13植民地が集まっても、意見は割れたまま?
ボストン茶会事件の後、アメリカの植民地側では「このままではまずい」という危機感が一気に高まりました。深井さんによると、13の植民地はそれまで別々の国のような存在で、意思の統一はほとんどできていなかったといいます。
そこで13植民地の代表が集まって会議を開くことになります。イギリスにどう対応するかを決めるにも、まず植民地同士で意思をそろえる必要があったからです。
そもそもイギリスに対してどういうふうなアクションをするかっていうのも、自分たちで意思統一しないとできないじゃないですか。
ただし、この会議で13植民地の意見が「独立」でまとまったわけではありません。意見は普通に割れたままで、決まったのは「もしもの備えとして武器を集めておこう」ということだけでした。
ところが、植民地側が武器を集め始めたことがイギリス本国に知られてしまいます。イギリスは「何を武器集めとるんだ」と軍隊を送り、ここから独立戦争へと突入していきます。
独立戦争が始まるまでの流れは、意図せず連鎖していったものとして語られています。
ボストン茶会事件
植民地とイギリスの対立のボルテージが上がる
植民地の代表会議
13植民地が集まるが、独立で意見は一致しない
武器の収集
備えとして武器を集めることだけが決まる
イギリスの派兵
武器集めが本国に知られ、軍隊が送られて開戦へ
開戦時の植民地側には強力な軍隊がなく、そもそも独立を望む人は過半数に届いていませんでした。深井さんは、独立派、イギリス国王派、中立または無関心の人たちに大きく割れていたと説明しています。実際にイギリス側について戦ったアメリカ人も少なくなかったそうです。
なんならイギリスに味方する感情の方が広範囲に、こう広がってて。もっと言うと、どうでもいい人たちもたくさんいるんですよ。
そんなまとまりのない状態で始まった独立戦争ですが、結果的に植民地側は、当時世界最強と言われた大英帝国の軍隊に勝つことになります。
バレバレの武器回収から始まった、レキシントンとコンコードの戦い
最初の戦闘は、イギリス国王ジョージ3世の命令を受けたトーマス・ゲージ ── イギリスの軍人で、当時北アメリカのイギリス軍総司令官を務めた人物。マサチューセッツの総督も兼ねていましたがボストンに来たことから始まります。ゲージの目的は、植民地側が集めた武器を接収することでした。
ゲージ軍は、武器を隠されないよう植民地側に気づかれずに取りに行こうとします。ところが、その動きは植民地側に実はバレバレでした。
バレていると気づいたゲージ軍は急いでレキシントン村へ向かい、そこで植民地側の民兵と激突します。これが独立戦争の最初の戦闘です。
レキシントンでの戦いでは、正規の軍隊を持たない植民地側がわずかな時間で敗走してしまいます。
弱。
ゲージも「やっぱり余裕だ」と考え、さらにコンコードまで進軍します。ところがコンコードでは、武器を探すために兵を小分けにして散らばっていたところを、植民地人の大軍と遭遇してしまいます。
兵力を分散していたゲージ軍は混乱して逃げ出し、世界最強の軍がまさかの敗北を喫しました。
何て言うんですかね、アメリカって運がいいんですよね、ずっと。こういうことがたくさんある、ちなみにこの後。
樋口さんは、アメリカの地の利や、本国から離れていて補給が難しかったことも挙げます。深井さんも、密集隊形を多用するイギリスの戦い方が、アメリカの土地に合っていなかったことは確実にあると応じています。
民兵では戦えない。初代総司令官ワシントンの登場
レキシントンの戦いとコンコードの戦いで戦火を交えたことで、植民地側はもう一度集まって議論することになります。これが第二回大陸会議 ── 1775年に開かれた13植民地の代表者会議。後に独立宣言を採択し、事実上の中央政府の役割を担いましたです。
第二回大陸会議でも、戦いたい人たちと和平を望む人たちで意見は分かれていました。それでも主戦派は、軍隊がないとさすがにまずいと考えます。
レキシントンとコンコードで戦ったのは民兵で、本業を持つボランティアでした。そのため長期間拘束することができません。
副業で軍隊やってるからね、その人たちは。なんでここで初めて軍隊を作ります、正規軍を。これの初代総司令官がジョージ・ワシントンね。
ジョージ・ワシントンは、軍人として成果を残して大統領になった人物です。楊さんは、ワシントンが農園経営者でもあり、奴隷を使っていたことにも触れています。
深井さんによると、初期のアメリカ大統領はだいたい軍人で、その時代に重要だった分野で活躍した人が大統領になってきたといいます。その延長で、経済界が重要な現代にトランプ氏が大統領になったのも、昔からの流れに沿っていると話しています。
そういうところで思いっきり活躍した人が押し上げられたから、何ができるかが大事だからさ、アメリカ人は。
反逆者認定とコモンセンスが、植民地をまとめた
