紀元前6世紀のインドで、なぜ釈迦が現れたのか
最澄と空海シリーズの本編は、日本の平安時代ではなく、紀元前6世紀のインドから始まります。深井さんは「釈迦まで遡る羽目になった」と笑い、楊さんが釈迦と仏教の基本をおさらいします。
マジで戻ったよね。紀元前6世紀まで戻っちゃったからね。
楊さんによると、釈迦ことゴータマ・シッダルタが生きた時代は「知の大爆発時代」と呼ばれています。中国は春秋時代で孔子や老子が現れ、ギリシャではピタゴラスやヘラクレイトス ── 古代ギリシャの哲学者。「万物は流転する」という言葉で知られ、世界を絶えず変化するものとして捉えましたのような数学や哲学の天才が出てきた時期でした。
釈迦が生まれたガンジス川周辺の社会では、バラモン教 ── 古代インドの宗教で、ヴェーダ聖典と祭式を重んじました。司祭階級のバラモンが社会の頂点に立ち、後のヒンドゥー教の基盤になりましたが中心でした。輪廻転生の思想もバラモン教のもので、司祭のバラモン、王族・貴族のクシャトリヤ、一般市民のヴァイシャ、隷属階級のシュードラという4つの身分が生まれながらに固定されていました。
一方で釈迦の時代のインドは経済が大きく発展していました。楊さんが挙げる原因は、鉄が農業に使われるようになったことです。
鉄の普及
鉄を農業で使うことが増え、農業生産力が上がる
富の蓄積
人口が増え、大量の余剰生産物が生まれる
ブルジョワジーの誕生
農民や商人がお金を持ち、バラモンに物を言えるようになる
出家
カースト制度という既存の価値体系から抜け出す人が増える
楊さんは、お金を持った人々とカーストの上位層との対抗関係の中で、既存の価値体系から抜け出す行為として出家が広がったと説明します。もともと出家とは、そういう行為だったといいます。
「生まれ」ではなく「在り方」へ。釈迦の革命性
釈迦自身は上流階級の生まれで、恵まれた環境にいました。ただ、生まれた国の周辺では戦争が多く、戦争と日常の距離が近かったことが、思索に向かう一因だったかもしれないと楊さんは話します。
楊さんが挙げる釈迦のすごさは、カースト制度が生まれで身分を決めていた社会で、人間は生まれではなく自分の在り方次第で幸福か不幸かが決まると説いた点です。個人の精神世界について語ったことが、革命的だったと言われています。
この時代はちなみにそれまで個人なんていう考え方がほぼなかったのに、急に釈迦も言ったし、ギリシャのね、哲学者たちも急に個人にフォーカスし始めるっていう動きが起こった。
釈迦はまず肉体を痛めつける苦行で苦しみを消そうとしましたが、それに失敗し、瞑想で自分の心にアプローチする方向へ転換します。そこで悟ったことの一つが「この世はすべて苦しみである」という考えでした。
楊さんによれば、生まれ変わりはふつう前向きに捉えられますが、釈迦にとっては生きていること自体が苦しみでした。天や畜生、地獄、阿修羅など5つか6つの領域で輪廻が永遠に続くなら、苦しみも永遠に続くことになります。
ネガティブやな。
楽しいけどな、俺今。
だからこそ仏教は、二度と生まれ変わらない涅槃 ── 煩悩の火が吹き消された安らぎの境地。仏教で修行の最終的な目標とされ、輪廻からの解脱を意味しますに至ることを目指しました。釈迦は、輪廻を動かすものを順にたどっていきます。
煩悩
カルマを生み出すもとになる
カルマ
輪廻を動かすエネルギーになる
輪廻
生まれ変わりが永遠に続き、苦しみも続く
煩悩を自分自身への鍛錬で消し去ることが大事だという釈迦の考えについて、楊さんは「超ロジカル」だと感じたといいます。深井さんも、釈迦の話には神様が出てこず、なぜ苦しいのかを分析して「執着するからだ」という結論に至る筋道がひたすらロジカルだと応じます。
さらに楊さんは、時間と空間を遡ればすべては繋がっているので、自分と自分でないものを分ける意味はない、という考えにも触れます。深井さんは、後の唯識 ── あらゆる存在は心の働きが生み出したものだとする仏教の思想。インドで体系化され、日本では法相宗の中心教義になりましたや空の思想の種は、すべて釈迦が最初に蒔いたものだと話します。
釈迦が言っていないお経はなぜ増えたのか?
