「まぼろし会議」とはどんなポッドキャストなのか
深井さんが番外編で告知したのは、けんすうさんと始める新しいポッドキャスト「深井・けんすうのまぼろし会議」です。すでにライブ配信で試験的に試していたと話されています。
けんすうさんとですね、深井・けんすうのまぼろし会議っていうポッドキャストを実は始めます。
この番組の一番の特徴は、配信されたエピソードが1週間で消えることです。だから「まぼろし会議」という名前がついています。
(まぼろし会議は)出したら1週間で消える。だから幻会議っていうんだけど、二人でやってて、僕とけんすうさんで。
深井さんはSNSをほとんどやめており、歴史以外で伝えたいことをテキストではなく音声で話したいと考えていました。自分のプラットフォームで、人に編集されずに話せる環境を求めたと説明されています。
(考えていることを)テキストで言ってもなんか勘違いされて不毛なんで。
自分のプラットフォームで自分が喋りたい尺だけ喋って、ちゃんと伝わるように、人に編集されないっていう環境を作って。
罰金が発動する利用規約という珍しい仕組み
「まぼろし会議」の最大の特徴は、毎回冒頭で利用規約への合意を求める点です。罵詈雑言を浴びせたら罰金を取るという規約になっています。
(まぼろし会議は)一番最初に利用規約に合意した人しか聞かないでくださいって毎回流れるんですよ。
仕組みとしては、番組はもともと有料という立て付けです。一定の条件を満たすうちは無料で聞けますが、罵詈雑言というスイッチによって元の有料に戻る、という設計です。
元々有料だったが、ある諸条件を満たしているうちは無料で聞けますと。ただ、罵詈雑言っていうスイッチによって元の有料に戻る。
この仕組みは深井さんが強い思いを持って発案し、実行できるかどうかはけんすうさんや弁護士と相談しながら詰めたと話されています。楊さんも樋口さんも、こうした仕組みは聞いたことがないと驚いていました。
すげえ珍しい。聞いたことない、そんなの。
なぜ「罵詈雑言は当たり前」を当たり前にしないのか
深井さんの問題意識の中心は、インターネットの匿名性です。インターネット登場以前は、新聞や雑誌の記者は必ず名前を出して発言していました。
インターネットが登場する前っていうのは、雑誌でも新聞でも必ず記者の人たちが何らかの金によって喋ってる状態でしたよね。
匿名性が高まったことで多くの人が発言できるようになったのは良いことだと深井さんは考えています。ただ、リテラシーやルールが未整備なため、いわば万人の闘争状態になっていると指摘します。
スマートフォンが普及して15年ほど経った今でも、罵詈雑言を当たり前として許容し続けるべきなのか、と深井さんは問いかけます。もうそろそろ、安全に発言できる環境を整えるべきだと考えています。
15年ぐらい経った今でも罵詈雑言が当たり前であるっていうのは許容する必要があるのかって思ってるんですよ。ないだろうと。
罵詈雑言が発言の自由を奪うという逆説
この主張に対して「発言の自由がなくなる」という反論があると深井さんは言います。しかし深井さんは、それは全く逆だと考えています。
実名で発言する人たちは、罵詈雑言を浴びせられるとわかっているため、すでに本音が言えない状態にあると指摘します。自由を行使するには最低限の安全が必要だという考えです。
最低限のセーフティって必要なんですよ、自由を行使するために。
その結果、インターネットに溢れるのは本音ではなく、アテンションを集める発言や、媚びる発言、そしてデマだと深井さんは見ています。
インターネット上に溢れるのは結局その本音ではなくて、アテンションを集めるような発言であるとか、媚びたりおもねったりする発言みたいな、そちらがお金が儲かっちゃうので、それに溢れてしまっている。
発言者は罵詈雑言を恐れて本音を言えず、受け手も本音を聞けない。アテンションを集める発言やデマが溢れる
最低限の安全が確保され、発言者が本音を言える。批判や反論は交わされるが建設的になる
現実世界の道徳をインターネットにも
深井さんは、罵詈雑言を浴びせた人をきちんと処罰する法律ができるべきだと考えています。それは道端でいきなり人を殴ったら逮捕されるのと同じだと例えます。
道端でいきなり人を殴ったら逮捕される人が出るからといって、他の自由が制限されている感じないじゃないですか。インターネットではいきなり殴ってきてますから。
現実世界では、初対面の人に「死ね」とは言いません。しかしインターネットでは、誰が言っているかわからないために平気で言えてしまう、と深井さんは指摘します。
だからこそ法規制が必要だというのが深井さんの主張です。開示請求がより進んだり、罵詈雑言が軽い刑法に引っかかるレベルになったほうが健全だと考えています。
