戒律を守る人は尊い?それとも頭でっかち?
鑑真編の第4回は、前回まで続いた戒律の話の振り返りから始まります。休憩中に、仏教の律は200個以上あるという話が出ていました。
樋口さんは、殺してはいけない、嘘をついてはいけないといった律の項目は、今では小学生でもわかって実践していることだと指摘します。現代でいえば道徳に組み込まれている部分が多い、という見方です。
僕多分2500個ぐらい(律を)守ってますね。
楊さんはここから、ルールに対する人間の反応には大きく2種類あると話します。たくさんの戒律を守る人がありがたがられ、カリスマ性に結びつく見方と、頭でっかちにルールを守っているだけだという見方です。
樋口さんは、無理なダイエットをしていた時期に「炭水化物を食べたら切腹」と言っていたところ、大体は「何やってんの?」という反応だったと振り返ります。楊さんは、同じ行動をすごいと思う人もいることに、変わることと変わらないことへの価値の感じ方の違いが表れていると述べています。
14歳の鑑真に課された10の戒と72の作法
話は鑑真の人生に戻ります。出家した鑑真は戒律の世界のただ中で生きていました。楊さんは、厳密には別物である「戒」と「律」を、わかりやすさのためにまとめて戒律と呼ぶと断っています。
出家の儀式として重要なのが授戒 ── 仏門に入った者に、修行の段階に応じて守るべき戒律を師が授ける儀式。受ける側からは「受戒」とも呼びますです。授けられた弟子は、その戒律に従って生きることを誓います。
鑑真が最初に戒律を授けられたのは14歳のとき、沙弥 ── 出家したばかりの見習いの僧。正式な僧侶になる前の段階を指しますになったときです。このときの戒律は10個でした。
1〜5番目は前回紹介された五戒で、殺生・盗み・性行為・嘘・飲酒を禁じるものです。6〜10番目は、花や香油で体を飾らない、歌や踊りや演劇をしたり見聞きしたりしない、立派な飾り付きの大きな腰掛けを使わない、朝食と昼食以外に食事をとらない、金銀や宝物を持たない、というものでした。
やっぱこう、演劇見ちゃいけないとか嫌だし、夜食べれないっていうのはきついですよね。
さらに見習いには、日常の振る舞い方を定めた作法が72個ありました。師匠と外出するときは足跡を踏まない、師匠の部屋に入るときは指を弾いて知らせてから入る、といった行儀作法です。
トイレの使い方にも作法がありました。トイレに入ったら辺りをきょろきょろ見ずに、まず3回指を弾いて鳴らします。理由を聞かれた樋口さんはネズミよけだと答えましたが、正解は厠の守り神の注意を引くためでした。
(厠の守り神に)ヘイヘイヘイってやるんすね。
楊さんは自分の想像だとしたうえで、師匠の部屋に入るときと同じように「お邪魔します」と知らせる意味ではないかと推測しています。ほかにも、先に入っている人を急かさない、用を足すときに大きく息を飲み込まない、陰部を覗き込まない、帰りに手を洗うなど、細かく決められていました。
樋口さんは、今の人が保育園や小学校で習う内容だと指摘します。教育制度が整っていない当時は、こうした作法を習わずに生きる人も多かったはずです。
これね、教育システムになってるんですね。
楊さんは、当時の仏教の価値観では、この教育はまだ「ルール」として扱われていたと補足しています。仏教集団と一般世間の感触の違いがここにある、という見方です。
菩薩戒から具足戒250へ、正式な僧侶への関門
18歳になった鑑真は、もう一度戒律を授けられます。今度は大乗仏教に特有の菩薩戒で、数は58です。そのうち重い10の戒と、比較的軽い48の戒で構成されています。
菩薩戒の重い10の戒には、殺さない、盗まない、出家者は性交渉を持たず在家は不倫をしない、嘘をつかない、酒を売らないといった項目が並びます。仏教徒の罪を吹聴しない、威張らず他人をけなさない、施しを惜しまない、謝罪を受け入れる、仏法僧 ── 仏(仏陀)・法(教え)・僧(修行者の集団)の3つ。仏教徒が敬うべきものとして三宝と呼ばれますの三宝をそしらない、といった項目もあります。
それ(仏教徒の罪を吹聴しないこと)だから週刊誌にならないってことですよね。
21歳で、鑑真は比丘 ── 正式な出家僧侶のこと。具足戒を受けて、はじめて比丘になりますと呼ばれる正式な僧侶になります。このとき授けられるのが具足戒で、数は250戒でした。女性はさらに罪深いとされ、348戒が課されていたといいます。
いや、なんちゅうこと言うんや。女性は罪深いとか。
鑑真が受けた戒律は、段階を踏むごとに数も罰則の重さも増えていきました。楊さんが強調するのはこの増え方です。
具足戒には審査基準もありました。20歳に達しているか、犯罪歴がないか、身体的な条件を満たすか、両親の許しがあるか、借金がないか、奴隷なら主人の許し、役人なら王の許しがあるか、特定の病気がないかなどです。身体的な条件には、現代なら差別にあたる事項も含まれていました。
「具足」とは十分に備わっているという意味で、こうした条件を満たした人に授ける戒が具足戒です。鑑真は適格と判断され、具足戒を授けられました。
具足戒の授戒は、僧侶として生まれ変わるほどの節目なので、厳重な作法で行われます。最低10人の僧侶が立ち会う三師七証 ── 授戒に必要な10人の僧。中心となる3人の師と、立ち会う7人の証人からなりますが必要で、場所も戒壇と決まっていました。
戒壇にはお釈迦様の骨である仏舎利が祀られています。お釈迦様の前で儀式や合議を行う、という原始仏教以来の体裁を守るためです。
鑑真は昇進を重ね、自らも人に戒を授ける戒師として活躍します。唐を離れる前に授戒した数は4万人を超えるという記録もあるそうです。
はー、すげえな。Netflixで戒師って出るんじゃないですか?辞書みたいな感じで。
鑑真は「授戒の大師」と僧侶からも一般の人からも仰がれ、これほど清く戒律を保つ僧はいないと評判でした。授戒への返礼が鑑真の財源となり、後に日本への渡航準備の資金にもなったと考えられています。
戒律のプロは何を学んでいた?
