障害の歴史はなぜ「つらい話」から始まるのか
コテンラジオの新シリーズのテーマは「障害の歴史 声なき声に耳をすませば」です。前回の「老いと死の歴史」に続く3部作の第2弾で、3つ目は社会福祉の歴史が予定されています。
深井さんによると、障害の歴史シリーズは全8話になりました。そのうち最初の6話ほどはつらい話が続き、7話と8話でようやく希望が見えてくる構成だといいます。
今回センシティブで結構なんか全八話分になったんですけど、最初六話分ぐらいずっと結構つらい話ですね、やっぱ。
昔の障害の扱われ方は研究が難しく、史料もあまり残っていません。そのため、鎌倉殿やアレクサンドロスの回と比べると「多分こうだった」という推測の度合いが大きいと、深井さんは前置きしています。
それでも深井さんは、障害の歴史には示唆が多いと感じたと話しています。樋口さんは、今まさに起きている問題にもつながるため、聞き手によっては気分を害する可能性があると懸念を示しました。一方で楊さんは、障害の歴史は学びにも大きくつながると応じています。
眼鏡をかけた人は、なぜ障害者と呼ばれないのか
楊さんは、障害の歴史を勉強するなかで、障害のとらえ方が大きくアップデートされたと話します。一般には、体の欠損や精神の異常があることが障害だと思われがちです。しかし歴史のスパンで見ると、どこまでを障害とし、どう名付けるかは社会のあり方によって大きく変わっていました。
楊さんが挙げた身近な例は眼鏡です。この日は出演者3人全員が眼鏡をかけていました。今の社会で近視の人を障害者と呼ぶことは、あまりありません。
(近視の人を障害者とあまり言わないのは)眼鏡によってその近視がもたらす不便を解消できるからじゃないですか。
一方で、眼鏡も手術もない時代には、近視は一生の障害として固定され、その不便も一生付きまといました。同じ身体の特徴でも、使える技術によって障害と見なされるかどうかが変わるということです。
では、車椅子という技術を使っている人は、なぜ今も障害者と呼ばれるのでしょうか。樋口さんは「日常生活ができないと思っちゃってるから」と答えます。楊さんによると、車椅子を使っても不便が簡単にはなくならず、身体的な特徴に対してデメリットが与えられている状態が続いていること自体が、障害の要素の1つだといいます。
眼鏡や手術で不便が解消されるため、今はあまり障害者と呼ばれない
技術を使っても社会の中での不便が簡単にはなくならず、障害者と見なされる
樋口さんは、障害は人間単体で決まるのではなく、外側の要素で決まるのだと受け止めました。楊さんはこれを、いくつもの線の結び目に障害という概念が現れる、と表現しています。
妊娠しない女性が「障害」とされた社会とは
楊さんによると、障害の定義は時代や文化圏、宗教、政治、医学の領域によってもさまざまです。例として挙げたのが、メソポタミアのシュメール神話 ── 古代メソポタミア南部で都市文明を築いたシュメール人が伝えた神話群。世界最古級の神話として知られ、後のメソポタミアの神話にも影響を与えましたで、そこでは妊娠しない女性が障害とされていました。
楊さんの推測では、当時の共同体では子を成す機能が女性の存在価値と強く結び付けられていました。そのため、妊娠できない女性が障害として括られたのではないかと考えられます。樋口さんは、社会が何を存在価値としているかによって障害が決まるのだとまとめ、楊さんもそれに同意しています。
深井さんは、この考え方を現代に当てはめます。今の社会ではロジカルシンキングができるかどうかが非常に重視されます。その一方で、農耕の時代には、軽度知的障害という区分そのものがなかったといいます。
昔、農耕時代に軽度知的障害なんてなかったんですよ。わかんないし、あっても農作業できるんで。
深井さんは、障害には「絶対性がない」と話します。何を障害と見なすかは、社会が何を良しとするかと密接に結び付いているということです。
障害を構成する6つの要素とは何か
楊さんは、障害がどのように構成されるかを整理し、6つの要素にまとめて提示します。まず、手足の異常や皮膚病、行動の違いといった「特徴」があることです。楊さんは、この段階ではまだ障害ではなく、あくまで特徴にすぎないと念を押しています。
2つ目は、その特徴によって、歩くのが遅い、意思疎通が難しいといった機能の差異が生じることです。3つ目は、社会の中に評価指標が形成されていることです。肉体的な完全さ、宗教の教えを理解できること、戦う能力、納税能力、近代のIQテストや読み書きのスキルなどがその例として挙げられています。
4つ目は、その評価指標に機能の差異が乗せられて、否定的な評価が与えられることです。生産活動ができないから役に立たない、国にとってコストだ、あるいは宗教的に罰や穢れ、呪いだといった評価がこれにあたります。
