専制君主なのに改革者?アブデュルハミト2世の二つの顔
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前回までに専制を強めた人物として登場したアブデュルハミト2世ですが、深井さんによると、彼は私腹を肥やすことだけに走ったわけではなく、近代化にもきちんと取り組んでいました。
近代化をちゃんとやろうともしてんだよね。だから結構彼(アブデュルハミト2世)に対する評価って二分してて。
深井さんが読んだ本の中にも、アブデュルハミト2世をボロクソに書く本と、頑張った人物として評価すべきだとする本の両方があったといいます。楊さんは、彼の墓の説明文でも多くの実績を残した人物として評価されていると補足しています。
アブデュルハミト2世の改革の一つは司法改革です。裁判所制度を発展させ、司法省を設置しました。それまでの裁判はウラマー ── イスラーム諸学を修めた知識人・学者層。オスマン帝国では法学者として裁判や教育を担い、社会の中で大きな権威を持っていましたがイスラム法にもとづいて担っていたため、西洋式の法廷を動かすには検察官や弁護士を育てる法学校から始める必要がありました。
パッケージで全部その中でできてたんだけど。それ(イスラームの仕組み)を近代国家にしようとすると、そこじゃないところをやらないといけない、西洋化させないといけないと彼らは思ったんだよね。
もう一つの大きな柱が教育改革です。国家に忠誠を尽くすエリートの育成を目指し、トルコ語の識字率を重視して歴史や地理の科目を取り入れ、新方式の小学校や総合大学を作りました。主要地方都市には陸軍幼年学校を21校設け、軍事教育も行っています。
軍事教育に力を入れた背景には、戦争で負け続けていることへの危機感がありました。近代的な軍事を取り入れるには、西洋的な数学、法学、組織論など複合的な教育が必要になるためです。
ただ、アブデュルハミト2世の治世は長く、前半の改革で育ったエリートが、後半になると彼に反発するという皮肉な構図が生まれます。その一人がケマル・アタテュルクで、ケマルはアブデュルハミトが用意した学校で近代教育を受け、専制政治に反対する側に回りました。
専制の強化
スルタンが権力を集中させる
近代化の推進
司法改革・教育改革・軍事教育を急速に進める
新エリートの誕生
士官学校や軍事学校で近代教育を受けた層が育つ
スルタンへの反発
育ったエリートが専制政治に反対する
楊さんは、制度をすごいスピードで整えられたのは専制政治だからこそかもしれず、必要なフェーズだったという見方もできそうだと話しています。また、軍事学校で育った軍人がオスマン帝国末期のエリートになり、その意識は現在のトルコ共和国の軍にも引き継がれているといいます。
人件費の差で産業が生き残る?列強に握られた経済
オスマン帝国の経済面では、以前の回で触れたように産業構造が破壊されていました。ところがここで、深井さんが「皮肉」と呼ぶ現象が起こります。
イギリスやフランスなどの帝国主義の国々は、他国を食い物にしながら経済発展し、その結果、自国の人件費が高くなっていきました。すると人件費の差がつきすぎて、大量生産はできなくても人件費の安いオスマン帝国の産業が、ギリギリ市場競争力を持つ状態になったのです。
要は市場競争力があるっていう状態になっちゃう。これは皮肉だよね。
一方でオスマン帝国は外債を発行して戦争を続け、その利息すら返せない状態に陥っていました。お金を貸していたイギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、イタリアなどは、借金を半分にする代わりに、タバコと塩の専売収入や酒税、イスタンブール近郊の税収などを受け取るようになります。
外債で戦費を調達
対外的に借金をして戦争を続ける
利息が返せない
借金の返済が行き詰まる
収入源の引き渡し
借金半減と引き換えに専売収入や税収を列強に渡す
自立性の喪失
国家の収入を他国に押さえられる
