ひまわりと耳切り事件の画家は、本当はどんな人だった?
コテンラジオの新シリーズで取り上げるのは、オランダ生まれの画家フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホです。番組によると、画家を扱うのはこれが初めてで、「ファン・ゴッホ」は苗字にあたります。
ゴッホは日本でも特に人気のある画家です。番組では、現存する『ひまわり』6枚のうち1枚が東京・新宿のSOMPO美術館 ── 東京・新宿にある美術館。ゴッホの『ひまわり』を所蔵・常設展示していることで知られていますに常設展示されていると紹介されました。実際に見に行った出演者は、エネルギーが強すぎて長く見ていられなかったと話しています。
ゴッホについてよく語られるイメージは、ひまわりの油絵、赤い髪とヒゲの自画像、自分の耳を切った事件、自殺、そして生前に絵が1枚しか売れなかったという話です。
ただ番組によると、こうした一般的なイメージは、最近の研究でかなり見直されている部分もあるそうです。シリーズはその研究を踏まえて進めると宣言されました。
オランダにはゴッホの作品だけを扱うゴッホ美術館があり、研究機関も併設されています。膨大な文献研究が今も出され続け、絵が本物か偽物かを判別する仕事も担っているといいます。ゴッホ像は現代でもアップデートされ続けているわけです。
世界と「バグり続けた」人生とは?
ゴッホを取り上げた理由として、番組ではまず「尖りが凄まじい」人物だからだと説明されました。本気で人生を生きると、世界との関係がどうバグり続けるのか、その現象が見える人だといいます。
出演者の一人は、ゴッホの人生を「人生で2回ぐらいしか見たくない、めちゃくちゃいい映画」にたとえました。暗すぎて受け止めるのが大変だけれど、それでもすごく好きだという感覚です。
ゴッホは苦悩を抱えたまま最後は自殺したと言われています。番組の見立てでは、生き方が真剣すぎて社会にも時代にもほぼ適応できず、作品も人間としてもほとんど理解されない人生でした。
ゴッホには「狂気と情熱の画家」という枕詞がつきがちで、映画も何本も作られています。けれど番組は、その見方は解像度が粗いと指摘します。実際のゴッホはとても誠実で繊細な人で、その深い苦しみはあまりフィーチャーされてこなかったといいます。
病気・性格・信仰、ゴッホを縛った3つの苦しみ
番組では、ゴッホが抱えていた苦しみを大きく3つに整理しています。1つ目は病気です。
研究では、ゴッホは側頭葉てんかん ── 脳の側頭葉を発生源とするてんかん。意識が遠のく発作のほか、幻覚や感情の変化などを伴うことがありますにかかっていた可能性が有力視されています。さらに、統合失調症や双極性障害などの精神疾患を併発していたとも考えられているそうです。
ゴッホの症状は記録に残っており、現代の医師が過去の人物を研究する病跡学 ── 歴史上の人物の病気や精神状態を、残された記録から医学的に分析する学問。芸術家や偉人の研究で用いられますという学問が、こうした結論を出しています。
2つ目は性格です。ゴッホは気難しく、真剣さゆえに妥協できませんでした。何をやっても人とぶつかり、適応できない。繊細で真面目で、冗談で笑い飛ばすより思いつめるタイプだったといいます。
3つ目は宗教的な葛藤です。熱心なプロテスタントだったゴッホは、牧師の父を持ち、最初は聖職者を目指しました。しかし父からも教会からも拒否されます。
宗教的な情熱を持ちながら社会から拒絶される苦しみを、ゴッホは芸術で受け止めようとしました。けれど最終的にはそれも絶望に終わり、37歳で亡くなったとされています。他殺説もあると番組は補足しています。
病気
側頭葉てんかんと、精神疾患の併発が考えられている
性格
妥協できず、何をしても人とぶつかり適応できない
信仰の拒絶
聖職者を目指すが、父と教会に拒否される
芸術への賭け
宗教的な情熱の受け皿を芸術に求める
出演者たちは、今回は感動物語ではなく苦しみにフォーカスする回なので、似た境遇の人は心の準備をして聴いてほしいと呼びかけていました。
同じ名前の兄が死産した家、ファン・ゴッホ家とは?
