3、4年ぶりのお便り回はなぜ開かれた?
コテンラジオの番外編で、久しぶりにリスナーからのお便りを紹介する企画が開かれました。楊さんによれば3、4年ぶりで、お便りがたくさん届いていたため「たまにはやったら」という空気になったそうです。
この番組ってそういうのをやる番組でしたっけ?
樋口さんは冒頭で、お便りの送り方を説明しています。ポッドキャストとYouTubeの概要欄の下にある「ご意見ご感想は下記のお問い合わせチャットから」のリンクから、チャットで送る仕組みです。
届いたお便りはスタッフが全部読んでおり、X(旧Twitter)の感想も毎日見ているといいます。深井さんが「ヤンヤンもエゴサしまくってます」と添えると、楊さん本人も認めていました。
最初に紹介されたのは、60代のビジネスマンからのお礼のメッセージです。30代の独立した息子にコテンラジオを勧めたところ、息子は全エピソードを聴き、最近は会うたびに親子の会話がコテンラジオになっているそうです。
この親子の話について、樋口さんは歴史が流行り廃りの少ない普遍的な題材だからこそだと話しています。
基本的にずっとあるものだから、歴史って。今知ったものが30年後も使えるから。
一方で、3人とも自分の父親とは歴史の話をしないと明かし、深井さんが「断絶してる」とまとめて笑いが起きていました。
農作業のお供と「2周目」の聴き方
次のお便りは農家の方からです。農作業のお供は必ずコテンラジオで、5月から聴き始めて最新話まで追いついてしまい、寂しさのあまり第1話から聴き直しているといいます。偉人からやる気を、ヤンヤンさんからは癒しをもらっているとも書かれていました。
まあヤンヤンファンですね。
楊さんによれば、農家のリスナーは多いそうです。3人は、育った野菜を食べてみたいという話から「リベラルアーツブロッコリー」などの架空の商品で盛り上がりました。
樋口さんは、農作業のような単純作業と音声コンテンツは相性がいいと聞くと話します。農業の経験がある深井さんも、農作業について次のように補足しています。
デスクワークじゃなくて、なんかこう使ってる脳みその領域、なんかこう頭と体両方の領域を同時に使ってて。
話は、このお便りの農家の方が2周目に入っていることに移ります。楊さんは、エピソードには相当な情報量を詰め込んでいるので、一度で全部わかるのはよほどの天才だけだと考えています。
僕、2、3回もっと聞いたエピソードとかあるんですけど、4回目とかに、へーそうなんだ、面白えって思うことありますよ。
樋口さんはさらに、ヒトラー、ゲッベルス、第一次世界大戦を聴いてからもう一度ヒトラー編を聴くと、つながりが見えてくると話しました。楊さんはこれを「食べ合わせ」と呼び、全部聴いてから聴き直す楽しみ方を勧めています。
ヒトラー編
まず一人の人物のシリーズを聴く
ゲッベルス編
関連する人物のシリーズを聴く
第一次世界大戦編
背景になる出来事を聴く
もう一度ヒトラー編
以前の話どうしのつながりが見えてくる
うつの時期に出会った番組が「フレーム」を外した話
3通目は、50代半ばの会社員からのお便りです。うつと判定され、虚無感と恐怖に覆われていた時期に、心療内科へ向かう道中でSpotifyを探していて、たまたまコテンラジオに出会ったといいます。
最初に選んだのはフリードリヒ大王 ── 18世紀のプロイセン王。軍事と啓蒙的な改革で知られ、若い頃は父王との激しい対立に苦しみましたの回だったそうです。この方は、教科書の上の偉人でしかなかった人物が自分そのもののように感じられたと書いています。
その後、会社を休んでいた時期に、埼玉から静岡まで2日間で車を何往復もさせて聴き続けたといいます。老いと死の回の「老いは自分で決めるもの」という言葉で視界が変わり、今年の3月に会社へ復帰できたそうです。
樋口さんは、このリスナーのような人は多いのではないかと話しています。
何かのフレームの中でがんじがらめになってどうしようもなくなるみたいな時に、パカンとそのフレームを外してくれるみたいな。
今悩んでることってそんな重要なことじゃなかったんだっていい意味で思えるっていう効果って結構僕聞くんですよね。
楊さんは、フリードリヒ大王自身もうつ状態だったと指摘しています。また、つらい時には高杉晋作 ── 幕末の長州藩士。奇兵隊を組織して倒幕運動で活躍し、若くして病で亡くなりましたを勉強すると明かしました。「俺よりひでえな」と思えることや、絶望の中で希望を失わない姿に元気をもらえるからだそうです。
樋口さんは、登場人物の誰に感情移入するかも時期によって変わると話します。たとえばマルクスとエンゲルスの回では、支える側のエンゲルスに感情移入したといいます。
