ヌルハチ、どこがヌルヌル?
ヌルハチ編の第1回は、タイトル「戦国風雲児ヌルハチの野望、アジアを変える清の下の力持ち」の読み上げから始まります。楊さんがまず「誰だかわかります?」と問いかけ、樋口さんは名前の響きから当てにいきます。
僕、ヌルハチっていう名前が最初コテンラジオのSlackで出てきた時にふざけてるのかなと思ったんですよ。
まあだからまずは(ヌルハチは)どっかがヌルヌルなことは間違いないですよ。
だから8個ぐらいヌルヌルな箇所があるんですね。
楊さんによれば、ヌルハチは日本ではサラジンと同じくらいマイナーな人物かもしれません。ただし深井さんが補うように、世界史の高校の教科書には登場する人物です。
楊さんが紹介する正式な名前は、アイシンギョロ・ヌルハチです。ラストエンペラーの舞台となった清王朝の礎を作った人物で、建国者そのものではありません。深井さんは、ラストエンペラーとして知られる愛新覚羅溥儀の先祖にあたると確認しています。
アイシンギョロは、彼らの女真語 ── 女真族が使っていたツングース系の言語。のちの満洲語につながる言葉で、漢語とは系統がまったく異なりますでの発音です。中国の共通語では「愛新覺羅努爾哈赤」と読み、楊さんが発音するたびに深井さんは「もう一回言って」とせがんで、その難しさを面白がっていました。
女真族はなぜ「満州」を名乗ったのか
楊さんによると、清はユーラシア大陸の東部分を200年以上にわたって支配した大帝国で、「中国最後の統一王朝」と呼ばれてきました。今の中国の領域も、おおむね清の領域を引き継いでいるといいます。
ただし最近の歴史学では、中国という枠組みを中心に据える見方が相対化されつつあるそうです。清を「モンゴル帝国を引き継いだ中央ユーラシアの大清帝国」として捉える見方が潮流になっていると楊さんは紹介します。
いや、そこ(歴史の認識が)変わるんやというのが面白いですね。
清を建てたのは、漢字を使う漢族ではなく女真族です。女真族は自分たちを「ジュシェン」と呼び、漢字の「女真」には特に意味はないといいます。深井さんは、漢族が異民族に好ましくない漢字を当てた可能性に触れています。
ヌルハチより後の代になると、女真族は民族名を「満州」に変えます。楊さんの説明では、ジュシェンという呼び名には召使いのような意味合いがあったためで、これがのちの地名「満州」の元になっていきます。
女真族は後ろ髪だけを長く編んで垂らす弁髪 ── 頭髪の一部を残して剃り、残した髪を編んで垂らす髪型。清の時代には支配下の男性にも強制されましたをする人々でした。楊さんによれば、今の中国の共通語の発音にも女真語の響きが混ざっているといいます。
女真族の末裔は現在も中国にいて、法律上は「満族」に分類されています。中国の身分証明書には民族欄があり、楊さん自身は漢族で、母親が満族だと明かしました。
楊さんの説明では、清を建国したのはヌルハチの息子のホンタイジです。ヌルハチが建てたのは、清の前身となる「後金」でした。女真語で「金」はアイシンと読み、ギョロ氏という多くの氏族の中で国を作った一族が、ギョロの前にアイシンを付けたのがアイシンギョロの由来だといいます。
大陸で国を作る難しさとは
楊さんは、ヌルハチの人生から学べることを2つ挙げます。1つは創業者としての苦労です。ヌルハチは常にあらゆる課題に向き合わなければならない苦労人でした。もう1つは、大陸で国を作るとはどういうことかという点です。
楊さんによれば、大陸で国を作るのは、日本列島で国を作るのとは難しさの質が違います。日本の戦国時代なら織田家、今川家、京都の公家といった家がプレイヤーとして数えられます。大陸では、まず民族集団がプレイヤーになります。
織田家、今川家、京都の公家など、家単位でプレイヤーが数えられる
漢族・女真族・モンゴル族などの民族集団の中に部族、さらに氏族があり、氏族も一枚岩ではない
楊さんは、この大量の不確定要素が爆発している状態こそ大陸国家の標準だと説明します。ヌルハチはその中で必死に試行錯誤して国は作れたものの、中身はボロボロで、膨大な課題を残したまま亡くなったといいます。
だから日本とかよりも1つ上のレイヤーの民族っていうのがあって、そこも戦いに関係してくるっていうことだよね。
