北欧2カ国のNATO加盟申請は何が「歴史的」なのか
2022年5月の半ば、フィンランドとスウェーデンがNATOへの正式加盟を申請しました。深井さんによると、ロシアのウクライナ侵攻のあと、3月には北欧で加盟の話題が出始め、4月には政府が準備に入るというニュースが流れ、5月に申請に至ったといいます。
収録は6月で、この時点では加盟はまだ決まっていません。それでも深井さんは、侵攻からの動きの速さに注目し、ロシアもすでにリアクションを取っている状況だと話しています。
今回の回は、コテンラジオの調査メンバーが増えたことで生まれた余力を使って、NATO加盟の歴史的な背景を「ライトバージョン」でシェアする特別編です。メインスピーカーは室越さんで、深井さんと室越さんの2人だけで収録するのは初めての体制だといいます。
二人はちょっとあれだよね、なんかあの聞き手に定評がないからね、我々は。
深井さんが示した今回の論点は、北欧の2カ国が中立体制から中立ではなくなったことが、歴史から見るとどう見えるかという点です。北欧諸国はロシアの脅威にさらされながら、歴史的にずっと中立を保ってきたといいます。
それが今、だから思いっきりそうじゃなくなるっていう、本当に新しいステージに突入しているっていうことが、歴史勉強するとわかるっていう話を(今日はしたい)。
室越さんも、日本のテレビでもフィンランドやスウェーデンの首相が繰り返し報じられたことに触れ、この加盟がなぜ重く受け止められたのかを歴史の観点から伝えたいと話しています。
バイキングの海からロシアとの正面衝突へ
室越さんが話を始めたのは、9世紀ごろの北欧です。北欧とは現代のノルウェー、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、場合によってはアイスランドを含む国々で、もともとはキリスト教徒ではないバイキングの国でした。
9世紀ごろからバイキングの国々でキリスト教への改宗が進みます。もともと民会 ── 古代・中世ゲルマン系社会で、自由民が集まって物事を決めた集会。北欧では「シング」と呼ばれ、法や紛争解決を扱いましたと呼ばれる議会を持つ分権的な体制でしたが、キリスト教化の過程で王権が強まり、中世ヨーロッパらしい封建的な国へと変わっていったといいます。
北欧の国々が争っていたのは、バルト海の覇権です。バイキングは交易や略奪を主な財源にしていたため、制海権を確保する必要があったと室越さんは説明しています。
1500年代の宗教改革の時代になると、北欧にはルター派 ── 16世紀にマルティン・ルターの教えから生まれたプロテスタントの一派。北欧諸国では国の教会として定着しましたが入り、北欧としての意識が少しずつ育っていきます。この時期、スウェーデンを中心とする大きな国、いわゆるバルト帝国がバルト海を支配していました。
これに対抗して現れたのが、モスクワを中心とする国、のちのロシアです。イヴァン雷帝 ── 16世紀のモスクワ大公国の君主で、初めて正式に「ツァーリ」を名乗った人物。強権的な統治で知られますがバルト海沿岸のドイツ騎士団の国家を圧迫し始め、1550年代にはバルト帝国とロシアが正面からぶつかる状態になったといいます。
深井さんによると、この時代のスウェーデンはかなり強い国で、ロシアの脅威に怯える立場ではありませんでした。ロシアはもともとモスクワ周辺しか持っていない国で、そこからどんどん大きくなっていったといいます。
そのロシア、やっぱ寒いところにあるから、凍らない港の不凍港が欲しいから、バルト海の方行って、彼らも交易がしたいわけだよね、船でね。
船での貿易が経済のほぼすべてだった時代に、ロシアが海に出ようとすると、バルト海を支配するスウェーデンとぶつかるという構図です。
そして1700年、ロシアとスウェーデンが正面衝突する大北方戦争 ── 1700年から1721年にかけて、ロシアなどとスウェーデンが戦った戦争。ロシアが勝利し、バルト海沿岸に進出するきっかけになりましたが起こります。深井さんは、200年かけてロシアが正面衝突できるほど大きくなったのだと整理しています。
大北方戦争のロシア側の皇帝はピョートル大帝です。ピョートル大帝はウクライナにあったコサックの国、ヘトマン国家と同盟を組みましたが、コサックを消耗品のように扱ったため反発され、コサックはスウェーデン側に寝返りました。
その結果、ウクライナとスウェーデン対ロシアという構図になりますが、当時のロシア軍は非常に強く、ウクライナとスウェーデンはボロ負けします。スウェーデンは属国のようにしていたフィンランドの一部をロシアに奪われ、バルト海でのスウェーデンの力は落ちていきました。
