ソ連崩壊後のロシアは、なぜ「削られていった」のか
プーチン大統領の人生をたどるシリーズの続きとして、楊さんはまず、政界入りしたプーチンが向き合った根本的な課題を挙げます。それは、ロシアにずっと付きまとってきた「国家の統合」という問題です。
ソ連崩壊後、かつてソ連に属していた地域に対して、ロシアのガバナンスは効かなくなっていきました。ロシアから離れようとする地域とロシア政府の間で軋轢が次々に生まれ、楊さんはその様子をオセロゲームにたとえています。
なんかもうオセロゲームみたいに、なんかひっくり返ったり、ひっくり返されたりとか、そういうことが起きていくんですよね。
その中で起きた紛争の一つがチェチェン紛争 ── ロシア南部の北カフカス地方にあるチェチェン共和国の独立をめぐる紛争。1994年からの第一次、1999年からの第二次に分けて語られることが多いです。チェチェン共和国が一方的に独立を宣言し、ロシアは大規模な軍事攻撃を仕掛けましたが、結局負けてしまい、エリツィン大統領はチェチェン政府と条約を結ぶことになりました。
楊さんによれば、第一次チェチェン紛争をきっかけに、ほかの旧ソ連の地域も「うちにも条約を結ばせてくれ」と要求し始めます。エリツィン大統領は紛争を避けるために多くの地域と条約を結びますが、結果としてロシアはどんどん削られ、国内で強い批判を浴びました。
独立宣言
チェチェン共和国が一方的に独立を宣言する
軍事攻撃と敗北
ロシアが大規模な攻撃を仕掛けるが負け、条約を結ぶ
他地域の要求
ほかの旧ソ連地域も条約を求め始める
国内の批判
ロシアが削られていく状況に、国内で批判が集まる
まあね、一個が(独立を)主張し出したら、俺も俺もってなる感じはわかるな。
さらにロシアは、西側諸国からも経済的に削られていました。力のないエリツィン政権はアメリカや西側に歩み寄り、国際金融機関から大規模な支援の約束を取り付けますが、約束どおりの金額が払われないこともあったといいます。
楊さんはこれを「足元を見られた」と表現します。当時の西側の専門家の中には、ロシアを「ミサイル製造だけに長けた貧国」と揶揄する人もいて、ロシア国内にも二流国扱いされているという認識がありました。内政と外交で屈辱的な失敗が続き、国家が機能不全に陥っていた時期に、プーチンは大統領になります。
「強いロシア」を目指す、選挙で選ばれる君主制
当時のロシアでは、さまざまな政治団体がソ連解体後の凋落に危機感を覚え、ロシアの地位回復を唱えていました。楊さんは、プーチンを「ロシアを復活させる」ことを自分のミッションとした伝統的な保守派政治家だと説明します。
プーチンの考えでは、強い国家こそが秩序を保証する源であり、あらゆる変革を始める原動力です。今のロシアを変えるには、まず国を強くして秩序をもたらさなければならない、というロジックでした。
楊さんは、この発想がプーチン独自のものではないと強調します。昔から続くロシアの保守的な政治思想そのものであり、プーチンはそれを最も強く唱え、現実の政治に落とし込んだ人物だというのです。
プーチンにとって国家を強くすることは、中央集権化を進めることでした。研究によれば、これは帝政ロシアからソ連まで続く伝統的な政治システムに近く、個人に権力を独占させ、限られた側近やお友達で利権を分配する体制だとされています。
本によっては今のロシアっていうのは選挙で選ばれる君主制というふうな表現もしてます。
今のロシアでは選挙が行われ、議会もあります。それでも絶対的な権力を持つ君主のような存在が一人いる、というのがこの表現の意味です。楊さんは、プーチンが三権分立に制約されず、集会や言論、出版の自由を制限し、3大テレビ局も国営化していると説明します。
さらにプーチンは、後に地方の議会を廃止し、自分が直接任命した知事を地方に送り込みます。帝政ロシアにもそもそも地方分権や自治の考え方がなかったため、プーチンにとって地方議会をなくす選択肢はごく自然なものだった、と楊さんは見ています。
昔やってたから。(地方議会の廃止を)スッとやれたんですね。
楊さんによれば、プーチンが改革の参考にしたのも昔の歴史でした。帝国時代のロシアは強かったのだから、そのシステムを今の時代に合わせて作り込もう、というのがプーチンの根本思想だといいます。
