サリヴァン先生の死で、ヘレンの心は折れたのか?
ヘレン・ケラーが50歳を過ぎたころ、アン・サリヴァン先生の体調はどんどん悪くなっていきました。深井さんによると、新しい助手のポリーさんに代わりを務めてもらいながら活動を続けたものの、サリヴァン先生は度々体調を崩し、再び失明し始めます。
サリヴァン先生は70歳のときに亡くなります。ヘレンとは13歳差なので、ヘレンは57歳ぐらい、二人はおよそ50年間を一緒に過ごしたことになります。
みんなやっぱね、そのヘレンの心が折れることを心配するわけですよ。サリバン先生が亡くなってしまったら、ヘレンはどうなっちゃうんだろうって。
周囲の心配に反して、ヘレンは盲人の救済活動をそのまま続けました。深井さんは「死ぬほど悲しかったとは思いますけど」と前置きしたうえで、ヘレンが歩みを止めなかったことを伝えています。
楊さんは、ヘレンがサリヴァン先生と何か約束を交わしていたという話をどこかで見た記憶がある、と付け加えています。ヘレンは87歳まで生きるので、サリヴァン先生の死後にもまだ30年ほどの人生が残されていました。
五大陸を巡り3度来日、日本に吹いた「ヘレン・ケラー旋風」
サリヴァン先生の死後、ヘレンはポリーさんと一緒に世界中を回り、五大陸すべてを訪れます。深井さんによると、日本にも3回来ており、日本の障害者教育や福祉にも影響を与えました。
楊さんの説明では、最初の来日は第二次世界大戦前の1930年代でした。きっかけを作ったのは、自身も目が見えない日本人のクエーカー教徒 ── 17世紀イギリスで生まれたキリスト教の一派「キリスト友会」の信徒。平和主義や社会奉仕活動で知られます、岩橋丈雄さんです。
その人(岩橋さん)がずっと日本の障害者の事情をなんとか改善するために、いろんな活動、社会活動をしてたんですけれども。
そこでもう何度もヘレンに対して、もうぜひ日本に来てください、来てくださいというふうにお願いして、やっと実現したのが最初の来日だったんですよね。
来日は戦争で一度中断し、戦後にさらに2回実現します。ヘレンは岩橋さんと一緒に、官僚や福祉関係者と意見を交わし、福祉に何が大事かを伝えるロビー活動をしていたといいます。
ヘレンは全国を過密なスケジュールで回り、どこでも熱狂的に迎えられました。楊さんは、大統領や国王から「ぜひ会いたい」という手紙が届くほどの世界的スーパースターだったと話しています。
ローラ・ブリッジマンとテニー、名もない人がつないだ「愛情のバトン」
深井さんは、ヘレンが亡くなる直前ごろにポリーさんも先に亡くなり、支えた人たちがヘレンより先に世を去ったことに触れます。そのうえで、ヘレンの偉業の背景には名もない人たちの行いがつながっていると話を広げます。
深井さんが挙げたのが、ヘレンの5年ほど前に生まれたローラ・ブリッジマンです。ローラも2歳ごろに目と耳が不自由になり、さらに家族から愛情を注がれず、ネグレクトされていました。
そんなローラのそばにいたのが、知的障害のある青年エイサ・テニーでした。ローラを教育したハウ博士は、テニーがいてくれたことで発達した部分がたくさんあると後に語っていたそうです。
深井さんによると、ローラはテニーからネイティブアメリカンの手話を教わってもいました。テニーがなぜそれを知っていたかはわからない、と深井さんは補足しています。
テニーがいなかったらローラが教育されてなかったかもしれないわけじゃん。そしたら今度ハウ博士も失敗してたかもしれないじゃん。失敗してたらさ、ヘレンはいないわけよ、多分。
深井さんは、お母さんの耳が聞こえなかったことから聴覚障害の分野に情熱を注いだグラハム・ベルも同じだと指摘します。ヘレンの人生はいろんな人の愛情で成り立っているというのが、深井さんの受け止めです。
テニー
ネグレクトされたローラのそばにいて、手話も教える
ローラ・ブリッジマン
テニーの存在もあって発達し、教育が可能になる
ハウ博士
ローラの教育に成功する
ヘレン・ケラー
先人の成功の上に、ヘレンの教育がつながる
愛情のバトンみたいな感じで渡していくんだろうな。
つなぐつもりは全くなかったと思いますけど、そういうところもあるなって思いますし。
反戦、社会主義、そして「霊界」を見た人物への傾倒
深井さんは、ヘレンの別の側面として、反戦運動や社会主義的な活動をしていたことを紹介します。さらに意外だったのが、ヘレンの宗教観でした。
ヘレンは信心深いキリスト教徒でしたが、深井さんいわく「途中からなんか謎のルートに入ってる」とのこと。著作『私の宗教』も読んだものの、ぱっと意味がわからなかったと深井さんは打ち明け、楊さんも難しかったと応じています。