第二回大陸会議の時点で、植民地は主戦派と和平派に分かれていました。そこへイギリス国王ジョージ3世が、植民地人を全員国家反逆罪にすると宣言します。
国家反逆罪となれば、残忍な処刑が待っています。和平派も「もう戦うしかない」となり、全員が主戦派に移っていきました。
はぁ、なんか皮肉やなぁ。なるほど。反逆者認定したからこそ、向こうがまとまっちゃったってことですね。
深井さんは、この時代のイギリスはアメリカに対して後手後手で、やることなすこと全部裏目に出ていたと評しています。敵の強硬策がかえって相手を団結させたという皮肉な構図です。
植民地側を思想面でまとめたものもありました。トマス・ペインのコモン・センス ── 1776年に出版されたトマス・ペインの小冊子。イギリスからの独立を平易な言葉で訴え、短期間で大量に読まれましたが、空前の大ベストセラーになったのです。
深井さんによると、コモン・センスには「君たちは今、新しい世界を作りつつある」ということが書かれていました。楊さんは、この本の役割を次のように説明しています。
自分たちの独立の理論付けをすごく感情的な言葉を使って煽ったっていう役割があったんですよね。
要は整った文章じゃなくて、普通のあまり教養のない人たちでも読めて、しかもすげえ感情をかき立てられるような、要はアジテートするような文章だったんですよね。
深井さんは、ヒトラーの時代やフランス革命でも同じようなことがあり、現代でもそうだと指摘します。感情に訴える文書で世論が一つにまとまる現象は、社会科学として非常に再現性があると話しています。
独立宣言は、なぜ書かれなければならなかったのか
当時、国の役割を担っていたのは、植民地の代表が集まる大陸会議でした。その大陸会議によって、フィラデルフィアで独立宣言が採択されます。
独立宣言は、トマス・ジェファソン ── 後に第3代アメリカ大統領となる政治家。独立宣言の起草の中心を担いましたが原本を書き、ベンジャミン・フランクリンが修正を加えたとされています。
深井さんが強調するのは、独立宣言が必要だった実利的な理由です。国として独立しなければ同盟国を作れず、イギリスと対等な権利も主張できません。ヨーロッパの他国に味方してもらわなければ、イギリスには到底勝てないという判断でした。
独立宣言には、イギリスの思想家ジョン・ロック ── 17世紀イギリスの哲学者。人は生まれながらに自然権を持ち、政府がそれを侵せば人民は抵抗できると論じましたの思想が反映されています。すべての人は平等に作られている、生命・自由・幸福を追求してよい、政府がこれを害するなら新しい政府を作る権利がある、といった考え方です。
深井さんによると、こうした思想はヨーロッパにすでに存在していたものの、国として採択した例はまだありませんでした。それを最初に採択したのがアメリカ独立宣言だったといいます。
平等を掲げながら奴隷を使う。アメリカの本音と建前
独立宣言の中心となる文は、すべての人間は生まれながらに平等であり、生命・自由・幸福の追求という奪いがたい権利を持つ、と述べています。けれど当時のアメリカでは、黒人奴隷がモノのように扱われていました。
深井さんは、独立宣言には建前の部分が実はかなりあり、適用されるのはアメリカの白人男性だけだったと説明します。フランス革命と違い、イデオロギーよりも「独立の建前として使う」という感覚が強かったといいます。
すべての人は平等で、生命・自由・幸福の追求の権利を持つ
適用対象はアメリカの白人男性のみで、黒人奴隷はモノのように扱われていた
深井さんは、この矛盾をアメリカという国の性格として捉えています。
深井さんは、日本人が同じように理想を掲げて現実を見たら「全然できてないじゃん」と嫌気が差しそうだと話し、楊さんも自分は嫌気が差すタイプだと応じます。矛盾を抱えながらも嫌気が差さないという点に、二人は日米の違いの面白さを見ています。
独立宣言の時期には、「ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカ」という言葉が初めて登場します。それまでバージニア人、マサチューセッツ人と呼ばれていた人々が、イギリスと共に戦うために、初めて一つの国家としてまとまっていきました。
ただし、できた国家はガチガチの統一国家ではなく、緩い連邦でした。深井さんによると、最初の政府は徴税権すら持っていなかったといいます。
一致団結して統一意思決定をしないとイギリスと戦えないから、ここでその危機的状況に対してリーダーシップを取るために国家権力が生まれてくるわけです。
深井さんは、危機にあたって国家権力が生まれる現象も再現性があると指摘し、コロナ禍で国家がリーダーシップを求められている現在とも重ねています。
独立宣言の高邁な理念は、フランス革命やフランス領ハイチの独立、中南米諸国の独立へと波及し、近代的な人権思想の契機になりました。一方で、出発点となったアメリカ自身は人権問題を抱え続け、今も人種差別などを題材にした映画が作られ続けていると深井さんは話しています。