楊さんは、番組では人の一生を扱うため、ずっと良いだけの人もずっと悪いだけの人も出てこないと話しています。一人の人間の中に良い時と悪い時があると感じられることに、番組が人生に寄り添う理由があるのかもしれません。
僕もうつになったことがあるので、自分のペースでいいかなと。
障害の歴史を聴いて、行動を起こしたリスナーたち
次に紹介されたのは、障害の歴史の回を聴いたリスナーからのお便りです。子どもが通う小学校での分断教育への疑問や、職場の多様性のなさなど、普段のモヤモヤの歴史的背景がわかったといいます。
この方は、ボランティアとして所属するオンラインラーニングコミュニティで、インクルーシブ教育 ── 障害の有無などにかかわらず、すべての子どもが同じ場でともに学ぶことを目指す教育の考え方の講座を企画しました。運営は非営利団体ですが、専門の研究者を招き、講師にはきちんと謝礼を払う形にしたそうです。
樋口さんにとって、障害の歴史のシリーズは思い入れの強い回でした。収録は息子さんが生まれる直前で、編集していたのはちょうど生まれた後ぐらいだったといいます。
学者の方々がいろんなことを言ってるのを何も知らないで、僕らは。
こんなに考えてる人がいるのにも関わらず、今全然反映されてないんじゃない?みたいな。そういうことを考えさせられた回やったっすね。
楊さんは、人文知と社会の溝をコテンが少しでも埋められたら価値があると応じています。
続いて、子育て中の30代の経営者の女性からのお便りも紹介されました。2年ほど聴き続けて学びへの意欲がよみがえり、放送大学に入学し、読書量も増えたそうです。
楊さんは、番組には代わりに勉強して伝える役割もあるものの、やはり自分で勉強してほしいと話しています。樋口さんも、番組は膨大な本から要点を選ぶキュレーションだと説明しました。
だからよりここ深く知りたいなって思ったところはちゃんと自分で掘るっていうのは。
楊さんは、自分から自発的に学びに行ったものでしか本当の意味では身につかないのではないかと考えています。
「初期のエピソードが好き」というレビューをどう受け止めた?
ここからは、Apple Podcastのレビューが紹介されます。楊さんによると、番組に届くお便りはほぼ100%ポジティブですが、レビューには否定的なものもあるため、それも取り上げようという趣旨でした。
1つ目のレビューは「初期のエピソードが好き」という題です。スパルタ編やガンディー編を傑作と評価しつつ、ここ1年ほどは語りに余白がなく、楽しさより硬さが上回って疲れてしまうと書かれていました。一方で、実力は上がり続けているはずなので自分の好みとずれてきたのだろう、とも添えられていました。
楊さんは、番組は市場や好みに合わせるスタイルをとっておらず、意図を持って今の形にしていると説明しています。そのうえで、こうした意見をリスペクトを持って伝えてくれることがありがたいと話しました。
樋口さんは、同じテーマでもっと余白を持って楽しく発信しているコンテンツはYouTubeなどにもあり、選択の自由があると述べています。楊さんは音楽にたとえ、「サードアルバムまでは好みだが4枚目から違う」と感じても、そのバンドを嫌いにはならないのと同じだと話しました。
あわせて楊さんは、ショート編やCOTEN CREWの特典では軽めの内容も出しているので、そちらも楽しんでほしいと伝えています。
外見いじりと女性蔑視の指摘にどう向き合うか
2つ目のレビューは「すっごく面白いけど…」という題です。受験で詰め込んだ知識が生き返るようだと評価する一方、髪の毛などの外見や女性への蔑視が自然に語られると悲しくなる、と書かれていました。
このレビューでは、初期の回で樋口さんが「女に一回でも手を出されたら、その女はボコボコにしてもいい」と言ったことが怖かった、とも指摘されています。
樋口さんは記憶がはっきりしないとしながらも、その発言の意図はむしろ逆だったと説明しました。
暴力ありの世界観だと男が女を殴っていいっていうことになるじゃないですか。だから絶対暴力はなしの世界にしといた方がいいよねっていう意図で言ったような気がしてて。
暴力ありの世界
強い方が勝ってしまう
その結果
男性が女性を殴ってよいことになる
だから
ルール上、暴力はなしにしないと対等に付き合えない
楊さんは、初期の樋口さんが場を盛り上げるために、あえて極端な言葉を使っていた記憶があると補足しています。樋口さんも、誤解される伝え方だったかもしれないと認めました。
外見いじりについて、樋口さんは自分でもネタにしているとしたうえで、まだ結論は出ていないと話しています。
