障害者は社会から完全に排除されていたのか?
「障害の歴史」編の第2話は、第1話で見た「障害者が差別・排除されることがデフォルトの社会」の続きとして始まります。楊さんは冒頭で、どう話しても傷つく人がいるかもしれない重いテーマだと断っています。
深井さんが示したこの回のテーマは、宗教が障害をどう説明し始めたかです。宗教によって強固な差別ロジックが確立される一方で、障害者は社会から完全に排除されていたわけではなく、社会の中に組み込まれて生きていたといいます。
今回は障害っていうのを宗教がどう説明し始めるのかという話をしていきます。基本的にやっぱり差別ロジックがちゃんとあって、それが確立されてしまうっていう現象が起こるんですね。
ちゃんと生きてたもんね。
楊さんは、障害者がずっと100パーセント差別されて死んでいったと受け取られないように、この第2話でいくつかの事例を拾いたいと話します。最初の例は古代メソポタミアです。
古代メソポタミアでは、国営の職場や神殿が、軽度の障害者や耳の聞こえない人、目の見えない人に仕事を与えようとしていた記録が残っているそうです。目の見えない人は籠細工の職人や歌手、音楽の仕事に就いていたといいます。
楊さんはシュメール神話も紹介します。神々のエンキとニンマフのうち一方が障害を持つ6人の人間を作り、それぞれに職業を与えていく話で、弱い腕の者には裁判所の職員、目の悪い者には歌手の仕事が割り当てられます。神話とはいえ、ある程度は現実社会を反映していると考えられているそうです。
古代中国で目の見えない人が占いを担った理由
古代中国では、障害を持つ人の一部が吉凶を占う仕事に就いていたと楊さんは説明します。目の見えない人だけでなく、体に障害を持つ人も占いに携わっていたそうです。
古代中国の占いと障害者の結びつきについて、楊さんは、目の見える人から見ると、障害者は目に見えない世界のことがわかると捉えられていたようだと話します。文字より話し言葉に頼る聴覚優位の時代だったことも、活躍できる条件になったのではないかと考えられているといいます。
目が見えないからこそ見えるものがあると思われてたと。
樋口さんは、声だけで相手が座って話しているか立って話しているかがわかる人がいるという聞きかじりの話を挙げ、占いと障害の結びつきは「あながち完全にオカルトではない」のではと反応しました。
ただし古代中国には逆の面もありました。楊さんによると、占いに従事させるために、わざと目を傷つけて見えなくすることもあったと、白川静 ── 日本の漢文学者で、甲骨文字や金文をもとに漢字の成り立ちを研究しました。字の起源を古代の呪術や祭祀と結びつけて読み解いたことで知られますさんの漢字研究では言われているそうです。神の意思を伝えるメッセンジャーにすることが目的だったのではないかとされます。
もう一つの特徴は、古代中国の支配者が紀元前の早い段階から障害者を社会の一つのカテゴリーとして認知し、救済措置を記録に残していたことです。紀元前10世紀、西周の穆王が定めた法には「老いて配偶者のいない男女や無力な人々」という記述があり、この「無力な人々」は障害者を指すと考えられているといいます。
儒教の経典『礼記 ── 儒教の経典の一つで、礼に関する議論や儀式、制度などをまとめた書物です。古代中国の社会規範を知る資料として読まれています』には、言語障害や足の不自由な人、小人、背中の曲がった人がそれぞれに「器」を持って暮らしているという記載があるそうです。楊さんは「器」を、自立して仕事を持っていることだと説明しました。ただ、実際にどこまで実行されたかは判断が難しく、そうした仕組みがなかったからこそ理想として記録された可能性もあると楊さんは付け加えています。
琵琶法師から生まれた当道座という自助組織
楊さんは、障害者が自分たちで支え合う「自助」の事例も紹介します。特に目の見えない人の自助は多く、日本の琵琶法師、朝鮮の目の見えない占い師、中国の目の見えない楽師などの記録が残っているそうです。
東アジアのこうした盲人の集団には共通点があると楊さんは言います。組合のような組織を作って活動していること、そして音楽や語り物、占い、宗教儀礼といった分野で活躍していたことです。