ただし法整備はまだ実現していません。その間、発信者がもう少し安全に発信できる仕組みとして、ポッドキャストで利用規約を作れば実現できると示せれば意義がある、と深井さんは話します。
もちろんその批判もしていいし、反論もしていいし、感想も言っていいんですけど、いわゆる罵詈雑言は言っちゃダメ。
罵詈雑言と反論の境界は曖昧なグラデーションだと深井さんも認めます。しかし、わかりづらい差別があるからといって差別を禁止できないわけではないのと同じで、罵詈雑言もしてはいけないと考えています。
クローズドに逃げるしかなかった発信者たち
楊さんは、この状況をここ数年感じていた人は多く、そうした人たちはだんだん発言しなくなるか、クローズドな場所へ移っていったイメージがあると話します。
(発信をやめたり本音を言えなくなった人たちは)だんだん発言しなくなるか、もしくはクローズなところにどんどん行っているイメージがあって。
有料のクローズドな場やオンラインサロン、オフラインの講演会でしか本音を言えず、諦めてそちらへ行くパターンが多かったと楊さんは指摘します。そのうえで、規約とシステムで解決しようとする姿勢が深井さんとけんすうさんらしいと評しています。
深井さんは、究極的には法律が整備されるべき領域だとしつつ、その前にもう少しマシな状態を作れたらいい、という位置づけだと説明します。
1週間で消えることの意味
「まぼろし会議」がエピソードを1週間で消すのは、人の考えが変わることを前提にしているからです。深井さんはコテンラジオを続ける中で、3年前の自分の発言と今では考えがかなり変わっていると実感しています。
3年前の自分の発言とかってもうかなり考え変わってたりするんですよね。
過去の発言を持ち出して「前はこう言っていた」と叩く行為が起こりやすいことを深井さんは問題視します。人の考えが変わるのは当たり前なのに、それを許容できない言説空間はレベルが低すぎると話します。
リアルでさ、いやお前5年前にこう言ってたじゃん、なんで今意見変えたんだよって言って責めてる人とかってほぼいないじゃん。
ごく一部の人が過去の発言を執拗に叩くことで、まるで意見を引っ込めなければならないような空気が生まれてしまうと深井さんは指摘します。
既存システムの中でうまくやるより、変えにいく
深井さんは、資本主義には既存のシステムの中でうまくやろうとすること以外にほとんどインセンティブがついていない、と話します。
資本主義って既存のシステムの中でうまくやろうとすること以外にほとんどインセンティブついてないので。
すでにダメだとわかっているシステムがあるなら、起業家はそれをどう新しく変えていけるかにリソースを割くべきだ、というのが深井さんの考えです。
YouTubeのシステムの中でうまく再生数を稼ぐこと自体は大事だが、そこに終始するのではなく、課題を見つけて新しいやり方を試すことをどんどんやっていきたいと深井さんは語ります。「まぼろし会議」も、その意思を示す試みだと位置づけています。
正義感による攻撃と「デスノート状態」
楊さんは、罵詈雑言を浴びせる人の中には正義感で言っている人が結構いるのではないか、と指摘します。社会的に悪いとされた人は叩いたほうがいい、という発想です。
悪い奴らがいるんだから、それは社会から弾圧された方が世界が良くなるから、正義感でやるみたいなことめっちゃあると思ってて。
深井さんは、まったく叩かないのも良くないと認めつつ、力を行使する場合にはそこに哲学があるべきだと話します。脊髄反射で力を使うのは、目の前を通る人を全員包丁で刺すようなものだと例えます。
脊髄反射で力使ってしまったら、目の前に通るものは全員包丁で刺しますみたいな。
楊さんは、ネットではリンチが容易に発生する構造があると指摘します。けんすうさんのnoteを引きながら、一人からの一言は痛くなくても、それが千人一万人分集まると無視できないレベルになると説明します。
一人からちょっと言われただけだったら、痛くも痒くもないくらいの内容だったとして、それが千人一万人からこいつクズだなって言われたら、それはもう無視できないレベルだ。
書く側はたった一言のつもりでも、受ける側には量が積み重なります。楊さんは、正義感というより、イラついた気持ちを誰かへの攻撃で発散しているケースが多いのではないかと見ています。
楊さんはこれを「デスノート状態」と呼びます。本来はそこまでの罰に値しない相手にも、悪いやつだからと軽い気持ちで攻撃が集まってしまう怖さを指摘しました。
深井さんは、改めて正義とは何かを考えなければならない局面だとしつつ、少なくとも個人を叩くことはかなり考えてやらないといけないと述べます。