釈迦の死後100年ほど経つと、教えは分裂し始めます。新しい解釈を唱える弟子たちが現れ、仏教は一気に多様化していきました。楊さんは、この多様化には2つの段階のブーストがあったと説明します。
1つ目のブーストは教団のルール変更です。それまでは釈迦と違う解釈を言う人は破門されていましたが、集会や儀式に一緒に出席していれば解釈は自由でよい、ということになりました。
時の王様がね、インドの(王様が)認めたんだよね。確かこれ。
深井さんによると、争いを避けたいという政治的な思惑もあって、仏教はここで多様性を認める方向に進み、宗派が一気に増えました。
2つ目のブーストは、楊さんが読んで「まじすごい」と驚いたというお経のルールです。お経は本来、釈迦が直接話した言葉の記録ですが、後には釈迦が言っていない内容もお経として残されていきました。
めちゃくちゃやん。ゴーストライターやん。
楊さんによれば、変更されたルールは、昔からのお経に書いていなくても論理的に正しければ釈迦の教えにしてよい、というものでした。ロジックを積み上げれば新しい教えとしてお経にできるようになったのです。
深井さんは、これはキリスト教とイスラーム教が絶対にやらないことだと指摘します。コーランや新約聖書に新しい内容を追加することはないからです。
死ぬほど論理的に考えた時に、釈迦、多分僕の想像ですけど、釈迦超えてるんですよ。何人か。
アップデートできちゃった人たちが釈迦超えちゃってんだけど、釈迦も頭いいからここまで考えたはずだけど、これを当時の人に言っても伝わんなかったから、そう言ってないだけだと思うって言ってるんですよ。後の人が。
こうして仏教は、後の人々の思想や経験、インスピレーションを盛り込めるようになり、経典が何千、何万と存在する宗教になりました。樋口さんは、子どもの頃に「なんたら宗」がたくさんあって違いがよくわからなかったと振り返ります。
お経の違いがわからないのはギターと同じ?
楊さんは、教えが違っても仏教の宗派同士はそれほど喧嘩しないと話します。深井さんは、ベースが一緒であることが強みだと考えています。
深井さんが前回「めちゃくちゃ難しい」と話していた理由も、このお経同士の違いにありました。書いてあることは理解できても、人生をかけて追求するほどの違いがどこにあるのかが全然わからなかったといいます。
多分お二人とも音楽すごい詳しいじゃないですか。だからギターもすごい弾いたりするじゃないですか。でも素人の僕から見て、このギターとこのギターの違い全然わかんないみたいな、そんな感じです。
(ギターを)本当に聴きまくってる人は、これテレキャスターじゃないと出せない音だねみたいな感じのとか、そのピックアップどうなってるみたいなことをその極めた人たち同士で感じあって、こうなんか発展させていった結果、誰にもわからないものができていってる感じ。
樋口さんはこの例えを「解像度が上がっていってるイメージ」と受け止めます。楊さんも、仏教経典の発展度合いはすごいと感じたと話しています。
イエスと釈迦、死に方の違いは宗教の性格を変えたか?
楊さんは、学術的な解釈ではないと前置きしたうえで、イエスやムハンマドと釈迦を比べると面白いと話します。一神教は爆発的なエネルギーで一点集中突破するような強烈さがあり、それはイエスの死に方を考えると納得できる気がするといいます。
イエスは鞭打たれ、磔にされるという強烈な形で死にました。楊さんは、その死がキリスト教の性格を位置づけたように感じると話します。
逆に釈迦って結構長生きして、最後何で死んだと思います?