人間関係で決まるポストと、エネルギー産業との結びつき
プーチンの統治システムは、きっちり制度化されたものではありません。楊さんの説明では、責任と権限が明確に定まっておらず、権限はプーチン個人から与えられます。肩書きや実績より、プーチンとの個人的な関係のほうが重要だというのです。
重要なポストにふさわしい人材を選ぶメカニズムもなく、人事はプーチンの人間関係に基づいて決まります。そのため、今のロシアを「官僚制のように見えて、実は中途半端な官僚制」と表現する本もあるそうです。
うわぁ、じゃあ相当人に依存してる運営やってるんですね。
このプライベートなネットワークの中で特に重要なのが、石油や天然ガスなどエネルギー産業の関係者です。ロシア経済の背骨はエネルギー産業で、この部門が稼いだ利益をほかの産業に回す構造になっています。
そのため、プーチンにとっては官僚より、エネルギー産業の経営者と協力関係を築くほうが重要でした。樋口さんが「プーチンが相対的に強いからか」と尋ねると、楊さんは理由をはっきり別のところに置きます。
いや、エネルギー分野だからです。
エネルギーしか産業がなくて、そこに経済が全部依存してるから、その人たち(経営者)と握ったら強いっていうことですね。
リベラルだった副市長は、なぜシロビキに囲まれたのか
続いて紹介されるのは、若い頃のプーチンを知る人の証言です。プーチンがレニングラードの副市長だった頃、上司の市長だったサプチャークの妻は、当時のプーチンにはリベラルっぽい部分もあったと語っています。
ところが、プーチンの個人的な権力と縦型の権力構造が強まるにつれ、プーチン自身がリベラルな考え方から遠のき、民主的な考えの人たちも周りから去っていったといいます。代わりに側近を務めるようになったのがシロビキ ── ロシア語で「力」を意味する「シーラ」に由来する呼び名。情報機関や軍、内務省などの治安・軍事部門の出身者を指すと呼ばれる人たちでした。
シロビキの「力」が指すのは、諜報機関のKGB ── ソ連の国家保安委員会。対外諜報や国内の治安維持を担った機関で、プーチンはこの組織の出身や軍、内務省などの実力部隊です。その出身者で側近を固めた結果、専制的な支配体制が強まり、副市長時代のリベラルな姿勢は大統領就任後の政策には表れなくなった、という感想が述べられています。
気候、正教、モンゴル。中央集権を支えた歴史の土台
楊さんは、ロシアの権力システムを生んだ地理的・歴史的な背景についての考察も紹介します。まず挙げられるのが厳しい気候です。冬が長く積雪が多いため農業に適した時期は短く、内陸部にはマイナス50度以下になる場所もあります。
春と秋はそれぞれ1か月ほどしかなく、その気温も日本の冬くらいです。森林面積は世界一で、国土の47%が森林だといいます。こうした厳しい環境で固まって生きる必要があったため、外部には排外的で、内部には裏切りを許さない不寛容さが育ったのではないか、という分析があります。
楊さんが特に重要だとするのは、広大な国土を治めるには権力を一か所に集め、それに従ったほうが秩序と安寧を得られる、という認識です。この認識は「強い腕を求める感情」と表現され、ロシア語ではトビョルダヤルカと言うそうです。
2つ目の背景は宗教です。ロシア正教の源流であるギリシャ正教には、あの世で神に仕えるように、この世では地上のツァーリ ── ロシア帝国の皇帝の称号。ローマの「カエサル」に由来するとされるに仕えよ、という教えがあると言われます。これが一人に権力を集中させる理論的な根拠になった、という研究があるそうです。
3つ目は、かつてロシアの地を支配したタタール、つまりモンゴルの影響です。税金の集め方や人口統計の取り方、情報や検閲のやり方、財政や郵便などの制度が、帝国ロシアに引き継がれたという見解があります。
まあもともとほら、モスクワ公国ってそんな大きい国じゃないから。
それ(モンゴルの領域)を後継というか、引き継いでモスクワ公国が大きくなっていくわけですけれども、自然とそのシステムも継承しているということになります。
