神々の取締役会で下された「どちらか一人が死ね」という判決
前回のエピソードはこちら
前回の話では、女神イシュタルがギルガメシュに求婚を断られ、過去の仕打ちまであげつらわれたことに怒り、天の牛をギルガメシュとエンキドゥに差し向けました。二人はこの天の牛を倒し、イシュタルとの戦いに勝っています。
楊さんによると、イシュタルはウルクの守護神で、ウルクに対する生殺与奪の権限を持つ神です。神々の中でも有力な「神セブン」の一人で、地上世界の生命の循環にも関わる存在だといいます。
さらに二人は、それ以前に杉の森の守護者フンババを殺し、森を伐採しています。フンババは神々の実質的なリーダーである神エンリルが任命した守護者で、杉の森そのものも神々のものでした。
今までの古典ラジオで歴史を見てると、調子に乗ると痛い目に遭う。
樋口さんのこの予想どおり、イシュタルに勝ったその夜、エンキドゥは神々が会議を開く夢を見ます。集まったのはアヌ、エンリル、エア、シャマシュで、議題はギルガメシュとエンキドゥの処遇でした。
楊さんは、穏健派の「会長」にあたる天空神アヌでさえ「二人のうち一人が死なねばならぬ」と言ったことから、譲歩の余地のない案件だったと説明します。議論は、死刑をどちらに下すかに移っていきました。
アヌ
天の牛とフンババを殺した二人のうち、一人は死なねばならないと述べる
エンリル
エンキドゥが死ぬべきで、ギルガメシュは死んではならないと主張する
シャマシュ
二人は自分の命令で戦ったのに、なぜエンキドゥが死ぬのかと反論する
結論
エンリルが反論に怒り、エンキドゥに死の運命が定められる
太陽神シャマシュは、ギルガメシュ個人の守護神です。フンババ討伐の背中を押して作戦を授けたのもシャマシュで、ギルガメシュたちは祈りを捧げたり天の牛の心臓を捧げたりしていました。
常に現場の味方なんやな、シャマシュは。
ただ、シャマシュは最高位の神ではなく、取締役の中でも立場はそれほど高くないと楊さんは補足します。結果として、エンキドゥが罰の対象に選ばれ、死ぬ運命が定められました。
病に倒れたエンキドゥの逆恨みと、シャマシュのたしなめ
夢をギルガメシュに打ち明けた直後から、エンキドゥは病に取り憑かれ、日に日に弱っていきます。熱病で苦しみまくったと書く本もあるそうです。
ギルガメシュはエンリルに死の宣告の撤回を願いますが、聞き入れられません。ギルガメシュは涙を運河のように流し、「なぜ神々はお前を差し置いて私を無実にするのか」とエンキドゥに語りかけます。
楊さんは、ギルガメシュの主観では、王である自分の身代わりにエンキドゥが犠牲になったという理解だったのではないかと見ています。
これ切ない友情物語なんだ。
一方、死を悟ったエンキドゥは、すぐにはそれを受け入れられません。エンキドゥは、自分を野原から連れ出した狩人と宮女シャムハトを呪い始めます。楊さんはこれを「逆恨み」であり、とても人間らしい反応だと話しています。
エンキドゥの呪いは具体的で、狩人には仕事の報酬が減るように、シャムハトには「晴れ着を酔っ払った男が嘔吐で汚すように」「酔っ払いや飢えた男がお前の頬を打つように」といった言葉を投げつけます。
お前ケツから手突っ込んで奥歯ガタガタ言わしたろか的なやつ言いますね。
楊さんは、口に出した言葉が現実に影響を及ぼすという観念があった時代に、こうした言葉が呪いとして機能していたのかもしれないと説明します。樋口さんは「大喜利感がある」と面白がっていました。
エンキドゥの呪いを聞いた太陽神シャマシュは、シャムハトはお前に神にふさわしいパンや王者にふさわしい酒、立派な衣服を教えたではないかとたしなめます。ただ、狩人への呪いをたしなめる記述はなかったそうです。