武装中立はどうやって生まれ、なぜ崩れたのか
大北方戦争のころ、バルト海の周辺ではロシアに加えてプロイセンも台頭していました。プロイセンはドイツの前身にあたる国で、ここでプロイセン、ロシア、スウェーデンという三つ巴の構図ができあがります。
この三つ巴の中でスウェーデンがとったのが、武力は持ちながらどちらにもつかない武装中立という考え方です。室越さんによると、プロイセンとロシアが揉めても助けないし、どちらとも同盟を組まないという形で、北欧は中立を保つ戦略を使い始めました。
深井さんは、スウェーデンがロシアと正面から戦って大敗したことで、ロシアが「戦わないほうがいい相手」として強く意識されたのだろうと話しています。スウェーデンの傘下にあったフィンランドも同じ立場だったといいます。
だからそれ以降、伝統的に彼らというのは、ロシアが伸長してくるんだけれども、味方、誰の味方にもならないことによって、戦争が起こらなければ良いという状態を作るってことだよね。
北欧の中立が揺らいだ最初の大きな転機は、フランス革命とナポレオンです。ナポレオンはヨーロッパのほとんどを征服したあとロシアと講和し、中立を続けていたスウェーデンだけが、強すぎるフランスとフランスと講和したロシアのどちらにもつかないまま孤立しました。
この状況で、ロシアはスウェーデンを攻撃し、フィンランドの支配権はスウェーデンからロシアに移ります。深井さんは、ほかに有力なプレイヤーがいる間はロシアも下手に仕掛けられないが、誰も何も言わない状態になった瞬間をロシアはチャンスと捉えたのだと解説しています。
複数の大国が並ぶ
プロイセンやロシアなど、利害の違うプレイヤーがバルト海周辺にいる
中立が機能する
スウェーデンがどちらにもつかず、ロシアも下手に攻められない
バランスが崩れる
ナポレオン後、ロシアとフランスが講和し、スウェーデンが孤立する
ロシアが攻める
ロシアがスウェーデンを攻撃し、フィンランドがロシアの支配下に入る
ロシア帝国は通常、編入した地域にロシア系住民を送り込み、ロシア語教育を広げてロシア化を進めていました。ところがフィンランドはスウェーデンの影響で進んだ行政システムを持っていたため、ロシアは自国の近代化のモデルケースとしてその仕組みを残したといいます。
その結果、フィンランドはロシア帝国の一部でありながら、フィンランド人としてのアイデンティティを保った「もう一つの国」のような存在として残りました。深井さんは、ほかの地域がロシア人化していったのに対し、フィンランドはたまたま独自性が残ったのだと話しています。
2度の世界大戦で北欧の中立はどう試されたか
ナポレオン戦争を経て、北欧の組み合わせも変わります。ノルウェーとスウェーデンは、議会や行政はそれぞれ残したまま王を共有する同君連合 ── 複数の国が同じ君主をいただきながら、それぞれの政府や議会を維持する体制。スウェーデンとノルウェーの連合は1905年まで続きましたとなり、フィンランドはロシアに取られた形になりました。
フィンランドを奪われたスウェーデンでは、ロシアは危ないという対露脅威論が強まります。その一方で、ナポレオンに痛めつけられたプロイセンがドイツ帝国として力を取り戻すにつれ、ロシアに対抗してくれるドイツへの親しみが高まっていったといいます。
室越さんによると、北欧諸国はドイツをロシアに当てる形で、自分たちの中立を保つことができました。深井さんも、自分以外のプレイヤーがいてくれることでロシアに対抗でき、中立政策が取れるのだと補足しています。
第一次世界大戦のように敵味方がはっきり分かれる状況では、中立を保つのは大変だったといいます。デンマーク、ノルウェー、スウェーデンは様々な要求を受けながらも中立を維持しましたが、ロシア帝国の一部だったフィンランドには、ロシア軍の基地が多く作られ、ロシア人が流入しました。
大戦中にロシア革命が起き、ソビエト連邦が生まれると、フィンランドは独立します。室越さんは、ソビエトにフィンランドを保つ力がなく、フィンランドが「勝手に独立しちゃう」形になったと説明しています。
第一次世界大戦後、ドイツはヴェルサイユ条約で弱められましたが、ポーランドが国として復活したことで、ドイツ、ポーランド、ロシアという新しいバランスがバルト海に生まれました。深井さんは、プレイヤーが多いほど利害を調整できるので中立政策を維持しやすいと話しています。
第二次世界大戦では、北欧4カ国はそれぞれ中立を目指しました。しかしソビエトに最も近いフィンランドは強い圧力を受け、ソビエトとの冬戦争 ── 1939年から1940年にかけて、ソビエト連邦がフィンランドに侵攻した戦争。フィンランドは抵抗を続けたものの、領土の一部を割譲して講和しましたで国土の10分の1を奪われ、その領土は今も戻っていません。
