謎の多い明智光秀は、どう出世したのか
織田信長編の最終回は、本能寺の変を起こした明智光秀の紹介から始まります。深井さんによると、光秀の前半生はあまりよく分かっておらず、おそらく美濃の出身で、美濃の守護の家系である土岐氏 ── 室町時代に美濃国の守護を務めた一族。戦国時代には家臣の斎藤道三に国を奪われ、勢力を失いましたの一族だったと考えられているそうです。
明智家は当時かなり低い身分だったのではないかと言われ、光秀は初め斎藤道三に仕え、次に朝倉義景に仕えたという説もあります。
転機は、将軍の足利義輝が三好氏に殺された事件です。将軍になる前の足利義昭が越前に逃げ込んだ頃、朝倉義景に仕えていた光秀が義昭に仕えるようになったのではないかと言われています。
義昭の呼びかけに信長が応じて一緒に上洛する流れの中で、光秀は信長と義昭の仲介役を担い、どんどん出世していきます。実質的には信長と義昭の両方の部下という状況でした。
樋口さんは、こうした状況は珍しくないと補足します。取次 ── 戦国時代の外交窓口役。大名同士の交渉を担当者が独占的に担い、相手方との連絡や贈答のやり取りを取り仕切りましたと呼ばれる仲介役、外交官のような役割の人は、大体両方を行き来するものだったそうです。
光秀は次第に軍事的な才能も示し、義昭が信長に謀反を起こして追放されたときには、信長側に振り切ります。延暦寺の焼き打ちにも参加し、近江志賀郡を与えられて城を築きました。
その後、光秀は丹波・丹後の攻略の総司令官を務めて成功させ、丹波国も支配して織田家の中の大名になっていきます。信長から「惟任」という九州にある名字を与えられたことから、西日本担当にされる意味だったという説もあるそうです。
実際に任された役割は畿内周縁の守備で、深井さんは、すごく信頼されていないと任されない仕事だと話します。光秀は柴田勝家から嫉妬されるほど出世し、34万石の国持ち大名になりました。
光秀は武田勝頼を滅ぼした甲州征伐にも参加し、その後は羽柴秀吉の中国攻めの支援を命じられます。ところが中国地方へ向かうと思いきや、信長を急襲して本能寺の変を起こしました。
いや、わからんわ。
光秀の没年齢は55歳説と67歳説があり、67歳説がかなり有力だそうです。そうであれば、信長より20歳ほど年上だったことになります。
深井さんによると、光秀には参謀のイメージがあるものの、実際は参謀も行政も武将としての戦いも何でもこなせる人物でした。樋口さんはこの万能ぶりを「スーパーマン」と表現しています。
なぜ信長は無防備な状態で本能寺にいたのか
本能寺の変の直前、羽柴秀吉は今の岡山市にある高松城を水攻めしていました。秀吉は安土城に使者を送り、信長に助けに来てほしいと頼みます。
信長は中国地方へ向かうつもりで、その途中で本能寺に泊まりました。光秀は先発として先に動いていて、このとき信長と、家督を継いだ息子の信忠が、とても少ない兵力で京都にいるという状況が生まれます。
柴田勝家や羽柴秀吉など他の重臣は、各地の方面軍として遠くに派遣されていました。信長に一番近い場所にいたのは光秀で、しかも中国地方へ向かう途中なので、軍が動いていても不自然ではありませんでした。
この時に光秀は(信長を)今なら殺せるって多分思ったんだよね。
楊さんも、謀反が当たり前の時代に信長の油断が重なり、セキュリティにちょうど穴が開いたタイミングだったと応じています。深井さんは、殺すなら今だと思って一気に動いたのではないかと見ています。
光秀の動機として有力な「四国説」とは?
