野望ではなく生存。元上司トーリルとの戦い
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樋口さんが、前回までにモンゴル王国が誕生したところまで聞いたと振り返り、この回ではその王国がどう大きくなっていくかがテーマになると整理します。
ただし深井さんは、チンギスには「大きくしたい」という欲求があったわけではないと補足します。大きくなってきたら攻められ、それを倒さなければならない状況だったといいます。
野望はあんまない。
あんまり野望がないんじゃないかなって思う。わからんけど。
実際に攻めてきたのが、かつての上司だったトーリル・カンです。チンギスが同じくらいの軍隊を持つに至ったことで、トーリルから嫌がらせを受けるようになります。
その嫌がらせの一つが、モンゴルを守るために欠かせない鉄資源をチンギスに渡さないことだったと言われています。樋口さんはこれを、現代でいえば石油や給料を止められたようなものだと例えます。
やがてトーリルはチンギス討伐を決意し、両者は戦争に突入します。チンギス側は大損害を被り、後に2代目のウゲデイ・カン ── チンギス・カンの三男。チンギスの死後、モンゴル帝国の2代目の君主となった人物となる息子ウゲデイも瀕死の重傷を負い、チンギス自身も一度は逃げたと伝わります。
しかし体勢を立て直したチンギスは、酒を飲んでいるトーリルを奇襲して撃破します。トーリルは脱出するものの、逃げ込んだ先のナイマンに捕らえられて殺されてしまいます。
鉄資源への執着と、350年ぶりのモンゴル高原統一
トーリルを倒したことで、ケレイトも配下に入りました。すでにタタルやメルキト、コンギラトも倒しており、残る大きな部族はナイマンのみとなります。
もともとモンゴル高原は、西遼と金という2つの大国の代理戦争の場でした。その真ん中にいた多くの部族のほとんどを、チンギスは従えることに成功していきます。深井さんによれば、この時点でチンギスはすでに40歳ほどで、遊牧民の感覚ではいつ死んでもおかしくない年齢だったといいます。
最大の敵ナイマンにも勝てたのは、鉄資源への強い執着が功を奏したからではないか、と深井さんは見ています。楊さんは、その鉄がいかに死活問題だったかを、矢の消費量から説明します。
遊牧民の武器のメインが矢なんですよ。一人が大体1つの戦いで60本ぐらい使うんですよね。
楊さんは、もし1万人の軍を率いていれば600万本の矢が必要になると指摘します。しかも矢は使い捨てで、その都度供給する体制を作らなければ、メインの武器そのものが成り立たなくなります。
結局それが自分たちが生きるか死ぬかにすごく関わってくる。だから鉄をものすごく重視したのは正しい選択だと思う。
この時期、ナイマンと仲の良かったオングトという部族が、チンギスに可能性を見出して同盟を結びます。オングトも鉄を持っており、ここから鉄資源を入手していたという記述もあると深井さんは紹介します。
そしてついにナイマンを滅ぼし、350年ぶりにモンゴル高原が統一されるという偉業が達成されます。
テムジンからチンギスへ。文書行政の導入
統一後、部族の最高意思決定会議であるクルルタイ ── モンゴルなどの遊牧部族が集まり、指導者の選出などの重要事項を決める最高意思決定会議のことが開かれ、チンギスは晴れて正式にハンとなります。それまではテムジンという名でしたが、この場でチンギスという称号が与えられます。
樋口さんが「やっと国っぽくなった」と感想を述べると、楊さんは、国になるにつれて組織的なマネジメントが必要になってきたと応じます。そこでチンギスが取り入れたのが、ナイマンが持っていた文書行政の仕組みでした。
ナイマンって実はハンコを持ってたんですよ。紙を使ってハンコを押して許可を与えるっていうのを、ナイマンの人たちが持ってたので、それをチンギス・ハンが見て、これをうちに取り入れようかということで。