次に語られるのは、鑑真が学んだ学問です。唐が最も盛り上がっていた時代、仏教界では一つの宗派に属しながら他の宗派を学ぶことも奨励されていたといいます。
鑑真は戒律を専門とする律宗を軸にしつつ、天台宗や密教にも精通していました。医薬など技術系の分野にも詳しかったそうです。樋口さんは、当時は学問と宗教が今ほど分かれていなかったという以前の話を思い出しています。
律宗は、戒律を厳格に守り、研究することを重んじる宗派で、今も存在しています。楊さんはここで、三蔵法師 ── 経・律・論の三蔵すべてに精通した僧侶への尊称。玄奘がその代表として知られますの「三蔵」の一つが律だという話を挟みます。
仏の説法を記した文献
戒律を集めた文献
経と律への注釈・解説書
ワンジャンルだけでもめっちゃむずいけど、それ(三蔵)が3つジャンルあるからめっちゃすごいみたいな。
鑑真が深く学んだもう一つの宗派が天台宗です。1〜2世紀以来、さまざまな仏教がシルクロードから中国に入り、どの教えを真とするかで宗派が枝分かれしました。6世紀頃になると、複数の教えをまとめ、広大な仏教を総括して理解しようとする動きが出て、その代表が天台宗でした。
鑑真は天台宗の師匠から教えを受け、「一切衆生悉有仏性」のような考えも身につけていました。浄土信仰も持っていたとされています。
楊さんがまとめる鑑真像は、専門性の軸を持ちつつ、広がりを持っている僧侶です。自らに厳しく戒律を守り抜き、経営スキルや資金調達能力を使って利他的な社会貢献も盛んに行っていました。
スーパーマンやん。
三蔵法師とは呼ばれていないものの、当時の中国でトップクラスの僧侶だったことは間違いないだろう、と楊さんは述べています。所属は律宗が軸で、サンガの間を移動しながら、さまざまな宗派や寺を渡り歩いたのではないかといいます。
日本が求めたのは戒律だけ?すれ違いの始まり
日本は、鑑真の戒律のプロとしての側面に期待していました。当時の日本では仏教がかなり広まり、ローカライズもされていましたが、戒律の制度が正しく実装されていないことが大きな課題でした。そこで本場の戒律の権威を中国から呼ぼうとしたのです。
楊さんによれば、戒律が実装されていないということは、戒律に担保されるサンガも日本には実質存在しなかったということです。そのため鑑真は、戒律と、それに基づくサンガの両方を日本に持ち込もうとしました。
しかし楊さんは先出しとして、日本の朝廷はサンガはどうでもよかったと語ります。優先順位が低かったとも、そもそもサンガを作ってほしくなかったとも見ることができるそうです。
戒律とサンガは表裏一体。戒律を実装することはサンガを作ることでもある
戒律の正しい実装を求めたが、サンガは重視しなかった
どうでもよかったのか、やらないで欲しかったのかによってもまた違いですよね。
鑑真にとって当たり前だったこの感覚が、日本側の期待には完全にははまらなかったといいます。これが後に、日本での鑑真への反応が必ずしも好意的ではなかったことにつながっていく、と付箋が置かれました。
次回は、日本からの2人の留学生普照と栄叡と鑑真との出会いの場面に移ります。樋口さんは、いよいよストーリーが動き出すことに期待を寄せています。
まとめ
今回は、鑑真が14歳から21歳にかけて段階的に授けられた戒律と、戒師として4万人以上に授戒した実績、律宗を軸に天台宗や医薬まで学んだ幅広さが語られました。そのうえで、日本が求めた戒律と、鑑真が当然とした戒律とサンガの一体性とのずれが、今後の伏線として示されています。
- 鑑真は沙弥の十戒、18歳の菩薩戒58、21歳の具足戒250と、段階ごとに増える戒律を授けられた
- 見習いの作法にはトイレで指を3回弾くなど、日常のすべてにわたる細かなルールがあった
- 鑑真は授戒の大師として4万人以上に戒を授け、律宗を軸に天台宗や医薬にも通じていた
- 日本は戒律の実装を鑑真に期待したが、朝廷はサンガを重視せず、すれ違いの始まりとなった