日本の例が当道座 ── 中世から近世の日本にあった、男性の盲人による自治的な職能組織です。江戸時代には幕府の保護を受け、検校を頂点とする階級制度を持っていましたです。楊さんの説明では、平家物語に曲をつけて演奏する琵琶法師たちが、自分たちの利権を確保するために「座」を作ったことが母体になったといいます。
南北朝時代には、目の見えない琵琶法師だった明石覚一が当道座を整理・体系化し、トップに就いたそうです。トップの役職名は検校で、明石覚一検校とも呼ばれています。時代が下ると、当道座の人々は琵琶だけでなく按摩や鍼灸の仕事にも就くようになりました。
琵琶法師
平家物語に曲をつけて演奏する目の見えない演奏家たちがいた
座の結成
自分たちの利権を確保するため、組合のような「座」を作った
体系化
南北朝時代、琵琶法師の明石覚一が組織を整理し、検校としてトップに就いた
職域の拡大
時代が下り、按摩や鍼灸の仕事にも就くようになった
楊さんは、当道座を障害を持つ人たちが生きてきた足跡として知っておいたほうがよいと話し、樋口さんは仕事の斡旋のような機能もあったのかと受け止めました。
「障害」という言葉はなぜ広すぎるのか
当道座の話を受けて、深井さんは「障害」という言葉が広すぎると指摘します。目の見えない人の扱いと、歩けない人の扱いはまったく違ったはずだからです。
なんで障害者全般がという意味で受け取らないでいただきたいですが、一部の事例として、一部の障害、こういう領域の障害を持った方がこのように扱われてた事例があるぐらいの感じなんですよね、これ。
そのうえで深井さんは、一部の障害者が社会参画する事例がある一方、差別と排除のロジックは強固に加速していったと整理します。各宗教が「これこれこういう理由で障害はこうだ」と語り始め、同時に弱者を救済するためのロジックも生まれてきたといいます。
なるほど。(宗教は差別を)作り出しもするし、救済もするってことか。
ダブルのロジックが働いているのが、実は宗教の特徴としてあるなというふうに思います。
深井さんは、宗教は一筋縄では語れず、信者から見れば違うと感じる部分もあるかもしれないとしたうえで、ここでは典型的な例として紹介すると断っています。
キリスト教は障害者を隣人として救い、罰としても語った
楊さんは、キリスト教、イスラム教、古代中国の儒教、日本の仏教を順にたどります。最初はキリスト教です。
キリスト教の救済ロジックの例として、楊さんは『レビ記 ── 旧約聖書に収められた書の一つで、祭儀や清浄と不浄の区別、日常の戒律などを定めています』の「耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない」という記述を挙げます。背景には、共に生き、互いに愛し合う「隣人」という考え方があり、そこに障害者や社会的弱者も含まれていたといいます。
新約聖書には、イエスが障害や病を抱えた人を癒す物語が多く記されています。楊さんが紹介した解釈の一つは、障害の有無や貧富にかかわらず、神への服従を求められる人間として同じだと強調しているというものです。旧約聖書には障害を罰と読める記述もあったものの、イエスの登場によって「イエスを信じれば救われる」という点が強調されるようになったといいます。
キリスト教が浸透すると、現世の良い行いによって最後の審判で天国か地獄かが決まるという考えが広まり、その良い行いの一つに障害者の救済が位置づけられました。ルカによる福音書には、宴会には貧乏人や障害者、目の見えない人を招けば、正しい人々の復活の際に報いられるとあるそうです。
ソーシャルな目的ではなくて、あくまで自分たちが救われるために障害者を救うっていう、そういうロジックですよね。
一方でキリスト教には差別と排除のロジックもありました。重い皮膚病は汚れたものとされ、健常者の共同体から隔離されたという記述が残っています。身体に障害のある人は祭壇での奉仕を許されず、聖なる領域を守るために汚れた者を排除する、という論理だったと楊さんは説明します。
楊さんはこの排除の背景を、会社のスタートアップ期にたとえます。一神教を貫くためにメンバーが他宗教に染まらないよう規範を強める必要があり、その脅しの手段として「他の宗教に行くと障害の罰を受ける」と語られた側面があったといいます。樋口さんはこれを「アメとムチのムチ側」と表現しました。