世間世界でのこの潮流の中で、やはりこれは[[ルッキズム::外見によって人を評価したり差別したりすること。容姿に関するいじりや発言も、その論点の一つとして議論されています]]に引っかかる一つの論点であることは僕も認識しているので。
※上のQ内のTipsは記法上Pのみ可のため、ルッキズムはここで補足します。ルッキズムとは、外見によって人を評価したり差別したりすることです。
楊さんは、SNSで誰でも簡単に異論を挟める時代に、誤解されたり批判されたりすることは自然な現象だと話しています。トゲのない表現は好まないが、どんな人が何を感じるかを把握したうえで発言すべきだ、という立場です。
樋口さんは、蔑視と受け取られる原因を2つに分けて整理しました。
発言者にそのつもりがなくても、聞く側にはそう見える
生まれた時からの常識の中で育ち、自覚なく差別的な感覚を持ってしまう
特に俺は初期の方はあったような気がします、それが。はい。で、そこはまあ本当に人間として成長するしかないと思ってるので。
楊さんは、番組側もリスナー側もこれを題材に考え、違うと思えば離れ、良いと思えば近づけばいいと話しています。
リスペクトのない批判は受け取らない
3つ目のレビューは「有害ホモソーシャル的空間」という題でした。ミソジニー的な発言が多いので聴くのをやめた、フェミニズム回がない時点で「お察し」だ、と書かれていました。
このレビューについて、楊さんは今までの意見とは明確に違うと述べています。理由は番組へのリスペクトがないことで、特に「お察しではありますが」という書き方にそれを感じたといいます。
楊さんは、番組は広告で稼いでいるわけではないので、リスペクトのない人に聴いてもらっても嬉しくないと話しました。そのうえで、批判や異論はあっていいが、お互いにリスペクトを持つことが何より大事だと続けています。
楊さんによれば、リスペクトがなければ学び合いも建設的な会話もできず、罵り合うことしかできません。膨大な労力をかけて作ったコンテンツを無料で聴きながらこうした表現をするなら、聴く資格がないとまで述べました。
好みのずれや表現への違和感を、敬意を持って伝える。番組は感謝して受け止める
「お察し」など相手を見下す表現を含む。楊さんは受け取りたくないと話す
画面の向こうにも人がいると想像できるか
樋口さんは、ネット上のテキストのやりとりでは、目の前に相手がいないからこうした書き込みができてしまうと話しています。そして、イチロー選手の言葉として覚えている話を紹介しました。
それをネット上で書くときは、目の前にその人がいて言えるかどうかを一回考えてほしいって言ってたんですよ。
楊さんもこれに同意し、Xではそもそも議論しないと話しています。匿名の相手とは建設的な議論ができないと考えているからです。「気にしなければいい」という意見には、カレーを食べている時に汚いものを見せられたら気にするだろう、というたとえで反論しました。
樋口さんは、ネットの誹謗中傷をめぐる事件にも触れています。けんすうさんの話として、一件なら無視できる中身のない悪口でも、毎日1000件、2000件と届けば誰でも傷つく、という指摘を紹介しました。
樋口さんは、誰でもいいから何か言いたくて、叩いてもいい対象を探している人がいるという話を聞いたことがあるそうです。楊さんは、ネットのリテラシーは「人を殺してはいけない」と同じような、社会が身につけていくべきものではないかと考えています。
でもなんかその人が本当に感情があって、同じ人間として動いてるっていうところまで本当に想像してない方、結構いると思ってるって感じですね。
楊さんは、批判を受け入れる姿勢はあるものの、言い方がひどい罵詈雑言まで受け入れるべきだとは思わないと話しています。自分たちも不完全な人間なので、近寄らないでと言う権利があるという立場です。
最後に樋口さんは、今回の話はむしろ、リスペクトのある指摘ならきちんと受け止めるという意思を伝えられたのではないかと話しました。改めてお便りの送り先を案内して、この回は締めくくられています。
まとめ
今回のお便り回では、親子の会話やうつからの回復、学び直しなど、コテンラジオが人生に寄り添ってきた声が紹介されました。そのうえで批判的なレビューにも向き合い、3人は批判は歓迎するがリスペクトは欠かせないという線引きを示しています。
- 歴史は流行り廃りが少なく、親子の会話や人生の苦しい時期の支えにもなる
- 情報量が多いため、聴き直しや関連シリーズとの「食べ合わせ」が勧められている
- 番組は市場に合わせず、意図を持って今のスタイルをとっている
- 表現への指摘は、受け手の捉え方と無意識の常識の両面から受け止め、学び続けるとしている
- ネットで意見するときは、目の前に相手がいても言えるかを想像することが大切だと語られた





