同じ名前の同級生は「学者になれなかった人類学者」
コテンラジオ番外編の今回は、久しぶりにゲストを招いた回です。ゲストは深井龍之介さんの大学の同級生、室越龍之介さんで、コロンビアから遠隔で参加しました。
深井さんと室越さんは名前が同じ「龍之介」で、同い年です。室越さんは楊睿之さんとも同じ研究室で学んだ仲で、深井さんにとっては研究室の先輩にあたるといいます。
室越はすごい面白い人で、最近僕Twitterとかでも結構人類学、人類学みたいなこと言ってますけど、まさに彼は人類学の学者になろうとしてなれなかった人ですね。
樋口さんは、YouTubeで見える室越さんの姿に「学者感が半端じゃない」と反応します。室越さんは、日本一のラジオに出るので形から入ろうと身構えてきたと冗談めかして応じました。
深井さんが室越さんを呼んだ理由は、人類学がどういうものなのか、そして人類学的なものの捉え方とは何かを、室越さんと一緒に紹介したかったからだと話しています。
キューバで3年、何を研究していたのか
室越さんは2009年に初めてキューバを訪れ、2017年まで行き来を繰り返しました。長いときは1年ほど滞在し、合計で約3年キューバに住んでいたそうです。本人は、研究としては形にならなかったので「ブラブラしていた」と表現しています。
そもそも人類学が僕全然分かってないですけど、研究って何を研究するんですか?
室越さんによると、人類学は大きく2つに分かれます。1つは形質人類学 ── 人間を生物として捉え、骨格や遺伝、進化の過程などを研究する分野。自然人類学とも呼ばれますで、人間の身体や進化の過程、動物としての人間を研究する分野です。
もう1つが、室越さんが取り組んだ文化人類学です。社会人類学とも呼ばれ、人間の文化や社会を研究する、社会学に近い分野だと説明しています。
室越さんと楊さんがいたのは比較宗教学の研究室でした。宗教学は文献で研究するやり方が一般的ですが、この研究室では方法論としての人類学、つまり現地に行って人々と一緒に生活し、文化や社会の仕組みを知るフィールドワーク ── 研究対象の現場に出向き、観察や聞き取り、共同生活などを通じて資料を集める調査方法。人類学では長期滞在が基本とされますを重視していたそうです。
室越さんのキューバでのテーマは2つありました。1つ目は、社会主義国キューバがソビエト崩壊後に経済危機に陥るなかで、若者たちがどうキャリアを設計していくかです。若者たちは生活のために海外へ出たいと考え、キューバ国内ではお金持ちにもなれない状況だったといいます。
2つ目は、アフリカや南北アメリカで広まっているキリスト教の一派、ペンテコステ ── 20世紀初頭のアメリカで広まったキリスト教の運動。聖霊による体験や異言を重視し、現在は世界中に信者がいます派です。室越さんは、プロテスタントの一派で異端とされる立場であり、「異言」を重んじる人々だと紹介しました。
聖書のペンテコステの日の場面は、普通はさまざまな国から集まった信者がそれぞれの言葉で話したと解釈されます。しかしペンテコステ派の人々は、それを神の言葉によるコミュニケーションと捉え、神がかりになって神の言葉を互いに話すミサを行うと説明されています。
なぜアンケートではなく「一緒に生活する」のか
深井さんは、文献学とフィールドワークという2つの手法の違いが、普段の仕事にもそのまま当てはまると考えています。同じ日本人でも「全然理解できない」と感じる相手は、職場にたくさんいるからです。
人類学がいろいろ研究した結果、人間を理解するには一緒に生活するしかないという結論に至ってるわけじゃん。
深井さんは、文献を見たり1回インタビューしたりするだけでは相手はわからないと人類学がわかっているからこそ、研究者はわざわざキューバまで行って一緒に暮らすのだと整理します。
室越さんは、人類学では基本的にアンケートをあまり取らないと話します。社会学や世論調査はアンケートの答えから人々の考えを捉えますが、答えは質問の仕方に左右されてしまうからです。
室越さんが挙げた例は「あなたは神を信じますか」という質問です。「信じる」と答えた人が教会にも行かず聖書も読まず、聖書にある徳も実践しないなら、その人は本当に神を信じていると言えるのか、と問いかけます。
逆に「信じていない」と言う人でも、話す言葉の端々に聖書の引用が出てきたり、教会のチャリティーによく行っていたりすることがあります。室越さんは、どちらを宗教的な現象と見るかを考えるには、長い時間を一緒に過ごすしかないと話しています。
質問の仕方に答えが左右され、「信じる」「信じない」という言葉と実際の行為のずれが見えにくい
長い時間を一緒に過ごし、言葉だけでなく行為や置かれた状況から相手の考えを学ぶ
