ハトリアヌスの最期とアントニヌスへ政権移行した経緯を詳しく
AI回答(一般知識から回答)
ローマ帝国五賢帝の3人目であるハドリアヌス帝の最期と、4人目となるアントニヌス・ピウスへの政権移行の経緯は以下の通りです。 ・晩年の苦悩と後継者選び 晩年のハドリアヌスは重い病に侵され、激しい苦痛から自死を願うほど衰弱していました。また猜疑心が強まり元老院との関係も極度に悪化していました。実子がいなかった彼は当初、ルキウス・アエリウスを後継者に指名しましたが、アエリウスは即位前に病死してしまいます。 ・アントニヌスの指名と二代先を見据えた継承計画 そこでハドリアヌスは西暦138年、誠実で元老院からも人望の厚かった実務家アントニヌスを新たな後継者に選びました。その際、帝国の長期的な安定を図るため、アントニヌスに対して、聡明な少年マルクス・アウレリウスと、先立ったアエリウスの息子ルキウス・ウェルスの2人を養子にするよう命じました。これにより、2代先までの権力継承をあらかじめ設計しました。 ・ハドリアヌスの最期と「ピウス」の由来 同138年、ハドリアヌスは別荘地バイアエで62歳で世を去りました。彼に反発していた元老院は、死後にその記憶を抹消しようと企てました。しかし、即位したアントニヌスは元老院を粘り強く説得し、先帝の功績を称えて神格化を認めさせました。この誠実で情に厚い態度に元老院も打たれ、彼に「ピウス(慈悲深き者・敬虔な者)」の尊称を贈りました。 ハドリアヌスの緻密な後継者計画と、アントニヌスの誠実で穏健な政治姿勢により、ローマ帝国は混乱なく平和な絶頂期を維持することができました。