樋口さんは、聖書に「目の見えない人の前に物を置くな」と書かれていること自体、そういう人が実際にいたことを示しているのではと考えます。宗教が障害を定めたとも、もともとあったものをフォローするために明文化したとも取れ、鶏と卵のようにどちらが先かわからないという印象を語りました。
もしかしたら根本的にはソーシャル的な目的をしていたけど、それを実際に行動させるためにあなたのメリットがありますよって言ってる可能性もあるし。
楊さんは、救うロジックで社会から排除された人を宗教共同体に取り込み、罰のロジックで神聖性を保ってメンバーを引き締める、という両面が当時の宗教には必要だったのだろうと応じています。
完全なのはアッラーだけ、イスラム教の障害観
イスラム教の聖典クルアーン ── イスラム教の聖典で、預言者ムハンマドに下された神の啓示をまとめたものとされます。114の章から成りますにも、目が見えない、口がきけない、耳が聞こえない、足が不自由といった障害の表現があります。ただしキリスト教と同じく比喩として使われる場合も多く、すべてが現実の障害を指すわけではないそうです。
クルアーンで語られる障害の理由は、信仰の拒否や欠陥、神の意志、神が与える信仰の試練などです。そのうえで楊さんが面白いと挙げたのが、イスラム教では障害は人間なら当然ありうる自然な性質の一部とされた、という見解です。
完全なものはアッラーだけで、人間はそもそもそのアッラーを前に完全じゃねえだろっていう話ですね。
そもそもみんななんかおかしいんだと。なるほど。
イスラム教のケアのロジックとしては、身体に障害のある者の社会的義務の免除があります。クルアーンには、目の見えない人や足に障害のある人、病人は戦争に行かなくても罪はないとあるそうです。ただしアッラーへの忠誠が条件でした。
障害者も教育を受けるべきだとされましたが、それは現代の義務教育のようなものではなく、イスラムの教えを受けることを指します。あくまでアッラーへの帰依のために、障害者を共同体に包摂する考え方だと楊さんは説明します。
一方で、クルアーンには障害者を無力な者、社会のお荷物とする箇所もあると楊さんは紹介しました。番組内では「イスラム学者サラ・ヤシン」の解釈として、障害は神の罰で障害者と付き合うのは恥だという見解も挙げられましたが、エピソード説明では、サラ・ヤシンは学者ではなくクルアーンの章の名前(ヤースィーン章)だったと訂正されています。樋口さんは「優しかったり厳しかったりする」と受け止めていました。
儒教は障害者に何を求め、何を理想としたか
儒教を宗教と捉えられるかは微妙だとしつつ、楊さんは古代中国の儒教も取り上げます。自分をエリートと自覚する者は、障害者を笑ったり蔑んだりすることを慎むべきだという意識があったそうです。
ただ儒教のこの意識は近代の人権思想に基づくものではありません。相手が優れた人物なら、障害があっても蔑むべきではないという論理で、焦点はあくまで相手をエリートと認めることにあり、障害そのものではなかったと楊さんは説明します。
孔子には障害者を敬うエピソードもあります。目の見えない楽師が訪ねてきたとき、孔子は「ここが階段ですよ」「ここがお席ですよ」といちいち丁寧に導いたそうです。論語には、人には教育による違いはあっても生まれつきの区別はない、という趣旨の言葉もあるといいます。
古代中国の為政者が障害者福祉を行った理由として、楊さんは、障害者が職業に就けているかどうかが政治のバロメーターとされていたことを挙げます。そこで持ち出されたのが、禅譲 ── 君主が徳の高い人物に自発的に位を譲る政権交代の形式です。儒教では理想とされましたが、実際には圧力による帝位の移譲を正当化する形式として使われることが多くありましたと放伐という2つの政権交代の型です。
君主が徳の高い人物に位を譲る理想の形。国内が統一され、良い政治のもとで障害者もそれぞれ職業を得て見捨てられないとされた
悪逆な王を徳のある人物が討伐する形。世が乱れて疾病が流行り、さまざまな障害者が表に現れるとされた
禅譲と放伐の対比について、深井さんははっきりと「建前上でしょうね」と指摘します。
禅譲なんてただの簒奪ですからね。譲るわけないじゃないですか、自分の王朝を人に。
深井さんは、儒教の書物にある障害者救済も理想を示したものとして受け取らないと、実際に行われたことだと認識がずれてしまうと話しました。楊さんも、現実がひどすぎたからこそ誰かが理想を示す必要があったのだろうと応じています。
血筋を継ぐ「伝宗接代」が生んだ根強い差別