ゴッホの生い立ちは少し不思議な始まり方をします。1852年3月30日、オランダ南部のフロート・ズンデルトという村で男の子が生まれ、フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホと名付けられましたが、死産でした。
ちょうど1年後の同じ日に、また男の子が生まれます。この次男が、後の画家ゴッホです。両親は死産した兄と同じ名前をつけました。
当時のオランダは、遅ればせながら産業革命を迎え、工業化や資本主義化が進んでいました。この社会の変化は、後にゴッホを含む芸術家たちの価値観形成に関わってきます。ヨーロッパではクリミア戦争 ── 1853年から1856年にかけて、ロシアとオスマン帝国・イギリス・フランスなどが戦った戦争があり、日本にはペリーが来航した時代です。
ファン・ゴッホ家は、もともと金属装飾の職人の家系でしたが、途中から牧師に転じ、宗教と芸術の領域で出世してきた家でした。祖父は高名な聖職者で、ゴッホの「フィンセント」はこの祖父にちなんだ名前です。
一族からは画廊の経営者や画商、画家も出ています。ミドルネームの「ヴィレム」は画商だった叔父にちなむもので、家族の名前を受け継ぐのがこの家の慣習だったようです。
父テオドルスも牧師でしたが、祖父ほど高名でも裕福でもなく、それでも収入に見合わないほどのお金を子どもの教育に充てました。母アンナ・コルネリア・カルベントゥスは製本業者の娘です。
そしてシリーズの超重要人物が、弟テオドルス、通称テオです。「死後に弟が頑張ってゴッホを有名にした」というイメージがありますが、番組によると正確には違います。
テオはむしろゴッホの生前に、経済的にも精神的にも兄を支え、才能を開花させた人物でした。ライト兄弟のように兄弟セットで捉えたほうがゴッホを正確に理解でき、テオがいなければゴッホは歴史に残らなかったかもしれないといいます。最後まで兄を見捨てなかった、ほぼ唯一の家族でした。
ゴッホは、そうした名士の家の実質的な長男として期待され、幼い頃からキリスト教を叩き込まれました。番組は、ゴッホの行動原理と創作の根幹にキリスト教が根強くあることを前提知識として押さえてほしいと強調します。後に語られる耳切り事件も、本人の中ではキリスト教徒として筋の通った振る舞いだったそうです。
ところがゴッホは、少年時代から扱いにくい子だったとあらゆる文献に書かれています。癇癪持ちで常に喧嘩腰、何事にも極端に思いつめ、小学校も中学校も中退しました。虫取りや読書でさえ、周りが見えなくなるほど自分を追い込んで没頭したといいます。
大人になってから、説得しようとするテオに対してゴッホは「海に出るのは危ないとか人に言われるたびに、僕は大いに苛立つのだ」と書き送っています。
一方でゴッホは魅力的な人物でもありました。友人たちは、ゴッホの振る舞いに何度も笑わされ、心の底から楽しげに笑う顔全体が輝いて見えたと語っています。共感力が高く親切で、人望を集めていたそうです。
番組はこの共感力について、人の苦しみや感情の揺れに自分を過剰に同化させる傾向があったのではないかと説明しています。
テオは、そんな型破りな兄を素直に尊敬していました。野山を歩き回るゴッホは、見てきた自然の美しさや神秘を、屋根裏部屋で夜遅くまでテオに語って聞かせたといいます。
画商見習いの青年が、なぜ失恋で宗教へ全振りした?
ゴッホは16歳で、叔父が関わる美術商グーピル商会に就職します。オランダだけでなくロンドンやパリにも支店を持つ、商売がうまくいっていた会社でした。弟テオも後を追って同じ商会に入ります。
仕事柄、美術作品に触れる機会が多かったゴッホは、この頃から少しずつ絵を描き、画家とも交流を持ちました。ただし番組によると、この時点でゴッホは画家になりたいとはまったく思っていません。小さい頃から絵が好きで描き続けていたわけでもなかったのです。
ちなみにゴッホがハーグ支店に勤めていた頃、日本の岩倉使節団 ── 明治初期に岩倉具視を全権大使として欧米に派遣された政府使節団。木戸孝允や大久保利通らも参加しましたがハーグに滞在していました。宿泊先は商会のすぐ近くだったので、ゴッホは木戸孝允の顔を見たことがあるかもしれない、と番組は想像をふくらませます。
しかしゴッホは数年勤めた末に解雇されます。本には「社会的品位と商売人の気質が欠如している」と書かれていたそうです。
ロンドン勤務中には失恋も経験しました。下宿先の娘にプロポーズしたものの、彼女はすでに別の男性と婚約していました。ゴッホはその婚約を解消させようとしましたが、うまくいきませんでした。これが初恋です。
この失恋はゴッホにとって重要なライフイベントでした。精神的なダメージから聖書の研究に没頭し、信じられるのは神様だけという状態になって、仕事が手につかなくなり辞めさせられます。
普段の勤務については、実はきちんと評価されていたという説と、評価されず倉庫に飛ばされたという説の両方があるそうです。一方でテオは出世し、芸術の都パリの支店の経営を任されるようになりました。
聖職者を目指したゴッホは、なぜ教会に拒まれた?
