覚えきれない部族名、女真族の「戦国時代」とは?
ヌルハチ編の第2回は、ヌルハチが自立する前の中国東北部の状況から始まります。楊さんによると、当時の東北部は各地に勢力が分立して覇を競う、いわば戦国時代でした。
東北部の治安の悪さを示す記述も残っています。楊さんが紹介したのは「盗賊がミツバチのごとく群をなして起こった」「村の一族を率いて互いに戦い、兄弟のうちでさえ殺し合った」といった記録です。
楊さんは「部族の名前の発音が面白いから」と、当時の部族名を一つずつ読み上げていきます。まず挙げられたのが満州五部 ── 明が東北部に防衛拠点を置いた際、そこに組み込まれた女真族の5つの部族をまとめた呼び方。スクスフ部、フネヘ部、ワンギャ部、ドンゴ部、ジェチェン部を指しますで、ヌルハチはこのうちのスクスフ部に属していました。
満州五部の名前を聞いた3人は、どの部族に入りたいかで盛り上がります。深井さんはスクスフ部、楊さんはジェチェン部、樋口さんは「絶対強そう」なドンゴ部を選びました。
じゃあ俺ドンゴ、ドンゴ行きます、俺。ドンゴ部に行きます。
さらに深井さんは、台本に書かれていたモンゴル系のホルチン部に目をつけ、「このホルチンに惚れたね」と宣言します。ホルチン部は、この後の話でもたびたび名前が出てくることになります。
満州五部のほかにも、それぞれが満州五部に匹敵するほど強かったフルン四国(ウラ部、ハダ部、イエヘ部、ホイファ部)、ウェジ部、ワルカ部、フルハ部、モンゴル系のホルチン部やチャハル部が割拠していました。
マジで宇宙人と話してるみたい、マジで。すげえな。
なお、同じ一族でも年月を経て細かく分かれて住んでいたため、女真族の間では親族という感覚が薄く、同じ一族だからといって団結するとは限らなかったといいます。
5歳で騎射、19歳で独立したヌルハチの生い立ち
ヌルハチは1559年に長男として生まれました。楊さんは、日本の桶狭間の合戦が1560年で、ほぼ同じ時期にあたると紹介しています。
ヌルハチの家は長の血統を持つ名門といわれますが、祖父より前はたどれないため、おそらく新興勢力の一つだったと考えられています。祖父のギオチャンガはスクスフ部の東半分をほぼ支配下に置き、明との貿易でも儲けていました。父はタクシ、母はエメチです。
急に日本人みたい。
ヌルハチは5歳で騎射 ── 馬に乗って走りながら弓を射る技術。遊牧・狩猟を基盤とする北方民族にとって、狩りと戦いの両方に欠かせない基本技能でしたを学び始めます。楊さんは「保育園でいうと年長さん、年中さん」の年齢から狩りや人を狩る練習をしていたと説明しました。
11歳のとき、ヌルハチは実母を亡くします。父タクシは再婚しますが、ヌルハチは継母と折り合いが悪く、いじめられたと伝えられています。
19歳で、ヌルハチは分家して財産を分けられ、独立します。ここで楊さんが補足したのが、女真族の相続のしくみです。
女真族では、家の財産は基本的に分割相続でした。一定の年齢になった子から順に財産を分けられて独立していき、分与を受ける資格も基本的に平等で、後継者指名や長男相続の原則はなかったといいます。
一定の年齢になった子から順に財産を分与され、独立していく。資格は基本的に平等で、長男相続の原則はない
集団が絶えず分裂し、後継者をめぐる争いが起きやすく、統一政権が生まれにくい
楊さんは、この分裂していく慣習こそ、後にヌルハチが克服しようとするものだと予告しています。
奴隷11人と馬2匹だけ。父に突き放された独立
独立の際、父タクシは再婚した妻の言葉に従い、ヌルハチにあまり多くの財産を与えませんでした。楊さんは、継母と血がつながっていないヌルハチが、財産分与で弱い立場に立たされたのではないかと見ています。
ヌルハチは不満に思い、もっと欲しいと父に頼みます。すると父は「お前の曽祖父は自分の子に奴隷を2人しか与えなかった。それでも彼らは自分を信じて試行錯誤し、名を上げて暮らしている」と叱ったといいます。
楊さんは個人的な感触として、継母のいじめというより、女真族のしきたりに沿って子を甘やかさない態度だったのではないかと話しました。深井さんもこれに同意します。
なんか贅沢すんな、甘えんなっつって。父がめちゃくちゃ金持ちだけど、あんまり仕送り送らないとかあるじゃないですか。
入り婿から商売へ。ヌルハチはどんな風貌だった?