樋口さんが光秀の目的を尋ねると、深井さんは諸説を紹介します。恨みがあったとする怨恨説、信長に代わって天下を治めたかったという説に加え、最近有力なのが四国をめぐる説です。
四国の長宗我部 ── 土佐を拠点に四国のほぼ全域へ勢力を広げた戦国大名家。当主の長宗我部元親は織田家と友好関係を結んでいました家と織田家は、もともと同盟関係にありました。一方で阿波には、将軍足利義輝を殺し、信長と義昭の上洛の際に敗れた三好氏が逃げ込んでいました。
織田家は長宗我部家と組んで三好氏を倒そうとしていて、その外交担当が光秀でした。光秀は縁故をすべて動員して長宗我部家との話を進めていましたが、信長は急に方針を転換し、三好氏と結んで長宗我部家を潰す方向に変わります。
これでメンツを潰された光秀が、メンツ潰されたから(信長を)殺したんじゃないかっていうのが今の一番最近言われてる説。
楊さんは、取次という役割の重さを補足します。当時は勝手に外交をしてはいけず、取次が外交を独占的に担っていました。取次は自国の当主を代表して相手の当主と話し、相手国の情報を握り、交渉が成功すれば莫大な贈答品を受け取ることもあったそうです。
そのため取次を任される人は、自国の外交政策や中枢に直接関与でき、非常に発言力がありました。楊さんは、取次の役割を得ることは領地を得ることと同じくらいの意味を持っていたという説も紹介しています。
深井さんは、四国説は「メンツを潰された」というより「政争に負けた」と捉えるほうが正確だと話します。光秀は長宗我部元親との同盟派閥でしたが、中国攻めを命じられて信長の近くで立ち回れず、四国攻めの案が採用されてしまいました。
同盟外交
光秀が取次として長宗我部家との同盟を進める
方針転換
信長が三好氏と結び、長宗我部家を攻める方針に変更
政争での敗北
光秀の織田家内での発言力と地位が失墜する恐れ
家の危機
家臣団に面目が立たず、明智家が潰れる可能性
決断
信長が手薄な瞬間を見て「今しかない」と動く
案を覆せなければ、明智家は織田権力の中で失墜し、養ってきた家臣団にも面目が立たず、下手をすると家が潰れるかもしれません。深井さんは、そうした不安の中でたまたま信長を殺せる機会が訪れ、後先をあまり考えずに「今しかない」と動いた可能性が最も高いと考えています。
なんかそこもなんか防御というか、自分たちを守るというか、そういうのが働いてるってことかもしれないってことですね。
このほか、もともと光秀と近かった足利義昭が裏で糸を引いたという説や、朝廷が黒幕だったという説もあるそうです。
「是非もなし」はリスクテイカーの言葉だった?
楊さんによると、本能寺を攻めた側の手記には、警備体制がほとんどなく寺の扉も開いていたと記されているそうです。深井さんは、光秀が警備の弱さを指摘していたのに、信長がそれを黙殺していたとも話します。
楊さんはこれを、中央集権の悪いところが出た例だと見ています。全員が自分の思い通りに動くと認識してしまい、リスク判断が甘くなったのではないかという見方です。
一方で深井さんは、信長が光秀の裏切りを聞いて「是非もなし」と言ったことに注目します。信長は何パーセントかの確率で裏切られることを想定しつつ、素早く動くことを優先していたのではないかという解釈です。
それはなんかベンチャー経営でも全く同じ感覚があって、絶対に失敗しないようにしようとして動いてても成功ってしないんだよね。
数パーセント失敗するだろうっていうのがわかってても、それをやるっていうことの先にしか、やっぱり成功ってないから。
深井さんは、信長はどれが正解かわからない中でリスクを取りながら進むことをずっと続けてきた人物で、本能寺を防備してもガチで攻められたらどうせ死ぬ、と考えていたのかもしれないと話します。楊さんは、警備を薄くして刺されたカエサルとの共通点も挙げました。
本能寺の夜、信長と信忠に何が起きたのか
本能寺の変の当日、光秀は重臣に謀反を打ち明け、中国地方へ向かっていた軍を突如京都へ向けます。兵士には、中国攻めに向かう軍勢を信長に見せるといった説明をしていたと言われ、当時は家康を殺しに行くという噂が広がっていたそうです。