画商を辞めたゴッホは、父と同じ牧師を目指します。当時の若者にとって、文化的指導者である牧師は自然な選択肢で、父の跡継ぎとしてもキャリアとして申し分ありませんでした。
しかし大学の神学部に向けた受験勉強で挫折します。勉強が難しすぎたうえ、宗教的な情熱はあってもキリスト教の教義には興味が持てず、むしろ嫌悪感を持っていたようです。学者の考察では「こんな勉強で人を救えるの?」という思いがあったとされています。
勉強できない自分が嫌で、ゴッホは自分を罰しました。やるべき勉強ができないとベッドで寝てはいけないという強迫観念に囚われ、棒で自分の背中を叩いたり、冬でも部屋の外で寝たりしたといいます。
それでも宗教に関わりたいゴッホは、牧師の見習いにあたる伝道師の学校に入ります。伝道師は儀式はできないものの、人に説教をする役職です。ここもストレスと不眠で挫折しますが、つてを頼って伝道師見習いになり、ベルギーの貧しい炭鉱地帯に派遣されました。
炭鉱地帯でのゴッホは、労働者と一緒に暮らし、教えを説き、病人やけが人を看病するなど一生懸命働きました。それでも正式採用はされませんでした。その地域を担当する教会の指導者たちが、ゴッホにドン引きしたのです。
ゴッホはイエスと同じ生活を実践したいと考え、持ち物や服をすべて貧しい人に与え、ベッドで寝るのもやめ、1日何時間も説教に打ち込みました。その献身ぶりが常軌を逸していると見られ、事実上クビにされたのです。
出演者の一人は、救いたい気持ちと学んでいる内容の距離が遠すぎて戸惑い、いざ現場に出たらやりすぎて「合わない」と言われた構図だと整理しました。イエスと同じことをしているのに、なぜキリスト教の指導者から否定されるのか、という感覚だったのだろうと話されています。
ゴッホの姿勢について、出演者の反応は分かれました。欲求に素直でとことんやるところを応援したくなるという声がある一方、組織として秩序は大事で、逸脱しすぎれば包摂できないのも理解できるという声もありました。番組は、この苦しみがシリーズ全体を通してゴッホの人生の根底にあると強調しています。
精神病院に入れられかけたゴッホは、なぜ芸術へ飛び込んだ?
息子の奇妙な振る舞いに、両親は手を尽くしました。話し合い、仕事や学校や先生のつてを頼りましたが、状況は悪くなるばかりでした。
父はテオへの手紙で、フィンセントは実家にいるが問題ばかりで、フィンセントの痛ましい闇にも光が差し込めばいいのだが、と嘆き、心労と悲しみで疲れ果てていると書いています。母もテオに、フィンセントが何かをしようとするたびに、その風変わりさで壊してしまうのではないかと心配していると書き送りました。
番組では、テオが両親の心の防波堤になっていたのではないかと語られました。テオは、両親から見たモデルケースにはまりやすい、よくできた息子だったのだろうという見方です。
やがて両親は、ゴッホを精神病院に入れようとします。当時の価値観で精神病院に入れることは家族からの排除と同じで、施設は収容所や留置場と変わらなかったといいます。ゴッホは強く拒否して入院は免れましたが、両親のこの行動にひどく悲しみました。
番組はここで、ゴッホの苦しみを整理しています。高い理想と激しい気性、あり余る宗教的な情熱のやり場を、現実世界のどこにも見つけられなかった。父にも母にも教会にも拒まれ、居場所がどこにもないという絶望があったと言われています。
ゴッホは聖職者になることを断念し、牧師も教会も嫌いになりました。ただしキリスト教を捨てたわけではなく、生涯を通じて宗教を必要とし、イエスへの強い信仰を抱き続けたといいます。
ゴッホから見れば、父が属する古いキリスト教が自分を受け入れなかったことになります。だからこそ、教会の代わりに自分の宗教的な情熱を受け入れ、精神を救ってくれる何かを探す必要がありました。その切羽詰まった渇望を抱えたまま、ゴッホは芸術の世界へ飛び込みます。
父が属する教会と、牧師になる道に情熱を注ぐ
教会に拒まれ、代わりの救いを芸術に求める