楊さんはこの状況を「給料差し押さえ」にたとえ、深井さんも経済的な自立性を奪うやり方だと指摘しています。
さらに外国資本による鉄道建設などのインフラ整備も進みました。一見よいことに見えますが、深井さんは、利益が外国の株主に流れるため国内産業が育たず、その土地の人々の給与も上がりにくくなると説明しています。
楊さんは、鉄道があれば国内市場が活発になるメリットもあると応じます。深井さんもメリットは認めつつ、自力だけで進めると時間がかかる難しさにも触れたうえで、搾取され続ける構図が前提にあると話しています。
イギリスが悪いのか、帝国主義が悪いのか
列強の振る舞いについて、深井さんはイギリスに限らずフランスやイタリア、そして日清戦争・日露戦争を経て列強の仲間入りをした日本も、同じような「列強ムーブ」をしたと指摘します。
この件に関しては、個人的にはイギリスがダメだったとか、日本がダメだったっていうのはもちろんそうなんだけど、帝国主義がダメだったっていうことだと思うんだよね。
楊さんは、どの国でもそのポジションにいればやり得たことであり、力を持てば世界を動かしてもいいという「ゲームルール」だったと表現しました。
深井さんはこの言い方をわかりやすいと受け止め、当時は誰もが当たり前にやっていたことでも、禍根を残し万人の闘争状態を招くため、本来は反省してやらないようにしたほうがいいと話しています。楊さんは、システムの欠陥を修正していくのが今の時代なのだろうと締めくくりました。
言論は封じられても科学書は広がった
経済の領域でも搾取構造が作られ続けた一方で、文化面でもう一つの皮肉が起こります。アブデュルハミト2世は検閲を強化して政治的言論を封殺しましたが、文芸誌、文学作品、実用書、科学書の出版はむしろ大きく発展しました。
特に科学書が重要で、科学書を読んで育った層は、のちにイスラーム教を否定していく流れを取るようになります。深井さんはこれを「科学教」に入っていくと表現しています。
文学的であり、さらに科学進歩者でもあるのがケマル・アタテュルクなんですよね。
ケマル・アタテュルクは詩を書き、科学が好きで、宗教はあまり好きではなかったといいます。深井さんは、こうした宗教忌避の空気はこの時代からつい最近まで続いていたと感じており、今はその時代が一旦終わったと解釈しているそうです。
出版文化の広がりを支えたのは、識字率を上げる教育を整えたアブデュルハミト2世の改革でした。エリートたちはフランス語を中心に西洋語の文献を直接読み、自由や平等の概念を取り入れて専制政治に反対していきます。
教育改革
識字率を広げる教育が整う
出版の発展
政治的言論は封殺される一方、小説や科学書が広まる
西洋思想の流入
エリートが西洋語の文献から自由や平等の概念を得る
専制への反対
新しいエリート、特に軍部がスルタンに反発する
深井さんは、軍が最初に近代化を迫られたため、軍が最初に知識エリートとなり、最初にスルタンを嫌いになったと整理しています。今の社会ではエリートの多くがビジネスパーソンになるのに対し、この時代は軍人がエリートだったという違いも挙げています。
イスラームという「OS」のまま近代化できるのか
ここで深井さんは、近代化にあたってオスマン帝国が抱えていた大きな課題を3つにまとめます。1つ目は、イスラームという社会の基盤、いわば「OS」を持ちながら近代化しなければならないという問題です。
いきなりイスラームOSは壊せないんですよね。やっぱりイスラームってすごい誇りがあるから。
深井さんによると、自らの文化の優越性を信じるのはキリスト教圏も日本も中国も同じです。イスラーム側も同様で、17、18世紀ごろからヨーロッパとの力関係が逆転し、軍事的敗北が始まったことで、急に異教徒から学ばなければならなくなりました。
その受け入れには段階がありました。最初は昔の栄光を取り戻そうとする復古主義で、次に構造の問題だと気づき、しかし構造を変えるには内部のパワーバランスを全部変えなければならない壁にぶつかります。イスラームを否定的に見る人は、ケマルの世代になって一部のエリート層にようやく現れる程度だったといいます。
