親友の死が王を荒野へ追いやった?
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ギルガメシュ編の第7話は、前回描かれたエンキドゥの死から始まります。楊さんによると、無二の親友を失ったギルガメシュは、死に対する根源的な恐怖を呼び起こされ、「死にたくない」という気持ちに強く囚われます。
ギルガメシュが不死の手がかりとして目指したのは、大洪水を生き延びた人物です。別の物語ではアトラハシスとも呼ばれ、ギルガメシュの物語ではウトナピシュティム ── メソポタミアの洪水伝説で、神々の起こした大洪水を舟で生き延び、永遠の命を与えられたとされる人物ですという名前で登場します。
この人物なら不死の秘密を知っているはずだと、ギルガメシュは考えます。楊さんは名前が呼びにくいとして、番組内では独自に「ウッディ」というあだ名で呼んでいます。
ウッディ。これはどの文献にウッディって出てるんですか?
樋口さんのツッコミに対し、楊さんは「勝手に呼んでいるだけ」と答えています。ここから、ギルガメシュはたった一人で野原をさまよう旅に出ます。国を放り出し、王の役割も捨てた旅だったと考えられます。
旅の途中のギルガメシュは、「私もいつかエンキドゥのように死ななければならないのか」「私は死が恐ろしい」と独り言をつぶやきながら歩いていたとされます。
都市国家の城壁の外は、文明人を自認するギルガメシュにとって野蛮な自然の世界でした。実際に危険も多く、ギルガメシュは山の麓でライオンに出会います。
ライオンとかおるんや。
楊さんによると、そのときギルガメシュは月神シンに祈って力をみなぎらせ、剣を抜いてライオンに打ち勝ちます。ほかにもクマ、ハイエナ、ヒョウ、トラ、大きな鹿、野生のヤギなど、荒野の動物を次々と殺して肉を食べていきました。
獣を殺しまくるギルガメシュの行為には、ひとつの解釈があると楊さんは紹介します。自分を襲う獣を倒して死を回避し続けることで、「自分はきっと死を乗り越えられる」と必死に言い聞かせていたのではないか、というものです。
さらに、服がボロボロになったギルガメシュは、殺した獣の毛皮をまといます。その姿は、ギルガメシュと出会う前の野生のエンキドゥのようなビジュアルだと楊さんは指摘します。
本当だ。野蛮に帰っていくんや。
夜になると、ギルガメシュは死の恐怖に囚われます。夢から目覚めては「まだ死んでいない」と生きていることを喜び、傍らに置いた斧や大剣を闇に向かって何度も素振りしていたそうです。楊さんは、恐怖心を振り払うための行動だったのかもしれないと話しています。
山の入口を守るサソリ人間の問い
放浪の末、ギルガメシュはマーシュ山にたどり着きます。山の麓には地下へ向かう入口があり、そこを恐ろしい姿の存在が見張っていました。サソリ人間です。
なんかB級映画みたいな。
楊さんはサソリ人間のイメージとして、映画『ハムナプトラ2』でドウェイン・ジョンソンが演じたスコーピオン・キングを挙げます。下半身がサソリで、手もハサミになっている姿です。
これはリアルで出てきたら怖いな。ちょっと皆さんハムナプトラサソリで検索したらいいんかな。
ギルガメシュもこのサソリ人間をひどく怖がります。入口を守っていたサソリ人間は夫婦で、夫のほうが「お前はなぜこんな遠い道のりを旅してきたのか」と、ここへ来た目的を問いかけます。
ギルガメシュの答えは、「悲しみと苦しみがあろうとも、寒さと暑さがあろうとも、ため息と涙があろうとも、私は生きたいのだ」というものでした。おそらく自分の苦難や死への恐れも語ったのだろうと楊さんは推測します。
それを聞いたサソリ人間は、山を越えることを許し、「元気で戻ってくることだ」と祝福の言葉までかけます。楊さんが「サソリ人間優しい」と感じたという場面に、樋口さんも応じます。
導く者みたいなね。勇者を導く者。
ギルガメシュは感謝して地下道に入ります。そこは光のない暗黒の世界で、前後左右も見えません。ギルガメシュは叫びながら進んだとされ、楊さんは、恐怖をごまかすためか、音の反響で位置を知るためかはわからないとしています。
古代人にとって夜は「別の世界」だった?