番組が強調するのは、ゴッホが単に絵が好きで画家になったわけではないという点です。芸術に進むことは、父のいるキリスト教徒のコミュニティとの結びつきを断つことでもありました。画家を目指す動機は、父の古いキリスト教の否定の上に立っていたという背水の陣です。ゴッホが画家を本格的に目指したのは27歳のときでした。
出演者の一人は、芸術家は楽しいから描くというより、排泄物を出すように、生きるために作っている感覚があるのではないかと語りました。そこにぶつけなければ自分が死んでしまう、という感覚に近いという見方です。
テオのひと言と、牧師の息子たちの「教会離れ」
ゴッホが画家の道を選んだもう1つの理由は、弟テオが「画家になってみては?」と背中を押したことでした。番組は、このテオの提案が世界史に残る画家を生んだと表現しています。
この選択の時代背景についても研究があります。当時のヨーロッパは近代化の時期で、政治・社会・個人の考え方のいずれでも、キリスト教や教会の影響力が弱まっていました。
背景には啓蒙思想 ── 理性によって迷信や古い権威を批判し、社会を改善できると考えた18世紀ヨーロッパの思想運動や産業革命、理性を肯定する考え方があり、教会の束縛を取り除けば社会が良くなるという理解も広がっていました。オランダでも、ゴッホが生まれて間もなく産業革命が起き、オピニオンリーダーだった牧師たちの立場は徐々に衰えていきます。
その結果起きたのが教会離れです。聖職者が教会を離れたり、牧師の跡継ぎである息子たちが文学や芸術など人文の領域へ移ったりする現象が見られました。ゴッホの進路選択も、その流れの一つとして捉えられるといいます。
近代化で牧師の地位が衰えるなか、文学や芸術へ転向する流れがあった
性格・病気・メンタルのため社会不適合のストレスがはるかに高く、個人的に切迫していた
ただしゴッホの場合は、性格や病気のために社会に適応できないストレスが他の人よりはるかに高く、より切実な個人的事情がありました。聞き手からは、会社員がうまくいかず起業するしかないパターンに似ている、という感想も出ています。
炎に手をかざした求愛、いとこケーへの執着
画家を志したといっても、ゴッホに生計を立てる力はありませんでした。最初の年は実家に転がり込み、両親は目の届くところにいれば助けられると考えます。しかし、その目の届く範囲で事件が起こりました。
ゴッホは、高名な説教師である叔父の娘ケーに熱烈な恋をします。ケーは夫を早くに亡くし、子どももいました。いとこにあたるケーは、ゴッホを愛していないし再婚するつもりもないとはっきり断ります。
それでもゴッホは、避けるケーを追って彼女の実家まで押しかけました。食事中の家族のもとへ入り込み、会わせてほしいと願い出ます。両親が断ると、ゴッホはランプの火に手をかざし、手をかざしていられる間だけでいいから会わせてほしいと迫りました。
出演者たちはこの行動に驚きつつ、勉強できない自分を棒で叩いた話に通じると指摘しました。自分が苦しい思いをすれば何かが得られるという感覚が、ゴッホにはあったのだろうという見方です。
ケーの側から見れば、これはストーカー行為でした。しかもケーの父は高名な説教師で、コミュニティの中ではスキャンダルになります。
本の著者は、ゴッホは恋愛感情を抱いた数名の女性を、自分を抑えることなく異常なほどの情熱で追いかけ、思いが報われていないことにも気づかないようだったと考察しています。番組の語り手は個人的な考察として、家族に疎外されてきたゴッホは家族に飢えていたのではないかと話しました。
夫を亡くしたケーを幸せにできるのは自分だけだ、という思い込みもあったようです。出演者の一人は、愛されたいというより助けたい気持ちが強く、伝道師時代の情熱が恋愛に向かうとこうなるのかもしれないと推測しました。ゴッホは大量の手紙を残しているため心の動きを再現しやすく、実際に研究でも同様の分析が出ているそうです。
娼婦シンとの同棲、そして父の死
ゴッホは実家を出て、オランダのハーグで画家修業を始めます。すでに画家だった義理のいとこから水彩画の手ほどきを受けました。そこでまた、キリスト教的な価値観にそぐわない行動をとります。娼婦との同棲です。