深井さんは、この課題への対処法は大きく3つしかないと説明しています。
| 対処法 | 内容 | 方向性 |
|---|---|---|
| 原点回帰 | 西洋化を退け、イスラームの原点に戻る | 独自性を増す |
| ハイブリッド | 西洋化を受け入れつつイスラームの要素も残す | 両者の折衷 |
| 全面的な西洋化 | 思いきり西洋化する | 西洋に合わせる |
大体ね、近代化する時の他の国々っていうのは、やっぱこの三つのモデルでどれにするかで。内部で揉めて、揉めてる間に列強に食い物にされるっていう現象が起こっていくわけです。
深井さんは、内部で揉めながらもなんとか近代化に一応成功したと言えるのは日本とトルコだけではないかという認識を示しています。区分の仕方には異論もありうると断ったうえでの見方です。
日本とトルコだけってのがやばいな。
深井さんは、この状況を自分の組織に重ねたリスナーも多いだろうと話します。ただしオスマン帝国は人口も領土も圧倒的に大きく、樋口さんが言うように、民族や国がそのまま滅ぶかもしれないという点で企業活動とはシビアさが違います。
賢い人ほどバランスを取ろうとして間に合わない
オスマン帝国の改革を見てきて深井さんが指摘するのは、エリート層が部分最適に走るという現象です。改革の必要性は理解しているものの、直ちに改革できないこともわかっていて、急進的に動けば殺されかねないため、バランスを少しずつ変えようとします。
だけどもっと全体感でいくと間に合わないんです、それ(部分最適)が。この悲哀が歴史から学べるんですよね。
深井さんは、頭がよい人ほどバランスを取ろうとするが、それでは外的要因の変化に耐えきれないことが往々にしてあると話します。明治維新期の阿部正弘 ── 江戸幕府の老中。ペリー来航時に幕政を主導し、諸大名や幕臣の意見を広く聞くなど、協調を重んじる政治を行った人物として知られますも同じで、バランスを取ろうとして外部の変化に耐えきれなかった例として挙げられています。
内部の均衡を保ちながら少しずつ変える。賢い人が取りやすいが、外部の変化に間に合わないことがある
構造そのものを変える。必要だが、内部均衡を崩すため、組織がどのタイミングで踏み切れるかが問われる
ケマルはこの状況をなんとかしますが、深井さんはそこに再現性があるかは微妙で、民主主義の歴史を学んだ立場からは、一人に任せるやり方とは違う方法を考える必要があるとも述べています。
なんかこう、思いっきり構造改革だと思って、自分の会社の自分の部署だけでやってたら、会社全体から見たら大した構造改革になってなくて、ただの部分最適でしょうってなってるけど。
樋口さんは、どのスコープで見るかによって部分と全体の区別自体が変わる難しさを指摘しました。深井さんも、オスマン帝国の単位で見るか、トルコ人の単位で見るかで全体最適の中身は違うと応じています。
多様すぎる帝国をどうまとめるか
2つ目の課題はナショナリズムです。深井さんによると、この時代に国としてまとまれたのは「自分たちはこういう民族だ」と言いやすかった国で、言いにくかった国は分裂していきました。日本は幸いにもまとまりやすく、オスマン帝国は非常にまとまりにくい国でした。
最初からダイバーシティだったんです。このダイバーシティが悪い方に出てきちゃったっていう話ですね。
オスマン帝国は「オスマントルコ」と呼ばれることもありますが、深井さんはこれを微妙な呼称だといいます。トルコ人が主体ではあるものの、さまざまな人種と宗教の人々が暮らし、ユダヤ人なのにムスリムの人のように、人種と宗教が交差する人もいたからです。
そのため、どの単位でまとまるかをめぐって、複数の案が次々に出てきました。
| 案 | まとまる単位 | 結果 |
|---|---|---|
| [パンイスラム主義] | イスラーム全体 | うまくいかなかった |
| オスマン主義 | オスマン帝国の人々 | うまくいかなかった |
