ヨーロッパの新大陸探しから独立まで、シーズン1はどう流れた?
アメリカ開拓史編の第7回は、前回までで独立革命戦争が終わり、アメリカという国が名実ともにできたところから始まります。深井さんはここを「シーズン2」の入り口と位置づけ、まずシーズン1のあらすじを一気にまとめました。
深井さんの整理では、出発点はヨーロッパがイスラム教徒を挟み撃ちし、アジアと貿易するために大西洋へ出たことです。新大陸で金銀を掘って儲かったのを見て、各国が北米大陸にも植民地を作りますが、北米には金銀がなく植民はなかなか進みませんでした。
イギリスは遅れて植民地づくりを始め、ルーツの違う植民地を育てて13植民地にします。その後フランスと戦い、勝つと今度は本国イギリスから重い課税を受け、独立を望む声が高まっていきます。
新大陸の発見
イスラム教徒への対抗とアジア貿易のために大西洋へ出て、新大陸が見つかる
13植民地の形成
イギリスがルーツの違う植民地を作り、13植民地まで育てる
フランスとの戦争
フランスの植民地と利害が合わなくなり戦う
本国の課税
フランスを追い出すと、イギリス本国から課税される
独立
国王の反逆者宣言や『コモン・センス』、独立宣言で一致団結し、独立に成功する
独立派と反対派は3分の1ずつほどに分かれていましたが、イギリス国王が全員を反逆者扱いしたことで、アメリカ側は一致団結していきます。そこにコモンセンス ── トマス・ペインが1776年に出したパンフレット『コモン・センス』。平易な言葉でイギリスからの独立を訴え、植民地で広く読まれましたや独立宣言という思想的な後ろ盾が加わり、独立が実現したという流れです。
すげえ。めちゃくちゃ(あらすじの)まとめうまいですね。
経営者ですから。
国家としては激弱?連合会議から始まったアメリカ
独立後のアメリカは、イギリスと戦うために集まっていた大陸会議を「連合会議」と改め、これを政府にしようとします。国名もThe United States of Americaと決まり、国家運営のルールとして連合規約が定められました。
深井さんが強調するのは、当時のアメリカの小ささです。人口は400万人ほどしかおらず、首都もインフラも歴史もない状態でした。
首都とかないんですよ、まだ。13の別々の植民地がくっついた瞬間、首都どうする?ってなるじゃないですか。
最初の連合会議が持っていた権限はごく限られていました。深井さんは、国としてギリギリのお粗末な集団から始まったと表現しています。
国防、外交の代表、お金を刷ること
徴税権、常備軍を持つ権利、通商を統制して経済を司る権利
ここから世界一に行くんだよね。
独立で得た西部の土地を、13州でどう分けるのか
独立戦争の後、アメリカはミシシッピ川より東の土地をイギリスから得ます。のちのミシシッピ、アラバマ、ケンタッキー、イリノイなどにあたる地域で、この土地の扱いをめぐって13の州が衝突し始めました。
深井さんによると、争奪戦は埒が明かず、このままでは内戦になるという状況でした。そこで連合会議が出した答えは、西部を13州のどこかの土地にせず、まず合衆国の所有地にするというものです。
深井さんは、新しい土地は育てば自分たちと同格にし、その全体を合衆国が統括するという考え方にしないと内戦になるため、こう決まっていったと説明します。
借金と反乱が、国家権力を強めた?
内戦を避けた一方で、アメリカはネイティブ・アメリカンの制圧へ目を向け、本格的な戦争に入っていきます。同じ時期に、合衆国憲法の制定も進み始めました。
憲法制定の背景には、独立戦争が残した莫大な借金がありました。深井さんによると、議会の代表者にはブルジョワジーが多く、その借金を課税によって貧しい人々に負わせる法を作っていきます。
怒った貧農たちは反乱を起こします。書き起こしでは「ダニエルシリーズ」と聞こえる反乱で、シェイズの反乱と考えられます。『コモン・センス』を読み、新しい国を作るつもりで戦った人々が、帰ってみると借金で生活できなかったという話です。
独立戦争の借金
戦争の結果、多額の借金が残る
貧民への課税
ブルジョワジー中心の議会が負担を貧民に負わせる
貧農の反乱
生活できなくなった貧農が乱を起こす
鎮圧できない政府
徴税権も常備軍もなく、反乱を抑えられない
権力の調整
鎮圧できるレベルまで国家権力を少しずつ上げる