シャマシュはさらに、シャムハトのおかげで無二の友ギルガメシュに出会えたこと、そのギルガメシュが今もそばで見守り、ウルクの人々も悲しんでいることを伝えます。
楊さんはここに一つの考察を加えます。天の牛を倒した後、ギルガメシュは自分だけを宮殿の女性たちに褒めさせ、エンキドゥを褒める記述がありません。シャマシュの言葉は、功績を独り占めされたエンキドゥのモヤモヤを和らげるためだったのではないか、という解釈です。
ただの出来事とかじゃなくて、ちゃんと心の機微みたいなものも描いてますよね。
もっとも楊さんは、原文の詩だけでここまで読み取れるわけではなく、学者の解釈や他の神話からの補足が積み重なった上での理解だとも断っています。
「忘れないでくれ」エンキドゥが最後に恐れたもの
シャマシュの言葉で心は少し晴れたものの、エンキドゥの体は弱り続け、死を覚悟するに至ります。最期にエンキドゥはギルガメシュに、フンババとの戦いの前に怖気づいたこと、それでも共に戦ったことを語り、自分を忘れないでくれと何度も繰り返します。
楊さんは、エンキドゥが恐れていたのは忘れ去られることだと読み解きます。楊さん自身も子どもの頃、死後にまるで存在しなかったかのように忘れられることを考えて怖くなった記憶があるそうです。
名を残すみたいな感覚がずっとこの時代からいまだにあるってことですよね。
楊さんはこれに応じて、記憶されることは自分の存在を消滅させないための手立てと考えられていたのだろうと話します。樋口さんは、だから人は墓を残すのかと納得していました。
親友の死、黄金の像、そして死後初めての称賛
エンキドゥは苦しんだ末に亡くなります。ギルガメシュはエンキドゥの胸に手を当てて心臓が止まっていることを知り、子どもを奪われたメスのライオンのように取り乱し、髪をかきむしって衣服や装飾品を引きちぎりました。
楊さんはエンキドゥを、ギルガメシュにとって自分の半身であり、家族であり、おそらく恋人でもあった存在だと表現します。失って初めて気づく痛みが、ギルガメシュを襲っていました。
ギルガメシュは国中の職人に呼びかけ、手足が銀、胸がラピスラズリ、本体が金というエンキドゥの像を作らせます。人々の記憶にエンキドゥの名をとどめたかったのだと楊さんは説明します。
盛大な葬儀にも宗教的な意味がありました。古代メソポタミアでは、手厚い葬儀や十分な副葬品 ── 死者と一緒に墓に納める品物。生前の愛用品や宝石、装飾品などで、死後の世界での暮らしを支えるものと考えられることが多いがないと、死者の霊は冥界へ行けずに地上をさまよい、生者に災いをもたらすと信じられていたそうです。
この辺もね、今の日本の感覚にちょっと近いですよね。地縛霊とか。
さらにギルガメシュはウルクの長老たちの前で、エンキドゥは我が剣であり、二人でフンババを倒し、天の牛を殺したと語ります。楊さんは、これがギルガメシュがエンキドゥを公に褒め称えた初めての場面だと指摘します。
しかし、ギルガメシュがエンキドゥの意義を言葉にしたとき、その友はもういません。どれほど立派な像を作っても、像は語りかけてはくれないのです。
英雄のメンタリティが折れ、死が本当に怖くなる
楊さんによれば、ここからが物語の神髄です。エンキドゥの死は、ギルガメシュのメンタリティを根底から崩し、死への根源的な恐怖を呼び覚まします。
フンババ討伐の頃のギルガメシュも、自分の寿命が有限だとは理解していました。ただしそれは理屈としての理解で、むしろ死ぬ運命だからこそ華々しく戦い、名を残そうというモチベーションになっていたといいます。
死は理屈として理解しているだけ。凡庸に終わることを嫌い、華々しく戦って名を残そうとする
死を切迫した痛みを伴うリアリティとして感じ、自分の寿命の限りを初めて切実に恐れる