独立したのと同じ19歳で、ヌルハチは女真族の商人の入り婿になります。嫁の実家は明とつながりを持っており、これをきっかけにヌルハチは商売を始めたと考えられています。
ヌルハチは野生の人参や松の実などを市場で売って生計を立て、生活は軌道に乗っていきます。
生活が安定した頃、両親は「以前与えなかった奴隷や家畜を受け取れ」と言ってきます。しかしヌルハチは受け取りを断りました。文献には、以前十分な財産を与えられなかったことが内心とてもつらかったためだと書かれているそうです。
(ヌルハチは)怒ったんや。
ヌルハチの30代後半の風貌を描いた記述も残っています。中肉中背で鼻が大きく、色は浅黒く面長。貂の革の帽子をかぶり、龍の模様の入ったきらびやかな服と金飾りの帯を身につけ、大小の刀と火打ち石を持ち、鹿革の靴を履いていました。酒は飲まなかったといいます。
後世に描かれたヌルハチの肖像画について、深井さんと樋口さんは、どれも絶妙に気の抜けた表情だと笑い合います。
ちなみにそのヌルハチの絵は額に飾った絵としてAmazonで売ってますんで、もしヌルハチ興味ある人は買って家に飾ったらいいんじゃないかなと思いますよ。
祖父と父が明軍に誤って殺された事件
ヌルハチの人生が動き出すのは25歳のときです。祖父ギオチャンガと父タクシが、明の軍に誤って殺されてしまいます。
事件の発端は、スクスフ部に属するアタイという人物でした。アタイは明の辺境をたびたび略奪しており、怒った明がアタイの本拠地の城を襲撃します。
このアタイの妻は、ギオチャンガの孫娘でした。ギオチャンガは孫娘を救うため、息子のタクシとともに城に潜入しますが、アタイが妻を渡そうとせず、揉めることになります。
そこに絡んだのが、同じスクスフ部の長ニカンワイランです。ニカンワイランはライバルのアタイを潰したいと考え、明から資金を受けて城攻めに参加していました。
ニカンワイランは城に向かって「アタイを殺して投降した者を次の城主とする」と叫び、アタイの兵を裏切らせます。アタイは部下に殺されますが、城の外に出た兵たちは明軍に次々と殺されました。
このどさくさに紛れて、ニカンワイランはギオチャンガとタクシまで明軍に殺させたといいます。
アタイの略奪
スクスフ部のアタイが明の辺境をたびたび略奪する
明の城攻め
明がアタイの本拠地を襲撃。ギオチャンガとタクシは孫娘を救いに城へ潜入する
ニカンワイランの扇動
明に協力するニカンワイランがアタイの兵を裏切らせ、アタイは部下に殺される
どさくさの殺害
ニカンワイランが混乱に乗じ、ギオチャンガとタクシを明軍に殺させる
この込み入った経緯を、深井さんは次のようにまとめ直しています。
ヌルハチの親戚の女性がたまたまアタイの妻だったから、その女性とアタイが明から攻められるってなっちゃった。
(ニカンワイランが)どさくさに紛れて自分のライバル全員殺すっていう挙動を取ったから、アタイも死んだし、自分のおじいちゃんとお父さんも全員死んじゃったっていうことが今起こっちゃったってことだね。
逆にね、ニカンワイランってどういうこと?ってなるから。
謝罪しても仇は渡さない明、崩れるヌルハチの基盤
祖父と父を失ったヌルハチは泣いて悲しみ、明に抗議します。明は本来の標的ではなかったと非を認めて謝罪し、2人の遺体を返還しました。