お腹壊して死んだんですよ。
めっちゃ腹痛くなって。もう死ぬほど痛かったけど、瞑想で克服するんですよ。
楊さんは、2人の教祖の死に方が当時の人々に与えた印象の違いが、宗教の性格の違いにつながったのではないかと考えます。若くして亡くなったイエスと長生きした釈迦とでは、言うことも変わってくるかもしれないとも話しました。
深井さんは、確かなことは今やわからないとしつつ、純粋に感じるのは釈迦のほうがイエスより圧倒的にロジカルで、何を言っているかがわかりやすいという点だと述べています。
上座部仏教と大乗仏教、どこが分かれ目か
深井さんによると、仏教の解釈が分かれた後も、500年ほどは釈迦の言葉をかなり忠実に守る状態が続きました。その間に釈迦は神格化され、偶像化もされて、いわゆる宗教化が進みます。
紀元2世紀頃、南インドにナーガールジュナ ── 2世紀頃のインドの仏教思想家で、漢訳名は龍樹。空の思想を体系化し、日本では「八宗の祖」とも呼ばれますという天才が現れます。深井さんは端的に、この人が作ったのが大乗仏教だと説明し、楊さんはそれまでの多様化の流れを一気に体系化した人だと補います。
自分が修行し、自分が悟りを開くことを目指す。目標は阿羅漢
人に悟りを開かせるにはどうするかを考える。自分もブッダになれると考える
深井さんの説明では、ブッダと阿羅漢の大きな違いは、ブッダは人を悟らせることができる人で、阿羅漢は自分が悟った人という点です。上座部仏教ではブッダになるのは難しく、ブッダがいるので阿羅漢で止まっていても問題はありませんでした。
深井さんがいちばん納得したのは、真言宗の僧侶から聞いた説明でした。ブッダが作った戒律は、布の着方や托鉢の仕方など、当時のインドの風土に合わせて細かく決められていたといいます。
仏教が北へ広がると、風土も社会状況も変わり、ブッダの言う通りにしても悟れない状況が生まれます。そこで、教えをカスタマイズして適用する必要が出てきました。
ブッダが言ってることと違うことを言ってるのに、悟りに行けるってことは、いわゆる自分もブッダなんだっていう発想があるんじゃないかと。
深井さんは、ナーガールジュナが、自分だけ修行して悟るのは「ちょっとしょぼい」とし、苦しんでいる人たちを救える人間になることが大切だと言った点も、大きな転換点だと話します。
悟ることさえ執着?菩薩という概念の誕生
楊さんは、大乗仏教が広がった背景に社会状況もあったと付け加えます。ガンジス川周辺は戦乱の時代に入り、救いを求める人々は明日の食い扶持を稼ぐので精一杯で、托鉢で生きる出家や難しい経典を読む余裕はありませんでした。
深井さんはこれを受け、社会ニーズに合わせて宗教も変わっていくと話します。同じ真理を考えていても、伝え方や捉え方が変わり、大乗仏教という大きな転換点が生まれたというのです。
ナーガールジュナからは中観 ── ナーガールジュナが説いた思想で、あらゆるものには固定した実体がないという空の立場から、極端な見方を離れることを説きますという発想も出てきます。深井さんは、上座部仏教、別名小乗仏教 ── 大乗仏教の側から上座部系の仏教を指した呼び名。「小さな乗り物」という意味を含むため、現在は上座部仏教と呼ぶのが一般的ですのように悟りを目指すことも、執着だという話になると説明します。上座部仏教は今も東南アジアなどで信仰されています。
執着を捨てようとして悟ろうとする。その悟ろうとするのも執着だろうみたいな。
一個メタ視点で見るとそう。自我意識がそこにそもそも存在してるからダメだよねみたいな
深井さんによると、中観の思想は世界と調和した精神状態とは何か、本当の自我とは何かをひたすらロジックで考え続けるものです。「歩いている人は歩いていない」のような、わけのわからないことを言い始めるほどのロジックだといいます。
こうした流れの中で、悟れる能力を持ちながら悟らずにみんなを救う菩薩という概念が初めて出てきます。日本にも菩薩の像がたくさんあるのは、この大乗仏教の流れを受けているからです。
楊さんは、菩薩という概念が生まれるまでにも精密なロジックがあると話し、深井さんも「本当にすごかった」と応じます。回の終わりには、そのロジックを話してみようかと次へつながっていきます。
まとめ
この回では、知の大爆発時代に個人の精神世界へ目を向けた釈迦の思想が、教団のルール変更とお経の追加という2段階のブーストで多様化し、ナーガールジュナによって大乗仏教として体系化されるまでがたどられました。
- 釈迦は鉄の普及による経済発展とカースト制度への反発の中で現れ、生まれではなく在り方が幸福を決めると説いた
- 苦しみの原因を煩悩、カルマ、輪廻とたどる釈迦の思想は、神を持ち出さない極めてロジカルなものだった
- 論理的に正しければ釈迦の教えにしてよいというルールで、仏教は経典を追加し続ける多様性の宗教になった
- 大乗仏教は人を悟らせることを重視し、社会状況の変化に合わせて教えをカスタマイズする中で生まれた
- ナーガールジュナの中観は悟りを目指すことも執着だとし、悟らずに人を救う菩薩という概念につながった