深井さんは、ここがシリーズ冒頭で触れた西ヨーロッパとロシアの文化的な違いにつながると補足します。楊さんはさらに、遊牧民であるモンゴルの集団原理が「服従」であり、集団の意思を最上位に置き、個人の意思を二の次にする考え方もロシア帝国に受け継がれたと説明します。
| 背景 | 内容 | 中央集権とのつながり |
|---|---|---|
| 気候と国土 | 長い冬、短い農期、国土の47%が森林 | 権力の集中に従えば秩序を得られるという認識 |
| ギリシャ正教 | 神に仕えるようにツァーリに仕えよという教え | 専制の理論的な根拠 |
| タタールの支配 | 徴税・統計・検閲・郵便などの制度、服従の原理 | 統治制度と民衆支配の原理を継承 |
楊さんによれば、プーチンは政界入り後、恩師サプチャークのもとで新しいロシア憲法の起草に関わりました。その際、ロシア帝国時代の思想が取り入れられ、モスクワ大公国時代の仕組みや思想も反映されたという研究があるそうです。
失敗してるからね。国民国家化にも失敗し、ロシア帝国は崩壊し、その後共産主義国家も失敗をしているので、じゃあどうやったらこの国を治められるんだっていう風になってるってことです、ロシアとしては。
ナショナリズムと弾圧、そして経済の実績
国家統合という課題に向けて、プーチンは国の形をつなぎとめる新しいナショナリズムの枠組みを作ろうとしました。楊さんによれば、ロシア国内の多様な民族から排他的な要素や分裂につながる要素を取り除きながら、政治をまとめようとしたといいます。
具体例として、プーチンは国外に亡命した人の子孫と積極的に交流しました。国内のユダヤ人コミュニティとも交流し、シナゴーグの復元に資金を出すよう実業家に呼びかけています。
プーチン自身も信者であるロシア正教も、統合に使われました。帝政ロシアでは、ロシア正教の洗礼を受けた人は、住む場所や民族的な出自に関係なくロシア人とみなされたといいます。タタール人の上流階級も、ドイツ人の貴族も、グルジアの王や王妃も改宗して正教徒になりました。
プーチンはこの歴史を持ち出し、「みんなロシア正教を信じている、みんな同じロシア人だ」という打ち出し方を発言やメディアで繰り返しました。
一方で、統合に反対するチェチェン独立派などの分離独立派には、容赦ない弾圧と攻撃を加えます。楊さんは、プーチンの目標がロシア国家のアイデンティティを政府が管理し、それに疑問を呈することを許さない状況にすることだったと説明します。
チェチェン紛争の人権問題やプーチンを強く批判したジャーナリストのアンナ・ポリトコフスカヤは、2006年にエレベーターの中で暗殺されました。樋口さんが誰の犯行かを尋ねると、楊さんは「わかんないですね」と答えています。
経済面では、プーチンが大統領に就いた1999年から2008年にかけて、ロシアは世界で最も急成長した国の一つになりました。成長のエンジンは石油や天然ガスの価格高騰で、個人所得が大幅に増え、小売りや建設、不動産にも好影響が及んだといいます。
楊さんは、一番の功績は国家と市場の関係を整備したことだと紹介します。オリガルヒ ── ソ連崩壊後の民営化の過程で巨万の富と政治的影響力を得た新興財閥の脱税を防ぎ、税制を単純でフラットなものにしたことが評価されているそうです。
「まとめないと分解する」国の力学
ここまでの話を受けて、樋口さんは、プーチンが強い力で国をまとめ、経済を良くしようとしてきた印象を語ります。宗教のようにばらばらなものを、ロシア正教という一つの軸でまとめようとする動きもその一つだと受け止めました。
深井さんは、これは日本人にはわかりにくい悩みだと話します。日本では九州や北海道が独立しようとする事態は起こりませんが、ロシアでは強い力でまとめ上げなければ、今の国力を保つことすらできない力学が常に働いているというのです。
ロシアにはそれ(分裂の力学)が常に力学として働いているがために、今の国力を保つということをするためだけでも、強い力を発揮しなければならない
深井さんは、プーチンがソ連崩壊で大変な思いをし、その中で経済やチェチェンの問題を力でまとめてきたことを、成功体験として数えているのではないかと見ています。後からの解釈には確証バイアスの危険があるものの、プーチン本人がインタビューで同様のことをかなりの割合で語っているそうです。