キューバでの室越さんの具体的な活動は、若いキューバ人の友達をたくさん作り、一緒にお酒を飲み、ディスコに行き、ぶらぶらすることでした。朝までお酒を飲むこともあったそうです。
研究だからね、それ。一緒にディスコ行ってね、友達作ってって。
室越さんは、そうしないと人は心を開いて話してくれないと語ります。そのうえで人類学の大切な概念として参与観察 ── 研究者が対象の社会に入り込み、その一員として活動に参加しながら観察する調査手法を挙げました。
室越さんによれば、参与観察がただの観察と違うのは、その社会に一緒に参加する点です。相手が何を言い、何を考えているかだけを見てもわからず、一緒にやり、行動を観察し、相手の置かれた状況に自分も埋没することで「補助線」をたくさん引きながら学んでいくのだといいます。
お祭りの全体は、お祭りの日だけでは見えない
深井さんは「補助線をいっぱい引く」という表現がしっくりくるとしたうえで、参与観察の具体例を室越さんに求めました。周りの人間関係を把握するのか、経緯を知るのか、背景文化を学ぶのか、という問いです。
室越さんが挙げたのは、修士課程での経験です。当初はキューバ研究を始めようとしたものの、言葉や本を読む力が足りずうまくいかず、並行して研究していた九州のあるお祭りで修士論文を書くことになりました。そのお祭りには最終的に4年ほど関わったそうです。
室越さんによると、お祭りを担うのは神社の氏子 ── 特定の神社の祭神を守り神として信仰し、その神社の祭りや維持を支える地域の人々たちです。氏子は年中行事を通じて、1年間ずっとお祭りに直接・間接に関わることを、周囲の社会環境の中で行っています。
そのため、お祭りの日だけ現地にいても全体はわからないと室越さんは話します。山車はどこから来て普段どう管理されているのか、お金はどこから来てどう稼いでいるのか、といった問いが残るからです。
組織表を見れば「この人は若者頭だ」とはわかりますが、それだけでは何もわからないとも室越さんは言います。若者頭や氏子の総代が1年を通じてどう振る舞っているか、仕事や会社、行政、他の神社との関係まで含めて見ないと、組織がどう動いているかは見えないからです。
組織表から、リーダーがキーパーソンのはずだと考えてインタビューに行く
総代は年長者の持ち回りで、実際に組織を切り盛りしているのは別の人だとわかる
深井さんは、組織図だけではトップが嫌々やっているのか、尊敬されているのか、ノリノリなのかといった雰囲気まではわからないと受け止めました。室越さんは、総代に話を聞いても何もわからず、実際に動かしている人のところで初めてわかることもあると続けます。
室越さんは、いろいろな人と話し、集団の一員として馴染んでもらうことで、ようやく話してもらえることがあると語っています。
同じ「社長」でも役割は組織ごとに違う
深井さんは、室越さんのお祭りの話の感覚を、実は仕事の中で使っていると話します。例に挙げたのはベンチャー企業の社長です。
社長って言われたら、大体社長の役割ってその固定化されたものとして想像するわけじゃないですか。
深井さんによれば、同じ「社長」と呼ばれる人でも、役割、組織への関わり方、責任感は組織ごとにバラバラです。組織の中に長く関わらない限り理解できないのに、多くの人は肩書きや言葉をそのまま受け取ってしまうと指摘します。
「営業を頑張っています」という言葉も同じで、実際の行為として何をしているかは人や組織や文化によって違うと深井さんは言います。
これを聞いた室越さんは、自分も一応社長だが、社長という認識はあまりないと笑いながら応じました。
楊さんは、日本の「無宗教」を例に出します。何も宗教を信じていないという人でも、墓石に小便をかけろと言われたら、おそらくできないだろうという例です。
なんかそれってもうなんか宗教がないとは言えないんじゃないかなとか。
深井さんも、日本人はお金をかけてお盆に帰省し、クリスマスやお正月も祝っていると続けます。行事への参加という行為で見れば、宗教を信じているとされる他の国より多いかもしれない、という見方です。
さらに深井さんは、自分たちのことは他と比べない限りわからないと話します。「神を信じる・信じない」という表現そのものが一神教的で、お茶の神様のような多神教的な感覚で捉えるかどうかによって、その意味自体が変わると指摘しました。
社会学と人類学の違いは「異文化」から始まること
室越さんは、最初に言い忘れていた重要な点として、人類学は異文化を研究しようとする分野だと補足します。近年は垣根が取り払われつつあるとしたうえで、もともとの違いを説明しました。
自分たちの文化や社会を研究しようとしてきた学問
自分たちのものではない文化や社会を、「自分とは違う」という意識で研究しようとしてきた学問