もともとモンゴル語は文字を持っていませんでした。そのため、ナイマンが使っていたウイグル文字を借りて、自分たちのモンゴル語を表記させたのも、この時に始めた新しい試みの一つだったといいます。
もっとも、樋口さんも深井さんも「文書行政」が遊牧民のイメージには似合わないと感想を漏らします。それでも国家運営のために必要な仕組みとして取り入れられていきました。
同列に上がった大国と、みんなに望まれたリーダー像
モンゴル高原は統一されたものの、周囲にはまだ西遼、金、西夏、そして漢民族の宋といった強大な国々が残っていました。深井さんは、上には上がいる状況だったと表現します。
一方でこれは、かつて大国の臣下の、そのまた臣下同士で戦っていたチンギスが、こうした大国と同列に語られるレベルまで上がってきたことを意味します。樋口さんは「ちょっと前まで人の長だった」と、その急成長ぶりに驚きます。
深井さんは、チンギスがリーダーになったのは、結果的にみんながそれを望んだからだと考えています。この人がトップになったほうが諸事いいだろうと思われたということです。
その背景として、生まれが名門すぎず権力闘争に巻き込まれにくかったこと、その歳まで苦労を重ねてきたことからくる人格的なアドバンテージがあったのではないか、と分析します。楊さんも、人の気持ちを拾うことに長けていたのかもしれないと補います。
激情型とか天才型ではないというのはすごく感じます。アレクサンドロスはそうですけど、そうじゃないんだろうなと思います。
千戸制。逃亡者一人で全員死刑の超体育会系組織
深井さんは、モンゴル帝国の体制は徳川幕府の幕藩体制に近いと説明します。滅ぼした国々のトップだった大名のような人たちがいて、それを束ねる征夷大将軍のような立場にチンギスがいるイメージです。
その組織の骨格が千戸制 ── モンゴル帝国の軍事・社会組織で、兵士を千人・百人・十人の単位に編成する仕組み。単位ごとに隊長が置かれたでした。千人隊長、百人隊長、十人隊長という入れ子構造のピラミッド組織で、上下関係が非常に厳しいものだったといいます。
その厳しさを象徴するのが連帯責任の重さです。十人隊から逃亡者が一人出れば、十人隊は全員死刑。それを恐れて全員が逃げれば、今度はその上の百人隊が全員死刑になったと深井さんは語ります。
めちゃくちゃ厳しいです。
戦争の前には、物資や武器を各自で準備しなければなりませんでした。それを怠ればグループの長が処刑され、防具の準備状況をチンギス自身が見に来て、不備があれば殺されるという緊張感のある組織でした。
社長がいちいち来るんですね、チェックしに。
深井さんは、チンギス本人にトップダウンで押し付けるような感覚はないものの、システム自体が超トップダウンだったと整理します。その代わりに、統制の取れた軍隊が生まれました。
自由なイメージとは真逆。飴と鞭のバランス
樋口さんは、遊牧民には自由なイメージがあると口にしますが、深井さんも楊さんも、実際にはルールがギチギチだったと返します。千人隊長は大名のような存在で、チンギスの手足のように動いていました。
ただし、厳しさだけの組織ではありませんでした。働きに応じて戦利品を大盤振る舞いで分配する仕組みがあり、樋口さんはこの飴と鞭のバランスの良さこそが機能したのだろうと述べます。
さらにモンゴル帝国には税金がありませんでした。千人隊長は自治政府のような存在で、「千人隊長」とは千人の兵士を出せる人口を抱える者を指します。女子供を含めれば、その規模はさらに大きくなります。
その人々は千人隊長の隷属民であり、チンギスが直接命令できるのは千人隊長や万人隊長まででした。樋口さんはこれを、持ち株会社のようだと例えます。
遊牧民って、すごく独立心が強かった人たちと言われてるんで、上から降りてくるリターンが不満だったらすぐに独立したりとかできちゃいますよね。