そのうえで深井さんは、これがファクトとは限らないと念を押します。日本にいて集められる情報から「そのように言えるのではないか」と述べているだけで、その部分は自分の意見だと明言しています。
その意見に対して賛同する必要はないので、ファクトのところを見て、自分は違う意見だなと思ってもらっても全然OKだしっていう意味ですね。
豊かになった中流階級は、なぜプーチンを批判したのか
プーチン政権下の経済繁栄は、ロシア社会に新しい階層を生みました。それが、比較的恵まれた中流階級です。楊さんによれば、彼らは消費を楽しみ、仕事や休暇でヨーロッパを訪れ、政治を含むあらゆる面でヨーロッパと同じ扱いを望む人たちでした。
この中流階級が、プーチンの古い政治体制や格差、選挙の不正、政治的不自由を批判し始めます。経済を立て直した結果、その恩恵を受けた人々が新しい価値観を持ち、プーチンを批判するようになったわけです。
これは世界史上非常に再現性の高い現象ですよね。中流階級の人たちが育つと、王政や専制に対して反論を述べていくっていうのはものすごくよくあったことですよね。
深井さんは、同じことがフランスでもイギリスでも起こってきたと話します。中流階級の人々は、プーチンが大統領の椅子を私物化していると批判し、国家をプーチンより上に位置づけるべきだと唱えました。
楊さんは、プーチンがこの変化に対応できなかったと説明します。プーチンはロシアを強くするというミッションのもとで選ばれた国家主義者であり、新しい主張を持つ国民と対話して政策を作るスキルも経験も、そもそもその思想もありませんでした。
経済の繁栄
資源価格の高騰で所得が増える
中流階級の登場
ヨーロッパ並みの扱いを望む人々が増える
体制批判
選挙の不正や政治的不自由を批判する
対応の難航
対話の経験と仕組みがなく、プーチンは手こずる
まあ世界史上、その専制とこのような意見をどちらともまとめ上げた人、一人もいないからね。
楊さんはさらに、アメリカの安全保障に関わってきたフィオナ・ヒルさんの本を引きます。それによれば、プーチンは10年以上権力の座にあり、2000年代を通じて成功してきたことに慢心し、政策の中身よりPR活動に頼りすぎたのではないかと分析されています。深井さんは「何とも言えんけどね」と、これがアメリカ人による一つの評価であることに注意を促しました。
プーチンは「西側と同じようには考えられない」
フィオナ・ヒルさんは、プーチンの考え方が欧米の人々と異なるのは、プーチンがそもそも西側と同じようには考えられないからだと述べています。プーチンは異なる文化、経済、政治、歴史のもとで育ち、冷戦中は壁の反対側の体制にいたからです。
樋口さんは「それはそうやろって感じ」と受け止めます。楊さんは、当たり前に思えることをわざわざ本に書いている点にこそ意味があり、それまで欧米の政治家はプーチンも同じように考えると思いがちだったのだと指摘します。
深井さんはここで、西側諸国がウェストファリア体制 ── 17世紀のウェストファリア条約に由来する、主権国家同士が対等に並び、互いの主権を尊重するという国際秩序の考え方を世界で唯一の正義だと当然視していると補足します。プーチンは西側の考えを理解していないのではなく、同調しないのだ、と見ています。
プーチンの発言を見ていると、やはりその西側諸国の人たちっていうのが、自分たちの都合のいいように、その国連やEUを使っているだろうと。
深井さんは、30冊ほど読んだうえでの自分の意見だと断りつつ、この主張には一面の正しさがあると話します。同時に、自分は親露派ではなく今回の戦争にも完全に反対であり、個人的には西側の常識に賛成だと明言しています。
そのように思わない人たちが存在することも、それはそうだろうなって思うし、その人たちにそれ(西側の常識)を押し付けたら反発されることも、それはそうやろうなって思うっていうのはやっぱりありますよね。
番組では、自分たちの価値観を唯一絶対の真理だと思うと、そうでない人々が後進的に見えてしまう、という点にも話が及びます。深井さんはこれを進歩主義の問題として受け止め、別々の価値観を持つ人がいるだけだという視点の大切さが語られました。
