「あの店のうなぎが食べたい」と言う徳川慶喜は、歴史的に、どんな風に評価されているのですか?このエピソードについて論じている本や、何か資料等、ありますか?
AI回答(一般知識から回答)
徳川慶喜が江戸開城の緊迫した状況下で「赤坂の『重箱』のうなぎが食べたい」と漏らしたというエピソードは、彼の複雑な人間性を象徴するものとして、歴史ファンや研究者の間でよく語られます。 このエピソードに対する歴史的な評価は、大きく分けて二通りあります。 一つは、幕府の最高責任者としての自覚に欠ける「逃避」や「無責任さ」の表れとする見方です。徳川家存続の危機にありながら食欲を優先させる態度は、当時の武士道精神からはかけ離れたものと映りました。 もう一つは、慶喜の「合理的で冷徹なリアリズム」や「近代的な個人主義」を示すものという評価です。彼は自分が引くことで江戸を火の海にしないという決断をすでに下しており、政治的執着を捨てたからこそ出た言葉であると解釈されます。また、新しい政府に対して「自分に政治的野心はない」とアピールするための高度な演出だったという説もあります。 このエピソードに関連する資料や書籍としては、以下のものが挙げられます。 1. 渋沢栄一編『徳川慶喜公伝』 慶喜の没後、渋沢栄一が編纂した公式な伝記です。膨大な聞き取り調査に基づいており、慶喜の私生活や言動を知るための第一級の史料です。 2. 司馬遼太郎『最後の将軍 徳川慶喜』 歴史小説ですが、慶喜の孤独や「理解されがたい知性」を鋭く描いています。この作品を通じて、慶喜の「浮世離れした感覚」が広く知られるようになりました。 3. 家近良樹『幕末政治と徳川慶喜』 歴史学者による研究書で、慶喜の政治的行動の意図を冷静に分析しています。 なお、慶喜が望んだ「重箱」というお店は実在する老舗の鰻屋で、現在も東京都港区赤坂(現在は溜池山王付近に移転)で営業を続けています。彼が愛した味を今でも確かめることができるのは、歴史の面白い繋がりと言えるでしょう。