楊さんは、身近な人やペットの死を経験すると、自分はいつどう死ぬのか、死後どうなるのかを考えてしまうものだと話します。樋口さんも、子どもの頃は「人はみんな死ぬ」と聞いても実感がなかったと振り返ります。
それをリアルに身近な人経験していくと、本当に死ぬんだっていうのが体感として、そういうなんかリアリティが迫ってきたみたいなこともある。
ギルガメシュの恐怖には、メソポタミアの死生観も関わっています。人間が死後に行く地下の冥界は、怪物や疫病神、悪霊がいる、暗く乾いた恐ろしい場所だとされていました。
エンキドゥは死の直前に冥界の夢を見て、ギルガメシュに伝えていました。食べ物は塵と粘土で、鋭い爪の番人に襲われて手が鳥のように変わり、女王エレシュキガルの住む「暗黒の家」に連れて行かれると、二度と出られないといいます。
楊さんが重要だと強調するのは、この冥界には生前の行いや身分に関係なく、誰もが例外なく行くという点です。善行を積めば天国に行けるという仕組みではなく、復活もありません。
ただし冥界の描写は神話によって違い、生きている人から供養を受けていれば冥界での暮らしが少し改善するという考え方もあったそうです。
楊さんはメタ的な見方として、ギルガメシュを生と死という究極の問いに向かわせるために、エンキドゥと出会わせ、深い友情を結ばせた上で死なせる必要があったのだと話します。
ここの文学作品としての振りの利かせ方みたいなものは、こんなレベルでやってるんやっていうのが結構驚きでしたね。
不死を求める旅と、洪水を生き延びたウトナピシュティム
エンキドゥの埋葬を終えたギルガメシュは死の恐怖にとらわれ、不死を求めて放浪の旅に出ます。楊さん自身も死への恐怖が強く、理屈ではわかっていても永遠に生きたいと感じると打ち明けます。
楊さんは、ギルガメシュの物語を、死にたくないという普遍的な叫びを受け止める物語だったのではないかと考えています。死と生への向き合い方の違いが、宗教や芸術、哲学、さらには国の制度まで分岐させていくからです。
樋口さんは、ギルガメシュの物語は当時、実話に近い感覚で受け取られていたのではないかと話し、楊さんも同意します。人の物語を通して自分の生と死を考える営みは、今の映画や漫画にも通じると樋口さんは言います。
楊さんはさらに、死について考えられるのは二人称や三人称の立場だけで、一人称では死を体験できないと述べます。樋口さんは、生きている人が安心するために死を考える営みがこの時代からあったことに驚いていました。
では、不死の方法はどこで見つかるのか。ギルガメシュは、ウルクから遠く離れた地に不死を得た人間がいると知ります。それは、かつて神々が起こした大洪水を生き延びたアトラハシスでした。
ギルガメシュの物語では、この人物はウトナピシュティム ── メソポタミアの洪水伝説に登場する人物。神々が起こした大洪水を舟で生き延び、神々から永遠の命を与えられたとされると呼ばれています。ギルガメシュは生と死の秘密を聞き出すため、ウトナピシュティムに会いに行くことを決めます。
エンキドゥ編が終わり、不老不死編に突入する。
ギルガメシュが不死を手にできるのかは、次回以降で語られます。
このシリーズの次のエピソードはこちら
まとめ
ギルガメシュ編第6回は、神々の宣告によってエンキドゥが死に、その喪失がギルガメシュを死の恐怖と不死の探求へ押し出す転換点の回でした。
- 神々の会議でアヌが二人のうち一人の死を求め、エンリルの主張によりエンキドゥが選ばれた
- 死を前にしたエンキドゥは逆恨みから、忘れられたくないという願いへと心を移していく
- ギルガメシュは親友の死後に初めてエンキドゥを公に称えたが、その言葉はもう届かなかった
- 誰もが例外なく行く救いのない冥界観が、ギルガメシュの死の恐怖を強めた
- ギルガメシュは不死を求め、大洪水を生き延びたウトナピシュティムに会いに旅立つ