暗闇の場面をきっかけに、楊さんは一般論として、古代人にとっての暗闇や夜の受け止め方を解説します。古代人にとって夜は、現代人よりもはるかに恐ろしい空間だったといいます。
楊さんが持ち出すのは「感性」、つまり五感という変数です。五感のどれに重きを置き、どう組み合わせるかで、生き物ごとに異なる世界観が立ち上がると説明します。
例として、イルカにはイルカの泳げる世界があり、バッタにはバッタの見える世界があり、犬には犬の匂いの世界がある、と楊さんは挙げます。同じように、現代人と古代人でも世界観の形成は違っていたと考えられます。
現代人が生きているのは、ニコラ・テスラやトーマス・エジソンの後の時代です。電気と電球で暗闇を克服しており、昼も夜も光で世界を見渡せるため、昼と夜は連続した同じ世界だと感じています。楊さんはこれを、現代は圧倒的に視覚優位だと表現します。
一方で古代は、夜になるとろうそくや月明かりしか光源がなく、ほとんど何も見えません。そのため夜は聴覚や触覚が優位になり、昼と夜で感覚の配分が切り替わっていたと楊さんは話します。
電気と電球で暗闇を克服し、昼も夜も視覚優位。昼と夜は連続した同じ世界と感じる
夜はほとんど見えず、聴覚や触覚が優位に切り替わる。昼と夜で世界の位相が変わる感覚だった可能性がある
楊さんによれば、古代人にとっての夜は昼と違う「プログラム」が動く時間でした。鬼、神、怨霊、怪物、異界への入口など、この世ならざる存在は人間の視覚が閉ざされる夜に現れ、朝になると帰っていくと捉えられていたといいます。
楊さんはこの感覚を、夜になるとゾンビが出てくるマイクラ ── ゲーム「マインクラフト」の略称。ブロックで世界を作るゲームで、夜になるとゾンビなどの敵が出現する仕組みがありますにたとえます。
これだからずっと視覚優位でいれるようになったの最近なんやな。
樋口さんの問いに、楊さんは視覚優位になったのはここ100〜200年ぐらいかもしれないと答えます。ギルガメシュが闇に武器を振るう場面も、現代人の100倍ぐらいの恐怖の中での、なけなしの抵抗と捉えられると楊さんは話しています。
楊さんはさらに脇道として、古代の人々には音と声の境界がなかった可能性を紹介します。鳥の鳴き声や風、雷の音は、この世ならざる存在の声として受け取られ、すべてのものが意思やメッセージのこもった声を発すると感じられていたのではないか、という見方です。
この話を受けて樋口さんは、文字で記号化できるようになったことで声と音が分けられたのかもしれない、と自分の子どもの例を挙げます。
なんか今子供まだしゃべれないですけど、その子、マンママンマって言うんですけど、ご飯が欲しくて多分言ってるんですけど、それを我々はマンマっていうご飯っていう意味として聞こえる。
これが葉っぱがなんかカサカサって言ってるのって、なんかこう、風が来るよって言ってるように聞こえるみたいな。
暗闇の先の楽園と、地図の外側を想像する力
物語に戻ると、ギルガメシュはついに暗闇を抜けます。地下道の出口の外には、ラピスラズリの木や赤い宝石の木々が生え、ブドウなどの果実が垂れ下がる、太陽の輝く海辺の楽園が広がっていました。
楊さんは、この楽園が神々の領域に属する空間であり、この海は地中海沿岸をモデルにしているという説もあると紹介しています。
これ今日面白いわ。結構俺、俺結構面白い。これ。
ここで楊さんは再び寄り道し、古代人と現代人の地理空間のとらえ方の違いを一般論として語ります。現代人はGPSなどによって同じルールで作られた地図を読み、位置、距離、面積、高さ、地形を定量的に把握しています。
一方で古代人は、自分の目で見て歩いて確かめた地理情報と、冥界や黄泉の国、楽園、地獄といった架空の地理情報の2系統で空間を捉えていたと楊さんは説明します。楊さんは、マップ開放が可能な範囲が狭い分、想像力が駆動されるという構図だと表現しています。