力のある国にだけ主権がある、というプーチンの主権観
深井さんは改めて、戦争という手段には明確に反対で、歴史を学ばない愚かな行為だと考えていると述べます。そのうえで、今回のロシアの何を批判するのかは、民主主義に生きる人々にとって非常に重要だと話します。
深井さんによれば、プーチンの主権観は西側とそもそも違います。プーチンは、力がある国には主権があるが、ない国には主権がないという考え方をしており、深井さんはそれを実体に基づいたリアリティのある考え方だと表現します。
強いか弱いかに関係なく、すべての国が主権を持つべき
力がある国には主権があり、力のない国には主権がない
番組ではさらに、ロシアから見れば、主権を踏みにじるなと怒る側も歴史的に他国の主権を踏みにじってきたではないか、という感覚があるという指摘が出ます。深井さんは、厳密にはロシアも言動が一致しているわけではないとしつつ、ロシアはその点を主張していると補います。
アフガニスタンであるとか、イラクとかでアメリカがやったことと、今ロシアがやってることって本質的に何が違うんだと。パワーがある国が勝手に自分たちの都合で介入して好きなようにしてるだけじゃんと。プーチンはそういうことを言うわけ。
深井さんは、多数の味方がいるから国連で承認されることが本当に正しいのか、とプーチンが疑義を投げかけている点を、現代人が意識すべき点の一つだと述べています。
一対一の外交と「脅威にさらされたロシア」という認識
最後に楊さんは、フィオナ・ヒルさんが指摘するプーチンの思考パターンを紹介します。プーチンは欧米の指導者との接触が極めて限られ、外交も大事にしつつ、どちらかといえば内政に向かうことが多かったといいます。
KGB出身のプーチンが身につけた強みは、人間に対処する能力です。プーチンは一対一の場で力を発揮し、外交でも相手国のトップと個人的な関係を結ぼうとします。しかし民主主義国では、トップ同士で約束しても議会でひっくり返されることがあります。
そのため、プーチンは欧米のトップと密にやり取りしても意味がないと考えたのかもしれない、という考察があるそうです。結果として、西側リーダーの動機や思惑を理解することに大きなエネルギーを注がなかったと言われています。
西側の視点が自分の考えとかけ離れていると気づくと、プーチンは決まって「ロシアは脅威にさらされている」という伝統的な認識を持ち出し、それを補強するロジックを過去の歴史から探し出して主張するといいます。
樋口さんがフィオナ・ヒルさんは批判的な立場の人かと尋ねると、楊さんは、アメリカの安全保障の中枢にいた人物にしてはフラットな書き方で、実際にプーチンと会ったうえでの一つの見方だと答えます。ただし絶対に正しいわけではなく、一つの意見として捉えればよいと付け加えました。
なんかプーチンも人として生きて、思いの中で国をまとめ上げないといけないっていう、何かしらの責任のような使命感を持って動いてる一人の人間なんだなって、当たり前の印象なんですけど。
実際に今のロシアっていうのは、あの民主的なシステムと一回導入したんだけれども、中身は実質帝政ロシアの時代とあまり変わってないということがポイントですね。
まとめ
今回のエピソードは、ソ連崩壊後の国家統合の危機を出発点に、プーチンが帝政ロシア以来の中央集権の伝統に学び、強い国家を再建しようとしてきた過程をたどりました。その論理にはプーチンなりの一貫性があり、同時に中流階級の批判や西側との主権観の違いという壁にもぶつかっていることが見えてきます。
- ソ連崩壊後のロシアは地域の離反と西側からの軽視にさらされ、プーチンは「強いロシアの復活」をミッションとした
- プーチンの統治は個人に権力を集め、人間関係やエネルギー産業との結びつきで動く「選挙で選ばれる君主制」とも言われる
- 厳しい気候、ギリシャ正教、モンゴル支配の遺産が、ロシアの中央集権を支える背景として語られた
- 経済成長が生んだ中流階級がプーチンを批判し始め、プーチンは対話による対応に手こずった
- プーチンは力のある国だけに主権があると考えており、西側の主権観との違いを理解することが重要だと深井さんは語る





