漢帝国の学者が書き残した「龍の姿」とは?
龍の歴史編の最終回は、龍がいつ神格化したのか、龍のビジュアルがどう統一されたのか、人間はなぜ動物を信仰し融合させるのかという論点を扱う回です。樋口さんは冒頭で「だんだん龍が何なのかわかんなくなってきた」と笑い、楊さんも「おぼろなんですよね」と応じます。
楊さんによると、龍の神格化で大事なのは漢帝国の時代です。漢の時代に入ると龍はますます神格化し、いろんな動物の優れた部分を取り込んで表現されるようになり、龍の概念をベースにした「キュレーション」が始まったといいます。
漢の学者の王符 ── 後漢の思想家。『潜夫論』の著者として知られ、当時の政治や社会を批判的に論じましたは、龍のイメージを言語化して残しています。頭はロバ、角は鹿、目は兎、耳は牛、首は蛇、腹は水雉、鱗は魚、手のひらは虎、爪は鷲に似ているというものです。
もう無茶苦茶やん。一回聞いただけじゃ全然どんなんか(龍の姿が)わからん。
(王符の描いた龍は)でもなんかめちゃくちゃ遠くもないよね。やっぱ。
顔がロバなのがおかしいんだよな。
楊さんは、ロバや鹿といった一つひとつのパーツのどれが正しいかは言えないとしつつ、王符の記述は当時の中国における龍のイメージの「最大公約数的な表現」だったのではないかと説明します。
人間はなぜ世界を「解釈せずにはいられない」のか
動物を融合させる理由に入る前に、楊さんは人間の習性の話から始めます。人間は、自分たちのフレームで世界を認識しようとする、世界を解釈せずにはいられない生き物だというのです。
例として楊さんが挙げるのは、カラスの死体を不吉の兆しと見ることや、雨が降るのは雲の中の水滴が重くなったからと理解することです。樋口さんは、最後の例も「単純に近代科学のフレームワークに入ってるだけ」なのかと気づきます。
人間は、洪水や雷、竜巻のような制御できない現象や、空の上、深い海、地底のような目で確かめられない世界にも、既存の枠組みを当てはめて名前をつけます。竜巻は天空の巨大な霊獣が起こし、大しけは川や海の主が怒ったから起こる、という具合です。
だって竜巻とかまさに龍ですからね。
楊さんは、人間の認識する世界は名前とカテゴリーを前提に成り立っていると話します。名前と実体が結びつかない状態に人間は耐えられないため、「龍」という漢字が実体から離れても、想像力でその器を埋めようとするのだといいます。
逆に、既存のフレームワークを壊したり新しく立ち上げたりすることは、人間にはなかなかできません。楊さんは天動説 ── 地球が宇宙の中心にあり、天体がその周りを回るとする考え方。コペルニクスらの地動説によって転換されましたを例に、星は美しい円を描いて回るはずだという枠組みから抜け出すのに千年以上かかったと述べます。
いいか悪いかじゃなくて、(当てはめて理解しようとする)習性はありますよね。
だからこそ人間たり得るっていう感じですよね。
なぜ動物が「世界を整理する触媒」になったのか?
楊さんは、人間が世界を整理し認識する触媒として動物を使ってきた理由として、まず昔は動物が今よりずっと身近にいたことを挙げます。身近だからこそ、引用しやすい存在だったというわけです。
ドラクエとかのああいうエンカウント、モンスターとのエンカウントって割と結構事実に近いんですよ。
樋口さんが「田川は普通に車で走っていたら鹿にエンカウントする」と返すと、楊さんが「ヤンキーという獣にエンカウントしますからね」と茶化し、樋口さんに「今カテゴライズしました」と突っ込まれる場面もありました。
楊さんによると、先史時代や古代の中国には森林が広がっていて、8000年前の中国東北部に豊かな森林があったことが花粉分析でわかっています。そこで見つかった人間の墓にはイノシシの骨が一緒に埋葬されており、イノシシがすでに神聖視されていた可能性が指摘されています。
一方で樋口さんは、イノシシの骨はペットとして可愛いから一緒に埋めただけかもしれないと指摘します。深井さんも、考古学的にはその墓だけたまたま入れた可能性もあり、解釈は難しいと応じます。
幻獣は「動物の組み合わせ」でしか伝えられない?
