歴史ではなく思想の話?新しいシリーズの趣旨
コテンラジオの今回のシリーズは、樋口さんを加えた新しい体制での最初の回です。取り上げるのは、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースと、彼が広めた構造主義という考え方です。
深井さんは冒頭で、今回は歴史の話ではないと断ります。歴史も関係はするものの、中心は歴史以外の人文学、特に構造主義とはどういう考え方かを紹介することだと説明しています。
冒頭の紹介文、台本に歴史を面白さを学んじゃおうという番組ですって言ってるんですけどね。歴史じゃないです。
いきなりそこ(番組紹介)を否定するんですね。
深井さんによれば、レヴィ=ストロースの話は今回を含めて全4回で進めていく予定です。
レヴィ=ストロースとは何者か、そしてニューアカブーム
楊さんはまず、レヴィ=ストロースの人物像を紹介します。有名な写真は2つあり、猿を肩に乗せたヒゲの青年の写真と、ワシ鼻の老人が丸メガネをかけた写真だといいます。
レヴィ=ストロースが亡くなったのは2009年で、思想史の人物としてはかなり最近です。ベルギー生まれパリ育ちのユダヤ系フランス人で、一般には文化人類学者、フランスでは民族学者とも呼ばれます。
代表作は、ブラジルでのフィールドワークをまとめた悲しき熱帯 ── レヴィ=ストロースが1955年に発表した著作。ブラジル奥地の先住民社会での調査体験を、紀行文のような語り口でつづった作品として知られていますです。彼が思想史で重要視されるのは、構造主義という考え方を広めたからだと楊さんは説明します。
構造は分かります。主義は分かります。構造主義、くっつけたら何を意味するのかちょっとわからないです。
楊さんによると、構造主義は日本でもポストモダンや現代思想とともに有名になりました。1980年代には、知的であることがかっこいいとされるニューアカブーム ── ニュー・アカデミズムの略。1980年代の日本で、現代思想を扱う難解な書籍が若者を中心に広く読まれた現象を指しますが起きたといいます。
このブームを牽引したのは、『パンツをはいた猿』の栗本慎一郎さん、『構造と力』の浅田彰さん、『チベットのモーツァルト』の中沢新一さんらでした。難しい専門書がベストセラーになる時代で、出演者たちが生まれた頃にあたります。
ただ楊さんは、構造主義とは何かが、今はあまり知られていないのではないかと指摘します。当時熱狂した親世代でも「昔そういうのあったよね」くらいの記憶ではないか、というのが楊さんの見立てです。
構造主義はなぜ説明しにくく、なぜ重要なのか
構造主義はかなり難しい概念で、説明を聞いてもわからない人は多いだろうと楊さんは前置きします。そのうえで「ほとんどの人がわかってない」から大丈夫だと続け、深井さんが思わずツッコミを入れます。
これでも僕も勉強したけど、自分が理解してるかどうかがわかんないんですよ。
楊さんは、構造主義は哲学史上もっとも新しい概念で、決定版の定義がないと説明します。流派ごとに理解が異なり、ある説明をすると別の流派の先生から怒られかねないといいます。
本来、構造主義を理解するには、それまでの西洋哲学を一通り理解することが必要です。一方で、レヴィ=ストロースの言う構造主義が、最も基本的な理解にあたるとも楊さんは話しています。
では、なぜ構造主義が大事なのか。楊さんの答えは、構造主義が西洋哲学を一旦終わらせているからというものです。
西洋哲学はソクラテス、プラトン、アリストテレスから、レヴィ=ストロースと同世代のサルトルまで、約2500年の歴史があります。サルトルの哲学はその概念を包括した最終形態のようなものでしたが、レヴィ=ストロースとの論争を経て、西洋哲学の主流派は下火になっていったといいます。
楊さんによれば、構造主義以降に新しい哲学の流派は基本的に現れていません。ポスト構造主義 ── 構造主義の後に登場し、それを批判・発展させた思想の潮流。フーコーやデリダらの名前が挙げられることが多いですも構造主義を批判してはいますが、一般には構造主義のバリエーションと考えられています。