儒教の救済が建前に近いのに対して、差別と排除のロジックは実態に近かったのではないかと楊さんは考えます。その核にあるのが、中国の伝統的な「伝宗接代 ── 家系の血筋を絶やさず後世に引き継ぐことを重んじる中国の伝統的な考え方です。跡継ぎの男子をもうけることが強く求められました」の考え方で、今も大事にされているといいます。
伝宗接代には2つのポイントがあります。1つは子どもを成すことで、孟子らは跡継ぎがいないことを親不孝だとしました。もう1つは、一族が福を得るための祖先崇拝と先祖祭祀です。
伝宗接代の考えのもとでは、障害を持つ子どもは跡継ぎとみなされませんでした。体の悪さが引き継がれると考えられたうえ、祖先に悪行を犯した結果として障害が出ている、とも捉えられたからです。深井さんは、遺伝しない障害もたくさんあるが、そう思われていたということだと補足しています。
だから、先祖からの連続性を損なう障害者っていう存在はですね、先祖を祀ることができないんです。一族の繁栄に寄与しないんです。
楊さんは、伝宗接代の考え方のもとで、おそらくかなり根強い差別と排除があったのではないかと考えられると述べています。
日本の仏教は障害の原因をどう語ったか
最後は日本の仏教です。仏教説話には、雉を殺した人の子孫の手が雉のようになったという、身体障害を比喩に使った話があります。狂乱や狂気といった精神障害にあたりそうな症状も容赦なく描かれ、鬼病や狐憑きとして記述されているそうです。
楊さんが面白い観点として挙げたのは、障害とみなされるまでの2段階です。体調が悪いとまず治療を行い、治療で結果が出なかった場合や、経済的に治療できなかった場合に、原因が宗教的なものに求められたといいます。
治療
体の調子が悪いと、まず治療行為が行われた
医学の限界
治療で結果が出ない、または経済的に治療できない状態が残る
宗教的説明
悪霊が憑いている、前世からの罰だと捉え、仏に祈りを捧げる
仏教における障害の原因として、楊さんはいくつかの見立てを整理しています。
因果応報の考えに基づく、悪行の報いとしての罰
仏に対する信仰上の背信行為への罰
生き物を殺したことが障害につながるとする考え
妬みや嫉み、恨みが障害や病の背景とされた
親に対する不孝が障害と結びつけて語られた
深井さんは、殺生の報いは動物を殺すと返ってくる昔話によくある形だと話し、妬み嫉みの系統はだいたい女性で語られると指摘しました。楊さんも、女性差別とリンクしていると応じています。
慈悲と縁起、行基から一遍へ続く救済
日本の仏教にも救済のロジックと事例があります。楊さんによると、弱者を救う社会福祉の理念は、慈悲と縁起 ── あらゆる存在や出来事は、他との関係の中で成り立っているという仏教の基本的な考え方ですの2つにまとめられるそうです。
慈悲の「慈」は他者に慈しみを与えること、「悲」は他者の苦しみに同情してそれを取り除こうとする思いやりです。縁起は、世界のあらゆる存在が相互に依存し合っているため、平等性に基づく共生の関係にあるという考えで、弱者も同じように救うべきだという発想につながります。
仏教の救済の歴史として、楊さんは飛鳥時代の聖徳太子を挙げます。聖徳太子は四箇院 ── 聖徳太子が四天王寺に設けたと伝わる4つの施設です。寺院の敬田院、薬草を育てる施薬院、病人を収容する療病院、身寄りのない人を保護する悲田院を指しますを作ったと伝えられ、医療施設や、貧困・孤独の人を収容する施設があったとされています。
奈良時代には行基が登場します。当時の仏教は国家統治のための鎮護国家の学問で、僧侶は認可制であり、民衆とはかけ離れていました。行基は広く民衆を救うという仏教本来の姿を取り戻そうと、民間に入っていったといいます。
現場型や。
行基の思想基盤には、自分だけが悟ればよいとは考えず、すべての衆生が悟るまで修行を続けるという菩薩行の考え方がありました。行基は民衆を救い、池や用水路、橋などのインフラも整備していったそうです。
行基のマインドは鎌倉新仏教に受け継がれます。真言律宗の忍性はハンセン病者などの社会的弱者の救済に力を尽くしたことで知られています。時宗の開祖・一遍は盆踊りの起源とされる踊り念仏で知られ、乞食や障害者、ハンセン病者が一遍の活動に参加していた様子を描いた絵が残っているといいます。
宗教も障害もすべては「ストーリー理解」なのか?
