トラックの威圧感は「真上から見れば」怖くない?
コテンラジオのガンディー編最終回は、本編を終えたあとのおまけコーナーとして、フリートークに近い形で進みます。樋口さんが発表した企画名は「グッバイ恐怖心」です。
企画の題材は、ガンディーが実際に残した「精神性の最大の要素は恐れない心である」という言葉です。今の自分たちが何に恐怖を抱いているか、それをどう克服すればいいかを3人で考えていきます。
恐怖、恐怖って必ずあると思うんですね。これはなかなか難しいですよね。克服するっていうのは。
最初に「ジャブ程度」として話したのは樋口さんです。19〜20歳ごろ、大分の合宿で車の免許を取ったとき、高速道路の研修で横をトラックが通り過ぎる場面に出会いました。
樋口さんによれば、真上から見た車幅は、相手が普通車でもトラックでも変わりません。それでもトラックには、高さからくる強い威圧感があり、普通なら恐怖を感じる場面だといいます。
高さって当たるかどうかに一切関係がないパラメーターだから、ここのパラメーターを意識して恐怖を感じること自体がバカバカしいなって思ってから全く怖くなくなった。
樋口さんの克服法を、深井さんは「克服の仕方が理系ですね」と評します。恐怖の正体を要素に分け、関係のない要素を切り離すという考え方です。
恐怖を感じる
トラックの高さや勢いに威圧される
要素に分ける
真上から見ると、車幅は普通車と変わらない
無関係な要素を外す
高さは当たるかどうかに関係がない
恐怖が消える
意識すること自体がばかばかしいと気づく
樋口さんはこの考え方を人生にも転用しているといいます。例えばカジノで負けたときも、確率的に「何回に一回はこれくらい負ける」範囲の出来事だと考えれば、目の前の恐怖は「それはそうやろ」と受け止められるそうです。
「できる人」の鎧を脱いだら、何が変わったのか
深井さんは、自分は樋口さんの理屈型と感情型の「ちょうど中間ぐらい」だと前置きし、真面目な話として若い頃の自分を振り返ります。当時の深井さんは、人にどう思われるかを強く気にしていたといいます。
優秀だと思われたかったし、できる人だと思われたかったし、みたいなのはすごくあったんですよ。
ベンチャーでマネージャーや取締役を務めていた頃の深井さんは、人に弱みをまったく見せられなかったそうです。樋口さんが「鎧みたいな」と言うと、深井さんは「鎧だらけだった」と応じます。
深井さんは、昔の自分を「イギリス行った時のガンディーよりさらに強かった」と表現し、とても攻撃的な人だったと語ります。根っこにあったのは、無能だと思われることへの恐怖でした。
僕、社会にそもそもそんなに興味ないんで、社会と関わってる以上、価値提供してないと、(社会との)関係性なくなっちゃったら俺いなくてよくなっちゃうんですよ。
深井さんの転機は、ベンチャーで経験したチーム崩壊、資金ショート、事業がなくなりそうになるといった危機でした。そうした状況では、虚飾を張ったまま走っていたら「死ぬ」と感じたといいます。
いや、かっこつける暇がなくなっていくんですよ。
上っ面では乗り越えられない課題を前に、深井さんは強制的に弱みを見せるようになりました。そこで面白かったのは、弱さを口に出せることが、自分でそれを認めていることにつながった点です。
本当にダメだなと思ってたら言わないじゃないですか。でも平気な顔して言えるようになったんですよ。
深井さんによると、自己開示ができるようになって、交友関係の質や人間関係の作り方が「死ぬほど変わった」そうです。樋口さんは、自分が扉を開けると、向こうも開いてくれることを人間関係の真理だと話します。
できる人と思われたくて弱みを見せられず、他人の不完全さも許せなかった
弱さを平気で話せるようになり、他人のできなさも「人間だからね」と許せる
樋口さん自身も同じ生き方をしようとしていて、ブログにADHD検査に行ったことや、金髪にしている理由まで書いたといいます。「どう思われても、もういいや」と思って全部書いたそうです。
深井さんはさらに、自分を律していた頃は自分がつらかったから、人ができていないことも許せなかったと振り返ります。今は「それは人間だからね」と許せるようになり、樋口さんは「なんかガンディーやね」と笑います。
逃げられない家族・恋人・仕事が人を変える?