深井さんは、幻獣が動物の複合になる理由を、情報伝達の手段という観点から説明します。識字率が低く、絵本やアニメのようなメディアもない世界では、見たことのないものを説明するのに、誰もが子供の頃から見ている動物で例えるしかないというのです。
足は鹿のようでとか、なんかそういうことを言うしかないから。
樋口さんも「そのまま伝えられないですからね」「絵がうまいわけでもないし。全員が」と重ね、楊さんも「それはそうかもね」と同意します。
十二支と幼稚園のクラス名の共通点
楊さんは、動物の神格化は人間と動物の関係における「次の段階」であり、その前の段階があったという説を紹介します。それは、他との違いを表すために動物をラベルとして使うだけという扱い方で、レヴィ=ストロース ── フランスの文化人類学者。構造主義の代表的な思想家で、神話や親族関係の研究で知られますが論じた話です。
深井さんが「トテミズム ── 特定の動植物などを集団の象徴(トーテム)とし、集団と結びつける信仰や制度。レヴィ=ストロースは、それを集団を区別する分類の仕組みとして捉え直しました」と補うと、楊さんは、タカが空を飛ぶから神として信じるような行為の前に、動物は違いを表すカテゴリーの名札として使われていただけだと説明します。
どれでもいいってこと?
楊さんの答えは「どれでもいい」です。例として挙がるのが十二支で、子丑寅卯などの12の漢字はもともと日付や時刻、方位を記録するためのもので、動物とは関係がなかったといいます。民衆が覚えやすいように後から動物を割り当て、さらに後に「寅年生まれはこういう性格」という物語が展開されたそうです。
楊さんは、保育園や幼稚園のキリン組、パンダ組、コアラ組もこれと同じだと話します。動物を信仰しているからでも、その動物のようになってほしいからでもなく、ただクラスを振り分けるために名前をつけているだけです。
123とABC、教育しないと分かんないからね。
タンポポ、グミとかだったら生えてるから分かるってことよね。
深井さんは話を整理し、狼を怖いと思う気持ちは最初からあったとしても、「狼」というグループに狼らしい属性を感じ始めるのはずっと後だと述べます。ラベリングが先にあり、意味づけはその次の段階だということです。
ラベリング
違いを示す名札として動物を使う(十二支、クラス名)
意味づけ
ラベルとなった動物に性格や運命などの物語が付与される
信仰・神秘化
人間にない能力への憧れや恐れが結びつき、神聖視される
楊さんは、神秘性が付与される根底には、人間にない姿形や能力を持つ動物への憧れと恐れがあったと説明します。蛇の場合は、形が男性器に似ていることから生命力の象徴とされ、脱皮を繰り返すことから不死の生き物と想像され、猛毒で大きな動物を殺す強さが恐れを生んだといいます。
なぜ融合させると「格」が上がるのか
楊さんは、動物同士を融合させて架空の動物を作る理由を、見たことのないビジュアルを持つ幻の動物であること自体が、自然の摂理を超えたものの象徴になるからだと説明します。奇想天外であるほど神聖さが増し、融合によって上位の幻獣や神獣に「インフレ」させられるというのです。
楊さんが本で読んだ例は、大規模な洪水の原因です。蛇や魚のような小さな生き物が起こしたと考えるより、人知の及ばない龍が起こしたと考えるほうが、古代の人にとって納得感が高かったのではないかといいます。
なんか嫌っすもん。イワシとかが、実はこの竜(洪水)を起したとか言われてたら、こんなちっちゃいのに何で?ってなりますよね。
イワシっていう時点でそうですよね。もう人間から舐められる対象なんですよ。
深井さんは、融合された幻獣にはいろんな動物の強みを全部持っている感覚があると話し、ワシとライオンを合わせたグリフォン ── 鷲の頭と翼、ライオンの胴体を持つ伝説上の生き物。古代オリエントやギリシャの美術に登場し、力と守護の象徴とされましたを挙げます。楊さんはこれを、ジャンプ漫画などのバトル漫画でキャラクターが強さをインフレさせていく構図にたとえます。
いろんな能力とかさ、いろんななんか鎧を獲得したり、武器を獲得したり、能力を獲得するみたいなのが、いろんな動物の特性をこう獲得することと対応してるってことかもしれない。
それで言ったらロバの頭って何のアビリティ?ウサギの目って何のアビリティだよってなるんで。
龍は脳が作った「情報パッケージ」なのか?