明は賠償として、30通の貿易許可証と30頭の馬をヌルハチに与えます。楊さんは、2人ともスクスフ部の長だったため、明も揉めたくなかったのだろうと見ています。
しかしヌルハチは納得せず、仇であるニカンワイランを捕らえるよう明に求めます。明はこれを拒否し、逆にニカンワイランを支持する方針をとりました。
楊さんが紹介した本によれば、明は跳ね返りのヌルハチよりも、従順なニカンワイランのほうが御しやすいと考えたのだろうといいます。ニカンワイランは明の戦闘に加担して功績を挙げてもいました。
この一件で、祖父と父が築いた基盤は崩れます。ギオチャンガの死後、スクスフ部では離反する者が出て、明の支持を受けたニカンワイランになびいたヌルハチの身内まで、ヌルハチの暗殺を企てるようになりました。
刺客がヌルハチの寝込みを襲ったこともありましたが、ヌルハチが事前に気づいて不発に終わったといいます。
ライバルぶっ潰したかったわけだから、そもそも。
手勢13人からの挙兵、仇ニカンワイランへの復讐
追い詰められたヌルハチは、復讐のために挙兵します。手勢はわずか13人、あるいは数十人程度だったといわれる超弱小勢力でした。
楊さんは、この挙兵は明と戦争するものではなく、あくまで満州五部の群雄割拠の中に一部族として参戦したにすぎないと説明しています。
ヌルハチはすぐにニカンワイランを攻めますが、なかなか仕留めきれません。3年ほど経ってニカンワイランが明の領内へ逃げると、ヌルハチは再び身柄の引き渡しを求めました。
今度は明がニカンワイランを見捨て、引き渡しに応じます。楊さんによれば、ニカンワイランが勢力を保てたのは数か月ほどだったそうです。
その後もう瓦解していって、支援しようと思って支援したけど、うまくできなかったから、もうこいついいやって言って明からも切られちゃった。
逃げようとしたニカンワイランはヌルハチの手下に殺され、ヌルハチは復讐を果たします。深井さんは、用済みになれば切り捨てる明の振る舞いも戦国時代らしいと感じたようです。
殺さない、攻めない。弱者の戦略と頭に矢が刺さった武勇伝
復讐のあと、ヌルハチが次に取り組んだのは、一族内部の反感を抑えることでした。その過程はあまり記録に残っていませんが、最終的には成功したとみられています。
特徴的なのは、ヌルハチが強硬手段に出られなかったことです。捕まえた刺客を殺さずに逃がしたこともありました。弱小のヌルハチが刺客を殺せば必ず戦争になり、兵力で劣る側に勝ち目はないため、穏便に収めたといわれています。
並行して、ヌルハチは満州五部の敵対勢力と戦い続けます。戦国時代が続く中では、戦わなければ生存基盤を確保できませんでした。
軍の規模が小さいヌルハチは、弱者の戦略をとります。戦わずに策略で敵を武装解除させる、奇襲をかける、守りの固い城を無理に攻めない、といったやり方です。
一方で、ヌルハチは戦うときはいつも先頭に立っていました。ある城攻めでは、屋根に登って矢を射ていたところ、敵の矢が兜を破って頭に刺さります。急所を外れたヌルハチはその矢を引き抜き、自分の弓につがえて敵を倒したといいます。
さらに別の矢が、鎖帷子ごと首に食い込みました。無理に引き抜いたため血が噴き出して意識を失いますが、一命をとりとめ、回復するとまた同じ城を攻めて陥落させたそうです。
なんで笑ってんすか?なんで笑ってんすか?
