長崎でお金を使い込んだあと、どうやって上海で過ごしたの?
AI回答(一般知識から回答)
高杉晋作は長崎で滞在費の多くを豪遊で使い果たしてしまいましたが、上海滞在中は同行者からの借金で資金を工面しつつ、後の日本を大きく動かす貴重な体験を重ねました。 具体的な過ごし方は以下の通りです。 ・借金による滞在費の工面 幕府の遣清使節団の船「千歳丸」に便乗していた高杉は、お金が尽きていたため、同行していた藩の仲間や幕府の役人などに借金を重ねて現地での生活費を賄いました。 ・西洋列強に支配されるアジアの現実を視察 当時の上海はアヘン戦争に敗れた清国の租界(外国人の居留地)となっており、西洋人が支配者として君臨し、中国人が過酷な労働を強いられている現実を目の当たりにしました。これにより「日本も油断すればこうなる」という強烈な危機感を抱きました。 ・太平天国の乱の混乱を見聞 清朝に対して反乱を起こしていた太平天国軍と、西洋式の装備を持つ軍隊との戦闘が上海近郊で行われており、最新鋭の西洋兵器の威力や近代戦の恐ろしさを肌で感じました。 ・中国の知識人との筆談 言葉は通じないものの、漢字の筆談を通じて現地の知識人や官僚と交流しました。清国の現状や西洋に対する考え方を議論し、アジア全体が置かれた苦境について意見を交わしました。 ・最新兵器や軍艦の見学 西洋の圧倒的な科学技術や軍事力を間近で観察し、武士の刀や精神論だけでは西洋に対抗できないことを痛感しました。 このように、高杉晋作は私生活では奔放でお金に困る一面がありながらも、上海で得た衝撃的な見聞をもとに危機感を強め、帰国後の奇兵隊創設や倒幕運動へとつながる大きな転機を迎えました。