上品で多才な青年エンゲルスとは何者か
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前回まではマルクスがライン新聞を発行するところまでが語られてきました。今回は視点を変えて、もう一人の主役であるエンゲルスの前半生に光が当てられます。
深井さんによると、エンゲルスは美男子とまではいかないものの、上品で魅力にあふれた人物だったといいます。身長は180センチ、澄んで輝いた目に、黒っぽいツヤのある髪、滑らかな肌をしていたと記述されています。
背が高くスラリとしており、身のこなしは素早くキビキビとし、話し方は簡潔できっぱりとして、姿勢はまっすぐで軍人を思わせるものがある。
友人たちは、エンゲルスがとりわけ外見にこだわり、いつでも身なりを整え、徹底的に清潔にしていたと語っています。ここで深井さんが対比するのが、風呂に入らずパンツも何日も替えないと書かれていたマルクスの姿です。
(マルクスは)何日もパンツを替えないって書かれてるんです。
エンゲルスには「将軍」というあだ名もありました。後に彼の軍事評論を見たマルクスの娘エリノアがつけた呼び名が定着したもので、いかにも軍人を思わせる雰囲気を持っていたようです。
信心深い父と、詩を贈る母のもとで
エンゲルスの生まれは、マルクスの故郷トリールからそう遠くないバルメンというドイツの町です。相当に裕福で、かつひどく宗教的な家庭でした。
父親は息子と同じフリードリヒ・エンゲルスという名前で、番組では混乱を避けるため「エンゲルスのお父さん」と呼ばれます。麻の漂白から綿の紡績へと多角化を図り、マンチェスターに工場を立ち上げるほど成功した人物でした。
この父は信心深く、深井さんによれば、その信心による抑圧がエンゲルスにとっては嫌だったようだといいます。エンゲルスが後にヘーゲル左派 ── 哲学者ヘーゲルの思想を受け継いだ若い世代のうち、宗教批判や既存体制への批判を強めた急進的な一派。マルクスやエンゲルスもこの流れの影響を受けていますに近づき、無神論者的になっていった背景には、こうした家庭への反動があったと考えられます。
一方、母エリーゼは商売人ではなく、知的で寛大な人だったと伝えられています。クリスマスにエンゲルスへゲーテの詩を贈るようなタイプの母だったといい、樋口さんは自分の家ではありえないと驚いていました。
大学を望んだ少年が家業に戻されるまで
エンゲルスも、マルクスと同じくギムナジウムに進みます。当時のエリートが通うこの学校では、リベラルな考えを持つ生徒が多く、エンゲルスも徐々に左派的な考えへ向かっていきました。
エンゲルスは語学の才能に恵まれ、文学も好きな少年でした。自作のギリシャ史を朗読したり、自作の音楽を演奏したりと、アーティスティックな一面を持っていたといいます。
本人は大学に進みたかったものの、家業を継がせたい父はそれを許しませんでした。校長から高い評価を得ていたにもかかわらず、卒業の一年ほど前に家業へ戻され、従事させられます。
エンゲルスはこの時期を「一年に及ぶ辛い期間、面白味に欠ける謎の手ほどきを受けた」と表現しています。家業を継がされたことが、彼にとっては退屈で辛いものだった様子がうかがえます。
父の会社は、もともとプロイセンのバルメンからイギリスのマンチェスターに進出し、エルメン・エンゲルス商会という事業を営んでいました。深井さんによれば、この父は労働者を過酷にこき使うタイプの工場主ではなかったといいます。
こうした環境で育ったことが、後にエンゲルスが労働者側につく思想を持つルーツの一つになったと深井さんは見ています。本人は生まれも商才もある資本家でありながら、思想は労働者側へ向かっていく点が、エンゲルスという人物の面白さです。
家業の経験が資本主義理解の土台になった
家業を手伝った経験は、エンゲルスが資本主義のメカニズムについて詳細な知識を身につけることに寄与しました。深井さんはこれを、後の『資本論』につながる重要なルーツとして位置づけています。
マルクスは資本家になることを嫌い、実務からは距離を置いていました。その一方で、エンゲルスが実際の商売を通じて資本主義の背景知識を持っていた点を、深井さんは二人の組み合わせの妙として面白がっています。
エンゲルスは外国の取引先とのやり取りを処理する仕事に就いていました。仕事の合間には、ダンス教室やフェンシング、乗馬での旅行、コンサートや作曲、若い女性との交際など、ハイソサエティな生活を送っていたといいます。
(エンゲルスは)イケメンで家金持ちでいろんな多才なんでしょ?背も高くて。
片やマルクスはパンツ買えてないでしょ。