家康は実際にこの時期、京都に来て観光のようなことをしていました。しかし光秀の標的は家康ではなく信長でした。
本能寺が囲まれたとき、信長たちは最初、外で喧嘩が始まったと思ったそうです。やがて鬨の声が聞こえ、鉄砲が撃ち込まれて、ようやく危険な状況だと気づきます。
信長は小姓の森蘭丸 ── 信長に仕えた小姓で、本能寺の変で信長とともに討死した人物。美少年の側近として後世の物語でもよく描かれますに「これは謀反か。いかなる者の企てぞ」と尋ね、蘭丸が明智だと答えると、「是非に及ばず」と言ったと伝えられます。深井さんはこれを「しょうがねえや」という意味だと説明します。
信長は少し戦ったものの多勢に無勢でかなわず、燃え盛る寺の奥深くで切腹したと言われています。別の場所に泊まっていた息子の信忠も、救援に向かおうとした時点で本能寺が落ちたと知り、1000人ちょっとの兵で籠城しましたが、守り切れずに切腹しました。
本能寺襲撃
信長が「是非に及ばず」と言い、切腹
二条御所の戦い
信忠が籠城するも守り切れず切腹
残党狩りと安土城
光秀が洛中で残党を討ち、無血開城した安土城を占拠
秀吉の反転
秀吉が毛利と和睦し、畿内へ急進して光秀を討つ
光秀は落ち延びた人を洛中で探して討ち果たしましたが、信長の部下だった黒人の侍・弥助 ── アフリカ出身とされ、宣教師を通じて信長に仕えた人物。本能寺の変の後は殺されずに解放されたと伝わっていますは逃がされたと言われています。安土城下では、信長親子の死が事実らしいとわかると人々が怖くなって逃げ、安土城は無血開城となりました。
一方、羽柴秀吉は信長と信忠が討たれた報を聞くとすぐに毛利と和睦し、畿内へ向けて進軍します。秀吉が光秀を討った理由について、深井さんと楊さんは主君が殺されたからだと答え、深井さんは光秀の家臣になるつもりもなかったのだろうと付け加えます。
いやなんかあっけない。なんかえっ終わったって感じ。夢幻のごとくないです。
死ぬ時はね、どんだけ権勢を誇ってやったって、こうやって死んだら終わりだよ。
シリーズを終えて見えた「武士」の面白さ
本編を終えた3人は、織田信長編全体を振り返ります。深井さんが一番面白かったのは、室町幕府の体制や武士の誇りだったそうです。
深井さんによると、この知識があれば、今後は映画やドラマで武士を見るときも、そのベースを踏まえて見られるようになります。樋口さんは、逆に演出されすぎだと感じるかもしれないと笑います。
幕府権力がそんなになかった。そして日本には統一権力がそんなになかったんだなっていうことが、その新鮮な驚きとして、やっぱり僕の中であって。
樋口さんは、小学生の頃に日本史の漫画で朝廷、幕府、天皇、将軍が並んでいるのを見て「何これ?」と思っていたと振り返ります。今回の話を聞いて、ようやくおぼろげにわかってきたそうです。
当時の人はこの構造をわかっていたのかという樋口さんの疑問に、深井さんは、わからなかったと思うと答えます。今の自分たちが「どんな時代か」と聞かれても答えられないように、当時の人も自分たちの時代をわからずに生きていたのではないかという見方です。
樋口さんは「天下」の捉え方も面白かったと話します。外に人間がいなければ地球全体をひとつとして捉えにくいように、外敵がいることでひとつにまとまるという構図は、これまでのシリーズでも繰り返し出てきたテーマでした。
歴史の事実はどこまでわかるのか
深井さんが改めて感じたのは、史実を考察することの難しさです。日本史は日本人の研究者が多く、日本語の本もたくさん読めましたが、曖昧な記述への解釈が多すぎて、どれが正しいという答えはないと感じたそうです。
深井さんは学者を強く尊敬していると前置きしたうえで、自分たちの会社経営にたとえます。
僕たちじゃない人たちが見て、後にSlackの履歴の一部とかを見て、こうだったんじゃないかとか言われて、当たるかっつったらむずいなと思う。
深井さんは、8割ぐらいは当たるかもしれないが外れる部分も出てくるだろうと話し、歴史はファクトの認識が難しい領域だと改めて感じたといいます。
話はコテンラジオのSlackに移り、樋口さんが脈絡のない投稿をしている、深井さんのコメントは誤字脱字がひどくて解読不能なときがある、と笑い話が続きます。