相手はクラシナ・マリア・ホールニック、通称シンという女性でした。未婚のまま3人の子を産み、そのうち2人を亡くし、残った娘を養いながら4人目を身ごもっていました。パン代を稼ぐため、冬の通りに立っていたといいます。
牧師の家の長男で30歳にもなろうという息子が、子持ちの娼婦と暮らしているのは、両親にとって信じがたい事態でした。けれどゴッホにとっては、かわいそうな人を助け、できれば家族になりたいという純粋な気持ちでした。モデル代を払い、家賃を肩代わりし、自分のパンを分け与えて支えたといいます。
学者によれば、人の苦境に対するゴッホの反応は相手の性別を問わず見られるもので、異常なほど共感能力が高く、自分の手で相手を救い出さなければ気が済まなかったとされています。
ただ、ゴッホの活動も生活費も、すべてテオの仕送りで賄われていました。扶養家族が増えることはテオにも難しく、ゴッホは泣く泣くシンと別れ、絵を選んで実家に戻ります。
実家でもまた騒ぎが起きました。隣の牧師の年上の娘と愛人関係になり、家族に交際を反対された女性が服毒自殺を図ったのです。未遂に終わりましたが、狭い村ではスキャンダルとなり、またしても父の顔に泥を塗ることになりました。
翌年、父は心臓発作で亡くなります。ゴッホが32歳のときです。ゴッホは冷淡で、誰にとっても人生は長くなく、問題はそれをどう生きるかだけだ、死ぬのはつらいが生きることはもっとつらい、と語って、すぐに作品に取りかかったといいます。
番組は、両親は助けようと努力したものの、否定され続けたゴッホにとって親は敵に映っていたのだろうと語ります。出演者の一人は、ありのままの自分を一度も受け入れられず、良いと思うことをすべて否定された感覚だったのではないかと話しました。イエスも娼婦に優しかったように、ゴッホは「イエスならどうするか」を考えていたと本に書かれていたそうです。
ゴッホは再び実家を飛び出し、死ぬまで戻ることはありませんでした。ここから画家ゴッホが始まります。
「自分だけが救える」という感覚をどう見るか
第1回を振り返り、出演者たちは口々に「一話目からきつい」と話しました。繊細な自分にはかなり食らう話だという声も出ています。
出演者の一人が象徴的だと挙げたのは、ゴッホが「自分だけが救える」と考えていた点です。周りの誰も救おうとしていないから自分がやる、という意味ならよくわかる。けれど世界でこの人を救えるのは自分だけだという運命論的な思い込みなら、少し怖いとも話しました。
一方で、キリスト教は弱者にとても優しい宗教であり、弱者への共感性が異常に高い人が強い信仰を持てばそうなるのはよくわかる、という見方も示されました。周りにいる牧師たちに拒否されることは、それが神の求めることなのかと、ゴッホには思えたのだろうといいます。
出演者たちは、時代が違えば、たとえばザビエルと一緒に極東の日本で布教していれば、ゴッホは命がけで輝けたかもしれないとも語りました。聞き手は、目の前のことに集中し欲求に素直になる性質が、ある時は生きづらさとして、ある時はパワーとして出ている、と感想をまとめています。
次回は、ゴッホがどのように画家になり、どうスキルを上げていったのかが語られる予定です。
まとめ
コテンラジオのゴッホ編第1回は、狂気と情熱の画家というイメージの奥にある、病気・性格・信仰による苦しみと居場所のなさを描いた回でした。教会に拒まれたゴッホは、救いを求めて切羽詰まった思いで芸術に飛び込み、その歩みを弟テオが支え続けました。
- ゴッホは側頭葉てんかんや精神疾患を抱えていた可能性が研究で有力視されている
- 聖職者を目指すが、常軌を逸した献身ぶりから教会に拒まれ、居場所を失った
- 画家への道は、父の古いキリスト教を否定したうえでの背水の陣だった
- ケーやシンへの行動の根には、人を救わずにいられない異常なほどの共感力があった
- 弟テオは死後ではなく生前にゴッホを経済的・精神的に支え、画家への背中も押した



