本編から削った「追いトルコ」とは?
コテンラジオのケマル・アタテュルクのシリーズでは、制作陣は実は現代トルコまでまとめていました。ただ、ケマルが亡くなるまでで4話に達したため、現代トルコのパートは本編から削られたといいます。
深井さんは、ケマルから現代トルコへつながる流れには価値があると考え、収録時間が余ったことから番外編として扱うことにしました。台本は20ページあったそうです。
だってもうさっき俺らの話で言うと、2日間に分けて4話バーって撮ったじゃないですか。ふーって終わって、さあ番外編を撮るって言われて、僕、ああ、はいはいってなって。
追いトルコ。
深井さんは、ケマル没後の流れがわかると今のトルコがよくわかると話し、第二次世界大戦後から現在までをダイジェストで進めると宣言します。
初の政権交代で何が戻ってきたのか
第二次世界大戦後、世界的に民主主義が広がるなかで、当時の大統領イノニュは一党体制はよくないと演説しました。1947年に自由な直接投票制による総選挙を行うと述べ、トルコは初めて複数政党制に入っていきます。
新しくできた民主党は465議席中62席を獲得し、3年後の1950年には政権を奪取しました。トルコ共和国史上初の政権交代です。深井さんは、もともと掲げていた共和主義がちゃんと実現した感じだと表現しています。
民主党は、急速な世俗主義への対抗勢力として出てきた党でした。トルコの人口の多くは農村部のムスリムで、礼拝を呼びかけるアザーン ── イスラム教で1日5回の礼拝の時刻を知らせる呼びかけ。モスクの塔などから独特の節回しで唱えられますの詠唱の許可、宗教関連の出版禁止の解除、モスクの建設などが進められました。
世界は一旦平和っぽくなってきたら、そうなるや否や、やっぱり反動として世俗主義を弱める方向性っていうのが出てきた。
一方で、ケマル・アタテュルクへの崇拝も推進されていきます。世俗主義が崩れたり、ケマルへの否定的な意見が出すぎたりすると、トルコ共和国そのものが崩壊しかねないためです。
ケマルと対立した戦友たちが回想録を書き始めるなか、ケマルへの公的な批判を禁じるアタテュルク擁護法(侮辱禁止法)が制定されました。1960年代に回想録を出したフワトさん、ラウフさん、レフェトさんらも、この法律のもとでケマルを高く評価しています。
国家的危機の時代
強いリーダーのもとで西洋化と世俗主義を進める
第二次世界大戦の終結
世界が一旦平和になる
複数政党制へ
1947年に自由選挙を表明、1950年に民主党が政権交代
世俗主義の緩和
アザーンの許可やモスク建設など親イスラム政策
軍部はなぜクーデターを起こしたのか
1954年ごろには、与党となった民主党はすでに国民の支持を失いつつありました。財政の圧迫やインフレに加え、民主党は報道や出版へ圧力をかけ、共和人民党の党首イノニュへの個人攻撃も繰り返していたといいます。
ここも切ないですね。イノニュは2つ政党があった方がいいって作ったんですね。で、(そのイノニュが)攻撃されるんですよね。
イノニュへの攻撃はやりすぎて逆に嫌われ、反民主党の学生運動も活発になりました。民主党のメンデレス首相が反政府デモをやめるよう演説すると、危うく暴行されかける事態も起こり、国は混乱期に入ります。
この混乱を見た軍部はクーデターを起こして民主党政権を崩壊させ、メンデレスら中心人物を処刑しました。深井さんによれば、軍部には世俗主義の守護者であるという自認があり、親イスラム派の民主党のもとで崩壊しかねない国をまとめなければと考えたようです。
トルコ国民のなかにも、宗教とは関係なく生きる世俗的な人々がいて、徐々にイスラム色が強まる状況に不安を覚え、軍部に何とかしてほしいという思いもあったと話されています。
ケマルが作った政党。世俗主義で反イスラム派、党首はイノニュ
世俗主義への対抗勢力として登場した親イスラム派。1950年に政権を奪う
80代まで国を支えたイノニュ
1960年代にクーデターが起き、1970年代になっても政治の混乱は続きました。軍部の圧力で、軍の意を受けた政権が成立することもありました。
そのなかで共和人民党の党首として奮闘し続けたのがイノニュです。ギリシャが攻めてきた際の功労者で、イノニュという名で呼ばれるほどの人物だったため、軍人からは英雄として圧倒的な信頼を得ていました。クーデター後はイノニュが首相を務めます。