戦国時代はなぜリソースの奪い合いになったのか
樋口さんがシリーズ全体で一番心に残ったのは、リソースの奪い合いという構造です。オセロの盤上のように白か黒かを取り合い、社会構造上奪い合わないと生きられないなら、戦国時代になるのも当然だと感じたそうです。
多分当時ってそのリソースっていうものがほぼ土地と人だったってことですよね。
樋口さんは、土地と人を奪われてはいけないから戦うしかなかった構造が、今の資本主義社会ではお金に置き換わっているのではないかと考えました。これに対し深井さんは、お金には限りがあるわけではないので全然違うと応じます。
深井さんはここから、孫子の兵法 ── 古代中国の兵法書『孫子』のこと。戦いの原則を説いた書物で、現代でもビジネス書として読まれることがありますをビジネスに生かそうとする風潮への危うさを語ります。
(孫子の兵法)っていうのは限られたパイを奪う時の哲学なんです。だからあれには人をだませって書いてあるんです。
深井さんは、新しい市場を自由に開拓できる時代に、限られたパイを奪うための哲学を読んで人を騙していたら危ないと話します。リベラルアーツを学ぶときは、その知識が前提とする状況まで知っておく必要があるという指摘です。
戦国時代の土地と人、テレビの広告枠、商店街の客の取り合い。出し抜くことが重要になる
業界全体を一緒に盛り上げてWINWINを目指す。争いが起こりにくい
樋口さんは、身近な業界では椅子取りゲームが起きていると話します。広告業界ならテレビの枠の取り合い、樋口さんが活動する地方なら、商店街の魚屋が別のマーケットに客を取られるといった争いです。
一方で、みんなで魚業界を盛り上げよう、広告の市場を開拓しようという関係になれば争いは起こらない、というのが樋口さんの実感でした。楊さんは、その解決策として社会主義も出てきたと補足し、深井さんはうまくいかない例も含めていろいろな社会のパターンがあると話しています。
無常観とハイコンテクスト文化はどこから来たのか
楊さんは、中国出身の視点から、日本人をより深く理解できたと話します。武士や戦国時代の本を久しぶりに読み、当時の人が無常という価値観を自然に持っていたのには理由があると感じたそうです。
その理由として、深井さんと楊さんは「本当にすぐ死ぬから」と口を揃えます。日本のトップになる手前にいた織田信長でさえ突然死に、しかも本人がそれを「しょうがない」と受け入れていることが、当時の死生観を象徴しているという見方です。
だから死の概念変わるとやっぱ生き方変わるから。
深井さんがもうひとつ面白かったのは、日本史では権力構造が分解していく傾向があるとわかったことです。そこから、日本のハイコンテクスト文化の成り立ちについて仮説を語ります。
深井さんの仮説では、ルールが適用できない社会に変わってもルールが残り、増改築して無理やり使い続けた結果、日本はハイコンテクスト文化になったのではないかといいます。本当は別の人に権力があるのに、それを口に出してはいけない状況が積み重なったという考え方です。
日本ってルール守ると思われてるじゃん。あれルール守ってんじゃなくて、ハイコンテクストの中で合意形成してるだけで、ルールは多分守ってないんだよね、日本人って。
楊さんは、それが「空気」だと応じます。深井さんは、専制国家だった中国では出されたルールをよく守り、ハイコンテクストがないため、空気を読んでいないように見えるのではないかと話します。
明文化されたルールより、ハイコンテクストな合意形成(空気)に重きを置く
専制国家の歴史から、出されたルールを守る。ハイコンテクストが少ない
楊さんも、日本では法律の条文だけでなく、空気や見えない合意形成がルールとして機能していると感じるそうです。深井さんは、幕末に来日した外国人が天皇と将軍が並ぶ状況に戸惑ったのも同じ理由だと話し、古いシステムを運用でなんとかしている会社を外から見たときの感覚にたとえます。
楊さんはそれを日本の魅力でもあると評価し、樋口さんは、コンサルが入ってシステムを全部変えるといきなり悪くなることもよくあると付け加えました。
日本人は「本物のリーダーシップ」を知らない?