だから地球の上の銀河とかで戦ってるみたいなやつですよね。
楊さんは、少数の女真族が大多数の漢族をどう統治するのかといった、日本ではなかなか出てこない統治課題も、後のエピソードで扱う予定だと予告しています。
ヌルハチ前夜の東アジアはどうなっていたか
楊さんはまず、ヌルハチが活躍した時期のユーラシア大陸東部の状況を整理します。中国本土には漢族が建てた明王朝があり、すでに200年以上続いていましたが、腐敗がはびこって衰退傾向にありました。
楊さんは明を、ケマルが登場した頃のオスマン帝国 ── 13世紀末から20世紀初頭まで続いた大帝国。末期は領土を失い続け、ケマルらの運動を経てトルコ共和国へと移行しましたにたとえます。兵力も人口もまだ多いのに、どんどんまずい状態に陥っている大国というイメージです。
| 勢力 | 地域 | 当時の状況 |
|---|---|---|
| 明 | 中国本土 | 漢族の大帝国。200年以上続くが衰退傾向 |
| モンゴル族 | 明の北方 | オイラトや韃靼。南下して明を攻撃・略奪 |
| 日本 | 日本列島 | 信長・秀吉・家康の時代。1626年頃は3代将軍家光 |
| 女真族 | 満州(現在の中国東北地方) | 農耕と狩猟を主体とするツングース系の民族 |
満州には古くからツングース系、蒙古系、漢族という3つの系統の民族が住み、対立と融合を繰り返してきました。女真族はツングース系の1つです。
楊さんによれば、女真族の特徴は農耕をすることでした。土地生産性は高くないものの穀物をある程度自給し、テンの毛皮や野生ニンジンなど、明に高く売れるものを狩猟・採取していました。その売上で耕作用の牛や鉄製の農機具を手に入れていたといいます。
樋口さんが遊牧民との違いを尋ねると、楊さんは女真族を遊牧民と定義するかどうか自体が微妙だと答えます。遊牧は主な生業ではない一方で、日常的に馬に乗り、狩りがそのまま軍事訓練になる騎馬民族でした。村に柵や堀を作って定住していた点も特徴です。
明はなぜ女真族と手を組んだのか
女真族が本格的に外部と交易を始めたのは明の時代からで、楊さんはこれが女真族の運命を変えるきっかけになったと話します。明という大消費地とつながった女真族は、毛皮、薬草、真珠などの交易で急速に勃興しました。
楊さんによると、明が女真族との交易に積極的だったのは政治的な理由からです。明はモンゴルの元王朝を北へ追いやって成立した王朝で、滅ぼしきれないモンゴル勢力の南下をどう防ぐかが国家的な課題でした。
ありましたね。とにかく(モンゴル兵は)馬に乗ってるから強えみたいな話が、どっかで。
遠征しても草原地帯の占領地は経営できず、機動力の高いモンゴル兵を殲滅できません。行き詰まった明が選んだのが、夷をもって夷を制す ── 異民族の力を使って別の異民族を抑えるという中国王朝の伝統的な外交策という考え方で、女真族を防波堤として使う戦略でした。
明は女真族の長たちに官位を与え、それと抱き合わせで貿易許可証を渡しました。貿易は明を親分と認めて貢ぎ物を持っていく朝貢貿易 ── 周辺国が中国皇帝に貢ぎ物を贈り、返礼として多くの品を受け取る形式の貿易。臣従の儀礼と経済的利益が結びついていましたの枠組みで行われ、許可証の枚数が部族の力に比例したといいます。
しかも貿易許可証は、原則として有力な長の世襲とされていました。一度もらえれば自分の部族の富が将来まで固定されるので、誰もが欲しがります。許可証を持たない部族は略奪に走り、争いが生まれました。
マネジメントの一番上の人が部長ぐらいだって話ですね。社長がいないんで。
樋口さんのたとえのとおり、女真族には統一政権がありませんでした。楊さんによれば、女真族が内部で争ってくれることは、女真族の統一を恐れる明にとって好都合でもありました。
(女真族に)まとまられたら怖いんですよね。
1449年の崩壊が戦国時代の引き金に
楊さんによると、女真族を使った明の防衛戦略は1449年、大規模なモンゴル族の侵入で一度崩壊します。防波堤だった女真族はあっけなく撃破され、貿易許可証を持っていた長クラスの人々が多く戦死しました。許可証は紛失・散乱し、誰が利権を持つのか分からなくなったといいます。