樋口さんが「西洋哲学のラスボス」と例えると、楊さんはラスボスはサルトルで、レヴィ=ストロースはそれを倒した勇者のようなものだと言い直します。深井さんはさらに別の比喩を持ち出します。
西洋哲学っていう腹の中から、西洋哲学が自らを打倒して、腹を打ち破って出てきて、うわーってみんななって。
うわーってなったけど、今みんななかったことになってる。エイリアンなんていた?みたいな。
レヴィ=ストロースと構造主義が何ですごいのかはよく分かったんですけど、何なのかはまださっぱりわかりません。
神からデカルト、ヘーゲルへ。西洋哲学はどう変わったか
構造主義の重要性を理解するため、楊さんは西洋哲学の歴史を駆け足でたどります。出発点はプラトンと、万学の祖と呼ばれるアリストテレスです。
ギリシャ哲学は、世界とは何か、人間とは何かを考えようとしました。ところが同じ地域にキリスト教が入ってくると、その問いはすべて神様で説明できるようになり、神様中心主義の時代になっていったと楊さんは説明します。
近代に入ると、デカルトが人間中心主義を復活させます。デカルトは神を一旦置き、物が存在するかは究極的にはわからなくても、考えている自分自身は存在すると考え、自我を発見しました。
デカルトは、自我を持つ人間は理性とロジックで世界を認識し、説明できると考えました。その流れを受け継いだのがヘーゲルです。
ヘーゲルは、世界や人間が弁証法 ── ある命題と、それと矛盾する命題を統合して、より高次の命題を生み出す思考法。ヘーゲル哲学の中心的な方法として知られています的なやり方で成長・発展してきたと考えました。楊さんは、テーゼとアンチテーゼをアウフヘーベン(止揚)してジンテーゼを作る考え方だと説明します。
楊さんが挙げる具体例は身近なものです。「肉が食べたい」と「パンが食べたい」ならハンバーガーを食べる、「経済か環境か」なら環境に配慮した経済に移行する、といった考え方です。
ヘーゲルは、弁証法を用いれば必ず合理的な解が生まれ、それを突き詰めれば素晴らしい世界、素晴らしい人間に到達するはずだと考えた、と楊さんは説明します。
ここまでの流れを整理すると、世界を説明する中心が、神から人間の理性へと移っていったことがわかります。
ギリシャ哲学
プラトンやアリストテレスが、世界とは何か、人間とは何かを問う
キリスト教
世界も人間も神が作ったとして、神ですべてを説明する神様中心主義へ
デカルト
神を一旦置き、考える自我を発見。理性で世界を認識できると考える
ヘーゲル
弁証法によって世界と人間は発展し、素晴らしい世界に到達すると考える
実存主義からサルトルのアンガージュマンへ
ヘーゲルの後、人間に本質があるとしても、それはそんなに大事なのかという問いが生まれます。人間は意志を持つので、本質に逆らって生きることもできるからです。
どう生きるかは自分自身の問題だと考え、自分が主体的に真理を探すことを重視するのが実存主義だと楊さんは説明します。樋口さんが本能と意志の関係かと尋ねると、楊さんは、空腹でもダイエットのために食べない意志を持てる、という例を仮の説明として挙げています。
実存主義者として最初に登場するのが、『死に至る病』を書いたキルケゴールです。楊さんによると、キルケゴールは自分が求める真理を探求すると、3つの段階をたどると考えました。
これに対してニーチェは「神は死んだ」と言います。神が担保していた生きる意味がなくても、人は生きようとする力への意志を持てるのであり、それによって超人という素晴らしい存在になれる、とニーチェは説いたと楊さんは紹介します。
最後に登場するのが、レヴィ=ストロースと同時代のサルトルです。サルトルは、ヘーゲルの弁証法的な世界観と、キルケゴールやニーチェの実存主義を統合したようなことを言い出します。
サルトルの主張は、弁証法的に発展する世界には歴史があり、その歴史は正しいというものです。だから歴史に主体的に参加するアンガージュマン ── フランス語で「参加」「関与」を意味する言葉。サルトルは、社会や歴史に主体的に関わることを重視する文脈でこの語を用いましたこそが最もよい生き方だとされました。
あなたの人生に意味があるとしたら、そうすること(歴史へのアンガージュマン)が意味があることだよねっていうことを言ったんですよね。これって西洋哲学の集大成っぽいですよね。