| トルコ主義 | トルコ民族 | トルコ共和国へつながった |
トルコ主義で一応まとまったものの、クルド人問題などもここから生じてきます。樋口さんは、まとまることは均質な国民という境界線を作る行為であり、それ以外の人がマイノリティとして排除される構造を持つと指摘しました。
成功しながら失敗が始まっていた帝国の財政
3つ目の課題は、経済的に植民地化されていることです。15〜16世紀、メフメト2世、セリム1世、スレイマン1世の3代にわたり、オスマン帝国はエジプトやメソポタミア、ハンガリーなどを征服し、莫大な戦利品と税収で繁栄していました。
歳出が膨らんでも、領土拡大で吸収できるうちは問題ありませんでした。しかしウィーン包囲 ── オスマン帝国がハプスブルク家の拠点ウィーンを攻めた戦い。1529年と1683年の2度行われ、いずれも失敗に終わりましたが失敗したころから、軍事的に拡大できなくなっていきます。
西洋が著しく経済成長するなかで、オスマン帝国は追い上げられながらも、逆転されるまではまだ強い時代がありました。やがて逆転され、借金をしないと戦えなくなり、その借金も返せなくなります。
領土拡大による戦利品と税収で繁栄し、膨らむ歳出も吸収できた
借金が返せず、税収やインフラを列強に押さえられ、国家財政を管理される
債権者である列強に国家財政を管理され、将来の税収もインフラも取られた状態を、深井さんは「経済的な植民地」と表現しています。自分で決めたいことを自分で決められない状態のまま、オスマン帝国は第一次世界大戦に突入し、しかもドイツ側、つまり負ける側につきます。
早く出てきてケマルさん。
負けないと現実は見えない?絶望から国を作る意思
3つの課題を振り返ったあと、樋口さんは、人間はここまで負けを重ねないと現実を認識できないのだと感じたと話します。
やっぱ実際勝ってるのと負けてるのと同時で起こってた場合に、人の認識はやっぱり勝ってる方に引っ張られるんだよな。
深井さんは、売上がまだ上がっている会社のようなものだと応じます。樋口さんによると、オスマン帝国もウィーンで失敗しながら小さな戦いでは勝っていて、それが全体のメタ認知を阻んでいた面があったのではないかといいます。
樋口さんは「失敗は成功の母」という言葉の重みに触れ、人間は失敗から学びたくないからこそ、こうした言葉が必要なのだろうと話しました。
一方で深井さんが面白いと感じているのは、この後の第一次世界大戦でさらにボロボロになり、誰もが諦めてもおかしくない状況から、今のトルコ共和国が作られることです。起業家である深井さんは、フリードリヒや高杉晋作の回と同じように、この「絶望的でもなんとかできる」点に勇気をもらうといいます。
樋口さんは、ケマルは映画なら最高のタイミングで生まれてくる設定だと表現し、深井さんもトルコには実際にケマルの映画があり、Netflixなどでトルコ語で作ってほしいと話しています。オスマン帝国の背景説明はここまでで一区切りとなり、次回いよいよケマル・アタテュルクが登場します。
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まとめ
アブデュルハミト2世は専制を強める一方で司法・教育・軍事の近代化を進め、その改革で育ったエリートが彼に反発するという皮肉を生みました。オスマン帝国はイスラームと近代化の両立、多様な人々のまとまり方、経済的な植民地化という3つの課題を抱えたまま、ケマル・アタテュルクの時代を迎えます。
- アブデュルハミト2世への評価は二分しており、専制下で司法改革・教育改革・軍事教育を急速に進めた改革者の面もある
- 改革で育った軍のエリートがスルタンに反発し、その一人がケマル・アタテュルクだった
- 列強は借金と引き換えに税収やインフラを押さえ、オスマン帝国の経済的な自立性を奪った
- 賢い人ほど部分最適でバランスを取ろうとし、外部の変化に間に合わないという教訓が語られた
- 勝ちと負けが同時に起こると人は勝ちに引っ張られ、ボロボロになるまで本質的な改革は難しい