楊さんは、住む場所すら自由に変えられる遊牧民相手だからこそ、上に立つ側も相応のリターンを与えなければガバナンスが効かず、常に緊張感があったと指摘します。
逃亡者一人で十人隊全員死刑。武器や防具は自前で準備し、不備があれば処刑される超トップダウンのシステム
働きに応じて戦利品を大盤振る舞いで分配。税金もなく、不満なら独立できる相手を引き留めるための報酬
中二病をくすぐる四駿・四狗と、直属軍ケシク
深井さんは、チンギスの側近だった精鋭たちを紹介します。参謀や軍事を任せられる4人が「四駿」で、駿の字は速い馬を意味し、ボロクル、ボールチュ、ムカリ、チラウンといった面々です。
もう一組が「四狗(四駆)」で、こちらは犬を意味し、クビライ、ジェルメ、スベーデ、ジェベといった勇猛果敢な戦士たちだったといいます。なお、このクビライは後の元の皇帝クビライとは別人です。
ちょっとこれで戦略ゲー、誰か作ってくれるかね。
これとは別に、チンギスは近衛軍であるケシク ── チンギス・カン直属の親衛隊。信頼できる部族や有力な若者から選ばれた1万人ほどの精鋭部隊を結成しました。信頼できる貴族や部族、千戸の中から有力な若者を選び、1万人ほどを集めたチンギス直属の軍です。
楊さんは、中央集権的な体制を作るうえで、自分で直接動かせる武力が必要だったと説明します。同時にケシクには、部族の子弟を教育する意味と、彼らを人質に取る意味もあったといいます。
集めた若者たちには教育を施し、相応のリターンを与えて「チンギスに仕えてよかった」と感じさせることも重要でした。それによって、彼らの部族への忠誠心が相対的に弱まり、チンギスの側に引き寄せられる効果もあったといいます。
ケシクの職務は軍事にとどまりませんでした。鷹や隼の管理、文書記録、料理人、武器管理、守衛、酒の管理、馬やラクダ・羊の管理、通訳、警察、音楽隊まで含まれ、これが後にモンゴル帝国の政府中枢を形成していきます。
王権に口を出すシャーマンを、チンギスはなぜ殺したのか
ケシクの中にはシャーマンもいました。深井さんは、シャーマンが相当に偉い存在だったと語ります。モンゴルの宗教はシャーマニズム ── 精霊や自然の力を信仰し、シャーマンがその霊と交信するとされる宗教のかたち。天や大地の精霊を大切にするで、日本の八百万の神に近い信仰だったといいます。
楊さんによれば、遊牧民は天や大地の精霊を大切にし、その精霊と話せるシャーマンのような存在がいました。つまりモンゴルには、チンギスが握る王権のほかに、神権を司るポジションの人物がいたことになります。
ところが、そのシャーマンはチンギスに対して上から目線で反対意見をぶつけてきたと伝わります。その意見の正しさとは別に、王権を一本化してガバナンスを強めたいチンギスにとって、それは邪魔でした。
親権と王権、両方バランスが取ってりゃいいんですが、こっちがちょっかい出してきたら、これはガバナンスとしてあまり良くないということで、理由をつけてぶっ殺した。
神権と王権のバランスが崩れかけたとき、チンギスは理由をつけてシャーマンを処刑したのだと楊さんは解説します。統一された権力を守るための、冷徹な判断だったと考えられます。
行政は優秀な外国人へ外注。多民族帝国の統治術
軍事の序列はそのまま宮廷内の序列にも反映されていました。では、帝国の行政は誰が担ったのか。深井さんは、これがとても面白いと前置きし、行政に長けたウイグル人などに業務委託していたと明かします。
優秀な外人に発注してるんですよ。
モンゴル帝国はモンゴル民族だけの国ではなく、多民族国家でした。イスラム商人やウイグル人など、モンゴル人とは全く違う名前の人々が、偉い役職に次々と就いていたといいます。
特にムスリムやウイグルの商人集団は、帝国の中枢に深く食い込んでいたと言われています。楊さんは、この後モンゴルが西へ征服を進めていく背景に、商人集団の政策への影響があったと指摘します。