一方で楊さんは、サルトルの考えには西洋中心の見方が含まれていたと指摘します。日本人やアフリカ人、アジア人のように西洋から見て「遅れた」人たちも、理性を持って歴史にアンガージュマンすれば西洋のようになれる、という発想です。
そこを批判したのがレヴィ=ストロースでした。楊さんによれば、レヴィ=ストロースはそれってめっちゃ西洋中心主義的じゃない?と問い、構造主義の考え方をすればその見方に根拠がないとわかると主張したといいます。
歴史というモデルは本当にあるのか
ここまでの説明を聞いた樋口さんは、哲学者たちが前の論を覆しながら考え方が進化していく流れがよくわかったと話します。プラトンやアリストテレスの後に宗教の時代が長く続き、近代に「哲学リターン」が起きた流れが面白いといいます。
深井さんは、ヘーゲルの弁証法と実存主義の本質の話がつながっていないように感じると指摘します。楊さんは、実際に別系統から考え始めていると答えます。
ヘーゲルの考え方っていうのは、ある意味で客観的な考え方なんだよね。
これ(ヘーゲルの考え)がいくらメイクセンスしてても、主観的に生きている我々自身にはあんま関係ないんじゃないって考え始めたのが、その実存主義者たち。
深井さんは、デカルトが神と分離してから西洋哲学はずっと困っているのが面白いと話します。宗教の中で説明されていた善悪やよい生き方の「はしご」が近代理性によって外され、考え直し続けてきた歴史だという見方です。
樋口さんは、クリスチャンとして育てられた自身の経験を語ります。悪いことをしたら地獄に行くという教えは倫理感覚を教えるには良かったかもしれないが、思考を深めるうえではあまり良くなかったと、今の価値観から振り返っています。
楊さんは、世界の認識には大きく2つのパターンがあると整理します。プラトン的なモデル先行の見方と、アリストテレス的なデータ積み上げの見方です。
まず世界のモデル(イデア)を想定し、実際の世界をその映し鏡として見る
データを集めて分類し、観察からロジックを積み上げて世界を説明する
楊さんによると、キリスト教はプラトン的な考え方と相性が良く、神という根源的なモデルから全てを説明できました。その後、イスラム世界からアリストテレスが戻ってきて、データ積み上げでも世界を説明できると考える流派が出てきたといいます。
西洋哲学ではこの2つが何度も繰り返され、最終的にサルトルが「最も根源的なモデルは歴史だ」と言ったと楊さんは整理します。深井さんの問いに対し楊さんは、ヘーゲルの弁証法的な発展の軌跡が歴史だからだと答えています。
そしてレヴィ=ストロースは、全てを説明するモデルなどこの世にないのではという考えを、ブラジルでのフィールドワークを通じて見つけてきたといいます。
全てを説明できるっていうの、その全てっていうのも、誰から見た全てなんだっていうところも、レヴィ=ストロースが突っ込みたかったところなのかなって。
楊さんはこの指摘を「鋭い」と受け止めます。次回は、レヴィ=ストロースがどんな人生を歩み、なぜブラジルへ向かったのかを見ていく予定です。
まとめ
初回は、構造主義そのものの説明に入る前に、レヴィ=ストロースが何と対峙したのかを明らかにする回でした。神から理性へ、弁証法から実存主義へと移った西洋哲学は、サルトルの「歴史へのアンガージュマン」で一つの集大成を迎え、レヴィ=ストロースはその西洋中心的な前提に疑問を投げかけました。
- レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』で知られる文化人類学者で、構造主義を広めた人物として思想史で重要視されている
- 構造主義は決定版の定義がない難解な概念で、理解にはそれまでの西洋哲学の流れを知る必要がある
- 西洋哲学は、ギリシャ哲学、キリスト教、デカルト、ヘーゲル、実存主義を経て、サルトルが集大成的な哲学を示した
- サルトルは歴史に主体的に参加することを最良の生き方としたが、レヴィ=ストロースはそれを西洋中心主義的だと批判した
- 次回は、レヴィ=ストロースの人生と、ブラジルでのフィールドワークに向かった経緯をたどる