ヘレンが信奉していたのは、霊界を見たと語ったスウェーデンボルグ ── 18世紀スウェーデンの科学者・神秘思想家。霊界や天使との交信を語り、その思想は後世の宗教運動や文学に影響を与えましたです。楊さんによると、スウェーデン人の科学者でクリスチャンでもあり、キリスト教ではかなり異端に近い思想を持っていた人物でした。
ヘレンが書斎に座ってたら、急にふっとなんか気づいて、あ、私今体はここにいるけれども、なんか魂が(アテネに)飛んでるみたいなことを急にサリバン先生に言い出すんですよ。
楊さんは、ヘレン自身にこうした霊的な体験があったことから、異端とされる思想と波長が合ったのではないかと話しています。一方で、サリヴァン先生はスウェーデンボルグを狂人扱いしていたそうです。
深井さんは、ヘレンがこうした思想にのめり込んだ面はあっても、依存はしていなかったと思う、と見立てを添えています。
81歳まで精力的に。意外と最近の人だったヘレン
ヘレンは81歳ごろに脳卒中で倒れるまで、講演などで精力的に動き続けました。倒れてからは家で静養するようになり、その6〜7年後、87歳で亡くなります。
楊さんは、来日時に渋谷のハチ公像に触れたエピソードも紹介しています。深井さんは、日本は欧米から見て地球の裏側の超絶異文化な場所だとして、そこまで足を運んだヘレンのエネルギーに驚いています。
ヘレンが亡くなったのは1968年ごろで、第二次世界大戦も経験しています。楊さんは「僕らが生まれる10年ちょい前ぐらいまで活動してた」と驚き、深井さんは熊本の阿蘇山にも来たことがあると付け加えました。
今まで取り上げた人物の中で一番現代に近い人でしたね。
3日だけ見えるなら何をしたい?ヘレンの答えと楽観主義の言葉
最後に深井さんは、文学的才能に恵まれたヘレンの名言を紹介します。その前に出したのが、「3日間だけ目と耳が使えるようになったら何がしたいか」と聞かれたヘレンが何と答えたか、というクイズでした。
サリバン先生の顔が見たいと。
樋口さんの答えは見事に正解でした。深井さんによると、ヘレンはサリヴァン先生がどんな顔をしているのか見てみたかったそうです。ほかには博物館に行きたいとも答えていました。
ヘレンは楽観的であることをとても大事にした人でした。深井さんが紹介したのは、悲観論者が星について新発見をしたり、海図にない陸地を目指して航海したり、精神世界に新しい扉を開いたりしたことはいまだかつてない、という言葉です。
深井さんはこれを「悲観的になっていたら新しいことはできない」という意味だと説明しています。
続く言葉は、安全とは思い込みにすぎない場合が多く、危険を避けるのも危険に身をさらすのと同じぐらい危険だ、というものです。人生は危険とともに生きるか、何もしないかのどちらかしかない、という趣旨だと深井さんは紹介しました。
本当にこれは本当そう思う。だから車が怖かったら外に出れないっていうね。
深井さんも、安定のために職業をどう選ぶかといったことは本当に関係ないと思っている、と応じています。
欠点から学べ、閉じた扉ばかり見るな。ヘレンだから響く言葉
深井さんが「ヘレンに言われたら勇気が出る」として紹介したのが、欠点についての言葉です。自分の欠点を直視して認めることは大事だが、欠点に振り回されてはいけない。忍耐力や優しさ、人を見抜く目は欠点から学べる、という内容でした。
いや、なんか最後のやつとか本当ヘレンしか言えないですよね。欠点を認める。
もうヘレンってもう欠点どころの話じゃないもんね。
深井さんは、もともとすごくネガティブな人間で、後天的に楽観性を身につけたタイプだと明かします。そのため、悲観論者についての言葉には感覚として同意するといいます。
不必要に悲観的になると、なんか誰にとっても得がないなと思ってて。今ほら、コロナでワイドショーが煽りに煽って文句ばっかり言ってるじゃないですか。
楊さんは、これと似たヘレンの言葉を紹介します。幸せの扉が一つ閉じるとき別の扉が一つ開くが、私たちは閉じた方ばかり見つめ、開けられた扉に気づかないことが多い、というものです。
最後に深井さんが挙げたのが、世界で最も素晴らしく美しいものは目で見たり手で触れたりできず、心で感じなければならない、という言葉でした。
説得力が違う。人生通してそれを伝えてきた人から言われたのはすごいな。
一点で爆発しない偉人。二人の人生に感じた「忍耐」
