前回の「龍の歴史」、実はワニの話だった?
番組冒頭、深井龍之介さんは収録直前の腹痛で自己紹介が崩れてしまい、樋口聖典さんに突っ込まれます。今回はショート編で、メインスピーカーは楊睿之さんです。
まあメインスピーカーヤンヤンなんで。もう途中でトイレとか行きますね、じゃあ。
樋口さんは、前回のショート編「龍の歴史」が面白いシリーズだったと振り返ります。深井さんは、龍の歴史というより実際にはワニの話だったと補足します。
楊さんによると、龍の肉を食べたという皇帝の話について、リスナーから「ワニの肉なら確かに食べられそうだ」というコメントが届いたそうです。樋口さんは、リスナーの声で論が強化されたと面白がります。
太宰府天満宮はなぜ「福岡の一番のパワースポット」なのか
今回のテーマは「学問の神様」菅原道真です。福岡在住の樋口さんは、道真と聞いてすぐに太宰府天満宮を思い浮かべます。
深井さんは、出雲出身でも太宰府天満宮は普通に知っていたと話し、福岡の人以外にも広く知られた場所だと指摘します。
楊さんが道真を特殊だと考える理由は、実在した平安貴族が神様になり、約1000年にわたって日本人から絶大な人気を集め続けている点にあります。実在の人物が神様になった例としては、松陰神社や聖徳太子なども挙がりますが、深井さんもその長さがすごいと同意します。
もともと本当に実在した人間なんですよ、平安貴族。で、神様になってるんですよね、千年ぐらい前に。
楊さんによれば、太宰府天満宮の年間参拝者は1000万人にのぼります。楊さん自身も日本の小学校に通い、スケッチ大会で太宰府天満宮を訪れた経験から、道真は「実在した日本人で、神様になったすごい人」として早くから刷り込まれていたそうです。
なんだったら僕、高校大学受験合格したのは道真さんのおかげだと思ってます。
全国1万2000社の天満宮と「天神」という地名
楊さんによると、道真を祀る天満宮は日本全国に約1万2000社あります。その中で、福岡の太宰府天満宮は、京都の北野天満宮、山口の防府天満宮と並ぶ三大天満宮の一つとされています。
太宰府天満宮は道真のお墓の上に建てられているとされ、道真を語るうえでも特にゆかりの深い場所です。
楊さんは、収録スタジオのすぐ隣にある福岡の天神という地名も、道真に由来すると紹介します。「天神様」は道真のことだと聞き、樋口さんは驚きます。
天神様って道真様のことですからね。
深井さんは、天神町のような地名は日本中にあると補足します。楊さんは、福岡・天神のアクロスの横にある小さな水鏡天満宮が、天神という地名の由来だと説明しています。
教科書の道真像では見えない「人間としての面白さ」とは?
楊さんは、教科書で語られる道真の人生を「学問がよくできた平安貴族が、大出世し、藤原氏に陥れられて大宰府に流された」とまとめます。楊さんは、この説明は外れていないものの、解像度を上げると道真の人間としての面白さが見えてくると話します。
そこで今回のシリーズでは、神様になる前の道真について、ディテールを含めて語る方針が示されます。楊さんは、学問の神様である道真が実際にどんな学問をしたのか、平安貴族の中でどんなポジションにいたのかも掘り下げるといいます。
楊さんの目標は、樋口さんの道真理解を深め、樋口さんが道真として振る舞えるほどにすることです。樋口さんは「誰が喜ぶん?」と返し、スタジオには笑いが起きます。
偉業のない人物が、なぜ1000年以上愛されるのか
楊さんは、道真の面白さを先に紹介します。平安貴族は遊んでいたわけではなく国家官僚であり、道真は日本史上最も文章が上手かったと考えられる人物だといいます。
受験シーズンに太宰府天満宮へ受験生が集まることにも理由があります。楊さんは、当時にも受験というシステムがあり、道真は青春時代の大半を受験勉強に捧げたと説明しています。
道真は多くの漢詩 ── 中国の古典詩の形式で書かれた詩。平安時代の日本では、貴族の教養として重視され、公的な場でも詠まれましたを残し、そこにはその時々の心の動きが詠み込まれています。楊さんによれば、そこから頑固さ、繊細さ、誹謗中傷に苦しみながらも負けなかった性格などが読み取れるそうです。
彼はカエサルとか吉田松陰とかライト兄弟みたいに、別に何か偉業を達成したわけではないんですよね。
楊さんは、世界史や人類社会を大きく変える偉業を成し遂げた人物ではないのに、道真が今も愛されていることを面白いと考えます。その理由の一つとして、道真には日本人の心の琴線に触れる何かがあるのではないかと話しています。
道真を理解するには、なぜ生い立ちより先に仕組みから?
