山岳派はなぜ権力を握ったのか
ルイ16世の処刑と並行して、民衆が作った議会、つまりブルジョワジー中心の政府はさまざまな政策を打ちますが、深井さんによれば未熟さゆえに失策だらけで、強い反感を買っていきます。
フランス革命ではそれまでも、革命の主導権がより下の層へと移っていく流れが起きていました。この失策によって同じことが再び起こり、最終的には一番下の民衆が主導する山岳派が政権を握ることになります。
(政府の政策は)すっごい失策だらけで、みんな未熟なんで、めちゃくちゃ反感買うんですよ。
山岳派という名前は、扇形に広がった議場のどこに座っていたかで付けられた呼び名で、ほかに平原派などもありました。深井さんは、今使われる右翼 ── 保守的・伝統重視の政治的立場を指す言葉。フランス革命期の議会で議長席から見て右側に保守派が座ったことに由来するとされますや左翼 ── 変革・平等重視の政治的立場を指す言葉。同じく議会の左側に急進派が座ったことに由来するとされますという言葉もここから来ていると紹介します。
うわ、これは知らんかった。
山岳派の中心にいた権力者は、ダントン、マラー、ロベスピエールの3人です。3人とも議会で一番左寄りの立場で、バレンヌ逃亡事件以降は国王を殺すべきだと主張していた人たちでした。
1793年憲法は何を変えたのか
山岳派は、王の存在を前提とした立憲君主制の憲法を、共和制の憲法へと作り直そうとします。起草を任されたのは、ロベスピエールの右腕であるサンジュスト ── ロベスピエールの側近として知られる若き革命家。その美貌と冷徹さから「革命の大天使」「死の天使」とも呼ばれましたで、大急ぎで作らせたといいます。
(1791年憲法から)たった2年後。
こうしてできた1793年憲法は、1791年憲法よりもさらに今の世界に近い内容になっていました。深井さんが挙げたポイントは、土地の所有、選挙権、抵抗の権利、奴隷制の4つです。
1791年憲法にも封建的特権、つまり貴族の特権の廃止は入っていました。ただ、小作農が自分の耕す土地を持つには25年分ほどの額を払う必要があり、実際には払えない仕組みでした。
1793年憲法では、その土地を農民が所有してよいことになりました。もっとも、貧しい農民は農具も種もないため、土地をもらっても活かしにくく、どこまで実効性があったかは疑問視されていると補足されています。
選挙権も、金持ちに限られていた1791年憲法から、21歳以上の男子全員が持つ形へ広がりました。一方で深井さんは、この時点でも女性はまだ選挙権を持っていなかった点を指摘します。
逆に言うと、この時点においてもまだ女子は持ってねえんかっていう。
さらに、政府がダメなら民衆が蜂起してよいという権利の保障や、奴隷制の廃止も盛り込まれました。奴隷制は結局実行されずに続いてしまいますが、政府が公式に憲法として宣言したことにはイデオロギー的な意味があったと深井さんは語ります。
立憲君主制。封建的特権の廃止は限定的で、土地取得には25年分ほどの支払いが必要。選挙権は金持ちのみ
共和制。農民の土地所有を認める。21歳以上の男子全員に選挙権。蜂起の権利、奴隷制廃止も明記
ところがロベスピエールたちは、この理想的な憲法を出した直後に、その施行を無期限に延期してしまいます。
の?自分で出したのに?
