アメリカは何をめぐって列強と競っていたのか
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ペリー来航編の第2回では、なぜアメリカが日本に目をつけたのか、その理由を解像度を上げて追っていきます。アメリカの中での意思決定のプロセスに焦点を当てた回です。
まず前提として、当時の西洋列強たちは激しく競争していました。列強とはイギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガル、イタリア、そしてアメリカを指します。
その中でアメリカは新興国でした。北米大陸で東から西へ領土を広げていた一方、海外進出は遅れていたと深井さんは整理します。
では列強は何をめぐって競っていたのか。競争のポイントは複数ありました。
貿易の環境整備として、いかに自分たちに有利な条件で条約を結ばせるかも重要でした。そのためには武力も辞さない姿勢だったと深井さんは話します。アヘン戦争などがその流れにつながっていきます。
これらの競争ポイントの中でも、今回のシリーズで最も大事になるのが制海権です。制海権を握れば、船が安全に航行できる海上ルートを確保できるからです。
光ファイバーにたとえる「ネットワーク争奪戦」
安全な海上ルートの確保は、貿易や資源輸送、軍艦の展開のすべてに必要でした。深井さんはこれを、人・物・金・情報を流すためのネットワークを、いかに早く広く地球上に築けるかという問題だと言います。
もうこれ、ネット回線と同じですね。本当に。
列強たちはグローバル競争のただ中にいて、そこで大事なのはネットワークでした。他国より広く、より早く人・物・金・情報を流せるネットワークを、いかに独占し構築できるかが問われていたのです。
そのために制海権も海軍も補給ネットワークも重要になる。樋口さんは、これをデータ損失のない光ファイバーをいかに敷けるかという感覚にたとえます。
列強が狙った「最高のケーキ」中国市場
そうした競争の中で、列強たちが目をつけていた国が中国でした。マーケットが大きく資源もあり、しかも当時の清王朝は弱体化していた、と深井さんは表現します。
最高に美味しくてでかいケーキなんですよね。
列強は次々と中国へ進出しました。イギリスはアヘン戦争に勝って上海やアモイなどの港を開かせ、香港を割譲させました。フランスも清と条約を結んでいました。
アメリカもすでに中国と望厦条約を結んでいました。これも不平等条約で、ペリーの日本来航より前のことです。中国市場はアメリカにとっても最大級に富を生むドル箱でした。
この中国というマーケットで、アメリカはイギリスに勝ちたいと考えていました。それが国の目標だった、と深井さんは言います。ただし、ネットワーク構築ではイギリスに負けていました。
なぜアメリカは中国到達でイギリスに負けていたのか
負けている理由を、深井さんは航路の違いで説明します。イギリスは本国から南下してアフリカ南端を回り、インドまで北上し、東南アジア経由で中国に着く。沿岸の港を伝う航路です。
沿岸の港伝いにトンボが水面をちょんちょんちょんと移動するみたいに移動していくイメージなんですよね。
一方アメリカは、東海岸からまず大西洋を渡らなければなりません。そのうえでイギリスと似たルートをたどるため、どうしても遅くなります。
これが招く結果はシンプルです。イギリスのほうが早く中国市場の情報を入手できる。物や人の輸送でも、軍事力の展開でも、アメリカはイギリスに後れを取ってしまいます。
本国から南下しアフリカ南端を回り、インド・東南アジア経由で中国へ。沿岸の港を伝う航路
東海岸からまず大西洋を渡り、その後イギリスと似たルートをたどるため到達が遅れる
このボトルネックを、アメリカはなんとかしたいと考えていました。そして勝ち筋はただ一つでした。
太平洋を蒸気船でぶち抜く、たった一つの勝ち筋
樋口さんは、地図を見ながら「西側から行く」と答えます。深井さんはそれこそが正解だと応じました。
ただし、それを可能にする唯一の条件がありました。日本で補給港を確保することです。日本の開国は、このアメリカの戦略を実現するためのプロセスだったと深井さんは位置づけます。
なお、日本開国の目的は他にも複数あり、学者によってどれを重視するかで見解が分かれるとの断りが入ります。今回はその一つの説として、中国とのロジスティックルート構築を主軸に据えて説明が進みます。
なぜ帆船ではなく「蒸気船」でなければならなかったのか