本人は多分引退したかったんだけど、結構な年齢なんで、もう。なんかもう他にまとめられる人がいないから、なんかまとめてるみたいな時代があるんですよね。
イノニュは1965年まで首相を務め、1973年に89歳で亡くなりました。樋口さんは、80歳を超えても国のために頑張っていたことに感心しています。
オイルショックと「トルコ・イスラム総合論」
1970年代には世界的な石油危機が起こり、トルコも経済的に苦しい状態が続きました。インフレと失業が拡大し、学生や労働者の運動が過激化して、右派との対立で多くの死傷者が出ます。
当時の政権はこの状況に対応できず、1980年には軍の上層部がふたたびクーデターを決行しました。このときは軍部が約2年間政治を担っています。
1980年代になると、軍部自身もケマル時代の世俗主義はこれ以上適用できないと認識するようになりました。そこで導入されたのがトルコイスラム総合論 ── トルコ民族の一体性にとってイスラムは欠かせない要素だとして、トルコ・ナショナリズムとイスラムを結びつける考え方です。
ケマル時代のトルコ主義は反宗教的でしたが、トルコ民族にとってイスラムは欠かせないとして、軍部はイスラムをもう少し大事にする方向へ認識を変えていきます。
エルドアンはどこから現れたのか
1990年代、軍部はイスラム的価値観をコントロールしながら国を治めようとしますが、うまくはいかなかったようです。この時期、親イスラム政党の福祉党が台頭し、1996年には党首のエルバカンが首相に就任しました。
その福祉党で若手として頭角を現したのが、現在のレジェプ・タイイップ・エルドアン大統領です。エルドアンさんは幼少期に、イマームの養成を目的とするイマームハティプ校 ── イスラムの宗教指導者であるイマームなどを養成する目的で設けられたトルコの学校。宗教教育と一般教育を合わせて行いますに通っていました。
福祉党政権は軍の圧力で崩壊し、解党させられます。それでも民衆の支持は親イスラム政党に集まり続け、軍部が世俗主義から外れすぎないよう管理する構図と、民衆の支持とのずれが1990年代以降に目立つようになりました。
2000年代に入ると、乱立していた政党にリーダーシップが欠ける状況が変わっていきます。解党と改名を重ねた福祉党系の政党は公正発展党となり、分散していた支持を一手に集めて単独与党の座に就きました。
エルドアンさんは政教分離に反したとして逮捕され、10カ月服役したこともあります。深井さんは、服役しながらも意見を変えない姿勢が、トルコのムスリムから信頼を勝ち得たと説明しています。
公正発展党政権で経済はどう変わったのか
2002年に公正発展党が単独与党になって以降、トルコの躍進には目を見張るものがあると言われています。クーデター未遂やテロで観光業が不振となり、経済成長率がマイナス1.8%を記録した時期から、2.9%まで回復させたといいます。
さらに、GDPの6割を占める個人消費と自動車などの好調な輸出が成長をけん引し、G20でトップとなる7.4%の成長率を達成したこともあったそうです。
1990年代の与党は政治腐敗が進み、金融危機にも効果的な対策を示せませんでした。これに対して公正発展党は成長を実現し、政党とエルドアンさんへの信頼が増していきます。
公正発展党は、これまで周辺に追いやられてきた保守的で信仰の厚い人々の票を集め、地盤を固めました。トルコでは、イスタンブールなどヨーロッパに近い沿岸部の都市と、ムスリム色の強い地域とで感覚がかなり違うといいます。
国を引っぱってきたエリート層は、ケマルの出自から見ても反宗教的な人々でした。公正発展党は経済を盛り上げつつ、ムスリムの人々の気持ちも取り込むことで成長を続けます。
ケマル以上の権力を持つ大統領へ
公正発展党は2015年ごろに単独与党の座から滑り落ちる時期もありましたが、結果的には長く安定して政権を担ってきました。2018年ごろには大統領制が正式に導入されます。
それまでのトルコでは首相と大統領が分かれていて、大統領の権限はそれほど強くありませんでした。樋口さんは、ケマルはカリスマ性のある大統領だったものの、大統領という存在は名誉職に近かったと補足しています。
首相と大統領が分かれ、大統領は名誉職に近い立場
2018年ごろの制度変更で、大統領が本当に権力のある立場に