楊さんは、いつものように生い立ちから語っても、今回は道真の魅力が伝わらないと話します。その理由は、道真と菅原家が、律令制度 ── 中国の法体系をもとに、7〜8世紀の日本で整えられた統治制度。刑罰法の律と行政法の令を柱に、官僚組織による国家運営を目指しましたという新しい仕組みの中で台頭した、新しいタイプの貴族だったからです。
楊さんによると、平安貴族は政治に関わる国家官僚で、ピラミッドの上位に位置していました。その下には、貴族ではないものの政治に関わる役人が数多くいたといいます。
樋口さんは、宴や手まり、和歌を詠みながら泣く貴族を思い浮かべます。楊さんは、それも事実ではあるものの全体像ではなく、実際の貴族はとても忙しかったと答えます。
会社で例えるとスタートアップなんですよね。スタートアップだから、ほら、人材とかも足りないし、(みんな)基本忙しいじゃないですか。
楊さんは、学術的な説明ではないと断ったうえで、律令制を中国から導入したばかりの日本をスタートアップにたとえます。人材が足りない中で、貴族たちは複数の役職を兼任していたと説明しています。
平安時代の「学問」は真理探究ではなかった?
楊さんは、官僚として仕事をこなすために必要だった能力は学問だったと説明します。中国から伝わった学問には、文学、歴史、思想、哲学、宗教、律令、技術などが含まれていました。
深井さんが挙げた陰陽師 ── 天文や暦、占いなどを担当した官人。星の動きなどから吉凶を読み、国家の意思決定に関わる助言も行いましたの安倍晴明のように、天文学や占いも国家政治に役立つ学問として扱われていました。
楊さんは、当時の学問が現代の学問とは質感が違うと強調します。当時の学問は国家統治のためのものであり、個人にとってはキャリアアップ、つまり立身出世のための道具でした。
菅原道真も学者なんですけども、別に真理探求するためではないんです。あくまで国家統治のためのツールとして(学問を)みんな一生懸命頑張る
国家統治のためのツールであり、立身出世の手段でもあった
国語・数学・理科・社会のような教科や、真理を探究する営みとして捉えられやすい
「太政大臣の仕事とは?」道真も関わったリサーチ業務
楊さんによると、平安時代にも人事、外交、財政などを担当する省庁があり、貴族や役人が配置されていました。その仕事ぶりを示す例として、道真が関わった業務の記録が紹介されます。
藤原氏のトップだった藤原基経は、名誉職とされる太政大臣 ── 律令制における太政官の最高職。常に置かれる役職ではなく、ふさわしい人物がいない場合は空席とされることもありましたに就いていました。藤原基経は学者たちに、この役職にどんな具体的な職務があるのかを調べるよう求めたといいます。
深井さんは、中国には同じ名前の役職がなかったと考えられるため、日本版に改変した部分の役割を、中国の類似した立場から調べさせたのだろうと推測します。
改編してできたこの改編部分って何?って自分でなったんでしょうね。日本人が。俺何すりゃいいの?って。
楊さんは、この状況をスタートアップで「CTOは何をする役職なのか」を調べることにたとえます。道真を含む優秀な貴族たちは、律令の条文や中国の古典を調べて持ち寄り、議論していました。
平安時代の官僚能力は「親ガチャ」で決まった?