なぜ蒸気船が必要だったのか。実は西海岸から中国へ向かう太平洋航路は、帆船ではすでに開拓されていました。ハワイを経由して風を捕まえて進むルートです。
しかしこの帆船航路では、イギリスに勝てません。帆船は風と海流を使うため、その通り道によって道のりが制約され、地球儀上の物理的な最短距離を通れないからです。
蒸気船なら、風や海流という自然条件を無視して海の上を最短距離で突き抜けられます。深井さんは、蒸気船の強みは単に速いことではなく、風と海流の制約をほぼ受けない点だと強調します。
風と海流を使うため、その通り道に道のりが制約される。大海原を突っ切ると危険度も高い
自然条件を無視して最短距離を進める。速さだけでなく制約を受けない点が強み
試算では、蒸気船で最短ルートを取ると帆船より2000キロ短縮されるといいます。帆船はハワイ経由、蒸気船はアラスカ沖を通って中国に向かうのが最短ルートでした。
2000キロって多分福岡から東京までが大体千キロ、1100キロとかなんですよ。その往復ぐらいだから。
石炭とハイブリッド船、蒸気船運用の現実的な壁
蒸気船の運用には条件がありました。燃料である石炭の補給港を確保することです。ところが太平洋には補給港を置ける場所が少なかったのです。
ハワイに寄る手もありますが、それでは物理的な最短距離から外れてしまいます。最初から大量の石炭を積む手もありますが、これも最適解ではありませんでした。
当時の蒸気船はまだ燃焼効率が悪く、石炭1トンあたりのエネルギー効率が低かったのです。石炭を大量に積むと荷物の積載量が確保できず、航路を開拓しても経済的にペイしませんでした。
そこで石炭の積載量を抑えるため、帆船と蒸気船のハイブリッド型の船まで作られました。風が使えるところは帆で進み、そうでないところは蒸気で進む仕組みです。このハイブリッド型はペリー艦隊でも使われています。
地図を見て気づいた「日本という絶好の補給地」
帆船には風と海流、蒸気船には石炭が生命線でした。深井さんは、アメリカの人々が地図を見て、最短距離ルートがすべて日本列島を通っていることに気づいたのだろうと語ります。
日本を避けて迂回すると、蒸気船航路としては効率が悪くなります。しかも日本では石炭が取れました。この時すでに日本では、家庭用燃料や製塩業者向けの燃料として石炭が使われていたのです。
日本産の石炭には、アメリカだけでなく欧米列強が注目していました。日本に石炭供給の拠点を確保できれば、アメリカは大きく優位に立てる、という観点が生まれます。
つまりペリーが開国を求めに来たとき、日本とのビジネスそのものは最優先の目的ではありませんでした。まずは中国市場へ向かうための補給地の確保が狙いだったのです。
じゃあもう次の彼女と付き合うまでのつなぎだったんですね。ひどい男。
開国を求めたもう一つの理由、捕鯨船の保護
この時の日本は鎖国政策の下にありました。オランダと中国の船は長崎の出島に寄れましたが、他の欧米の船が日本沿岸を航行したり寄港したりするのは困難でした。安全が確保できなければ補給地として意味がないため、開国が求められたのです。
もう一つの目的が捕鯨船の補給拠点でした。当時のアメリカは捕鯨業の黄金時代にあり、日本近海でも捕鯨船が操業して、遭難や漂流民の発生が問題になっていました。
日本が漂流民を保護してくれれば助かる。そのために日本にも開国して漂流民保護に協力してほしい、という目的もありました。
捕鯨の狙いはクジラの肉ではなく脂でした。照明用のランプオイルとしてのクジラの脂は、勃興しつつあったアメリカの産業革命の生命線だったのです。工場をフル操業するために照明が必須でした。
石油がクジラの脂に取って代わる直前の時代で、クジラの脂の需要はこの時期にピークを迎えていました。捕鯨船員の保護は、アメリカ国民の生命と財産の保護に直結していたのです。
蒸気船の補給地
西海岸と中国を結ぶ蒸気船の石炭補給基地として日本の港を確保したい
捕鯨船の拠点
黄金時代の捕鯨業のため、日本近海での補給・修理・緊急避難の港が必要
漂流民の保護
日本近海で難破する捕鯨船の漂流民を、日本に人道的に保護してほしい
なぜ外交なのに「海軍」がやって来たのか
第1回でも触れられた疑問として、漂流民保護や外交になぜ海軍が出てくるのか、が取り上げられます。答えはシンプルで、海外まで行って自国の意思を示し交渉できる手段と能力を持っていたのが海軍しかいなかったからです。