でもなんかやっぱりちっちゃい頃から相当すごかったって読んだけどね。(騎射を)習ってたっていうやつの成績とかすごかったらしいですよ。
楊さんは、ヌルハチの実力に加えて運の要素も大きかったのではないかと話しています。
明の将軍・李成梁がパトロンに。一城主から満州五部平定へ
挙兵から{placeholder}年ほど経った頃、ヌルハチは自分の城を築きます。それだけの経済力と軍事力を持つ、一人前の長になったということで、楊さんは日本でいえば中規模の城持ち大名だと例えました。
城を築いて以降、ヌルハチの戦いの相手は変わります。それまではニカンワイランのように城とその周辺を支配する程度の相手でしたが、その後は明と直接交渉し、明からも注意を払われる大きな勢力が相手になりました。
いいね、なんか中ボスクラスみたいになってきた。
ここでヌルハチの運命を変えたのが、明の将軍李成梁 ── 明代後期の武将。遼東の防衛を長く担い、女真族やモンゴル族への対応で大きな影響力を持ちましたです。李成梁は明側で対女真族・対モンゴル族の東北辺境防衛を担う現場のトップで、防衛政策の意思決定にも関わる重要人物でした。
李成梁は漢族ですが、祖先が女真族だったという説もあります。遊牧民の事情に通じ、女真族には内部分裂を維持するよう、従順な者は懐柔し、反抗する者はつぶすという形で関わっていました。
その李成梁が、頑張っているヌルハチに「おじさんと仲良くしようよ」と声をかけます。楊さんは、若手を傘下に引き入れる社長のようなものだと例えました。
でも輝いてたんでしょうね、そのいろんな、群雄割拠してる中でも、このヌルハチという若者は。
ヌルハチにとって、李成梁との提携は願ってもない話でした。貿易許可証を得て、李成梁を通じて明の市場に商品を輸出し、大きく儲けます。儲けで牛や織物、紙などを買って持ち帰っていたといいます。
この支援をもとに、ヌルハチは満州五部を平定します。平定とは、武力で一度言うことを聞かせ、親分と認めさせた状態だと説明されています。
普通の一城主ぐらいからいきなり満州五部平定まで行ってますから。
台本にあった「ヌルハチの商品」という言葉が気に入った深井さんは、ヌルハチの顔のシールを貼った商品があったら買いたいと言い出し、「ヌルハチ商事」「アリババで売ろう」と3人の雑談が広がりました。
「マンジュ・グルン」を名乗る。弟との二頭体制と五大臣
満州五部を統一したヌルハチは、31歳のとき「マンジュ・グルン」を名乗ります。グルンは国という意味で、つまり満州国です。明の李成梁が文句を言ってこなかったことが、事実上の承認にあたったといいます。
深井さんは、この「名乗る」という行為に強く惹かれたようです。
名乗るっていいですね。あまり名乗るという動詞に集中したことなかったんですけど、今後俺も機会あればすぐ名乗る人になろうかな。
マンジュ・グルンは、ヌルハチと同母弟シュルガチの二頭体制で、それぞれが家臣団を従えていました。シュルガチは後にヌルハチに粛清され、病死しています。
ヌルハチは政務の組織も整え、五大臣と呼ばれる5人の側近を直属の最高執行機関としました。フュンドン、エイドゥ、ホホリ、フルガン、アンバフィヤングの5人です。
フルガン、ちょっと背が低くて斧使うっすね。多分。
五大臣はいずれも早くからヌルハチとともに戦場に立った腹心で、ヌルハチは彼らに自分の娘を嫁がせるほど密接な主従関係を結んでいました。
満州文字と強制的な集住政策
ヌルハチのもう一つの施策が、自前の文字づくりです。女真族は自分たちの言葉を持っていたものの文字がなく、モンゴル語で文書を作っていました。モンゴル語の文書作成は学者にしかできない特殊技能で、非効率だったといいます。
外国語だから、普通にね。
そこでヌルハチは、モンゴル語が書ける臣下に、モンゴル文字で女真語を表記する方法を作らせました。楊さんは日本の万葉仮名 ── 漢字の音を借りて日本語を書き表した表記法。『万葉集』などで使われ、後のひらがな・カタカナの元になりましたのようなものだと説明しています。
こうして生まれた満州文字を使い、明や朝鮮、モンゴルといった先進文化圏の書物を翻訳・共有できる状況がつくられていきました。
後々重要になるのが、集住政策です。楊さんによれば、当時の女真族の勝利条件は、明との交易で得た経済力を軍事力に変えられるか、そして城を築いて維持し、そこに勢力を結集できるかでした。
ヌルハチは有力な臣下を城内に強制移住させ、毎朝点呼を取るほど管理しました。服従させた部族の領主や領民も、根こそぎ城の周辺に移住させています。
背景にあったのは、人口の少なさです。少し後の時代の推計では満州国の人口は35万人程度で、諸説あるものの明王朝は約1億人だったとされます。