楊さんは、官僚としての能力をどう身につけるかという人材育成の問題に話を進めます。楊さんの答えは、基本的には「いい家に生まれるしかない」というものです。
楊さんが最も重要だと考える理由は、本やノウハウといった知的財産がオープンソースではなく、家ごとに独占されていた点にあります。楊さんは、現代の会社が著作物や知的財産を守り、自社の強みとして受け継ぐ感覚に近いのではないかと話しています。
その本がオープンソースじゃないから、継承できる主体者みたいなのが家しかなくなっちゃうんだよね。
深井さんは、鎌倉編で扱った武士の戦争スキルにも同じ構造があったと指摘します。親から教わる場合、費用がかからないため、知識や技能は家業として受け継がれやすくなります。
楊さんによると、身分が高くても書籍を持たない家もありました。そうした家の出身者は、役職が上がっても儀式の段取りを組めず、周囲の貴族から厳しく批判されることもあったそうです。
本が家ごとに独占される
印刷技術がなく、書物は手書きで写されていた
家に生まれた人だけがアクセスできる
書物や、教えてくれる先生の人脈を確保できる
知識や技能が家業になる
成り上がりにくい社会構造が生まれる
大学寮は、なぜ中下級貴族の出世ルートになったのか
楊さんは、家柄に左右される人材育成とは別のサブシステムとして、大学寮を紹介します。大学寮は、律令制の枠組みの中に置かれた国家官僚の育成機関で、菅原家はここを足がかりに台頭しました。
大学寮には、官僚になる貴族全員が通う必要はありませんでした。ただし、中級・下級貴族が大学寮で学ぶと、官僚として出世するうえで有利になったといいます。
実は大学寮に通えれば、蔵書という知的財産にアクセスできたんです。
楊さんによると、大学寮は一流の学者から学べる場であり、家柄による知的財産へのアクセス格差を一定程度ならす機能を持っていました。さらに、カリキュラムやテキストが指定された体系的な教育を受けられた点も大きな利点でした。
楊さんは、大学寮で学んだ人とそうでない人の違いを、取締役会にいる「先代社長から現場で経営を叩き込まれた人」と「スタンフォード大学でMBAを取った人」にたとえています。
自宅の蔵書と招いた学者で学ぶ一方、学習内容にムラが出やすい
一流の学者から、カリキュラムと指定テキストに沿って体系的に学べる
紀伝道はなぜ最先端の人気学科だったのか
楊さんによると、大学寮では儒学を基礎教養として学んだうえで、4つの学科に分かれていました。
| 学科 | 学ぶ内容 | 特徴 |
|---|---|---|
| 紀伝道 | 漢文学と中国史 | 道真と菅原家が所属した |
| 明経道 | 儒学の専門 | テキストの意味と文脈を重視する |
| 明法道 | 律令 | 法学部にあたる |
| 算道 | 数学 | 税や土地の測量を担う技術系の役人を育てる |
楊さんの説明では、紀伝道は道真の時代に4学科の中でも最先端とされ、学生にとても人気がありました。律令制が崩れていく中で生じる統治課題に向き合える実務家を育てていた点が、国家のニーズと合っていたためです。
楊さんは、律令を国家の基幹システムにたとえます。導入後、現場の実情とのずれが大きくなっていったものの、基幹システムを変えるのは簡単ではありませんでした。
でも紀伝道出身の人たちはこれ(律令)をいじれるロジックとマインドを持ってたんです。
紀伝道で大切にされていたのは、楊さんが「反経合義」と紹介する理念です。これは、本来の原則に反してでも、より良い手段を取るべきだという考え方で、原則よりも現場の実態を優先する価値観として受け継がれていました。
深井さんは、この関係を「セールスフォースと、セールスフォースをカスタマイズする人」にたとえます。楊さんによると、律令を専門とする明法道の人たちは、むしろ基幹システムを絶対に大事にする立場でした。
歴史はデータベース、漢文学は文書行政の技術
楊さんは、歴史と漢文学を含む紀伝道を、現代の公共政策学部にたとえます。政治学、法律学、経済学などを幅広く学ぶ、オールマイティな実務家を育てる場だったというイメージです。
歴史は、課題を解決するためのデータベースとして使われていました。深井さんは、紀伝道出身者を「こういう時に中国はこうした」という事例を多く知る人だと捉え、太政大臣の職務調査もまさにその役割だったと結びつけます。