ノルウェーとデンマークは、大西洋でイギリスに対抗しようとするナチス・ドイツに侵略されます。スウェーデンだけは終戦まで中立を守りましたが、国内をドイツ軍が自由に行き来できる条約を結ばされるなど、ドイツにいいように使われる面もあったといいます。
戦後、中立を守ったスウェーデンは国内産業を保つことができ、いち早く経済復興して福祉国家へ移ることができました。一方で、ノルウェーとデンマークは立ち直るまでに時間がかかったと室越さんは話しています。
冷戦とバルト三国の独立で北欧は何を選んだか
第二次世界大戦のあとに始まったのが冷戦です。室越さんは、ソビエトを中心とする社会主義の国々と、アメリカや西ヨーロッパを中心とする自由主義の国々が、武力衝突はしないまま緊張関係を続けた世界秩序だと説明しています。
この冷戦期に作られたのが、北大西洋条約機構NATOです。NATOは西側諸国がソビエトの脅威に対抗するための軍事同盟で、深井さんは「対ロシア軍事同盟」だと言い表しています。
北欧の国々は、NATOに入るかどうかの選択を迫られます。地理的にソビエトから遠いノルウェーとデンマークは参加し、深井さんは「逆に遠いほうが」入れたのだと指摘しています。
| 国 | ソビエトとの距離 | 冷戦期の選択 |
|---|---|---|
| ノルウェー | 遠い | NATOに参加 |
| デンマーク | 遠い | NATOに参加 |
| フィンランド | 最も近い | NATOに入れず、ソビエトと安全保障条約を結ぶ |
| スウェーデン | フィンランドより遠い | どちらにもくみせず中立を維持 |
室越さんによると、北欧4カ国はいずれも中立を望みながら、東西のパワーバランスが微妙だったため、非常に気を使った外交を取らざるを得ませんでした。
1989年に冷戦が終わると、ソビエトの構成国だったバルト三国が独立を宣言します。ウクライナやカザフスタンがソビエトの一員だった経緯を認めたうえで独立したのに対し、バルト三国はソビエトの支配は違法だったと宣言して離れ、ほぼその足でEUとNATOに加わったといいます。
室越さんは、バルト三国のNATO加盟はロシアにとって大事件だったと話しています。ロシアと国境を接し、しかも大事なバルト海への出口をNATOに押さえられる形になったからです。
このタイミングで、フィンランドとスウェーデンはEUには加盟したものの、ロシアを刺激する可能性があるとしてNATOには入りませんでした。室越さんは、北欧2カ国の中立がロシアと西ヨーロッパに等しい距離を取る中立ではなかった点を強調しています。
室越さんの整理では、北欧2カ国の中立は、本音ではロシアの圧迫から逃れたいものの、西ヨーロッパの仲間に入ればロシアを刺激するので入らない、というタイプの中立でした。深井さんも、西側に入れば真っ先に攻められるのが自分たちだからだと応じています。
室越さんはさらに、ロシアが拡大しようとするとき、黒海側に出ればウクライナに、バルト海側に出れば北欧に当たるため、ウクライナと北欧は歴史的に同じタイミングで軍事侵攻される運命を背負ってきたと話しています。だからこそ、ウクライナへの侵攻はフィンランドやスウェーデンにとって非常に怖いものだったのではないか、という見立てです。
中立を捨てる重さと、キーウ攻撃が変えたもの
深井さんは、1700年代からのおよそ300年で、北欧の伝統的な中立政策が崩れたタイミングは数度しかなかったと振り返ります。今回のNATO加盟申請も、その数少ない局面の1つだという見方です。
室越さんも、この300年で北欧の国々が中立を抜けるのは相当厳しい状況のときだけであり、2カ国がNATO加盟に舵を切ったこと自体が状況の深刻さを物語っていると話しています。
深井さんによると、キーウを攻めたロシアの側につくことは、国際世論的にも2カ国自身の心情的にもあり得ません。かといって、NATOに入らなかったウクライナが実際に激しく攻められている以上、中立を貫いても安全が保障されるようには見えないといいます。
室越さんは、フィンランドにとっては冬戦争で奪われた国土の10分の1がいまも取られたままだと指摘します。深井さんも、フィンランドはロシア帝国に支配された過去から独立した国であり、ロシアは「攻められそうなら攻める」相手にしか見えないだろうと話しています。
一方で、加盟にはNATO加盟国であるトルコが反対しています。室越さんは、その理由がクルド人問題と関連していると触れつつ、それだけで何本も収録できる重い問題なので踏み込まないとしたうえで、2カ国がすぐに加盟できる見通しは立っていないと話しています。