対仏大同盟がフランスを追い込んだ理由
1793年憲法の施行が延期された理由は、フランスがオーストリア以外のヨーロッパ中の君主国から攻められる状況にあったためです。深井さんは、各国の王たちが本気で恐れたのだと説明します。
反抗してただ殺しただけじゃないんですよ。権力奪ったわけでもない。王様なんていちゃダメなんだって殺しちゃったから。
「王はいてはならない」という考え方が広まれば、自分たちの存在意義が否定されてしまう。その恐れから、イギリス、スペイン、ロシアなどの君主国が同盟を組んでフランスを潰そうとします。これが対仏大同盟 ── フランス革命とその後のナポレオンに対抗するため、ヨーロッパ諸国が結んだ同盟。1793年から1815年にかけて計7回結成されましたです。
楊さんが「被害妄想では」と言うと、深井さんは「実際リアルです」と応じます。第1次世界大戦で多くの君主国が崩壊したのも、思想的基盤としてフランス革命があったからだと深井さんは見ています。
国王の処刑
王はいてはならないという理念で王を殺す
君主国の恐怖
自らの存在意義を否定されると感じる
対仏大同盟
ヨーロッパの君主国がフランスに攻め込もうとする
臨時革命政府
普通の政府では戦えず、強権を一時的に発動
恐怖政治
異論を弾圧し、政敵を処刑していく
普通の政府では戦えないと考えたロベスピエールは、臨時革命政府を作り、物事を勝手に決めて進め、反対する者は弾圧する体制をとります。これが恐怖政治につながっていきます。
深井さんと楊さんは、この構図がヒトラーの時代と似ていると話します。追い込まれた人たちが対抗のために強権を発動し、その結果多くの人を殺していく。そしてその頂点にいる人の正義感が非常に強い、という点です。
構造的に一緒ですよね。マジで一緒じゃないですか。
楊さんは、戦時体制では国をまとめる力学が働き、合意を取るコストを下げるために「反対なら殺す」という形で統治しやすくしていくのだと説明します。
ロベスピエールはどんな人物だったのか
深井さんは、ロベスピエールは面白い人物だとして、その生い立ちを紹介します。幼い頃に両親を亡くして親戚に預けられ、9歳ごろにはすでに弟や妹を養う感覚を強く持っていたといいます。
努力家で優秀だったロベスピエールは、11歳でパリの名門校に入学し、勉強に励んで弁護士になります。弁護士を目指した動機も、正義感から来ていました。
これでその虐げられている人たちをたくさん救うことができるって言って弁護士になるんですよ。
ロベスピエールには私利私欲がほとんどなく、女遊びもせず、ちゃんとした自分の家さえ持たなかったといいます。地元で有名な弁護士になってからも、貧しい人の弁護を引き受け、ときには実費でお金をもらわずに助けていました。
いいやつですね、今んとこ。
若い頃の弁護で深井さんが紹介した事件があります。ある聖職者が女性に言い寄って拒まれ、逆恨みから、自分の横領の罪をその女性の兄に着せて訴えたというものです。ロベスピエールはその弁護を担当し、この事件に強く憤っていました。
こうした特権の乱用への怒りを積み重ねたロベスピエールは、この世界は正さなければならないと考え、ルソー ── 18世紀の思想家。『社会契約論』で人民主権を説き、フランス革命に大きな影響を与えましたの考え方を取り入れていきます。実際にルソーに会いに行ったこともあるそうです。
正義の人が持つ危うさとは
議員に当選したロベスピエールは、最初は無名でした。しかし戦争開始時にただ一人反対し、その後フランスが連戦連敗していく様子を見て、周囲の信頼を得ていきます。
深井さんが強調するロベスピエールの特徴は、意見を一切曲げないことです。人権、弱者を守ること、人間の尊厳について、普通なら妥協する場面でも妥協せず、終始一貫して主張し続けました。
嘘がない。
芯がある。
ロベスピエールは徳を大事にし、言葉の中にもよく「徳」が登場します。弁護士なので議論もうまかったといいます。一方で深井さんは、デメリットの側の特徴がヒトラーとそっくりだと指摘します。
私利私欲がなく、人権や弱者の保護を一貫して主張。徳を重んじ、議論もうまい
「陰謀」という言葉を多用し、善と悪の2つに分けて語る。グレーを認めない
