ハドリアヌスの最期を更に詳しく
AI回答(一般知識から回答)
五賢帝の3人目であるハドリアヌス帝の最期は、肉体的な激痛と孤独に満ちたものでした。 晩年のハドリアヌスは、重い水腫(現在の心不全や腎不全と考えられています)を患い、激しい呼吸困難と痛みに苦しみました。その苦痛は凄まじく、彼は自ら命を絶つことを望み、侍医や奴隷に毒薬や短剣を渡すよう命じましたが、周囲の者たちは皇帝を恐れ敬うあまり、誰もその命令に従いませんでした。 死期を悟った彼は、帝国の将来を見据えて後継者選びを急ぎます。最初に後継者に指名した人物が病死したため、次に人望の厚いアントニヌス・ピウスを養子に迎えました。さらにアントニヌスに対し、将来の皇帝として若きマルクス・アウレリウスらを養子にするよう命じ、二世代先までの継承体制を整えました。 その後、ナポリ近郊の保養地バイアエの別荘へ移り、紀元138年7月10日、62歳で息を引き取りました。 死の直前、彼は自身の魂に向けて「小さく愛しい我が魂よ、お前はどこへ去っていくのか」という、切なくも美しい自作の詩を詠んだと伝えられています。 なお、晩年のハドリアヌスは病の苦しみから猜疑心が強くなり、元老院議員を処刑するなどしたため元老院との関係が悪化していました。そのため死後、元老院は彼の神格化を拒否しようとしましたが、新皇帝アントニヌス・ピウスが涙ながらに懇願して認めさせました。この忠誠心あふれる態度から、アントニヌスは「ピウス(敬虔な人)」と呼ばれるようになります。