常に権力の集中と権力を分散させるっていう2つの力学の間でいろいろ引っ張り合いをするっていうのがアメリカの歴史でもありますよね。
強い権力を持たせようとしたのが憲法制定会議で、議長はジョージ・ワシントンでした。連合規約は早々に廃止され、合衆国憲法に作り替えられます。ここで初めて大統領という概念が登場し、行政権、外交権、軍隊統帥権、各省長官の任命権が与えられました。
中央政府に強い権力を与えるこの考え方をフェデラリズム ── 連邦主義。州に分かれた権限をまとめ、中央の連邦政府に一定の強い権限を持たせる考え方。当時はこれを支持する人々と州の自立を重んじる人々が対立しましたといいます。最初の省は国務省、財務省、陸軍省、郵政省、司法省の5つで、郵政省のトップはベンジャミン・フランクリンでした。三権分立も備えられています。
なぜワシントンは3回目の大統領を辞退したのか
アメリカの大統領の任期に回数の制限があることも、ワシントンにさかのぼります。深井さんによると、ワシントンは再選を重ね、3回目に選ばれそうになったとき、権力が固定されるのはよくないとして辞退しました。
ワシントンの辞退が慣習となり、歴代の大統領はそれに従います。ところがフランクリン・ルーズベルトが長く務めたことで、やはりよくないとなり、正式に憲法で任期が定められたと深井さんは説明しています。
楊さんは、イギリス帝国のように権力が集中することへの警戒感がアメリカにはずっとあると話します。深井さんも、州から派遣された代表たちにとって中央政府に権力を持たせるのはすごく怖いことだったと補足しました。
ワシントンとしては(人気が高いことが)居心地悪いというか、すごいリスクに感じたんですよ。
楊さんによれば、ワシントンは民間からも人気が高かった人物です。自由と平等の国を作ろうとしているのに、権力が個人に集中すればイギリスに戻ってしまうと考え、権力者になれる場面で身を引いたといいます。
ネイティブ・アメリカンとの約束は、なぜ守られなかったのか
建国当初のアメリカは、ネイティブ・アメリカンとの関係について基本方針を定めていました。深井さんは、その内容を妥当でちゃんとしたものだと紹介します。
- インディアンの土地は条約で保証し、連邦政府以外の購入を禁じる
- 連邦政府の統制下にあるインディアンとの交易を進める
- インディアンを酷使・だました白人も、白人を襲ったインディアンも処罰する
- 自分の土地に住むインディアンに課税せず、望めば白人社会に迎える
ところが深井さんは、この方針をジョージ・ワシントンの最初の政府が定め、それを最初に破ったのもワシントンだったと指摘します。樋口さんは、言っていることはものすごく真っ当なのにと驚きます。
誰も守らなくなるよね。
深井さんは、ワシントンやトマス・ジェファーソンにも理念はちゃんとあったと前置きしたうえで、それでも迫害するときはするという矛盾を挙げます。
自由競争の国で、西部と銃はどう結びついたか
理想より利害が勝った理由について、楊さんはアメリカには最初から資本主義を発展させる競争原理があり、みんなが競争しながらガンガン進めてしまったのではないかと考えます。深井さんも、競争原理によってメリットを取りに行く指向性が強くなったと応じました。
深井さんは、アメリカの中でも地域によって性格が違ったと説明します。13州のあった東海岸はイギリスの植民地として社会がある程度固定されていましたが、これから広がる西部は「すっげえフリーダム」な場所でした。
最初の13州。イギリスの植民地だったこともあり、比較的社会が固定されていた
フリーダム感にあふれ、東で失敗した人が「西に行けばいい」と向かう場所
楊さんは、西部で州として育てば13州と同じ権利を得られる点の大きさを指摘します。イギリスなら植民地として上下関係を設けるところを、アメリカは同じ権力を与えたからです。
深井さんは、今の銃社会もここにつながっていると話します。当時のヨーロッパで銃を持てたのは主に貴族でしたが、階級があまりないアメリカでは、金さえあれば誰でも持てました。
要はかっこいいよねってなるわけですよ。銃持ってるって。俺でも銃持てるんだぜっていう風になっちゃうわけですよね。
危険な西部では荒くれ者が撃ち合い、銃を持つのが当たり前になっていきます。深井さんは、誰もが銃を持てること自体が、アメリカの平等性やアメリカらしさを表していると見ています。
知的財産権の保護は、アメリカが腐りきらない理由?