5つ目は、その評価に従って、実際の社会で排除や差別、無視が起きることです。スパルタでは戦えないという基準で障害児が遺棄され、ナチスドイツではユダヤ人虐殺の前に大量の障害者が殺されていました。
6つ目は、排除や差別が社会の中に固定化され、修正が難しくなることです。社会はマジョリティを前提に設計されているため、マイノリティである障害者は社会の意思決定に関わりにくくなります。
差別は法律と「世間体」にどう書き込まれたのか
楊さんによると、6つ目の「固定化」では、宗教の教典や法律といった制度設計に、障害者の排除を正当化する理論が書き込まれていきます。例として挙げられたのが明治の日本です。従軍できない障害者は国民の義務を果たせていないとされ、法律によって義務教育から排除されました。
楊さんは、法律のような目に見える形でなくても、障害は悪いもの、社会にいらないものという認識が積み重なっていくことで、人々の意識の中に排除の基準ができていくと指摘します。その最もわかりやすい言葉が「世間体」です。
楊さん自身にも、子どものころの記憶があるといいます。街で障害のある人を見かけたとき、周りの大人が子どもに向かって「あの人は前世で悪いことをしたからああなった」と言い聞かせる光景に遭遇したことがあるそうです。
それを子供に言うんですよね。そうならないように、あなたはちゃんといい人間でいなさいよっていうふうな光景を、実は僕も小さい時に遭遇したことがある。
樋口さんは、社会全体がそうだったのだから、そう言ってしまう個人だけが悪いわけでもない、という点がつらいと話しました。深井さんは、その社会がやっと変わってきていると応じています。
狩猟採集の時代に「障害者」はいなかったのか
ここから話は歴史に入ります。深井さんによると、狩猟採集社会では、そもそも障害者問題が存在していなかった可能性が高いといいます。自然環境が厳しく、障害があると生き残れないため、社会の問題として認知されていなかったというのです。
障害者って誰も思ってない。シンプルに生活できないとか、生きていけない、しょうがないねみたいな感じで思われてる可能性があると。
楊さんは、この時代を前期旧石器時代 ── 人類が石器を使い始めた旧石器時代のうち最も古い段階。番組では約260万年前から約30万年前とされ、打ち割っただけの素朴な石器が中心でしたとして説明します。年代を「約30年前」と言い間違え、樋口さんに「俺10歳の時、石で飯食ってるじゃないですか」と突っ込まれる場面もありました。
楊さんによると、当時も手足が折れたといった身体の欠損は認識されていたものの、おそらく見捨てられていました。食料不足、病気、けが、獣、災害、冬の寒さといった自然淘汰の圧力が強く、サバイバル力の弱い人は障害だと認知される前に亡くなっていたと考えられます。
一方で、生産手段をみんなで共有していたため、分配に差をつけるロジックはあまりなかったといいます。深井さんは、障害者か老人か子どもかは関係なく、狩りや採集ができるかどうかが分岐点だったとまとめています。今日でいう障害は、膨大な生存リスクの中に埋没していたということです。
骨の化石が語る、共同体に世話された人々
中期から後期の旧石器時代、約30万年前から約1万年前にかけて、変化が起きます。楊さんによると、障害のある人が共同体の中で生存を認められていたことを示す、考古学的な証拠が見つかっているそうです。
1つはイラクのシャニダール洞窟 ── イラク北部にあるネアンデルタール人の遺跡。遺体の周辺から花粉が見つかったことから、花を手向けて埋葬したのではないかという説で知られていますで見つかったネアンデルタール人の骨です。生まれつき右腕が萎縮していた人物で、当時としては最高齢の40歳程度まで生き、花を供えられて葬られていたと報告されています。日本でも、十数年間寝たきりだったとみられる人の骨が貝塚から出土し、集団の中で世話されて亡くなったと考えられています入谷貝塚。
楊さんは、集団で世話をする行動が生まれた理由として2つを挙げます。1つは、余剰生産物ができて、生産できない人を受け入れる余裕が生まれたことです。もう1つは、平等な分配がまだ機能していて、分配の対象が生産できない人にも広がったことです。
その共同体に一員として存在できさえすれば、生きることを認められたっていうふうな概念だったのではないかな。
さらに、財産を私有する概念がまだ薄かったため、生産性を上げる動機も、仕事ができるかどうかという評価基準も形成されていなかったといいます。楊さんは、どこまで一般化できるかはわからないとしつつも、積極的な差別が生まれる素地はなかったのではないかと話しています。