GPSなどで作られた共通ルールの地図を読み、位置や距離、地形を定量的に把握する
歩いて確かめた地理情報と、冥界や楽園などの架空の地理情報の2系統で空間を捉える
古代人にとって大地は無限に広く、一生かかるほど遠い場所を想像する余地がありました。そのはるか彼方や山の森の中に異界が存在し、一定のルールを守れば現世と行き来できると考えられていたといいます。楊さんは、古代人にとってそれは架空ではなく、リアリティのある世界だったと考えています。
いやーまあでもこれ現代でも宇宙の向こうみたいな話に、まあ感覚としてはちょっと近いですよね。
樋口さんの見方に対し、楊さんは、宇宙には物理学という近代科学のスコープが使える点で、古代人の想像とは少し違うアプローチだろうと答えています。
女将シドゥリが勧めた「今を楽しむ」生き方
楽園を進んだギルガメシュは、ぶどう酒を客に飲ませる店を見つけます。窓からこちらを見ていたのは、シドゥリという女将でした。楊さんによれば、シドゥリは神の化身だったと言われています。
その根拠は、楔形文字でシドゥリを表す文字の頭に、神を示すディンギル ── 楔形文字で神を表す記号。神の名前の前に置かれ、その語が神であることを示す限定符として使われましたが付いていることだと楊さんは説明します。
シドゥリは、でかい剣を持ちライオンの毛皮をまとった荒くれ者のようなギルガメシュを見て、殺人者かもしれないと驚き、かんぬきまでかけて店を閉めてしまいます。ギルガメシュは窓を開けてくれと頼み、自分は杉の森でフンババを倒した者だと名乗ります。
シドゥリに憔悴の理由を問われたギルガメシュは、エンキドゥの死を語ります。7日間起き上がるのを待ったが起き上がらず、鼻からウジ虫がこぼれ落ち始めたという話です。楊さんは、ギルガメシュが不可逆な死の姿を目の当たりにしたのだと解説します。
死なないためにはどうすればいいかと尋ねるギルガメシュに、シドゥリは生き方を提案します。神々は人間を創ったとき永遠の命を手元にとどめ、人間には死を割り振ったのだから、お腹を満たし、昼も夜も踊り、毎日宴を開き、身なりを整え、子どもと妻を大切にしなさい、という内容です。
妻と子どもの話が出たことに、樋口さんは驚きます。楊さんは、これまで特に描写はなかったと答えています。
そんな話あったっけ。
なんかこれ、これもね、今ここ思想みたいな。
楊さんも、シドゥリの提案は「今を楽しもう、日々を一生懸命生きよう」という、現代の価値観の中からも普通に調達できる考え方だと応じます。しかしギルガメシュはこの生き方を受け入れず、ウッディのもとへの行き方を教えてくれと必死に頼みます。
死の海を渡るための120本の棹
シドゥリは、この死の海を渡った者はおらず、渡れるのは太陽神シャマシュ ── メソポタミアの太陽神で、正義や裁きもつかさどるとされました。ギルガメシュ編ではフンババ討伐でもギルガメシュを助ける神として登場しますだけだと告げます。楊さんは、太陽は海の上空を動いていくから渡れるという認識だったのだろうと解説します。
そのうえでシドゥリは、ウッディに仕える船頭ウルシャナビに会うよう勧めます。ウルシャナビに身の上話をしたギルガメシュは、友は「粘土になってしまった」と語ります。楊さんは、東洋でいう「土になった」に近い表現だと説明します。
楊さんによると省略しているストーリーもありますが、ウルシャナビは結果的にギルガメシュを連れて行くことにします。ただし条件として、森で木を切り、船を漕ぐための棹を大量に作ってくれと頼みます。死の海では、棹を差し込んだそばから使えなくなっていくからです。
ギルガメシュは材木を切り出し、皮を剥いで、全部で120本の棹を作りました。楊さんが「RPG感がある」と言うと、樋口さんもすぐに乗ります。
