兵士も参謀も限界に達したドイツで何が起きたのか?
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第一次世界大戦編の第12回は、アメリカ参戦とロシア革命を扱った前回の続きです。台本は120ページ中71ページまで進み、話の重さに樋口さんは「メンタルをやられた」と漏らします。
120ページ分の71ページまで来ましたよ。ヘビーですね、後半結構。この話の内容が。
1918年春からの大攻勢は、最初こそ順調だったものの、物量と軍事資源の限界で夏には成果が出なくなります。アメリカも参戦した段階で、ドイツではついに大衆運動が起こり始めました。
ドイツ軍の中では軍部への批判が巻き起こり、命令を聞かない兵士も出てきます。負けが見えている戦いで、兵士たちは生き残ることを優先し始め、それがドイツをさらに弱くしていきました。
軍も崩壊してきたし、その兵士たちもね、死にたくないわけよ。もうもはやこれ負けてるから。
同じ頃、ヒンデンブルクと組んで実質的に作戦を考えていた副参謀長のルーデンドルフ ── エーリヒ・ルーデンドルフ。第一次世界大戦後半のドイツ軍を、参謀総長ヒンデンブルクとともに実質的に指導した軍人ですは、精神的に追い詰められ、泡を吹いて倒れたといいます。飢餓が起き、戦線も思わしくなく、将来には絶望しかない状況でした。
一方で、9月の終わりになっても皇帝ヴィルヘルム2世は負けるとは思っていなかったと伝えられています。深井さんは、皇帝が以前の和平交渉で逆ギレした頃から判断が偏っていた可能性や、戦況をきちんと知らされていなかった可能性を挙げます。
休戦交渉の最中に、なぜ指導部は仲間割れしたのか
1918年9月29日、ヒンデンブルクとルーデンドルフはヴィルヘルム2世に、即時の休戦が必要だと伝えます。交渉相手には、参戦国でありながら仲介者として最も適していたアメリカが選ばれました。
ただしアメリカは民主主義の国なので、休戦交渉を進めれば、ドイツに自由主義的な政府を求めてくると予想されていました。ルーデンドルフもこの段階で、ようやく戦争に負けたと口にし始めます。
ところが、アメリカのウィルソン大統領が示した休戦条件が思ったより厳しかったため、ヒンデンブルクとルーデンドルフは「やはり戦争を続ける」と言い出します。これにヴィルヘルム2世が怒り、ルーデンドルフだけを解任しました。
負ける段において、仲間内でぐっちゃぐちゃになっていくわけですよね。
ヒンデンブルクだけが残されたことに、今度はルーデンドルフが怒ります。敗戦が迫るドイツの指導部は、休戦と継戦のあいだを揺れ動きながら、内側から崩れていきました。
キール軍港の反乱から、「言ったもん勝ち」の共和国へ
休戦交渉の最中、ドイツのキール港で、海軍の将校が水兵に無謀な出撃命令を出します。休戦を話し合っている段階での出撃命令に、兵士たちはついに反乱を起こしました。
キールの反乱はドイツ国内に一気に広がります。当時のドイツ帝国は、各地の王や貴族をプロイセン王が皇帝として束ねる連邦的な体制で、ザクセン王などの諸侯も次々と退位させられ、最後にはヴィルヘルム2世もオランダに亡命しました。
無謀な出撃命令
休戦交渉中に、キール港の海軍将校が水兵へ出撃を命じる
水兵の反乱
命令に怒った兵士が反乱を起こし、ドイツ国内へ広がる
諸侯の退位
ザクセン王など各地の王や貴族が退位させられる
皇帝の亡命
ヴィルヘルム2世がオランダに亡命し、ドイツ帝国が終わる
ロシア帝国に続き、ドイツ帝国も休戦協定の最中に内部から崩壊しました。深井さんは、ドイツ帝国が内側から壊れるところまで走り続けたと表現します。
よく我慢したなっていう、俺は感覚に。
帝国の崩壊後には臨時政府が作られ、これがヴァイマル共和国 ── 1919年から1933年まで続いたドイツの共和制国家。当時としては民主的な憲法を持っていましたが、世界恐慌の混乱のなかでナチ党の台頭を許しましたになります。のちにヒンデンブルクがこの国の大統領になり、ヒトラーへとつながっていきます。
大統領になったエーベルトは、皇帝を残してイギリスのような立憲君主制にするつもりでした。しかしナンバー2のシャイデマンが、デモ行進中の労働者たちの前で勝手に共和国の樹立を宣言してしまいます。
みんなの前で宣言され、世論もその方向に傾いていたため、今さら立憲君主制には戻せなくなりました。こうしてドイツは共和国になります。
すげえ言ったもん勝ちみたいな。
ヴェルサイユ条約に込められたフランスの怒り
ドイツ革命のあと、1919年1月にパリ講和会議が開かれます。議論を主導したのはフランス、アメリカ、イギリスで、イタリアも加わっていたとされます。国際連盟もここで作られましたが、最大の問題はドイツをどうするかでした。
講和会議では、戦争責任はドイツにあるという主張が共有され、ドイツを再起不能にするための過酷な賠償が課されます。ボロボロにされたドイツからヒトラーが出てくる、というのが第二次世界大戦への流れです。
フランス国民の根底には、普仏戦争 ── 1870〜1871年のプロイセン(ドイツ)とフランスの戦争。フランスが敗れ、アルザス・ロレーヌ地方を失いました。ドイツ帝国はこの戦争中に成立しています以来のドイツへの復讐心がありました。第一次世界大戦では勝った側でありながら、フランスも国の富が大きく吹き飛び、国土を荒らされています。
もう絶対このドイツっていう国を叩き潰して二度と戦えなくしてやるっていう、もう感情にやはりめちゃくちゃ支配されてる状態なんですよね。
ヴェルサイユ条約でドイツが失ったものは、数字で見るとその重さがわかります。
ドイツはアルザス・ロレーヌ地方をフランスに返還し、ベルギーやポーランドにも領土の一部を渡すことになります。ポーランドへ割譲された地域は、のちのヒトラーのポーランド侵攻にもつながっていきます。植民地もすべて没収され、戦勝国に分配されました。
賠償金をめぐる、戦勝国同士のジレンマとは?