エルドアン大統領は2023年にも再任され、20年以上にわたる長期政権を実現しています。
なぜトルコはEUに入れないのか
トルコは何十年もの間、EUへの加盟を目指してきました。深井さんは、懸命に西洋化し、ヨーロッパの玄関口にイスタンブールを持つトルコの人々には、ヨーロッパ人でもありアジア人でもあるという自己認識があるのではないかと話します。
楊さんによれば、EUは価値観を共有する共同体で、加盟を望む国は人権や法の支配などの規範を法律に落とし込み、実装することを求められます。トルコは経済や制度を変えて努力してきましたが、加盟交渉は実質的に凍結状態です。
2004年ごろにはEU加盟の交渉国になり、実現しそうな段階まで進んでいました。それから約20年後の2023年になっても、トルコは加盟できていません。
理由として楊さんは、EU加盟国のギリシャと揉めているキプロス問題や、フランスとの間で解決していないアルメニア人虐殺問題を挙げます。
深井さんは、EU自体が、ムスリムの多いトルコをヨーロッパと見なすことに強い心理的抵抗を持っていると指摘します。現在のEUにはムスリム国家がなく、加盟すれば関税がなくなり、移動も自由になるためです。
ヨーロッパであるっていうことに、キリスト教徒であるっていうことは、本当は暗黙の了解で入っちゃってるわけだよね。
深井さんは、これは自分の見解というより、そう主張する人が多いという話だと断っています。例として、フランスのサルコジ元大統領が「トルコはヨーロッパではないのでEUに加盟する権利はない」という趣旨の発言をしたことを挙げました。
EUの態度は、フランスやドイツの首脳が親トルコかどうかで大きく変わり、トルコの人々は振り回されてきたといいます。楊さんが紹介した2006年時点のデータでは、トルコ国内でのEU加盟の支持率は45%ほどで、すでに半数を割っていました。
一方でトルコはNATOには加盟しています。NATOには入っているのにEUには入れないという、非常に難しい問題を抱えているわけです。
ムスリムへの偏見はなぜ深刻なのか
深井さんと楊さんは、アメリカやヨーロッパには、ムスリムを過激なイスラム原理主義者やテロリストと結びつける感覚があると話します。深井さんは、テロを起こすのはごく一部の人なのに、イスラーム教徒全体に嫌悪感が向けられていると指摘しました。
ガザ地区にいるそのハマスとアメリカに住んでるムスリム、死ぬほど関係ないですけど、それを関連付けて殺す人とかがいるわけだよね。
深井さんは、分断を強調しすぎるのはよくないとしつつも、ムスリムに対する理解のなさは深刻な世界課題の一つだと考えています。これから世界最大の人口になっていくムスリムに対して、テロリストだと思っている人が多い状況はやめたほうがいいと話します。
樋口さんが、キリスト教もイスラムも一神教であることが関係しているのかと尋ねると、深井さんはどちらもゴリゴリの一神教だと認めたうえで、政治問題の影響のほうが大きいと答えています。
そのうえで深井さんは、西洋化した中東近くの国であるトルコは、キリスト教国とムスリム国家の間を橋渡しできる、非常に重要な立ち位置にあると述べました。
国を持てないクルド人の悲願とは
トルコはクルド人問題という大きな課題も抱えています。トルコ共和国が成立した時点で、人口の2割がクルド人でした。樋口さんは「5人に1人」と驚いています。
トルコはクルド人を「山岳部に住むトルコ人」として山岳トルコ人と呼び、クルド人もトルコ人だとしてきました。深井さんは、歴史的にはそんなはずはないと話します。
クルド人はトルコ、シリア、イラク、イランにまたがって暮らし、クルディスタンという国をつくることを悲願にしています。第一次世界大戦後のセーヴル条約 ── 1920年に連合国とオスマン帝国の間で結ばれた講和条約。のちにトルコ側が受け入れず、ローザンヌ条約に置き換えられましたでは自治区をつくれることになっていましたが、それが反故になりました。
樋口さんがなぜ国をつくれないのかと尋ねると、深井さんは、誰かが土地を譲らなければならないからだと答えます。例として、もともとアラブ人が住んでいた土地にユダヤ人がつくったイスラエルを挙げ、だからこそ問題が起きていると説明しました。