外交官がいなかったわけではありませんが、そのネットワークはまだ貧弱でした。当時のアメリカの国務省、今の外務省にあたる部門は体制が弱く、アジア担当課はわずか5人しかいませんでした。
国務省の中のアジア担当課っていうセクションがあるんですよね。これ5人しかいなかったです。
当時のアメリカは、対外戦争と国内の領土拡張が国のメイン事業で、外交に十分な余裕がありませんでした。在外公館は置かれていたものの専任ではなく、現地でビジネスをするアメリカ人にボランティアで領事を委託する程度でした。
この脆弱な外交機能を補っていたのが海軍でした。アメリカ海軍が外国との交渉を担ったり、外交官を海外へ送ったりしていたのです。日本に海軍が来たのも、この事情によるものでした。
つまり、ペリーが軍艦を率いて来たことだけを見て戦争を仕掛けに来たと捉えるのは、認識がずれているという指摘です。もちろん軍艦で脅す戦術目的もありましたが、そもそも軍艦でしか日本に来られませんでした。商船を送っても軍艦の護衛が必要だったのです。
日本遠征計画を描いた戦略家アーロン・パーマー
では、日本遠征計画を実質的に立案した人物とは誰か。ニューヨーク・マンハッタンの弁護士、アーロン・パーマーです。深井さんは彼を重要なキーパーソンとして詳しく紹介します。
パーマーは弁護士でありながら複数の顔を持っていました。一つはロビイストで、政府に政策提言する活動を通じてアメリカ中枢と強いコネクションを持っていました。
もう一つの顔が、ロスチャイルドの投資銀行ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド・アンド・サンズのアメリカ担当エージェントです。この投資銀行はアメリカ国内の公共事業や大型プロジェクトに資金を投入しており、パーマーはその一員でした。
深井さんは、パーマーを地球儀を見て考える戦略家だと表現します。地球上でどんなネットワークを築けばアメリカの利益を最大化できるかという思考の持ち主でした。
彼は実際にリソースを動かして実現可能性調査を行い、戦略に落とし込んで、政府や議会、大統領に提案し続けました。インドネシア、オーストラリア、アフリカ、インド、シベリアなどの政治情勢や経済、海のルート情報まで細かく研究していました。そして日本についても情報を集め、深く研究していたのです。
パーマーが描いた「地球をぐるりと結ぶ」構想
パーマーが作った日本遠征計画のポイントは3つでした。いずれもペリーとも共有済みの認識だったといいます。
さらにパーマーの視野はもっと広いものでした。アメリカ国内では大陸横断鉄道が作られており、これと太平洋の蒸気船ルートが完成すれば、上海からニューヨークまでを25日程度で結べるようになると見込んでいました。
加えて北米大陸で電信ネットワークも構築されつつありました。これが完成すれば、中国から来た船が西海岸のサンフランシスコに着いた数時間後には、アジア各国の市場情報を東海岸のニューヨークで得られる。つまり東アジアの動向をロンドンに先駆けて知ることができるというわけです。
パーマーが見ていたのは、西海岸から中国への蒸気船ルートだけではありませんでした。国内の電信ネットワークと大陸横断鉄道というピースがはまれば、地球上をぐるりと結ぶネットワークが完成する。深井さんは、彼がこの構想をアメリカに打ち込み続けたと語ります。
だからもう当時からその情報のスピードっていうのが直結して経済効果に影響するっていうことが、やっぱ意識として相当あったってことですよね。
深井さんは、やっていることは今のインターネットと構造的にあまり変わらないかもしれないと応じます。より速く、より大量に情報を伝えられるネットワークをいかに作るか、という発想でした。
もし応じなければ「江戸湾を封鎖する」という戦術
続いてパーマーは、日本への具体的なアプローチも考えていました。まず大統領の親書を持たせた特使を派遣し、国家としての意思を伝える。そのうえで艦隊を編成して江戸湾に突入させ、将軍または政府トップと直接交渉するというものです。この武力で圧をかける戦術はペリーとも共有されていました。
日本が要求に応じない場合の手段が、江戸湾の封鎖でした。パーマーは、江戸湾が首都江戸へ物資を供給する物流拠点であることを研究で把握していたのです。ここを封鎖すれば日本は詰む、という読みでした。
そしてこの読みは事実でした。江戸湾には大砲もありましたが、ペリー艦隊にはまったく及びませんでした。軍事力だけで見れば日本はアメリカにかなわず、江戸湾封鎖は強力な脅しの材料になると事前にわかっていたのです。