これは誰かの陰謀だっつって、誰かが裏で工作してるからこういうことになるんだっていうことをよく言う。あとはね、悪と善で2つに分けて話をする。
革命が民衆の下へ降りていくにつれ、一切妥協しないロベスピエールの人気は上がり続け、ついには主導権を握るに至ります。民衆にとってロベスピエールは大スターで、実際ものすごい人気だったそうです。
恐怖政治はどう暴走したのか
対仏大同盟による非常事態の中、人々は「潔白なロベスピエールたちなら権力を渡してもいい」と考えて強権を委ねました。しかし権力を手にしたロベスピエールは、政敵をギロチンで次々に処刑していきます。
裁判は簡略化され、死刑か無罪かしかない状態になり、ほぼ全員が死刑になっていったといいます。ロベスピエールは意見が合わない相手をすぐに処刑しました。
正義感強すぎる。
象徴的なのが、仲間だったダントンの処刑です。ダントンは16歳ほどの若い妻をもらって以来、革命への熱意を失い、妻と過ごす時間ばかりになっていたといいます。
イデオロギーで動くロベスピエールは、そうした中途半端な態度を許せませんでした。それでも仲間なので殺したくはなく、ダントンの家を訪ねて革命についての考えを試します。返ってきたのが「結構どうでもいい」という答えで、ロベスピエールはダントンを処刑台に送りました。
ダメダメそれは。だって今付き合ったばっかりなんでしょ。
深井さんは、正義の力を使う人は強い反面、許容量が狭いと語ります。イデオロギーベースで動くと、こうなりやすいというのが深井さんの見方で、ヒトラーや宗教戦争も同じだと話します。
ロベスピエールをどう評価すべきか
深井さんは、ロベスピエールが努力を重ね、人を大事にし、今の世界にも役立った人物だと強調します。王の処刑に振り切ったこと、施行されなかったとはいえ1793年憲法に生存権の概念をがっつり入れて奴隷制廃止を掲げたこと、民衆への演説で考えを浸透させたことは、今の社会に大きな影響を与えています。
その一方で、ロベスピエールの弊害も巨大でした。何か言えば翌日には殺されるかもしれない状況で、人々は反論できなくなっていきます。深井さんは、ルソーの弊害など可愛いものだったと比べます。
だけど、そのロベスピエールがいたことで、やっぱ今の世界はある。これをどう評価するかなんですよね。
王政を徹底的に破壊し尽くしたのはロベスピエールであり、だからこそ簡単に良い・悪いとは言えない、というのが深井さんの結論です。
テルミドール9日のクーデターで何が起きたのか
恐怖政治のもとでは、誰もが「自分もいつ殺されるかわからない」と感じるようになります。その中から反乱分子が生まれ、ある日いきなり結託して「ロベスピエールこそ処刑」と動き出します。これがテルミドール9日のクーデター ── 革命暦テルミドール9日(1794年7月27日)に国民公会でロベスピエール派が失脚した事件。「テルミドールの反動」とも呼ばれますです。
反乱を起こしたのは、ロベスピエールに殺されるかもしれない人たちのリストに載っていた人々でした。それまで誰も批判できなかった議場で、裏で全員が手を握ったうえで、いきなり壇上からロベスピエールを批判し始めます。
ロベスピエールは反論しようとしますが、議長もグルだったため発言を許されません。深井さんはここも全然法治国家ではないと語ります。こうしてロベスピエールは、自分が殺しまくったギロチンで、ロベスピエール派の20人ほどとともに処刑されました。
血で血を洗う戦いですよね。
山岳派の3人のうち、マラーは暗殺され、ダントンもロベスピエールも処刑されます。途中で権力を握った人たちも、ほぼ全員が逃げるか殺されるかしていました。
ナポレオンはなぜ現れたのか
誰もいなくなったところに登場するのがナポレオンです。対仏大同盟によってフランスが滅ぼされるかもしれないという危機感の中で、深井さんが「半端ない天才」と呼ぶ人物が出てきます。
もう一回一回の決断をいちいち命かけて一瞬でできるんですよ、この人。しかもめっちゃ頭がいいんですよ。
深井さんが面白いと語るのは、ナポレオンが共和制だからこそ出てこられた点です。アンシャンレジーム ── フランス革命以前の、国王と身分制にもとづく旧体制のこと。日本語では「旧制度」と訳されますのもとでは出てこられなかったが、共和制で実力主義になったから現れたといいます。