深井さんは、自分がガンディーの境地に「全然達してない」としながら、その方向に強制移動させられる経験を仕事でしたと語ります。そして、人生でそうした強制経験を生む場は3つあると整理します。
一つが家族ですよね。あともう一つが恋人、あともう一つが仕事だと思ってるんですよ。この3つとも比較的逃げづらいんですよね。
深井さんによれば、友人関係はつらければやめられます。一方で、家族や恋人との問題は自分と相手にしか原因がなく人のせいにしづらく、仕事は生きていくために逃げづらいといいます。
深井さんの場合、家族や奥さんは相手が立派だったため、そこでは学ぶ機会がないまま社会に出ました。その結果、社会で「めちゃくちゃ淘汰された」そうです。
人間が笑うじゃないですか。面白いから笑ってると思ってたんです。
深井さんは、相手のために笑う愛想笑いの存在を知らなかったといいます。その状態で「ガチガチの日本企業」に入ったときのずれは大きく、社会人になってから多くの経験をさせてもらったと振り返ります。
(愛想笑いが)できましたね。できるようになって辞めましたね。
中国と日本のあいだで揺れた楊さんを救った歴史とは
楊さんがまず挙げた恐怖は、以前にも番組で話した「ハゲになったこと」でした。自分の弱みを受け入れざるを得ない経験として、深井さんは身体的特徴も強制経験の一つだとうなずきます。
楊さんがさらにさかのぼって語ったのは、中国から日本に来たことで生まれたアイデンティティクライシスです。それが強く出たのは大学に入ってからでした。
自分めっちゃ中途半端な人間や。中国も中国で中途半端だし、日本も日本で感覚的に日本人に全然なりきれないから、
俺って自分あんまり価値のねえ人間じゃないかっていうような、思ってた時期は結構あったんですよね。
楊さんによると、中高生の頃は学校の勉強が忙しく、悩む暇がありませんでした。大学で時間とお金の自由を得たとき、初めて「俺誰だろう」と考えたといいます。中国にいたのは小学校4年生までだったそうです。
楊さんの葛藤の背景には、中国で小学校4年生まで受けた反日教育がありました。楊さんの頃はまだ緩かったものの、日本は歴史の中で悪く扱わなければならないという考えが残っていたといいます。
楊さんによれば、楊さんが日本を離れた後には、江沢民 ── 1990年代から2000年代初めに中国の最高指導者を務めた政治家。在任中に愛国主義教育が強化されましたの時代に反日教育がさらに激しくなりました。
アニメも好きだし、日本製品も好きだし、みんな優しいし、めちゃくちゃ助けてくれるし、友達もいっぱいいたんですよね。
俺、こんなに日本好きなのに、日本好き好きではダメっていう、やっぱ種が自分の中でずっと。
楊さんの葛藤をほどいたのは、日本の歴史でした。楊さんが挙げたのは、エルトゥールル号事件 ── 1890年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が和歌山県沖で遭難し、地元住民が生存者を救助した出来事。日本とトルコの友好の象徴として語られますにまつわる美談です。
楊さんは、遭難したトルコの船を日本人が助け、その後中東で取り残された日本人が救出されたことが昔の恩返しだった、という話を紹介します。楊さんは発言で「イラン革命」と言っていますが、エピソード説明でイラン・イラク戦争と訂正されています。
その歴史を初めて知って、めっちゃ泣いたんですよね。泣いたことで、あ、別に日本の歴史好きで俺いいんだと思って。
楊さんはこの経験を、自分の中で「国境を超えた経験」だったと表現します。国境や民族に関係なく、いい話や感動する話には素直に感動していいと思えたそうです。