若くして社会を観察する目を持っていた
インテリだったエンゲルスは、若くして「ヴッパータールだより」という執筆を残しています。工業化された地域の物質的・社会的環境を鋭く描写したものでした。
バルメンを流れるブッパー川の汚染、飲酒による住民の堕落、児童労働や過労、極貧やアルコール依存など、社会の実態が描かれていたといいます。深井さんは、後年イギリスの労働者階級を詳細に調査した論文とも重なる才能を、ここに見ています。
深井さんは、現実を観察し調査して形にするエンゲルスのやり方を、社会学者のようだと評しています。妥協せずきちんと調べる姿勢を持っていた人物だといいます。
樋口さんは、堕落した状況を伝えることで社会を良くしたいという欲求も、エンゲルスの中にあったのではないかと補っています。宗教への憤りを抱えたまま、彼はヘーゲル哲学、とりわけヘーゲル左派の宗教批判へと引き寄せられていきました。
実家を離れる口実だった志願兵とベルリン
学校を辞めさせられ家業を手伝わされていたエンゲルスは、実家から離れたいという思いを強めます。そこでプロイセンの志願兵になり、ベルリンへ向かいました。
ベルリンでは、プロイセンの兵士として訓練を受けながら、政府を批判するヘーゲル左派の人々とつるみ始めます。志願兵になった本当の狙いは、軍務そのものより、この街で新しい思想の輪に入ることだったといえます。
やることといえば、フェンシングに飲み食い、寝る、つまらない仕事しかない。それだけだ。
この発言は、妹マリーへの手紙に書かれたものです。やりたいことができず燻っていたエンゲルスの様子が伝わってきます。
この時期のエンゲルスは、無政府主義者とも付き合っていました。深井さんはこれを「極左」と表現しています。
一方で、裕福な彼はベルリンでもいい生活を送っていました。深井さんは、労働者階級を思いながら本人はしっかり遊び、勉強も読書も飲み会も交際もこなす姿に、むしろ好感を覚えると語ります。禁欲的ではなく人間を謳歌しているところが、エンゲルスらしさだといいます。
父との断絶に見えるジェネレーションギャップ
エンゲルスは1年間の兵役を終え、「道徳と軍務の双方を遵守し、非常に良い行動を取った」と表彰されるほど優秀でした。しかし父としては、早くきちんとした経営者になってほしいと願っていました。
ベルリンで無政府主義者と付き合う息子を、父は不安に思っていました。深井さんは、この父子の関係がマルクスと父の関係によく似ていると指摘します。
ここがさ、そのジェネレーションギャップをすごく共通したものを感じるよね。
深井さんは、この世代間の断絶を時代の産物として説明します。父の世代は青年期がフランス革命前で、比較的安定していました。一方、革命後の激動を青年期に生きた新世代は、父の言うことを聞いてもどうにもならないと感じていたといいます。
青年期はフランス革命前の比較的安定した時代。堅実に家業を継ぎ、経営者になることを当然とする価値観
青年期が革命後の激動期。父の言うことを聞いても未来が開けないと感じ、既存の価値観に反発していく
深井さんは、これは激動の時代に繰り返し起きる現象だとし、現代の日本の30代にも近いものがあると重ねています。父から見れば理解しがたい断絶が、この時代には生じていたわけです。
この頃、エンゲルスはライン新聞をマルクスに働きかけた人物モーゼス・ヘスとも交流し、その縁で編集長のマルクスに会いに行っています。ただし、この最初の接触は意気投合には至りませんでした。
イギリス留学が招いた父の思惑の裏目
兵役を終えたエンゲルスは、父によってイギリスへ留学に送られます。マンチェスターに工場があったこと、そしてベルリンで身につけた思想から引き離したいという父の思惑がありました。
ところがイギリスは資本主義の真っただ中で、労働者の貧困があふれていました。多感なエンゲルスがそこへ行ったことで、父の狙いは完全に裏目に出ます。
裏目に。
エンゲルスはこの地で、労働者の女工メアリー・バーンズと付き合い始めます。身分の差にとらわれないエンゲルスは、労働者の彼女を好きになってしまいました。父からすれば、最も避けてほしい行動でした。
さらにエンゲルスは、メアリー・バーンズの案内でさまざまな場所を訪ね、労働者と親しくなってインタビューを重ねます。そうしてイギリスの労働者階級の実態を調査し、書き表していきました。
資本家の出でありながら、エンゲルスはプロレタリアート ── 生産手段を持たず、自分の労働力を売って生活する労働者階級を指す言葉。マルクスやエンゲルスの思想の中心概念ですに強いシンパシーを感じるようになります。