共和制の誕生
王を処刑し、共和制へ移行する
各国の攻撃
共和制になったから、周りの君主国が攻めてくる
ナポレオンの登場
共和制で実力主義になったから、天才が出てくる
攻め返し
フランスがほぼヨーロッパを統一するまでに至る
ただしナポレオンは皇帝となるため、共和制はいったんなくなります。その後は王政の復活、さらに共和制への回帰と、体制はころころ変わっていきます。
イデオロギーベースの民主主義とは何か
深井さんは、この時人類が初めて、イデオロギーベースの民主主義を実現したのだとまとめます。ギリシャなどにあった民主主義は、あくまでシステムとしての民主主義でした。
システムとしての民主主義
理念に立脚したイデオロギーベースの民主主義。今の私たちが享受しているもの
民衆はまだイデオロギーベースの民主主義に慣れておらず、使いこなせなかったため、王政への揺り戻しが何度か起こります。それでも深井さんは、この時に植えられた種が開花したからこそ今の世界があると語ります。
深井さんは、この話を聞いたあとにニュースや政治家の発言を聞くと、イデオロギーに立脚していることをひしひしと感じるはずだとリスナーに呼びかけます。樋口さんは、システムやルールだけでは変えられないものを変え続けてきたのは理念なのだと受け止めます。
日本人は人権の感覚を輸入できているのか
深井さんは、フランス革命で生まれた人権の感覚を、日本人はまだちゃんと輸入できていないかもしれないと話します。選挙に対する考え方の違いなどを見ても、フランス革命の「革命」という概念自体を理解している人はあまりいないと感じているそうです。
漢字の「革命」と英語の「レボリューション」は概念として違い、レボリューションは人類にとっての大転換でした。日本人の人権は自分たちで獲得したものではない、と深井さんは指摘します。
(日本人の人権は)教えられたやつですからね。
深井さんは明治維新との違いも端的に説明します。フランス革命はブルジョワジー、つまり民衆が動かしたのに対し、明治維新は特権階級である武士が起こし、下級武士が上級武士を壊し、武士という制度自体を自ら廃止しました。
民衆(ブルジョワジー)が動かす。イデオロギーにもとづき、王の存在を否定する
特権階級の武士が自ら制度を壊す。天皇のもと、戦前まで国民は「臣民」とされた
さらに、日本では天皇がいる状態が続き、第2次世界大戦まで国民は「臣民」と呼ばれていました。フランス革命が同じ時点でイデオロギーベースにそれを否定していたこととは、意味がまったく違うと深井さんは語ります。
楊さんは、敗戦時に日本が国体護持 ── 天皇を中心とする国家体制(国体)を守ること。ポツダム宣言受諾の際、日本政府が最も重視した条件とされますを掲げたことを例に挙げます。近代化していても、天皇をトップにした国家の形を何より大事にしていたというのが楊さんの見方です。
もうあんだけ実は近代化してても、実はそこ(天皇をトップにした国家の形)を大事にしてたんですよ。
樋口さんは、一人ひとりが人権を持っているという自覚に大きな差があるのだと受け止め、自分自身はどうなのかわからなくなってきたと率直に語ります。
まとめ
ルイ16世の処刑後、対仏大同盟に追い込まれたフランスでは、正義感と一貫性の塊のようなロベスピエールが強権を握り、恐怖政治の末にテルミドール9日のクーデターで自らもギロチンに倒れました。その功罪は簡単には評価できず、深井さんは、この時代に生まれたイデオロギーベースの民主主義こそが今の世界の土台になっていると語ります。
- 1793年憲法は男子普通選挙や奴隷制廃止を掲げたが、対仏大同盟による非常事態を理由に施行が無期限延期された
- ロベスピエールは私利私欲がなく弱者を守る人物だったが、妥協せず善悪で二分する姿勢が政敵の大量処刑につながった
- 恐怖政治への反発からテルミドール9日のクーデターが起き、ロベスピエール派の約20人が処刑された
- 共和制による実力主義がナポレオンを生み、フランスは攻め返してほぼヨーロッパを統一する
- フランス革命はイデオロギーベースの民主主義を生み、日本の明治維新とは人権の考え方の点で大きく異なる