エンディングで樋口さんは、今回のシリーズを「今までで一番ドラマチック」で、人の人生にずっと寄り添って見た感じがしたと振り返ります。深井さんは、両親やサリヴァン先生など、いろんな人の愛情が連鎖してヘレンを育てたと改めて語りました。
そのうえで深井さんが強く感じたのは、二人の忍耐でした。これまで取り上げたアレクサンドロスや始皇帝は、どこかの一点で具体的な偉業を成し遂げた人物だったのに対し、ヘレンとサリヴァン先生の人生はそういうタイプではないといいます。
アレクサンドロスや始皇帝のように、どこかの一点で具体的な歴史的偉業を達成する
一点の偉業ではなく、遠い理念に向かって走り続けた人生そのものが尊い
深井さんは忍耐の例として、ヘレンの発音練習と、サリヴァン先生が毎日夜中まで指文字で教科書の内容を伝えたことを挙げます。できるようになるかわからないことを続けるには忍耐が必要で、サリヴァン先生のそれは愛情から来る忍耐だと話しています。
忍耐って、パッと言葉のイメージだけでいうと、我慢して歯を食いしばるみたいなイメージですけど、もしかしたらただ楽しくやってただけかもしれないしね。
深井さんもこれに同意し、長く何かをすることを厭わない姿勢こそが大事だと感じたとまとめています。
「できる」と認識することと、喜んでくれる人の存在
樋口さんがまず感じたのは、周囲がヘレンを「できないだろう」となめていなかったことでした。簡単な言葉を使わずに話しかけるといった接し方にもそれが表れ、本人もできると思っていたのだろうといいます。
さらに樋口さんは、ローラ・ブリッジマンやハウ博士、ベルといった先人の例があったからこそ、周囲も本人も「できるかもしれない」と認識できたと指摘します。
最初はそんな能力ないんですけど、途中からいきなり時を止める能力っていうのが勝手にオプションとして足されるんですけど。
それができるようになった原因っていうのが、敵が時を止める能力を使い出したっていうところで、あれ、これ時を止めるって俺にもできんじゃね?って思ってからドンってその能力つくんですよ。
樋口さんが例えに出したのは、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』第3部です。主人公の空条承太郎が、敵の能力を見て「自分にもできる」と認識したことで時を止める力を得る場面で、作中でも認識することが大事だと語られているといいます。
楊さんは別の観点として、身近な人が成長を素直に喜んでくれたことが、ヘレンとサリヴァン先生の頑張りのエネルギーになったのではないかと話します。二人の関係を、漫画『スラムダンク』の桜木花道と安西先生にたとえました。
この子(ヘレン)がどんな人生を送るんだろうっていうのを、本当にそばで見ることが本当に楽しくてしょうがなかったのかもしれないです。
不幸かどうかは、その時には決められない
最後に樋口さんが挙げたのは、ヘレンの周りの人々の多くが自らも不幸を経験していた点です。失明しかけたサリヴァン先生、盲ろうとなりネグレクトもされたローラ・ブリッジマンなど、その経験を活動にフィードバックしていたといいます。
楊さんもこれに同意し、幸福な経験も不幸な経験もどちらにも活かせると話します。ヘレンの周りには、不幸な経験を幸福な方へ持っていけた人たちが多く出てきた、という見方です。
そうですね、ほんと人それぞれだし、人それぞれとか自分たちに委ねられてることですよね。決まってることじゃなくて。
樋口さんは、コロナ禍の時期だからこそ、出来事を不幸と思うかどうかは人それぞれだという点が突き刺さったと語り、シリーズを締めくくりました。
まとめ
ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン編の最終回は、サリヴァン先生の死後も世界を巡り続けたヘレンの晩年と、名もない人々からつながった愛情の連鎖、そして楽観と忍耐をめぐる名言を通して、一点の偉業ではない人生の尊さを描き出しました。
- サリヴァン先生の死後もヘレンは活動を続け、五大陸を巡り日本にも3回来日して福祉に影響を与えた
- テニーからローラ、ハウ博士、ヘレンへと、意図しない愛情のバトンがつながっていた
- ヘレンは楽観を重んじ、欠点を認めつつ振り回されないことや、開いた扉に目を向けることを説いた
- 二人の人生は一点の偉業ではなく、長く続けることを厭わない忍耐そのものに価値があると語られた
- 「できる」と認識させる先人と、成長を喜ぶ周囲の存在が、ヘレンの歩みを支えたと出演者は考えている