明は防衛体制を立て直して許可証を再交付しますが、このとき配り方を変えました。楊さんは、許可証の配り方の変更が女真族社会を本格的な戦国時代に突入させたトリガーだと説明します。
明が長それぞれに貿易許可証を直接与える
少数の有力な長に一括で交付し、配り方は女真族側に任せる
新しい方式では、利権にあずかれない弱い部族が強い部族の傘下に入る力学が働きます。傘下が増えた部族同士はさらに許可証を奪い合い、既存の序列を破って実力でのし上がる、日本の戦国大名のような新興勢力も現れました。
自分部族では(許可証を)取れないから、強いところにあやかって、ちょっとでも。
競争を激化させたもう1つの要因が農業です。抗争で出た捕虜は「アハ」と呼ばれる奴隷として勝った部族に組み込まれ、農耕をさせられました。奴隷をいかに獲得して食料生産を増やすかが、競争のポイントになったといいます。
ただ女真族の奴隷は農耕のスキルが高くありませんでした。そこで女真族は、農耕のできる漢族をさらってくるようになります。楊さんは、明と交易しながら人さらいもするという、人権のない世界だと表現しています。
ピコン。そうだ、さらっちゃえばいいんだ。
明は抗争に介入し、力のある長を支援して互いに牽制させました。歯向かう部族には軍事力や、許可証を与えない経済制裁で対処します。楊さんは、明との交易に依存した女真族の状態を、売上の半分以上を大企業1社に頼るベンチャー企業にたとえました。こうした構造の中で、16世紀末にヌルハチが登場します。
明は管理しているつもりだった
背景の説明を聞いた深井さんは、この構造は世界史上で何度も繰り返されていると指摘します。ローマ帝国がゲルマン民族を傭兵として使い、やがて乗っ取られた例に近く、明も最初は女真族をコントロールできると考えていたといいます。
深井さんはさらに、許可証を他人に渡してよいとした点が戦国時代の引き金になったところは、日本の律令制 ── 古代日本で整えられた、律(刑法)と令(行政法)に基づく中央集権的な統治体制。のちに実力者の台頭で形骸化しましたの崩壊にも近いと話します。朝廷が官位を与えていても、実力があれば渡さざるを得なくなる構図です。
明がモンゴルを倒せない
自力での防衛に行き詰まる
女真族を防波堤に
官位と貿易許可証を与える
1449年の崩壊と再交付
有力な長に一括交付し、配分を任せる
傘下化と奪い合い
枚数の決まった許可証をめぐる椅子取りゲームに
奴隷と人さらい
農耕の生産力を競い、漢族をさらうようになる
貿易許可証の上限が決まってるからこれが起こるんですよね。
椅子取りゲームになる。
樋口さんは、ルールによって生き残る条件が変わり、人間の動きが変わることにゾクッとすると語ります。GAFAMに買収されることが生き残る条件のようになった時代とも重なると話しました。
深井さんが特に注目するのは、女真族はもともと大きく争っていなかったのに、許可証によって力の差が一気に開いたことが脅威となり、外敵の侵入なしに競争社会へ入っていった点です。イギリスの産業革命に対するフランスや、日本の明治維新にも通じる危機感だといいます。
楊さんは少しネタバレとして、ヌルハチが国を作る中で、格差を開きすぎないよう貧困層にリソースを割く政策を出していたと明かします。樋口さんは、ヌルハチにとってこの時代が原体験だったのだろうと受け止めました。
樋口さんは、自分が侵されるかもしれない恐怖から攻撃が生まれるという感覚にもつながる話だったと振り返ります。次回、ようやくヌルハチ本人の物語が始まります。
まとめ
ヌルハチ編の第1回は、主人公が登場する前の構造を描いた回でした。モンゴルを倒せない明が女真族を防波堤にし、貿易許可証という限られた利権を配ったことが、女真族社会を実力主義の戦国時代へと押し出していきます。
- ヌルハチは清の建国者ではなく、前身の後金を建てて清の礎を作った人物
- 大陸では民族・部族・氏族が入り組み、日本とは国づくりの難しさの質が違う
- 1449年以降、有力な長に一括で許可証を渡す方式が、傘下化と奪い合いを招いた
- 農耕の生産力をめぐる競争は、奴隷の獲得や漢族の人さらいにまでつながった
- 深井さんは、管理しているつもりの側が最後に滅ぼされる構図を世界史の普遍的なパターンと見ている