楊さんは、融合動物が生まれる理由として、人間の脳のスペックに関わる考え方も紹介します。人間のワーキングメモリー ── 情報を一時的に保持しながら処理する記憶の働き。容量が小さく、一度に扱える情報の量には限りがあるとされますには限りがあるため、容量を効率よく使うために、世界のさまざまな情報を塊にするというのです。
樋口さんは、以前の最澄と空海の回で出た、仏具にいろんな情報を込めて見れば想起させる「ZIPファイル」のような話を思い出します。楊さんは、幻獣や神獣は複雑な思考のために作られた情報のパッケージとして誕生したのではないかという考察を紹介し、自分の感覚ではプログラミングのモジュールに近いと話します。
融合の挙動そのものは太古からありました。今の河南省にある約6000年前の墓では、貝殻を敷き詰めて龍らしき動物を表現したものが見つかっており、中国最古の龍とされています。ただし同時代の文献がないため、それが今の龍と同じものかは証明できないといいます。
深井さんは、神話に人間と動物の合いの子が出てくることを挙げ、昔の人は動物の交尾を見て、別種同士が交尾したら両方の特性を持ったものが生まれると想像していたのではないかと話します。
樋口さんは音楽制作の経験を重ねます。「このジャンルのドラムとこのジャンルのギターを組み合わせて」と伝えることで初めて聴くものが生まれるように、組み合わせで新しいものができることは文化や思想のレベルでも起きているというのです。
漢帝国の支配者が龍を必要とした理由
楊さんはここから時代背景に移ります。龍のビジュアルが統一された漢帝国は強力な中央集権国家で、農耕社会でした。農耕社会で大事なのは水であり、古代中国では灌漑と治水、つまり水利工事ができることが支配者の条件だったといいます。
政治の治、さんずいじゃないですか。
水には水の神様のような存在が想像され、それとうまく付き合える人が支配者として崇められる構図があったと考えられています。さらに中央集権国家の支配者は、基盤整備のために巨大なリソースを動かし、外敵も防ぐ必要があったため、今までにない強力な権威と、それを示すシンボルを必要としました。
楊さんによると、人知を超えた神聖さがあり、水の属性を持つ強いシンボルとして選ばれたのが龍でした。数ある空想上の動物の中から、支配者側のニーズによって龍が引き立てられたという見方です。
楊さんはもう一つの観点として、中華統一で各地の文化が融合したことが、動物を融合させる龍の創造と結びついている可能性を指摘する研究も紹介します。
龍のイメージはどんな条件で完成したのか
楊さんは、龍のイメージが今の形に統一されたのは、漢帝国の時代に条件が揃ったからだとまとめます。前回までに話された大型ワニの消失も、その条件の一つに入ります。
これ何か一個なかったらできてなかった可能性があるな。こんなに統一イメージで。
真実は龍のみぞ知るですよ。
楊さんは「まだ全部仮説です」と断ったうえで、龍が近代科学の登場後も滅んでいない点を面白がります。迷信として否定され、存在しないと皆わかっているのに、小説、漫画、ゲーム、宗教、民間信仰、芸術の中に今も龍はたくさんいます。
龍と呼ばれたかもしれない大型ワニの運命
最後に楊さんは、かつて龍と呼ばれたかもしれない大型ワニ、ハンユスクス ── 中国南部に生息していたとされる大型のワニ。歴史時代まで生き残っていた可能性が指摘されていますのその後を語ります。この大型ワニは、人間によって人為的に絶滅させられた可能性が高いといいます。
唐の時代、ある役人が任地でワニによる人畜の被害がひどいことを知り、弓を射たり供物を捧げたりして駆除しようとした記録が残っています。効果はあまりなかったようですが、その役人の名が韓愈 ── 唐代の文人・政治家。唐宋八大家の一人で、潮州に左遷された際にワニを退去させる文章を書いた逸話が有名ですで、ハンユスクスの名はここから取られたそうです。
若干アメとムチ使ってるの面白い。
駆除しようとした人の名前をつけるという命名に、樋口さんは、殺した敵の武将の名前を息子につけたチンギス・カンの「テムジン」と同じだと反応しました。
明の時代にもワニの害が起き、役人が数百隻の船で石灰をまく大規模な殲滅作戦を指揮した記録があります。この作戦でワニの害は途絶え、文献上は、これを最後にワニは歴史書から姿を消します。
もしこのワニがハンユスクスなら、人類が絶滅に追いやったと記録に残る最後の種になるとも言われています。ほかに人口増加や環境汚染の可能性もあり、楊さんは7メートルほどのワニが都市の近くにいる状況を、『もののけ姫』でエボシ御前が乙事主を駆逐するような構図にたとえました。
楊さんは、名前としての龍と、実体としての大型ワニの命運がここで分かれたと締めくくります。
漢帝国で神格化され、現代まで小説や漫画、宗教の中で生き続けている
唐や明の駆除を経て、歴史書から姿を消した
煮詰まった台本作りと、青空の飛行機
本編のあと、楊さんはこのシリーズが難しかったと振り返ります。龍の歴史をやろうと文献を買って読むと「これは泥沼だぞ」と感じ、どの切り口でどこを話すかに苦労したそうです。樋口さんは、ワニの例に絞ったところにその苦労が見えたと話します。
楊さんが共有した一番の学びは、締め切りに焦って台本を書いていたときの体験です。休もうと外に出ると、青空の高いところを豆粒くらいの白い飛行機が白い尾を引いて飛んでいました。
もし僕が飛行機の存在、飛行機というフレームワークを知らない古代人だったとしたら、これ龍に見えるよなみたいな。
(そう想像した時に)めっちゃ古代人の気持ちが分かった気がしたんですよ。
樋口さんは、飛行機でなくても雲の形でそう思うかもしれないと広げます。誰かが生まれた日に龍の形の雲が出たら、龍が存在すると感じるだろうというわけです。
龍は何もしていないのに権威になった?