樋口さんは、組織が大きくなると分業が進み、腕がなくても計算だけで役割を果たせる人が出てくるのではないかと想像を話しました。楊さんは、分業の進み具合も大きなポイントだったと認めたうえで、分業によって仕事の重要度に差が出てくる可能性にも触れています。
富の傾斜配分は、なぜ差別を生んだのか
深井さんによると、次の時代には財産が蓄積され、権力者や権力体が生まれます。権力体は富を傾斜配分するようになり、古代中国や古代エジプトのように、貴族には多く、平民には少なく配分する社会ができていきました。深井さんは、ここから差別が本格的に現れると話します。
楊さんは、人間は複雑な社会を築いて自然淘汰の圧力を克服したものの、皮肉にも今度は社会からの淘汰の圧力にさらされるようになったと指摘します。自然による淘汰から、人間による人間の淘汰へと変わったということです。
楊さんによると、支配階級は基本的に労働をせず、生産する人から収奪します。そこで「生産できるから生かす」「生産できないから無視していい、殺してもいい」という価値評価の基準が生まれました。
この富は単にお金とか食べ物だけじゃないんですよね。意思決定も富になるし、存在意義も富になるんですよね。
深井さんはこの流れを会社にたとえます。例えば樋口さんの株式会社ブックが突然2兆円の利益を出したら、誰にどう配分するかの理由を決める責任が、権力体に生じます。何もしないという選択はできないということです。
樋口さんの会社は、今は全員がギリギリ生活できる給料で運営されており、差がないといいます。深井さんは、小さな組織でも同じ道をたどり、配分のための合意のロジックが必然的に生まれ、それが差別のロジックにつながると話しています。
楊さんによると、富を分配されない弱者の中に障害者が含まれ、1つのカテゴリーとしてくくられていきました。深井さんは、ごく少数ながら宗教的に神聖視される場合もあったものの、基本的にはつらい立場に置かれていったと補足しています。
古事記とスパルタ、プラトンに見る「捨ててよい」理論
楊さんは、具体的な差別と排除の理論を紹介していきます。1つ目は「捨ててよい、殺してよい」という理論です。日本の古事記にはヒルコ神話 ── イザナギとイザナミの間に最初に生まれた子ヒルコ(蛭子)が、葦の船に乗せて流されたという古事記の神話。後に恵比寿信仰と結び付けられることもありますがあり、障害があったとされる子が船に乗せられて流されています。
楊さんの推測では、血筋の正当性よりも身体の欠陥が優先され、統治者として不適格と判断されたのかもしれません。深井さんは、血筋はよくても身体が欠損しているから捨てた、と整理しています。
古代ギリシャのスパルタでは、リュクルゴス ── 古代スパルタの伝説的な立法者。市民の平等や厳しい軍事教育など、スパルタ独特の制度を定めたと伝えられていますの法の中で、市民となる資格のない虚弱な子は遺棄されていました。深井さんは、スパルタは戦えるかどうかという基準がわかりやすかったと振り返ります。
哲学者のプラトンも、健康でない生命は価値がないと断じ、優れた男女は大いに子を作り、劣った男女は控えるよう説いたそうです。楊さんによると、こうした優生学 ── 人間の遺伝的な質を改良しようとする思想。19世紀後半に体系化され、20世紀には強制断種や障害者の殺害など深刻な人権侵害につながりました的な発想は、このころからすでにあったのです。
楊さんは、古代ギリシャではポリスを守る存在として男の肉体が強く意識され、戦えない男性はほとんど価値がないとされたと説明します。また、外に見える肉体が内面の精神を表すと考えられていたため、体に欠損があると中身もだめだと見なされ、政治的な地位にも就けませんでした。
古代中国とバビロニアでは、障害はどう扱われたのか
楊さんによると、古代中国の秦では、先天性の奇形や身体不全の子を殺しても罪に問わないという記録が残っています。また、刑罰で障害を負った人は重要なポストに就けないのが一般的でした。
深井さんは、刑罰で両足を切断されながら重要な地位に就いた孫臏を例外として挙げます。楊さんは、例外だったからこそ歴史に残ったのだろうと話しています。
もう1つの方向として、障害が「脅し」として利用されたケースがあります。ハンムラビ法典 ── 紀元前18世紀ごろ、バビロニアのハンムラビ王が制定した法典。「目には目を」の条文で知られ、石碑に刻まれて現存していますでは、法を無視したり勝手に変えたりすると、重い病や悪性の皮膚病にかかるという呪いが書かれていました。
樋口さんが「病気も障害に入るのか」と尋ねると、楊さんは、今なら治せる病気でも、治す手段がない時代には障害として固定化される可能性があると答えました。