私は労働者諸君の日常生活を観察し、諸君の困窮について打ち明けて話をし、諸君の圧政者の社会的および政治的権力に対する諸君の闘争を目撃しようとした。
これは後年、エンゲルスが当時を振り返って語った言葉です。自らが資本家側にいながら、労働者の側に立とうとした姿勢がよく表れています。
資本主義最先端の地で見た労働者の悲哀
楊さんの解説によれば、エンゲルスが送られたマンチェスターは当時の綿工業の中心地で、「コットンポリス」とも呼ばれた土地でした。機械を製造過程に取り入れて効率化を進める、資本主義が最先端で駆動する街だったといいます。
エンゲルスは現地の産業化に感動する一方で、労働条件の過酷さという現実を目の当たりにしました。極貧の労働者が大量に生み出されているというファクトを、彼はそこで認識してしまいます。
工場主って労働者を人間として扱ってないよねみたいな。
楊さんは、労働者は自分たちを人間だと思っているのに、工場主はその思いを一顧だにしない、という構図をエンゲルスが見て取ったと説明します。この経験が、彼の思想形成の土台になっていきました。
メアリー・バーンズとの関係は大恋愛でした。深井さんによれば、彼女はとても可愛くウィットに富んだ魅力的な女性だったと発言が残っています。マンチェスターのアイルランド人の女工で、字は少ししか書けず、教育もほとんど受けていなかったといいます。
身分を超えた恋愛も、宗教への批判も、エンゲルスが既存の価値観にとらわれなかったことの表れです。深井さんは、既存の価値観が嫌いだったエンゲルスの性格が、そういう方向へ流れたがる時代にちょうどはまったのだろうと語ります。
論文がマルクスの目に留まり接点が生まれる
マルクスがライン新聞を辞めた後、独仏年誌(ドイツ・フランス年誌)という刊行物を出します。エンゲルスはここに、マンチェスターでの経験の成果として「国民経済学批判大綱」を寄稿しました。資本主義を批判する内容です。
この論文がマルクスの目に留まります。それまでマルクスは、エンゲルスをブルーノ・バウアーらと付き合う人物として軽く見ていたようですが、この寄稿をきっかけに、エンゲルスと話したいと考えるようになりました。
だからその書いたものを見てマルクス側から行ったんですね。
最初の接触では意気投合しなかった二人が、エンゲルスの論文を介して改めて接近していくことになります。二人の関係を動かしたのが書いたものだった、という点を楊さんは面白がっています。
初期の機械化がもたらした労働者問題
この頃、プロイセンでも労働者問題が立ち上がっていました。ドイツ・プロイセンでも機械化と工業化、資本主義化が進み、昔ながらの労働者が生きていけなくなっていったのです。反乱が起こり、プロイセン軍がそれを鎮圧するようなことも起きていました。
楊さんは、当時の産業革命初期の機械導入の特徴を補足します。この時期の機械化は「労働代替型」で、いかに人件費を省いて効率化するかという技術がどんどん入れられていったといいます。
その結果、仕事は字が読めない子供でもできるように設計され、人件費は抑えられました。機械や物には投資が集中する一方で、人間への投資はほとんどないのが、初期の機械導入の特徴でした。
楊さんによれば、マルクスとエンゲルスが生きたのは、まだ初期の産業革命の機械化の時代でした。いかに人間を安く使うかが重視されていた時代であり、それがエンゲルスの見た労働者の悲哀の背景にありました。
そうした状況を、エンゲルスは問題視する論文として書き表していました。資本家でありながら労働者と付き合い、その惨状を記録する、きわめて変わった人物としてイギリスに滞在していたことになります。
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まとめ
今回は、裕福な資本家の家に生まれたエンゲルスが、信心深い父の敷いたレールに反発しながら、労働者側の思想へ向かっていく前半生が語られました。イギリス留学という父の思惑が裏目に出て、彼はプロレタリアートへの共感を深め、書いたものを通じてマルクスと接点を持ちます。
- エンゲルスは上品で多才な資本家の息子で、身なりに無頓着なマルクスとは対照的な人物だった
- 信心深い父への反発が、無神論やヘーゲル左派への接近の背景にあった
- 家業を手伝った経験が、後の資本主義理解や『資本論』につながる土台になった
- 父の思惑で送られたイギリス・マンチェスターで女工メアリー・バーンズと出会い、労働者の実態を調査してプロレタリアートに共感していった
- 資本主義批判の論文がマルクスの目に留まり、二人の歴史的な出会いへの接点が生まれた