深井さんは、日本に統一権力がなかったことが現代の自分たちにも大きく影響していると考えています。政治などでリーダーシップがないとよく言われるのは、そもそも経験したことがないからではないかという見方です。
超すげえリーダーシップに率いられたことがない。だからわかんないんだと思う。
楊さんは中国に来ればわかると言い、深井さんは「怖いよね」と応じます。そのうえで深井さんは、率いられたいわけではないが、西洋的・中国的なリーダーシップを日本がそのまま目指すのは違うと話します。
我々には我々のリーダーシップの形とか、リーダーシップと彼らが呼ぶものとは異質の合意形成がやっぱりあるんですよ。
楊さんが戦争末期は少し近い状況だったかもしれないと挙げると、深井さんはそれも合議制だったと答えます。最後の最後に天皇陛下が終戦の発言をし、みんながそれに従う聖断 ── 天皇が自ら下す最終決定のこと。特に1945年、昭和天皇がポツダム宣言受諾を決めた場面を指して使われますのようなことが日本史では何度も起きている点を、深井さんは不思議だと話します。
楊さんは古事記 ── 8世紀初めに成立した日本最古の歴史書。神々の誕生から天皇の系譜までを記していますにも、名前だけで役割を与えられていない神様がいると紹介します。明確な業務はないのに、いることで組織がうまく回る人がいる感覚と重なり、日本らしいと感じたそうです。
法律と戸籍は現代人のセーフティネット
樋口さんは、今回のシリーズで、裁判や警察があるから自分たちは生きていられると強く感じたと話します。土地の登記や戸籍が見られることもすごいことだと感じたそうです。
深井さんは、こうした仕組みは中央権力が成立しないと生まれないと応じます。そのうえで、武士団が頭領を決めたのも、セーフティネットのない世界で自分たちを守る仕組みを作るためだったと説明します。
無法地帯
法や中央権力による保護がない
頭領や相互扶助
強い人に集団を仕切ってもらい、どんな時も必ず守る関係を作る
お返し
守られる側は頭領や集団に対価を返す
深井さんは、芸人の世界で誰かの傘下に入ると必ず守ってもらえる空気があることも、同じ構造だと話します。芸人は守られていない存在なので、セーフティネットとして頭領や相互扶助が生まれるという見方です。
深井さんはさらに、香港に来たタンザニア人が相互扶助の関係を作る話を紹介し、樋口さんが「チョンキンマンション ── 香港にある雑居ビル「重慶大厦」。人類学者の小川さやかさんの著書『チョンキンマンションのボスは知っている』は、そこで暮らすタンザニア人の助け合いを描いています」と応じます。
これがやっぱり武士の中で起こっていったっていうことは、無法地帯だったということですよね。
楊さんが「ということは、お笑いの世界が無法地帯」と振ると、樋口さんは「難しい話わかんないです」ととぼけ、昼食時にたくさん話していたのにとツッコまれます。
楊さんは、怒る人がいるかもしれないがと前置きしつつ、いい時代といい国に生まれたと思うと話します。樋口さんも、お金があれば24時間食事を買えることは幸せだと応じ、深井さんは生活保護などがあり、食事が買えなくても死なないと付け加えました。
なぜ日本の組織はネガティブな声に引っ張られるのか
最後に深井さんは、信長の話とは関係ないと断りつつ、日本の会社で感じる不思議を語ります。ポジティブなことを言う人より、ネガティブなことを言う人のほうにみんなが引っ張られるという現象です。
10人中一人でもネガティブなことを声高に言う人がいると、それを拾っちゃう、過敏に拾っちゃうみたいな。
深井さんは、これもみんなで同じように思わなければいけないというハイコンテクスト文化の合意形成が作用しているのではないかと考えています。会社を前に進めるには、拾わないほうが進むこともあり、嫌ならやめればいいのに、同じ村に住んでいると思い込んでいるのが不思議だといいます。
うん。まあ僕なんか移動の自由がないからだって思ってます。
樋口さんは、転職の大変さだけでなく、高校の同級生コミュニティから抜けたら他に居場所がないことや、故郷を出ると家族に迷惑がかかることも例に挙げます。深井さんは、他を選択できることがとても大事だとまとめました。
深井さんが、土地や社会に縛られない人たちが集まっているけれど樋口さんは田川に縛られていると言うと、樋口さんは田川を選択肢として自分が頑張って作ると答えます。「頭領ということですか」「セーフティネット樋口ですね」と笑い合い、シリーズは締めくくられました。
番組の最後には、サポーターへの呼びかけもありました。深井さんによると、サポーターは増えているもののリスナーの2パーセント以下で、5パーセントぐらいになってほしいそうです。チームで調査して人件費がかかる中、ガツガツお金を取りに行くのではなく、善意で回る新しい経済圏に挑戦したいと話しています。
まとめ
織田信長編の最終回は、本能寺の変の経緯と光秀の動機をたどったうえで、戦国時代の学びを現代の組織や社会の見方へつなげる回でした。リソースの奪い合い、ハイコンテクストな合意形成、セーフティネットと移動の自由といった視点から、今の日本で生きることの意味が語られています。
- 明智光秀は何でもこなせる重鎮で、最近は四国外交をめぐる政争での敗北が本能寺の変の動機として有力視されている
- 信長の「是非に及ばず」は、リスクを承知で前に進むリスクテイカーの言葉として解釈されている
- 限られたパイを奪う時代の哲学を、新しい市場を開拓できる現代にそのまま当てはめるのは危ういと語られた
- 日本のハイコンテクスト文化は、統一権力がないまま古いルールを増改築し続けた結果ではないかという仮説が示された
- 法律や戸籍というセーフティネットと、他を選べる移動の自由が、現代人の生き方を支えていると語られた