マジで思った。120個を集めてきたら、乗せて船で海を渡って差し上げよみたいな。
タスクと報酬でしょ。
荒野の放浪
獣を倒しながら野原をさまよい、毛皮をまとう
サソリ人間の門
マーシュ山の入口で目的を問われ、通行を許される
暗闇の地下道
光のない闇を叫びながら進み、楽園に出る
シドゥリの店
今を楽しむ生き方を勧められるが受け入れない
死の海
ウルシャナビと120本の棹で海を渡る
航海は過酷でした。死の海に触れた棹はどんどんダメになり、人も海に触れると死ぬため、ギルガメシュは手を触れないよう忠告されます。棹を次々に差し替えた末、120本すべてを使い尽くしてしまいます。
最後にギルガメシュは服を脱ぎ、腕で高く掲げて帆の代わりにし、風を捉えて船を進めました。こうしてついに、ウッディのもとへたどり着きます。
不死の人ウッディが返した辛辣な答え
ウッディは家族と一緒に永遠の命を得て、2つの川が合わさる場所に住んでいました。やつれている理由を問われたギルガメシュは、ここでもエンキドゥのことと死の恐怖を語ります。
ところがウッディの反応は呆れでした。叶わない不死を探し回るからいつまでも悲しみが続く、神々が手間暇かけて作った賢い存在のはずなのになぜそんなに愚かなのか、と言うのです。楊さんは「結構辛辣」だと評します。
めっちゃ、めっちゃ言われるやん。
ウッディはさらに、不死を探すうちに寿命はどんどん近づいている、生と死の運命は神々が決めたもので人間にはどうにもならない、と続けます。そして、人間にできるのは神々に仕えてよりよく生きることだけだと提案します。
楊さんによれば、ウッディの提案は古代メソポタミアの伝統的な価値観だったようです。神を敬い感謝しながら、できる限り災いを避けて一生を終えるという生き方です。それでも、ギルガメシュは納得しません。
| 提案者 | 提案の中身 | 背景にある考え |
|---|---|---|
| シドゥリ | 宴や身なり、家族を大切にし、今を楽しんで生きる | 永遠の命は神々のもので、人間には死が割り振られた |
| ウッディ | 神々に仕えて、よりよく生きる | 生死の運命は神々が決め、人間にはどうにもならない |
これ、ウッディだって不死獲得してるやん。
樋口さんの疑問に楊さんは、ウッディが不死を得たのは自分の努力ではなく神々によるもので、「たまたま」だったと答えます。その経緯は次回、ウッディ自身が説明するそうです。
楊さんは、いろいろな生き方のバージョンが提示されるこの問答に、人類最古級の物語の深みと現代との響き合いを感じると話します。樋口さんも、今あるようなテーマの「型」を聞いている気がすると応じつつ、本音も漏らします。
楊さんは、若い頃のギルガメシュなら「本当に不死なのか」と斧で試し斬りしていただろうと笑います。ギルガメシュの旅がどう着地するのかは、次回に持ち越されます。
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まとめ
ギルガメシュ編第7話は、エンキドゥの死に怯えたギルガメシュが、荒野、サソリ人間の門、暗闇の地下道、死の海を越えてウッディにたどり着くまでを描きました。その道中で、古代人にとって夜や地図の外側がいかにリアルで恐ろしい世界だったかも語られ、旅の重みが立体的に見えてきます。
- 親友エンキドゥの死が、ギルガメシュを王の役割を捨てた孤独な不死探索へ駆り立てた
- 古代人にとって夜は視覚が閉ざされ、この世ならざる存在が現れる別の世界だった可能性がある
- 古代人は歩いて確かめた地理と、冥界や楽園などの架空の地理の2系統で空間を捉えていた
- シドゥリは今を楽しむ生き方、ウッディは神々に仕える生き方を示したが、ギルガメシュはどちらにも納得しない
- ウッディが不死を得た「たまたま」の経緯と、旅の着地点は次回に語られる