だから軍艦1隻で港封鎖できるくらい、もう本当に差がついちゃってたってことですよね。
この江戸湾の構造的な弱さは、江戸幕府の高官や知識人も憂慮していました。封鎖されれば終わるという意識はあったものの、さまざまな事情から完璧な防御体制は築けず、海上封鎖に弱いままでした。
日本を「東洋のイギリス」と評したパーマーの目
一方で、パーマーは日本をなめてはいませんでした。フラットに調査研究して理解しようとし、むしろ評価さえしていた点を深井さんは高く見ています。
パーマーは、日本は西洋の芸術や新技術への好奇心が極めて高く、名誉を重んじる騎士道のセンスを持ち、他のアジア諸国とは全く異なると評しました。彼らの行動規範は男らしい名誉と信義を基本としている、とも記しています。
アジア諸国に対する言い方ひどいけどね。意地汚いへつらいの傾向って。
この日本評は主に当時の中国との比較から来ていると考えられます。パーマーは、中国ほど日本をなめてはいけないという認識に到達したのだろう、と深井さんは見ています。そして日本の発展はアメリカの国益にとって重要だとまで述べていました。
ここで深井さんが伝えたいのは、戦略決定のキーマンであるパーマーが、感情的に日本を軽んじていたわけではないという点です。事前の調査研究を踏まえ、情報を得てロジックを積み上げてアプローチを構築していました。
今までのシリーズで、とりあえず列強って一言で片付けてますけれども、彼らは彼らなりにちゃんと仕事をしてるってことです。
ペリーが選ばれた理由と「決闘」の人間関係
パーマーとペリーは、ペリーが日本遠征の司令官に任命される前から情報交換をしていました。パーマーはこのミッションを、海軍経験を積んだ軍人であるペリーに任せたいと考え、政府への提案書で名指しで推薦していたのです。
もう一つ重要な人間関係がありました。パーマーの同僚に、同じロスチャイルド系エージェントであるオーガスト・ベルモントという人物がいました。彼はペリーの娘キャロライン・ペリーの夫、つまりペリーの義理の息子だったのです。
ベルモントは振る舞いがイケメンな人物でした。キャロラインがブロードウェイの劇場で男性から侮辱された際、赤の他人だったベルモントが激怒して決闘を挑みます。その決闘で足に怪我を負い体が不自由になりましたが、これがきっかけでキャロラインと結婚しました。
なんかあれですね、横断歩道で困ってたおじいちゃん助けたら、今から面接に行く会社の会長やったみたいな。
こうした人間関係の中で、ペリーは日本開国の切り札に選ばれました。構想はパーマー、実行はマシュー・ペリーという役割分担です。実はペリーの前にも東インド艦隊司令官の日本派遣が決定されていましたが、いずれもトラブルで日本にたどり着けていませんでした。
樋口さんは、ペリーは選ばれるべくして選ばれたように見えると振り返ります。堅実にキャリアを積み、部下の信頼も得て、アメリカ海軍に蒸気戦艦を導入したレジェンドの一人でもあったからです。
当時はまだ航海中に事故で沈没する危険もありました。それでもリスクを負って、才能あるペリーをこの重要なミッションに投じた。その背景には最強の列強イギリスとの競争構造があったのです。
次のエピソードでは視点を日本側に移し、西洋列強がどう日本に関わろうとしてきたのかが語られます。深井さんは、日本とアメリカの出会いはペリーが初めてではない、とも予告しました。
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まとめ
アメリカが日本の開国を求めた背景には、中国市場をめぐる対イギリスのネットワーク競争がありました。太平洋を蒸気船でぶち抜くには日本の補給港が不可欠で、その戦略を描いたのが戦略家アーロン・パーマー、実行役がペリーでした。
- 当時の列強は制海権を軸に、人・物・金・情報を流すネットワークをめぐって競争していた
- アメリカは中国市場でイギリスに勝つため、西海岸から太平洋を蒸気船で突き抜ける航路を狙った
- 日本は最短ルート上にあり石炭も取れる絶好の補給地で、これが開国要求の主目的の一つだった
- 外交機能が弱かったアメリカでは、海外交渉を担えるのが海軍しかなく、それゆえペリーが来航した
- 遠征計画はアーロン・パーマーが構想し、日本を「東洋のイギリス」と評したうえでロジックを積み上げていた