4つの宗教を振り返り、深井さんは、どの宗教も差別のロジックと救済のロジックの両方を必ず持っていると整理します。救済の事例はキリスト教にもイスラム教にもあり、世界宗教レベルならどの宗教でも行っているといいます。
深井さんがこの第2話で伝えたかったことは2つです。1つは、富の傾斜配分が始まった社会でも、一部の障害者は社会参加していたという事実です。もう1つは、宗教が社会のOSになるなかで、障害というカテゴリーとその理由、救済すべき理由が作られていったことで、深井さんはそれを「全部ストーリー理解だな」と表現しました。
深井さんは、金持ちや貴族がプラスの方向で社会に組み込まれているように、障害はマイナスの方向に組み込まれてきたと言います。性の歴史で同性愛者や女性への差別を学んだときと同じく、すべては決めの問題、認識の問題だと感じたそうです。
しかも誰かがバーンって決めてるわけじゃないんですよね。社会が決めてるとはいえ、社会っていう言葉さえもが実体のない絶対性のないものだから、何かこう、ぶわっと合意形成されてる。
樋口さんは、差別や排除、殺すといった行為がまずあり、それを正当化する理論があとから登場する流れがあるのではと語ります。子育てでも、家族がいじめられて嫌だと思ったときに理由を持ち出すと、その認識に社会が上乗せしてロジックが強固になっていく、と実感を重ねました。
深井さんは、絶対性のないものを絶対だと思い込み、無理やりストーリーをつけて説明した気になって、生きていて楽しい、あるいはつらいという現象がいたるところで起きていると話します。ただ、それを悪いとは思わず、そういう習性の動物なのだと考えているそうです。
お菓子の謎ルールと、偶然を受け入れられない人間
樋口さんは、人間の「後付けのルールづくり」を子育ての具体例で語ります。子どもにあまりお菓子を食べさせたくないので「土日だけはいい、平日はダメ」という謎ルールを作ったといいます。
なんでって言われたら、いやもうそういうもんだよみたいな感じで言われるんですけど。じゃあなんか友達と一緒に食べてる時は友達と一緒に食べれないのがかわいそうだから、友達と一緒にいる時はいいみたいな。
樋口さんは、そうやってルールをどんどん足していく営みを、人間社会は「でかい複雑なマジバージョン」でやっているという感覚だと話しました。深井さんも「わかる」と共感しています。
深井さんが最近関心を持っているのは、人間のストーリー理解の特性と、ストーリーではない偶然の産物をどうしても理解できない性質です。障害も、いい悪いを言う前にそもそも偶然の産物であり、一神教はそう考えないものの、人間の存在自体が偶然の産物だといいます。
なんで手が使えないのか。罰だからだみたいな。ただ手使えねえだけだろみたいなとかが思えないみたいなのがなんかすごい興味深くて。
だって俺今それ聞いて、なんで人間ってストーリー理解しかできないんやろ、理由は何やろって考えてますからね。
深井さんは、ホッキョクグマが北極にいることを誰もあざけらないのに、人間は自分たちの特性をすごいと言ったりダメだと言ったりする、と面白がります。楊さんは、ストーリー理解をしなければ生きる理由を自分たちで生み出せなかったのだろうと応じ、深井さんも脳が発達しているから神話を作ってしまうのだろうと話しました。
次回、差別の理由は宗教から科学へすり替わる
深井さんは次回の予告として、宗教というOSで障害が説明され、差別も救済もロジックで考えられていた時代が長く続いたあと、西洋が啓蒙主義の理性の時代に突入すると、そのロジックが科学にすり替わっていくと話します。
深井さんによれば、変わるのは「なぜダメなのか」を説明するストーリーの中身であり、差別そのものは続くということです。自分が納得していれば説明は何でもいいのがホモサピエンスだと、深井さんは話しています。
楊さんも、正しさの評価基準に宗教に代わって科学が入り込み、科学的に障害者を定義するようになると補足しました。今後の回ではダーウィンの進化論や優生学も扱われる予定だと予告されています。
宗教の時代
罰や試練など、宗教ごとのロジックで障害が説明され、差別と救済の両方が語られた
理性の時代へ
西洋が啓蒙主義の時代に入る
科学の時代
差別は続くが、その理由の説明が宗教から科学にすり替わり、科学的に障害者が定義される
最後に樋口さんが「ストーリー理解したい」と締めると、深井さんは「僕もこれをストーリー理解してますから」と返し、楊さんも「この台本構成がストーリーになってますけど」と笑いを添えて第2話は終わります。
まとめ
「障害の歴史」編の第2話は、差別が当たり前の社会でも障害者の一部が職業や自助組織を通じて生きていた事実を確かめ、宗教が障害に対して差別と救済という二重のロジックを与えてきたことを描きました。その先に見えてくるのは、何にでも理由とストーリーを付けずにいられない人間の性質です。
- 古代メソポタミアや古代中国では、一部の障害者が職人や歌手、占い師として働き、日本では琵琶法師から当道座という自助組織が生まれた
- キリスト教、イスラム教、儒教、仏教はいずれも、障害を罰として差別するロジックと、弱者を救うロジックの両方を持っていた
- 儒教の障害者救済は建前に近い理想で、伝宗接代による差別のほうが実態に近かった可能性があると語られた
- 深井さんは、障害も含めたカテゴリーは認識と合意形成で作られたもので、感情で決めたことを後付けで説明するのが人間だと話した
- 次回は、差別の理由の説明が宗教から科学へすり替わっていく時代が扱われる