樋口さんの面白かったポイントの1つ目は、深井さんが話した、幻獣は融合という形でしか伝達できないという話でした。人間は相手が知っている情報を使って説明するしかないので、動物になるのは自然だと感じたそうです。
2つ目は、龍が政治に使われた点です。樋口さんは、権威は最初は実体から生まれても、やがて実体と分離し、権威がなくなると困る人たちによって再生産され大きくなっていくことは、いろんな場所で起きていると話します。
漢帝国の皇帝が龍を取り込まなかったら、龍ってこれほど人気になってないですからね。
龍が頑張ったからじゃなくて、龍がより権力を持ってたり、神聖化された存在であった方がいいって周りの人が言ったからそうなっただけで、龍何もやってないじゃないですか。
「龍はワニかも」を信じずに面白がる
深井さんは、今回が台本を読まずに来た初めてのシリーズだったと明かします。面白かったのは人間の想像力のすごさで、龍のモデルを大型ワニとする青木亮輔先生の説については、別にワニではないのではないかと感じたそうです。
深井さんの考えでは、龍も麒麟も鳳凰も、いろんな動物の融合で神聖視されているのであって、特定の動物のモデルが必要なわけではありません。それでも「これがモデルかも」と熱中してしまう人間の性質に面白さを感じたといいます。
樋口さんは、仮説を立証するための研究で明らかになった事実、たとえば「ワニと人間が共存していた」という発見は、龍の起源がわからなくても別の用途で使われると話し、青色ダイオードの例も挙げます。
そのいろんな想像がなされてることがすごい大事だと思うんだよね。
深井さんは、説を聞いてすぐ「そうだ」と信じるのはよくないとしつつ、楊さんの姿勢から学んだのは面白がることの大切さだったと話します。楊さんは、新しい挑戦を入れないとラジオが陳腐化するという危機感があったと語りました。
チャレンジしてさ、煮詰まって空を見てるヤンヤン。で、古代人の気持ちを気付いてしまう。この一連のストーリーをちょっとみんなにも感じてほしい。
締めくくりには、楊さんが次は「樋口聖典の歴史」をと提案し、深井さんが「文献ないから本人から聴取するしかない」と返すなど、ショート編らしい軽いやりとりで龍の歴史編は幕を閉じました。
まとめ
龍の歴史編の最終回では、世界を解釈せずにいられない人間の習性、動物をラベルとして使い、やがて融合させる認知の働き、そして治水と権威を求めた漢帝国の事情が重なって、今の龍のイメージが定まったという仮説が語られました。実体だったかもしれない大型ワニは姿を消し、名前としての龍だけが今も生き続けています。
- 人間は名前のない現象に耐えられず、既存の枠組みで名前をつけて解釈しようとする
- 動物は最初は違いを示すラベルにすぎず、意味づけや信仰は後から付与されたとされる
- 融合動物は格を上げる手段であり、情報を塊にするパッケージでもあったと考えられる
- 治水と強い権威を必要とした漢帝国で、水属性の龍がシンボルとして重んじられた
- 龍の起源説はすぐ信じるのではなく、面白がることが大切だと語られた