室越さんによると、人類学者はその社会に行くと最初は赤ちゃんと同じだとよく言うそうです。言葉も礼儀もわからず、自分が役に立つこともほとんどない状態から、相手が何がどう違うのかを研究していきます。
室越さんは、参与観察では社会の末端の一員として入ったあと、また自分の社会に帰ってくると話します。一度行くと完全に元の自分には戻らず、2つの言葉を話せるようになるのと同じように、別の思考モードを持って帰るのだといいます。
自分の社会と相手の社会の2つを知ると、いろいろなものの「傾き」がわかると室越さんは語ります。そこから人類一般の文化や社会がどういうものかを推論していくのが人類学だという見方です。
室越さんは、分かり合えないからこそ一緒にいて、自分と相手の傾きを見つけていくと話します。100%分かり合おうとするのではなく、親族構造や宗教体系、挨拶の仕方といった違いがどこから来るのかを考えていく、という姿勢です。
シャワーの神様に祈った少女と、他者の論理に浸る生き残り戦略
深井さんは、人は誰しも自分が培ってきた価値観の枠組みを持って異文化に入っていくと話します。そのうえで、自分の枠組みを一旦横に置くマインドに切り替えるポイントはあるのかと室越さんに尋ねました。
室越さんは、先生がよく言っていた話として、冒険好きが人類学者になるのだと答えます。どこかで痛い目に遭いたいような人たちが人類学者になっていくのだろう、という見立てです。
室越さんはキューバ、台湾、コロンビアに住んだ経験から、どこに行っても赤ん坊と同じで、何もわからず何もできずに打ちのめされると語ります。自分が正しい、優れていると思っても問題は解決しません。
室越さんの言う問題は、シャワーから水が出ないといった些細なものです。ただ、言葉が話せない状況でそれをどう解決するかが問題になり、自分のやり方や考えを変えることでしか生き延びられないといいます。室越さん自身、これは生き延びられた人の生存者バイアスかもしれないと認めています。
室越さんは、それができない人もいるとして、キューバでの出来事を紹介しました。キューバでは外国人が泊まれる場所が国営ホテルか、カサパティクラル ── キューバで外国人の宿泊が認められた個人経営の民宿。カサ・パルティクラールとも表記されますと呼ばれる認可を受けた民宿に限られていたそうです。2009年当時は民宿も少なく、長期留学者は大家と一緒に住むことが多かったといいます。
知り合った日本人の女の子が、シャワーからお湯が出ないと困っていました。素人では直せそうになく、大家に言うしかないと伝えても、大家には言えないといいます。どうするのかと聞くと、彼女は「神に祈る」と答えたそうです。
神に祈ったんだ。いいね。シャワー出ないのに。
室越さんは、20歳そこそこの彼女はおそらく日本でシャワーが出ないような問題を自分で解決した経験がなく、待っていれば周りが助けてくれたのだろうと推測します。誰も助けてくれない場面でも、彼女は神様が助けてくれるまで待つという自分のやり方を変えなかった、と室越さんは話しました。
すごいね。超受動的だね。全部。問題解決方法が。
室越さんによると、彼女はスペイン語を話せる室越さんが大家と交渉してくれると思っていたようです。しかし室越さんはあまりに感動したので、交渉はしなかったといいます。
室越さんは、この話の要点は彼女がダメだということではないと強調します。打ちのめされたときに自分を変えないと生き延びられない局面があり、そこで初めて他者の論理の中に自分を浸す段階に入っていく、という話です。
打ちのめされる
言葉も礼儀もわからず、シャワーが出ないような些細な問題も解決できない
自分のやり方が通じない
自分が正しいと思っても、問題は解決しない
やり方や考えを変える
変えることでしか、その場を生き延びられない
他者の論理に浸る
自分たちではない彼らの論理の中に入り、相手を学んでいく
この話を受けて深井さんが「面白いね」と応じたところで、前編は終わり、続きは次回に持ち越されました。
まとめ
今回の前編では、室越龍之介さんのキューバや九州のお祭りでの経験を通じて、人類学が「一緒に過ごすこと」で他者を理解しようとする学問であることが語られました。深井さんはその視点が、肩書きや言葉の裏にある実際の行為を見る仕事上の他者理解にも通じると話しています。
- 人類学には形質人類学と文化人類学があり、室越さんはキューバの若者のキャリアやペンテコステ派を研究していた
- アンケートの答えと実際の行為はずれることがあり、人類学は参与観察で長い時間を共に過ごして理解しようとする
- 組織図や「社長」という肩書きだけでは、実際の役割や組織の動き方はわからない
- 人類学は「自分とは違う」という前提から異文化に入り、自分と相手の傾きを見つけていく
- 打ちのめされて自分のやり方を変えざるを得ない局面で、他者の論理に自分を浸す段階に入っていく