古代バビロニアでは、土地の境界に建てる境界石にも、境界を侵すと障害になるという脅しが刻まれていました。楊さんは、社会が複雑になって利害が対立するなかで、障害がネガティブな文脈で使われるようになったと見ています。冒頭で紹介した「こうなりたくなければちゃんとしろ」と子どもに言う大人も、同じ構図だといいます。
ローマの宮廷愚者は、なぜ「身代わり」にされたのか
楊さんによると、ローマ帝国では、知能の遅れや体の欠損がある奴隷を持つ習慣があり、それが道化の起源とされています。彼らは裕福な家の晩餐の席で客をからかい、座を楽しませていました。
なかでも宮廷愚者と呼ばれた人々は、障害の程度がより重く、高値で取引されていました。役割の1つはペットのような存在で、本には「現代の犬や熊のぬいぐるみのような感覚」と書かれていたそうです。
もう1つの役割はスケープゴートでした。人々は自分の穢れや罪、不幸を宮廷愚者に引き受けさせ、あざけりの言葉を浴びせたり、殺したりしていたといいます。すでに十分不幸な彼らは妬みを招かないと考えられ、魔除けとして使われていました。
(宮廷愚者を身代わりにするなんて)なんでそう思ったんでしょうね。すげえな。
人権がないからでしょ。同じ人間だと思わないと何でもできちゃいますね。
障害の珍しさが重視された例もあります。メソポタミアでは国家事業の占いに使われ、「障害のある子の左腕が短ければ、その土地は貧しくなる」といった占いの結果がデータベースとして整理されていました。
日本霊異記の説話は、障害児を救っていたのか
仏教では、障害に畏敬の目が向けられる観念もあったといいます。平安時代初期の日本霊異記 ── 平安時代初期に僧の景戒がまとめた、日本最古の仏教説話集。善悪の行いに報いがあるという因果応報の話が多く収められていますには、障害児の生存を正当化するような話が載っています。
年老いた夫婦に障害のある子が生まれ、縁があると思って慈しんで育てたところ、その子は7歳のとき、生まれてからずっと握っていた左手を開きました。そこから舎利(仏の遺骨)が転がり出て、人々が競って寄付をしたことで、七重の塔が建ちました。仏教を大事にしていた父親の願いがかなった途端、子どもは息を引き取ったという話です。
樋口さんが「今の感覚に近い」と言いかけると、深井さんはすぐに否定しました。
だから子供が亡くなって、障害者だった子が亡くなって、自分の夢が叶うって話なんで。
楊さんも、この説話は障害のある子どもが救われる話ではないと付け加えています。
光と闇は同時に生まれる。ヒエラルキーとカテゴライズの代償
深井さんは、富の傾斜配分が始まってから状況が加速度的にひどくなり、奴隷や女性と同じように障害者もひどい扱いを受けたと振り返ります。樋口さんは、富が生まれて高く評価される人が多くもらえるようになることは本来よいことのはずなのに、光と同時に闇が生まれると感じたと話しました。
深井さんは、人は自分に適切な配分がされないと腹が立つものだと話します。そのうえで、頑張った人に配分する制度を否定しているわけではなく、富の傾斜配分そのものが悪いわけではないと強調しました。会社も、少人数で平等だった段階から平等ではなくなっていく点で、同じステージをたどると感じたそうです。
楊さんは、ヒエラルキーとカテゴライズによって人類は大きな文明を築いた一方で、その主流や上位に入れない存在として、障害者、女性、奴隷、同性愛者などが生まれたと話します。深井さんは、原始社会に戻るべきだとはまったく思っていないとも補足しています。
次回の第2話では、宗教が社会の基盤になっていくなかで、差別のロジックがどう確立されていったかが語られる予定です。深井さんは、つらい話だからこそ、人間がこういうことをしてしまうと認知しておかなければ、似たことを理性で防げないと話しています。
まとめ
障害の歴史シリーズ第1回では、障害が身体の特徴だけで決まるのではなく、技術や評価基準、社会の構造との関係の中で生まれることが示されました。そして、富の傾斜配分と権力の誕生が、障害者を差別し排除する論理の出発点になったことがたどられています。
- 近視と車椅子の比較が示すように、障害は技術や社会との関係の中で認知される
- 障害は、特徴、機能の差異、評価指標、ネガティブな評価、排除、固定化という6つの要素で構成されると整理された
- 狩猟採集の時代には障害はカテゴリーとして認識されず、旧石器時代の中期から後期には共同体が生産できない人を世話した痕跡も残っている
- 富の傾斜配分と権力体の誕生によって、人間が人間の価値を決めるようになり、差別が本格化した
- 古事記、スパルタ、秦、バビロニア、ローマ、日本霊異記に、障害を捨てる、脅す、利用する論理が見られる