クルド人の政党としてPKK ── クルディスタン労働者党の略称。クルド人の自治や独立を掲げ、トルコ政府との間で長く武力衝突を続けてきた組織ですがあり、2016年12月までにトルコ政府との抗争で約4万人が亡くなったとされます。2013年に停戦合意がありましたが、テロや戦闘は続いており、収録の前月にもテロが起きていたそうです。
トルコにとって、クルド人を認めれば領土を割譲しなければならなくなります。そのためトルコ共和国は、トルコに住む人はトルコ人だと憲法に明記しました。トルコ人であることに異議を挟まなければ問題にしない一方、自分をクルド人だと言うと大きな問題になるといいます。
宗教をなくせなかった近代国家のゆくえ
深井さんは、トルコの近代化を振り返り、結局イスラームをなくすことはできなかったとまとめます。
その結果トルコは、イスラームを近代国家のなかにどう組み込むかという悩みを抱えています。EUが求める条件をかなり解決したのに、いまだに加盟を認められないことにも、不満を持っているだろうと深井さんは見ています。
一方で、エルドアン大統領は権限を強め、民衆もそれを支持している状態です。欧米からはさまざまな批判があり、特にアメリカとは互いに批判し合う関係にあると話されています。樋口さんは、配信される頃には状況が変わっているかもしれないと付け加えました。
樋口さんは、歴史問題、領土問題、国民国家の成立で排除されたマイノリティといった課題はどの国も抱えていると指摘し、深井さんも日本だって難しいと応じています。
知識を持ってトルコを見るとどう変わる?
深井さんは、今回の知識を持って国際ニュースを見たりトルコに行ったりすれば、解像度がまったく違うと話します。日本のメディアはエルドアン大統領を比較的批判的に報道するため、冷静に受け止めたほうがいいというのが深井さんの個人的な考えです。
樋口さんは、信仰する必要はないとしたうえで、イスラムをもっと知りたくなったと話しました。深井さんは、COTENでムスリムの先生を招いたイスラム勉強会を開いていることを紹介しています。
人に対して嫌な気持ちになったり、恐怖の感情って知らないっていうことが往々にしてあるから。知るっていうのがやっぱめちゃくちゃ大事だけど、そこに努力をしてないんやなって思いますね。
深井さんは、知り方も大事で、知っているつもりのものが実はプロパガンダということもあると付け加えます。樋口さんは、自分で情報を取りに行くことや現地に行くことも大事だとして、イスタンブールに行ってみたいと話しました。
深井さんが最後に強調したのは、歴史や文化や宗教に対するリスペクトがないとコミュニケーションはできないということです。相手と同じ考えになる必要はなく、そのために勉強するのだと話しています。
リスペクトがないと絶対にコミュニケーションができない。やっぱリスペクトが足んない時にこじれる。
一方で、日本ではイスラムを教えてくれる先生を見つけるのも難しいといいます。樋口さんは、キリスト教については千田先生がフラットにわかりやすく一神教を言語化してくれたおかげで、信者の気持ちを想像できるようになったと振り返りました。
深井さんは、現代トルコについては粗い解像度だったとしつつ、エルドアン政権のもとで経済が回復し、さまざまな問題を抱えながら現在進行形で動いていると締めくくっています。
まとめ
ケマル没後のトルコは、複数政党制の実現、世俗主義を守ろうとする軍部のクーデター、親イスラム政党の台頭を経て、エルドアン大統領の長期政権に至りました。今も宗教と近代国家の関係、EU加盟、クルド人問題を抱えており、理解の鍵としてリスペクトを持って知ることの大切さが語られています。
- 1947年の自由選挙表明を経て、1950年にトルコ共和国史上初の政権交代が起き、世俗主義への揺り戻しが始まった
- 世俗主義の守護者を自任する軍部は、混乱のたびにクーデターを起こし、1980年代にはトルコイスラム総合論へ認識を変えた
- エルドアン率いる公正発展党は保守的なムスリムの支持を集めて経済を立て直し、2018年ごろの大統領制導入で権力を集中させた
- EU加盟はキプロス問題やアルメニア人虐殺問題、ムスリム国家への心理的抵抗などから実質凍結状態にある
- 人口の2割を占めるクルド人の民族としての承認は、領土問題とも結びつき、現在進行形の課題になっている