漢文学は、文書行政で必要になる文章作成の技術でした。ただし、楊さんによると、漢文学は文章技術だけでなく、思考パターンを身につける役割も担っていたようです。
文章はそもそも個人の好きなように書いちゃいけないんです。厳密なお作法があるんですよね。
当時の漢文では、表現、文体、構成、主題、込められた心情などのあらゆる要素に、引用元を踏まえることが求められました。楊さんは、膨大なデータベースから要素を取り出して組み立てることこそが、当時の「文章を書く」という行為だったと説明しています。
公文書には用途ごとのフォーマットがあり、権威を持たせるために美しく書く必要もありました。楊さんは、道真の文章は超一流で、日本における漢詩の頂点を極めた人物だと書いた本もあったと紹介します。
深井さんは、検索システムも十分な本もなく、夜の電灯もない時代に、引用元を頭の中で把握しながら文章を書いていたことに驚いています。
言葉の意味を柔軟に使い替える「断章取義」
楊さんは、反経合義と同じような考え方が、紀伝道の漢文学にも流れていたと話します。その違いは、儒学の専門学科である明経道と比べるとわかりやすくなります。
儒学のテキストに示された意味と文脈のとおりに引用する
文書の目的に合わせて、言葉を元の文脈から外し、新しい意味で用いることもある
紀伝道の人たちが行ったこの使い方は「断章取義」と呼ばれます。楊さんによると、彼らにとっては文章を書くという実務上の目的が第一だったため、場面に応じて言葉の意味を変えたり、新しい意味を付けたりして使っていたそうです。
変化を迫られた時代に求められた実務家とは?
楊さんは、ここまでの内容を整理します。道真が生きたのは律令制が緩んでいく最終段階であり、既存の仕組みでは対応できない現実が次々に生じていた過渡期でした。
税の徴収方法や官僚の裁量権なども見直す必要がありましたが、既存の律令にとらわれて改革が進まず、優秀な官僚が手腕を発揮しきれない状況もありました。
楊さんは、現代では書類仕事が生産性を下げる原因のように語られがちだと指摘します。一方で当時の日本では、文書行政こそが最先端の統治システムだったと説明しています。
楊さんによると、紀伝道出身者は、自分たちを文書に長けた官僚と捉え、中国で名を残した優秀な官僚をロールモデルとするアイデンティティを持っていました。
紀伝道出身者は国家運営の中で存在感を高め、一大勢力を築いていきました。楊さんは、日本史全体を通じてその頂点に立ったスーパースターが菅原道真だと位置づけています。
優秀な官僚だった道真は、なぜ神様になったのか?
樋口さんは、ここまでの話を聞いても、道真は当時にいた何人かの優秀な人物の一人という印象で、まだ神様らしさは感じないと率直に話します。深井さんも、そうした人物は何人かいそうだと同意します。
楊さんは、道真の没後に怨霊として扱われ、その後神様へと転じていく流れがあることに触れます。ただし、今回のシリーズではその部分は扱わず、人間として生きた道真の人生を中心に語るといいます。
(道真が)人間であった時の話をひたすらしていって、そこからなんでこんな風に今も残ってるのかっていう風に、皆さんで(中略)各々考えて感じていただけたらいいな
樋口さんは、次回以降は道真が1000年残り続ける理由を探す旅になりそうだと話し、第1回を締めくくります。
まとめ
第1回では、菅原道真の生い立ちに入る前に、平安貴族が国家官僚であったことと、道真を生んだ大学寮・紀伝道という仕組みが整理されました。道真は、原則よりも現場を優先する実務家集団の頂点に立った人物として描かれています。
- 菅原道真は、実在した平安貴族でありながら神様となり、約1000年にわたって親しまれてきた珍しい人物です。
- 平安貴族は遊んでばかりいたわけではなく、役職を兼任しながら、学問を使って国家統治を担う官僚でした。
- 知識が家ごとに独占される社会で、大学寮は中下級貴族にとって、知識にアクセスし出世するためのルートになっていました。
- 紀伝道は歴史と漢文学を学ぶ学科で、律令と現場の実態のずれに柔軟に対応する実務家を育てていました。
- 道真が神様になった経緯は次回以降に回され、まずは人間としての道真から、なぜ今も愛されるのかを考えていきます。