挙兵のときに兵の少なさで苦しみ、刺客さえ釈放した原体験を持つヌルハチにとって、人口を増やさなければ何も始まらないという課題意識は強かったと考えられています。
集住政策は、女真族の分割相続による分裂の力学を、力ずくで止めるものでもありました。分裂する社会を物理的に一か所へ集めることで、統一を維持しようとしたわけです。
分割相続で集団が分かれ続け、一族も分散して住み、団結しにくい
臣下も服従した部族の領民も城の周辺に集め、軍事力が及ぶ範囲で管理する
楊さんは「外部委託のフリーランスを全員正社員にして出勤させるようなもの」と例え、深井さんは「リモートワークをやめさせる」ようなものだと応じました。こうした命令が通ったのは、満州五部の平定と明の支援による権威や経済力があったからではないかと話されています。
戦うだけではない、知識人としてのヌルハチ
ヌルハチの人物像として楊さんが紹介したのが、読書家としての一面です。ヌルハチに限らず女真族は漢族の文化を深く取り込んでおり、漢語の文献を読み、書物を集めていました。
集めた書物には『孫子』『韓非子』『論語』などがあり、仏教書や医学書、占いの書も取り寄せていたといいます。中国の戦国時代や始皇帝の話もよく読まれていたそうです。ただし漢族の文化に心酔していたというより、手段として摂取していたとされています。
頭もいいんや。
ヌルハチ自身も漢文学や漢族の歴史に強い関心を持ち、漢語もある程度話せたと考えられています。明の行政文書を取り寄せて読み、学ぶべき内容があれば保存するよう指示していたという記録も残っています。
全女真族の覇権へ。李成梁との「スーパー癒着」
満州五部を統一したとはいえ、ヌルハチはまだ女真族社会全体を統一したわけではありません。ここからヌルハチは、全女真族の覇権を握るための戦いに乗り出します。
満州国が女真族全体のどのくらいを占めていたのか、という樋口さんの問いに、楊さんは「わからない」と答えます。そのうえで深井さんは、日本の状況に例えてみせました。
日本でいうと、要はその秀吉がさ、小田原北条家とその島津家と四国の長宗我部以外を一旦倒しましたみたいな状況だけど、まだその三カ国、結構重要なのが残ってますみたいなのに近いんだろうなという気がしますけどね。
周囲にはまだ大名クラスの勢力がひしめき、モンゴル族もいました。ヌルハチは部族を次々と滅ぼして併合し、李成梁もそれを支援し続けます。
李成梁の支援は露骨でした。漢族が開墾した農地から、住んでいた漢族を無理やり追い出してヌルハチに与えたこともあり、追い出された漢族は6万人にのぼったといいます。楊さんはこれを「提携というよりもゴリゴリ癒着」と表現しました。
スーパー癒着。
終盤、深井さんは今回いちばん印象に残った場面として、ヌルハチがマンジュ・グルンを名乗ったところを挙げます。楊さんは、起業して会社名をつけるような感覚ではないかと応じました。
楊さんは、名乗った名前に実力を通じて社会の中でパワーを持たせていけばいいと補い、樋口さんは「実力が伴っていなければマイナス要素が多い」と笑いを添えています。
win-winの関係に割り込む、豊臣秀吉の朝鮮出兵
楊さんは、李成梁とヌルハチの関係を良好なものとして整理します。関係が続く限り、ヌルハチの女真族統一は進み、明にとっても東北防衛が安泰になるwin-winの関係でした。ただし、それはヌルハチが明に歯向かわないという前提つきです。
そこへ思わぬ方向から力が加わります。それが豊臣秀吉の朝鮮出兵 ── 1592年から1598年にかけて、豊臣秀吉が朝鮮半島に大軍を送った戦争。朝鮮を支援する明も出兵し、東アジア全体を揺るがしましたでした。
海の向こうから。え、違う、そこでつながったんや。
楊さんは、この出来事で歴史がブーストされていくと予告し、続きは次回に持ち越されました。
まとめ
今回のエピソードでは、わずかな財産で独立し、祖父と父を失った若者ヌルハチが、弱者の戦略と明の将軍・李成梁との癒着を足がかりに満州五部を平定し、マンジュ・グルンを名乗るまでが語られました。分割相続で分裂しやすい女真族社会を、集住政策で束ねようとした点も大きな転換です。
- ヌルハチは5歳で騎射を学び、19歳で奴隷11人・馬2匹・牛4頭だけを与えられて独立した
- 祖父と父はニカンワイランの策謀で明軍に殺され、ヌルハチは13人ほどの手勢で挙兵して復讐を果たした
- 明の将軍・李成梁の支援による交易の利益を背景に、ヌルハチは満州五部を平定し31歳でマンジュ・グルンを名乗った
- 五大臣の設置、満州文字の制定、人口不足を補う強制的な集住政策で、分裂しやすい女真族社会を束ねようとした
- 李成梁とのwin-winの関係に、豊臣秀吉の朝鮮出兵という外からの力が割り込もうとしている