深井さんは、NATO側も加盟前の2カ国がロシアから軍事的なちょっかいを受ける事態は望まないだろうと見ています。そのうえで、2カ国が加盟すればロシアがNATOに取り囲まれる状態が生まれ、ロシアが何らかのリアクションをとる可能性があると話しています。
これがまたそういうリアクションを引き起こしたくないからNATO加盟やめてくださいっていうのもやっぱおかしいし。それで(中立のまま)ウクライナはなっちゃってるからさ。
室越さんは、ロシアの視点からすると「これが嫌でやったのに」という受け止めになるのではないかと話しています。自分たちの侵攻の結果だと受け止めるのは難しく、むしろ「やはりロシアは囲まれていた」と感じるかもしれないという見方です。
深井さんが今回の侵攻で最も驚いたのは、ロシアが首都キーウを攻撃したことだといいます。ロシア系住民の保護という主張ならドンバスへの派兵は説明がつくかもしれないが、首都を攻めるのは言い訳のできない戦争だという指摘です。
深井さんは、仮にロシアが3日でキーウを落としてウクライナに傀儡政権を立てていたとしても、フィンランドやスウェーデンはNATOに加盟したはずだと話しています。何度も同じことをされかけ、実際にされてきたフィンランドにとっては、そのほうがより恐ろしいからです。
だからキーウを攻撃するって愚策だよなと。やっちゃダメなんだよな。どこも攻撃しちゃダメだよ。だけど、本当に国際政治のステージを変える行為だよね、あれは。
日本の有権者は、この歴史から何を考えるべきか
深井さんは最後に、スウェーデンとフィンランドが歴史的に中立政策を保ってきたのはロシアが大きな脅威だったからであり、その中立で保たれてきた秩序が次のステージに移ったのだとまとめます。ここで止まるというより、状況はこれからも変わっていく可能性が高いという見方です。
そのうえで深井さんは、日本に住む人々が政治にどう動いてほしいかを考え、投票でメッセージを出していくことが民主主義国家として必要だと、個人的な意見として語っています。
室越さんは、今年の2月の初めに今の状況を想像できたかといえば想像できなかったと振り返ります。深井さんも、ロシアの報道はあったものの首都に侵攻するとは思わなかったと応じています。
深井さんは経済制裁にも触れ、反対はしないし、ある程度は必要だと考えているとしたうえで、歴史を見る限り経済制裁で戦争が止まった例はなく、むしろ相手を孤立させて意固地にさせることのほうが多いと話しています。そのため、制裁でロシアの戦争が止まるという希望は持てないといいます。
深井さんの見立てでは、状況がロシアにとって不安定になるほど、ロシアは仲間を確保しようとし、世界が再び二分、あるいは三分される可能性が出てきます。だからこそ、歴史を学ぶことが大事な時代だと話しています。
経済制裁で戦争が止まった確率っていうのが何パーセントかってのを分かった状態で、日本政府に経済制裁をさせるという意思決定を主権国民としてするのかしないのかみたいな分岐があるじゃん。
深井さんは、主権者として、判断を誤っていると思う政治家は牽制し、自分と同じ意見の政治家は支持する必要があると話しています。室越さんも、自分たちは専門家ではなく、歴史を勉強してもわからないことが多いと応じています。
深井さんは、民主主義とは一人ひとりが考え、議論して決め、その責任を国民が負う設計のシステムだと語ります。室越さんも、駆け足の説明ではあったものの、この回が勉強の入り口や考えるきっかけになればと締めくくっています。
まとめ
フィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請は、大北方戦争での大敗以来、ロシアを刺激しないために続けてきた中立政策からの転換です。この回では、その中立が複数の大国のバランスに支えられた「ロシアを恐れるがゆえの中立」だったこと、そしてキーウへの攻撃が北欧2カ国の判断を大きく動かしたことが語られました。
- 北欧の武装中立は、1700年の大北方戦争でスウェーデンがロシアに大敗したあと、三つ巴の構図の中で始まったと説明されています
- 中立は複数の大国が並ぶときに機能し、ナポレオン後のようにバランスが崩れるとロシアに攻められてきました
- 冷戦期、ソビエトから遠いノルウェーとデンマークはNATOに入り、近いフィンランドとスウェーデンは入らない選択をしました
- 約300年で数度しかない中立からの転換であることが、状況の深刻さを示していると2人は見ています
- 深井さんは、歴史を踏まえて主権者として考え、投票で意思を示すことが民主主義国家に必要だと語っています