なぜけんすうさんと二人でやるのか
楊さんは、けんすうさんと二人でやることになった理由を尋ねます。深井さんの答えはシンプルで、仲がいいからだと話します。
あんま理由ないですよ。仲いいからとかですね。仲良くて、二人でなんか話したいねみたいなってなった感じですかね。
番組の内容は、その時思っていることを話す形です。深井さんがXをやめようと思ったきっかけは、叩かれすぎている有名人をかばう発言をしたところ、企業側を擁護するコメントが多く来たことでした。
あの時に、もうSNSマジで意味ねえなって思っちゃったんですよね。
来た反論は丁寧なものでありがたかったものの、短いテキストでは自分の意図を踏まえた議論にならないと深井さんは感じたと言います。普段考えていることは説明を要することが多く、それをテキストでやるのは難しいと話します。
書くことはできると思うんだけど、読んでもらえないだろうなって思うんですよね。やっぱそのXにバーって書いても。
その点、音声コンテンツなら全部聞かれやすく、ちゃんと説明できて建設的だと深井さんは考えています。けんすうさんとはnoteの記事などでも協働しており、深井さんが話したことをけんすうさんが分かりやすく言語化する形がやりやすいと話されています。
罵詈雑言は嫌でも「論破されたい」欲求
深井さんは、罵詈雑言は嫌だが批判は結構好きだと打ち明けます。むしろ論破されたいという欲求があると話します。
論破されたいっていう欲求が結構あって、実際なんか論破されたりするとすっごい気持ちいいんですよね。
自分の考えの足りなかった部分がわかり、新しいところへ行き着ける感覚が好きだと深井さんは言います。樋口さんはそれを、思考の盲点が埋められる快感だと表現しました。
盲点で新しいところに行き着ける快感が一番僕好きだから。自分がどれだけ愚かだったかとかがわかるとかが一番好きなんですけど。
ただし、それは罵詈雑言ではなく建設的な議論の中で起こることが前提です。深井さんは、ポッドキャストで本音を言い、罵詈雑言を見せない文化が醸成されたら素晴らしいと語ります。
問いかけたいこと、そして怖がらせないこと
深井さんは、罵詈雑言を浴びせてもいいという意見の人にも聞いてほしいと話します。どこまでが良くてどこからがダメなのか、傷つけることをどう考えているのかを本当に知りたいと述べます。
どこまでのラインだったら良くて、どこまではダメだとしているのかとか、それで傷つけることをどう考えているのかとかっていうのをちゃんと知りたいなと思ってんですよ。
楊さんは、言われた相手の感覚をどれだけイメージできているかも知りたいと加えます。深井さんは、自分の家族や愛する人がそれをされても大丈夫なのか、そこまで考えて言っているのかを問いたいと話します。
深井さん自身は法整備をすべきだと考えており、名誉毀損罪のように、罵詈雑言もある程度定義して裁判で争いながらラインが決まっていくはずだと説明します。ただし、量が積み重なる問題への対処は難しいと認めています。
楊さんは、こういう問題があると提示すること自体に意味があると評します。1つの社会現象としてこの番組が生まれたことに意義がある、とまとめました。
最後に樋口さんが宗教的なパニッシュメントを冗談交じりに口にしますが、深井さんはそれもまた許されなくなり万人の闘争状態になると返します。そして、この話で罵詈雑言を浴びせてきた人を怖がらせたいわけではないと念を押しました。
個人をボコボコにしたいわけじゃなくて、現象をなくしたいだけだから、なんかあんまりこの話聞いて怖がらせたいとか思ってないです。
歴史を学んできた深井さんは、人を怖がらせてもろくなことがないとよくわかっていると話します。とにかく怖がらせないことが大事だと締めくくりました。
まとめ
深井さんが始める「まぼろし会議」は、1週間で消えることと、罵詈雑言に罰金という利用規約で、発信者が安心して本音を言える場を作る実験です。その背景には、匿名の罵詈雑言が結果的に発言の自由を奪っているというインターネットへの強い問題意識があります。
- 「まぼろし会議」は深井さんとけんすうさんの新ポッドキャストで、エピソードは1週間で消える
- 罵詈雑言を浴びせると有料に戻るという利用規約で、安全に発信できる仕組みを実験的に示す
- 罵詈雑言を当たり前として許容することが、かえって発信者の本音と自由を奪っているというのが中心の問題意識
- 批判や反論は歓迎で、深井さん自身は論破されて盲点が埋まる感覚が好きだと語る
- 最終的には法整備が必要な領域だとしつつ、その前段としてより良い状態を作り、意思を示す試みとして位置づけている