楊さんは、ガンディーがキリスト教やイスラム教に触れて感動した姿にも同じものを見ています。既存の価値観に関係なく、素直に感動する心があればそれでいいと考えたといいます。
現在の楊さんは、アイデンティティとしては中国人で、行動や思考のパターンは日本的だと感じています。それでいいと受け入れ、「むしろ俺グローバル化の最先端おるぜ」とまで思っているそうです。
国籍は血液型みたいなもの?昔の恨みはなぜ続くのか
ずっと日本から出ていない樋口さんは、楊さんの悩みは自分にはピンとこない価値観かもしれないと話します。そのうえで、悪気なくと前置きして本音を語ります。
僕、ヤンヤンさんが日本人だろうが中国人だろうが、マジでどうでもいいんですよ。
楊さんは「普通の人は違う」と返しつつ、自分が初めて触れた歴史が反日教育だったため、歴史とは敵と味方が殺し合う暗いものだと思っていたと振り返ります。プラスになる歴史に出会って、初めて「こんな話もあるんだ」と知ったそうです。
樋口さんは国籍を血液型にたとえます。B型だと聞いて興味はわいても、それで好き嫌いは決まらず、むしろ自分と違うほど好きだといいます。
ある歴史上の事件を相手の国にされたから相手が嫌いみたいなってあるじゃないですか。でも超昔の話です。
樋口さんの疑問に、楊さんは、先に嫌いや攻撃したいという動機があり、歴史はその根拠付けに使われているのではないかと答えます。根拠がそろうと理論武装されてしまい、国民をまとめるには敵を作るのが一番早いとも指摘します。
樋口さんが「敵を作りそうになったら、みんなで断食しましょう」と冗談を言うと、深井さんは「ガンディーじゃない人がしたら餓死しそう」と返します。最後に楊さんはガンディーの境界の超え方に感動したと語り、樋口さんは「徹底して本質主義だった」とまとめて企画を締めます。
ガンディーを詳しく知れる時代に生きる幸せ
エンディングで樋口さんは、ガンディーの印象を改めて「徹底的本質主義」だと語ります。深井さんも同意し、ガンディーの生きた時代が今に近いことを幸せだと話します。
本も発言も残ってるし、その周りの人間の発言も残ってるし、なんなら映像も写真も残ってて、彼の顔もちゃんと見れる。
深井さんは、イエスについても記録が残っていればもっと多くのことがわかったはずだと述べ、ガンディーのような人間を深く知れる機会が今あることを幸せだと語ります。
話題はインドへの旅行に移ります。樋口さんの後輩が赤痢になった話や、深井さんの知り合いの知り合いが冤罪で逮捕され英語で尋問を受けた話が出ますが、樋口さんは「生活している人がいるなら自分も生活できる」と行きたい気持ちを語ります。
最後に、インドに限らずこのメンバーで海外収録をしたいという話で盛り上がり、樋口さんが吉田松陰ゆかりの萩を挙げて「全然海外じゃない」と突っ込まれる一幕もありました。
まとめ
ガンディー編最終回は、「恐れない心」という言葉をきっかけに、3人がそれぞれのやり方で恐怖と向き合った経験を語る回でした。理屈で分解する、強制的に弱みをさらけ出す、歴史に救われるという異なる道筋が、ガンディーの本質主義と重なって見えてきます。
- 樋口さんは、恐怖の要素を分解し、無関係な要素を切り離すことで恐怖を消してきた
- 深井さんは、ベンチャーの危機で弱みを見せざるを得なくなり、自己開示によって人間関係が大きく変わった
- 家族・恋人・仕事は逃げづらく、人を強制的に変える場になると深井さんは考えている
- 楊さんは、日本の歴史の美談に泣いた経験から、国境に関係なく素直に感動していいと思えた
- 3人はガンディーを徹底した本質主義の人と捉え、彼を深く知れる時代にいることを幸せだと語った