楊さんが憲法の中で重要だと感じたのは、知的財産権の保護です。発明などに一定期間の独占的な権利を与えることが、すでにこの時点で盛り込まれていました。
深井さんはこれを資本主義的だと評し、こうしたスピリッツがアメリカを社会的成果を出し続ける国にしているのではないかと話します。腐る部分はあっても脱皮していく点に、深井さんはアメリカの強さを見ています。
日本の企業が時価総額ランキングトップテンにめちゃくちゃ入ってますみたいな時代があって、結局またアメリカになっているでしょ。
深井さんは、自由と平等のスピリッツが機能し、他国に比べて利権が固定されにくいと考えています。楊さんも、アメリカには必ずカウンターが出てくると応じました。
奴隷制の先送りと、40年で3倍の人口増
話は独立直後に戻ります。深井さんによると、国を作るときに先送りされた大きな問題が奴隷制度でした。あまりに大変で先送りされたこの問題が、のちの南北戦争の直接の原因につながっていきます。
一方で、人口は急増します。独立当時400万人ほどだったアメリカは、40年間で1200万人まで増えました。
深井さんは、10人の子どもがいるのが当たり前という時代があり、出生率がまず高かったと説明します。移民も来て経済規模も拡大し、典型的な好景気でした。
僕たち40年で3倍になるの想像してください。俺らが70何歳の時に日本が4億人ぐらいいるんだよ。ありえない。
楊さんは、独立戦争が内需を育てた面もあると補足します。軍隊の食料や武器など物資のニーズが国内に生まれ、軍事特需が経済成長のきっかけの一つになったという見方です。
フランス人の目に映った「地位の平等」の国
人口が1200万人ほどになった頃のアメリカについて、滞在したフランス人が書いた出版物があります。深井さんはその内容を紹介しました。
そのフランス人にとって、アメリカ滞在中に最も目を引いたのは「地位の平等」でした。地位の平等が政治的慣習や法律を超えて影響し、政府にも人民にも支配力を持ち、意見や感情、習慣を生み出していると見たのです。
深井さんによれば、このフランス人には、アメリカが地位の平等からすべてが出発している国に見え、それこそ民主主義の真の姿ではないかと述べています。深井さんも、特殊な国の作り方によって民主主義に適した国になったと話しました。
楊さんは、当時アメリカを訪れたヨーロッパの人々が、金持ちとそうでない人の区別がつかないことに驚いたと紹介します。ヨーロッパでは服装や振る舞い、言葉遣いで階層がわかったからです。深井さんは、ジーパンとTシャツで通用するシリコンバレーやザッカーバーグのイメージに重ねました。
西部劇の時代へ。マニフェスト・デスティニーと国土の拡大
ここから、いわゆる西部劇の時代である西部開拓が始まります。ジェファーソン大統領がナポレオンからルイジアナを購入し、西部はさらに広がりました。
テキサスは独自の経緯をたどります。深井さんによると、テキサスはフランス、スペイン、メキシコと支配が移り、独立してテキサス共和国となった後、アメリカに併合されました。
メキシコとの戦争で奪った土地からはカリフォルニア州やニューメキシコ州が生まれ、アラスカやハワイを除く今の北米のアメリカの国土が出来上がっていきます。
西部開発を後押ししたのがマニフェストデスティニー ── 「明白なる使命」と訳される19世紀アメリカの考え方。アメリカが大陸の西へ領土を広げるのは神に与えられた使命だとして、拡張を正当化しましたです。深井さんは、ネイティブ・アメリカンを駆逐して土地を広げることを正当化するための概念だと説明します。
この僕らが領土を広げていくのが神に定められた使命だと。だからネイティブアメリカン殺して当然だよねっていう。口では言わないですけどね。
深井さんは、罪悪感を持ちながら開拓するわけにはいかないため、こうした考えがブーストされたと見ています。さらに大陸横断鉄道やモールス信号によって広大な国土の物流がつながり、アメリカは一つの国としてまとまっていきます。
その中で北部、西部、南部という利害の異なる3つの地域が生まれます。綿花輸出で伸び黒人奴隷を多く使う南部と、資本主義的な北部が対立し、西部は最終的に北部側につき、南北戦争へ向かっていきます。
アントレプレナーだけを集めた土地?西部の文化
南北戦争の前に、深井さんはカウボーイや保安官の文化を次回紹介したいと予告します。樋口さんは、自分がイメージとして知っているアメリカ開拓史はまさにその西部劇の画だけだと話しました。
深井さんによると、西部とはマニフェスト・デスティニーで開拓するフロンティアです。どんな地位の人でも成功する可能性があり、野垂れ死ぬ可能性もある、ものすごく「ベンチャーっぽい」地域でした。
西部では誰かの下につくことが嫌われ、上官の命令に従う軍人は「マジダセえ」と見られていたといいます。深井さんは、独立心が強くなければ西部には行かないからだと説明しました。
面白くない?それさ。だってアントレプレナーだけさ、集めてみ、どっかの土地に。
ずっと誰かがプレゼンしてますよ、ステージで。
深井さんは、逃げなければならない犯罪者のような人々も西部に集まったと付け加えます。そうした人々の中から生まれた文化がカウボーイだという話で、樋口さんは現代のアメリカに徐々に近づいてきた感覚が出てきたと語り、続きは次回へ持ち越されました。
まとめ
独立直後のアメリカは、人口400万人で首都も徴税権もない弱い国家から始まりました。反乱を機に憲法と大統領制が生まれ、権力集中への警戒、地位の平等、自由競争を抱えながら、西部開拓と南北戦争へ向かっていきます。
- 最初の連合会議は徴税権も常備軍もなく、国家として激弱な状態だった
- 西部の土地は合衆国の所有地とし、人口に応じて準州・州へ昇格させて内戦を避けた
- ワシントンは権力の固定化を嫌い、3回目の大統領就任を辞退した
- ネイティブ・アメリカンとの真っ当な基本方針は、利害の前に守られなかった
- 地位の平等と自由競争が、銃社会や西部のベンチャー的な文化につながっていった