フランスもイギリスも国の富を大きく失っていたため、戦勝国は経済復興のために、ドイツがどうなろうとお金を取りたいと考えていました。特にその思いが強かったのがフランスです。
一方でアメリカは、ドイツを追い詰めすぎればかえって賠償金を取れなくなると考えます。賠償金を払わせるにはドイツの経済を復興させる必要があり、樋口さんはここを「面白いジレンマ」と話します。
復讐心と自国の被害から、ドイツがどうなろうとお金を取りたい
感情の確執が少なく、取りすぎれば賠償金が取れなくなると考える
深井さんは、フランスの感情的な確執の背景に国民国家という仕組みがあると指摘します。昔なら貴族が「感情で決めてはだめだ、将来の国益を考えよう」とさばけたかもしれませんが、家族を亡くした大衆を説得するのは難しいといいます。
実害、だって家族とかが亡くなってるわけだからさ。すごい難しいなと思うんですよね。
支払額はかなり減らされたものの、最終的に確定した賠償金額は320億マルクでした。二人とも規模が想像できず、深井さんは「やばいということだけわかる」と笑います。
賠償に加えて、ドイツの軍備の大部分は押収され、陸軍の規模や保有できる兵器にも制限がかかりました。開戦の責任はドイツとその同盟国にあると、条文の中で決めきられます。
ヴァイマル共和国には、ヴェルサイユ条約を飲む以外の選択肢はありませんでした。ところが、この条約を飲んだヴァイマル共和国を批判する形でヒトラーが登場し、民衆の支持を集めていきます。
なんでこんな条約結んだんだと、こういう構図。
第一次世界大戦で国同士のしがらみが断ち切られたわけではなく、遺恨はそのまま第二次世界大戦へと引き継がれたという点を、二人は確認し合います。次回は、各国のその後を改めて整理する予定です。
なぜ列強は限界まで戦いをやめられなかったのか
深井さんは、各国が本当の限界まで戦いをやめなかったことこそ、第一次世界大戦から学ぶべきポイントだと話します。
樋口さんが注目するのは、列強の戦争経験の偏りです。第一次世界大戦までの列強の戦争は、植民地にする弱い国が相手で、ほぼ勝ち続けてきました。
常に彼らは戦争で勝った経験が蓄積されているので、今回の戦争もずっと頑張ってガンガンやっていけば勝つんだろうなっていう風な、そういう概念があったんじゃないかなと思ってます。
深井さんは、当時のナショナリズムが「負ける」という発想と結びつきにくかったと補います。自分たちが優れた民族だという考えは、のちの優生学 ── 人間の遺伝的な「質」を改良しようとする思想。19世紀後半から広まり、断種政策やナチスの人種政策の理論的な根拠として使われましたの種にもなり、この時期は多くの人がその種を持っていました。
その雰囲気の中で、兵士たちは笑顔で軽い気持ちのまま出兵しました。しかし戦場に近づき、砲弾でボロボロになった廃墟を目にするにつれて真顔になっていった、というインタビューが残っているといいます。
実際、戦場に近づいていくにつれて、廃墟とか、もう砲弾でボロボロになった戦場を見ると、血の気が引いていくわけですよね。
樋口さんは、当時の人々には勝つことや生きて帰ることよりも大事な何かがあり、そのためなら命を失ってもいいと考えて戦場に向かったのかもしれない、と言葉を探しながら振り返りました。
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まとめ
第一次世界大戦の終盤、ドイツは兵士の離反と指導部の混乱、キール軍港の反乱によって内部から崩れ、帝国は共和国に変わりました。そのあとに結ばれたヴェルサイユ条約の過酷な報復は、ヒトラーの台頭と第二次世界大戦への遺恨を残しています。
- 1918年、休戦交渉の最中にドイツ軍と指導部は崩れ、キール軍港の反乱をきっかけに帝国が終わった
- 共和制への移行は、シャイデマンが群衆の前で勝手に宣言したことで事実上決まった
- ヴェルサイユ条約でドイツは領土・植民地・軍備を失い、320億マルクの賠償を負った
- 復讐心から賠償金を求めたフランスと、ドイツ経済の復興を重視したアメリカのあいだにはジレンマがあった
- 勝ち続けた経験とナショナリズムによって、各国は限界まで戦いをやめられなかったと語られている