フランス、スペイン、オランダが味方した理由とは
独立戦争では、イギリス軍に攻め込まれてニューヨークが陥落する場面もありました。それでも植民地側は戦い続け、最終的に勝利します。
勝利の鍵になったのは同盟国探しでした。天才外交官のベンジャミン・フランクリンが派遣され、フランス、スペイン、オランダを参戦させることに成功します。
なぜヨーロッパ諸国がアメリカの味方をしたのかについて、深井さんは、イギリスがあまりに強くなりすぎて嫌われていたからだと説明しています。
イギリスの一極集中
イギリスだけが強くなり、周辺国から嫌われる
利害の一致
周辺国がバランスを取るためにイギリスの足を引っ張りたいと考え、アメリカと手を組む
イギリスの孤立
大義名分のない戦争で、イギリス側のモチベーションが湧かない
敗戦
戦争をまともに続けられず、イギリスが負ける
大義名分がない国の戦争ってもうモチベーションが湧かないわけですよ。戦争ってすごいコストが必要なんで。
ちなみにジョージ3世は、敗戦の報告を1年間信じなかったそうです。世界最強の自分たちの軍隊が植民地の人々に負けるはずがない、という受け止めだったといいます。
パリ条約で何が決まり、誰が不満を抱いたのか
独立戦争の終結にあたって結ばれたのがパリ条約 ── 1783年にイギリスとアメリカなどの間で結ばれた講和条約。イギリスがアメリカの独立を正式に認めましたです。深井さんは、条約の主な内容を3つ挙げています。
| 項目 | 内容 | 補足 |
|---|---|---|
| 第1条 | アメリカの独立の承認 | 国として認められる |
| 第2条 | ミシシッピ川より東のルイジアナの割譲 | イギリスが以前の条約でフランスから得ていた土地 |
| 第3条 | ニューファンドランド沖の漁業権の承認 | 深井さんいわく「そんなに覚えなくていい」 |
ミシシッピ川より東のルイジアナは、現在のミシシッピ、アラバマ、ケンタッキー、イリノイ、インディアナ、オハイオ、ミシガン、ウィスコンシン、ミネソタにあたる地域です。東海岸に集まっていたアメリカが内陸へと広がり、ここから西部開拓が始まっていきます。
ミシシッピ川より西の土地は、スペインが持っていた後にフランスが取り返し、後々フランスのナポレオンからアメリカが購入することになります。管理しきれず、戦争でお金も必要だったナポレオンが売ったと説明されています。
一方、パリ条約は、戦争を手伝ったフランスやスペインにとって不満の残る着地でした。特にフランスは多額の資金協力をし、ヌーベルフランスの復興を目指していましたが、得られたのはアフリカのセネガルと西インド諸島の一部だけでした。
ほぼ詐欺、契約違反やん。
深井さんは、このフランスの不満がフランス革命にもつながっていくと補足しています。
イギリスに勝ったら、次は何をすればいい?
イギリスを追い出し、独立も承認されたことで、アメリカはまったく新しい段階に入ります。利害の違う、もともと別々の国のような植民地が、自分たちで国家を作るという段階です。
親玉のイギリスとの関係の中で、課税への反抗など自分たちの生活を守るのが精一杯
利害の違う植民地同士と、ネイティブアメリカンのいる新しい土地を前に、自由に国を作らなければならない
深井さんは、ここからが「今のアメリカ」につながる本当のスタートだと話します。そしてリスナーに、自分がこの時代の政治家だったらどうするかを想像してほしいと投げかけます。
勝つまではさ、頑張れるじゃん。
けどさ、勝った後ってさ、個の全然利害が違うやつと、あと新しい土地があるわけじゃん。ネイティブアメリカンがいる。で、どうする?ってなったんですよ。
深井さんによると、各植民地はルーツが浅く、固定化された権利もそれほどないため、自然に決まるものがありませんでした。誰がリーダーシップを取るのかという問題から、次回の話が始まります。
楊さんは、目的があるうちはシンプルで、共通の敵がいる時はやりやすいと整理し、自由と責任とは何かを考えさせられると話しています。深井さんは、自由を与えられたからこそ悩み、やがて南北戦争に突入していくと締めくくりました。
まとめ
13植民地は、意見がばらばらのまま独立戦争に突入しましたが、イギリスの反逆者認定やコモン・センス、独立宣言をきっかけに一つにまとまり、同盟国の力も得て大英帝国に勝利しました。しかし勝利の後には、利害の違う植民地同士でゼロから国を作るという、お手本のない難題が待っていました。
- 植民地側の武器集めがイギリスに知られたことで、独立の合意がないまま独立戦争が始まった
- ジョージ3世の反逆者認定とコモン・センスが、割れていた植民地を主戦派にまとめた
- 独立宣言は同盟国を得るための実利的な目的を持ち、平等の理念と奴隷制という矛盾を抱えていた
- フランス、スペイン、オランダの参戦と、イギリスの大義名分のなさが勝利につながった
- 勝利後のアメリカは、共通の敵を失い、利害の違う植民地でどう国を作るかという課題に直面した