商業には安全なエリアと道が欠かせません。楊さんによれば、商人たちがチンギスに特定のルートの安全確保や、邪魔な国の排除を働きかけ、その結果として征服が進み、彼らに既得権益が与えられる構造があったといいます。
つまりモンゴル帝国は、軍事と政治はモンゴル部族が担い、経済と商業はウイグル人やイスラム商人に外注するという統治の仕方をしていました。樋口さんは適材適所だと評し、深井さんは経営コンサルを雇っている状態だと例えます。
軍事・政治
モンゴル部族が担当。千戸制とケシクによる統制の取れた武力で支配を支える
経済・商業
ウイグル人やイスラム商人に外注。彼らの知見が西方への征服と統治を後押しした
行政・徴税
ウイグル人や漢民族の官僚に委託。漢民族の徴税システムをそのまま活用した
征服した先では、漢民族の官僚を使って税の徴収も始めました。漢民族は優れた徴税の官僚組織を持っていたため、そのシステムをそのまま活用したのです。楊さんはこれを、買収した企業の経営を元の担当者に任せ、役員報酬だけ受け取るようなものだと例えます。
注目すべきは、モンゴルの下層の人々にも、こうした外部の人材を使うことへの抵抗がなかった点です。深井さんは、ギリシャ人がマケドニア人らしくなることに強く抵抗したアレクサンドロスの時代とは全く違うと対比します。
直径17メートルの移動宮殿。鉄に情熱を注ぐ質素な王
モンゴル帝国は宗教にも寛容でした。異なる宗教をすべて平等に扱い、自分たちの宗教や思想を強要することもなかったといいます。「好きにやっていい、少し税金をくれればいい」という姿勢でした。
深井さんは、豪華絢爛な宮殿を築いたペルシャ帝国と比べ、チンギス・カンが非常に質素な暮らしをしていたことを強調します。チンギスが使っていたのは移動宮殿で、その大きさは直径17メートルほどだったといいます。
直径17メートルだから。下手したらリスナーのがでかいから。
冗談交じりに語られるほど、チンギスは贅沢に価値を感じていませんでした。そのかわり情熱を注いでいたのが鉄づくりで、この点は次の回でさらに詳しく語られる予定です。
広大な領域を治め始めたチンギスを、家族も支えていました。息子たちは西側の危険な地域に派遣され、そこを滅ぼして自分の土地にするよう命じられます。一方、もともと住んでいた安全な土地は弟たちに与えられました。
妻たちもそれぞれ領地を持ち、妻たちの中にもヒエラルキーがありました。トップに4人がいて、彼女たちには命令指揮系統の権限もあったといいます。チンギスは通い婚で、決まった家に定住することもなかったと語られます。
息子たちも実際に戦って勝つ強さを持っていました。樋口さんは、彼ら自身のセンスに加え、鉄資源など戦争のための物資が充実していたことが大きかったと見ています。
深井さんは、次回のテーマとして、物資の輸送手段や移動の速さ、機動性といったモンゴル軍の強さの秘密を語ると予告し、この回を締めくくります。
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まとめ
チンギス・カンは、大きな野望からではなく生き延びるために勝ち続け、350年ぶりにモンゴル高原を統一しました。そのうえで築いたのは、厳しい統制と手厚い報酬を組み合わせ、行政や商業は優秀な外部人材に任せる、質素で合理的な組織でした。
- チンギスの拡大は野望ではなく、攻めてくる敵を倒すための生存戦略として進んだ
- 鉄資源は矢の大量消費を支える死活問題で、その確保への執着が勝敗を左右した
- 千戸制は逃亡者への連帯責任で統制し、戦利品の分配という飴でバランスを取った
- 軍事・政治はモンゴル部族、経済・行政はウイグル人や漢民族へ外注する多民族統治を行った
- チンギスは移動宮殿で質素に暮らし、贅沢よりも鉄づくりに情熱を注いだ






