守護代 ── 守護の代わりに現地で実務を担った役職。のちに主君の守護をしのぐ実力を持つ例も現れましたへと、同じ分かれ方が繰り返されていったといいます。
天皇→将軍
天皇が権威を担い、将軍が権力・実務を担う
将軍→管領
将軍が権威側になり、ナンバー2の管領が実務を担う
守護→守護代
守護から守護代へ権限が委譲されていく
樋口さんはこの構造を「フラクタル」と表現しました。深井さんは、この入れ子構造を意識しながら聴くと、シリーズの内容が理解しやすくなると話しています。
他の文明では、権威を担う人を倒して権威と権力の両方を手にするのが一般的だといいます。一方、日本では対外的な脅威が少なく、自分の権力を保障してくれる権威を倒して一から作り直すコストを払うメリットがありませんでした。
その結果、日本では権威を残したまま実力者に権力を渡すことが繰り返され、非常に複雑な構造になりました。深井さんは、信長が上洛して将軍を追放する理由がわかりにくいのも、この構造のせいだと見ています。楊さんは、今の日本にも通じるところがあると付け加えています。
天下統一は「想像できないゴール」だった?
深井さんは日本のもう1つの特徴として、強力な専制権力が少なく、中央集権型ではなかった点を挙げます。平安時代後期から江戸時代まで、日本全体を統括できる権力はなく、鎌倉幕府も室町幕府も日本全体をまとめきれていなかったといいます。
楊さんは、ルールを守らせるには最終的に武力と罰則が必要であり、それを強く効かせる集中した権力が日本にはできなかったと補足します。ただし、小さな範囲で罰則を効かせられる存在は現れていたそうです。
さらに深井さんは、私見と断ったうえで、当時は「天下統一」という概念そのものがなかったのではないかと話します。研究者の間でも、あったという人となかったという人がいるといいます。
僕たちは結果論として天下を統一するという概念があるんだけど、されたから。されてない時にどうやったらこの状況が収束するかを彼らは想像できなかったんじゃないかなと思うんですよ。
深井さんは、この状況をコロナ禍にたとえています。コロナがどうすれば収束するのかわからないのと同じように、戦国時代の人たちも先の見えない状況にいたのではないか、という見方です。
各大名が天下統一を狙い、トーナメント式に戦って、勝ち残った者が天下を取る
どうなれば事態が収まるかわからないまま、全員が探り探りで戦っている
楊さんは、日本史は多くの人が知っているつもりの分野でも、コンテンツで得たイメージと研究の動向にはずれがあると話します。次回からは、いよいよ武士の起こりの話に入ります。
まとめ
織田信長シリーズの第1回では、最近の研究で変わりつつある信長像と、信長を理解するための前提として、800年前までさかのぼる理由が語られました。深井さんたちは、権威と権力が入れ子状に分かれていく日本独特の権力構造を、戦国時代を読み解く鍵として示しています。
- 深井さんの見立てでは、信長の最大の功績は足利義昭を追放し、室町幕府を実質的に終わらせたことです
- 天下布武の意味や「天下」の範囲、明智光秀の動機など、史料が少なく諸説が分かれる論点は多くあります
- 日本では天皇と将軍、将軍と管領、守護と守護代のように、権威と権力が繰り返し分かれていきました
- 強力な中央権力がない中で、戦国の人たちは天下統一というゴールを想像できないまま戦っていた可能性があります





