ギリシア古典はなぜキリスト教に収まらなくなったのか
教育の歴史編は、中国、日本、イスラムを経て、ふたたび中世ヨーロッパに戻ってきます。今回扱うのは、ルネサンスと宗教改革の時代の教育論です。
深井さんによると、中世ヨーロッパは大学の登場をきっかけにギリシア古典と触れ、新しい概念が少しずつ生まれていきました。当初は古典をキリスト教の枠内で処理しようとしていましたが、次第に説明がつかなくなっていきます。
その折衷の役割を担ったのがスコラ哲学 ── 中世ヨーロッパの大学で発展した学問体系。キリスト教神学とアリストテレスなどのギリシア哲学を、理性的な論証によって調和させようとしましたです。アリストテレスの言うことも一部は正しいが、キリスト教で説明できない部分はアリストテレスやプラトンが人間だから間違えている、という説明で両者を両立させていました。
矛盾してるんです、(キリスト教とギリシア哲学の)言ってることが。
こうした流れに加えて、古典に戻って学び直そうとする人文主義 ── ルネサンス期に広がった、古代ギリシア・ローマの古典を学び直し、人間の可能性や教養を重視しようとする思想潮流が起こり、中世ヨーロッパの考え方は段階的に変わっていきます。深井さんは、この先の流れを先に示しています。
まずキリスト教の中で教育論を語る段階があり、次にキリスト教の束縛をある程度外れて「そもそも人間とは」と考えるルソーのような人々が現れます。そしてフランス革命で人権の概念が生まれ、社会のOSが信仰から人権へ移ると、教育もあらためて考え直されることになります。
大学とスコラ哲学
ギリシア古典に触れ、キリスト教の枠内で処理しようとする
キリスト教内の教育論
今回扱う段階。修道院教育を批判しつつキリスト教の中で語る
そもそも人間とは
ルソーらがキリスト教の束縛をある程度外れて考え始める
OSの転換
フランス革命で人権の概念が生まれ、教育が再設計される
深井さんが今回のポイントとして挙げるのは、変化が急激ではなく段階的だったことです。ただし、思想家たちはかなり早い段階で理想を語っていて、社会がそのビジョンに追いつき、そのあと教育が変わったといいます。
体罰ではなく遊びを。エラスムスら人文主義者の新しい教育観
具体的な人物として最初に登場するのは、人文主義の父と呼ばれるエラスムスです。ルターにも強い影響を与えた人物で、大学でスコラ哲学を学んだうえで、非常に近代的な教育観を語り始めます。
当時の学校は修道院にしかなく、暗唱を間違えると鞭で打つような教育が行われていました。エラスムスはそれに対し、体罰はよくない、子どもの遊びは発達にとって意味がある、発達段階に応じて教えることが大事だ、と主張します。
結構今に近いね。
深井さんは、こうした考えはすでにアリストテレスたちが一度語っていたと補足します。ローマ帝国の時代もその後の社会もギリシアとは大きく違ったため忘れられていましたが、ようやくそれが再び重視される社会に変わってきたというわけです。
この時代の思想家たちの共通点は、キリスト教教育に批判的だったことです。彼らは直後に起こる宗教改革の、思想面での最初のリーダーにあたる人々でした。
同じ頃フランスでは、フランソワ・ラブレーが修道院でギリシア語研究に取り組みましたが、異教の言語として書籍を没収されてしまいます。直接の教会批判は殺される危険もあったため、ラブレーは『ガルガンチュアとパンタグリュエル』という文学作品の中で暗に批判しました。
イングランドではジョン・コレットが、フランスやイタリアへの留学でルネサンスの感覚に触れます。コレットは、権威ある注釈書と一緒に聖書の断片を取り出して論理を確かめる従来の読み方から離れ、文脈に沿って聖書全体を読み直す再解釈を始めました。
コレットは1467年から1519年に生きた人物で、宗教改革が始まったのは1517年です。コレットは聖職者から批判されながらも、エラスムスたちと人文主義学校のモデルになる学校を作りました。
三人はそれぞれ違いはあるものの、大くくりに言えば似た主張をしています。コレットとエラスムスには面識があり、ラブレーもエラスムスから強い影響を受けていて、いずれも1460年から1480年代に生まれた、宗教改革前夜の人々でした。
ルターの宗教改革はなぜ学校を生んだのか
エラスムスらに続いて登場するのがルターです。ルターは当時のカトリック教会の主張はおかしいと考え、聖書に書かれていることに戻り、神と自分との関係を築いていこうと説きました。
深井さんは、ルターの宗教改革を世界の捉え直しだと表現します。MacからWindowsに変わるほどではないものの、OSのメジャーアップデートにあたる変化だったといいます。
このアップデートは教育と深く関わっていました。ルターが思い描いた社会では、誰もが聖書を読めなければ神とつながれません。そのため、ルターは人それぞれが神とつながるための公立学校のような構想を考え始めます。
このロジックはびっくりするぐらい今までと違うんです。
それまでの学校は、国家やギルド、大学、出世のためにあるものでした。ルターの構想する学校は、個人と神との関係のためにあるもので、同じ読み書きを教えていても初期構想が違うため、その後の展開も変わってしまうと深井さんは話します。
今ある教育システムは良くない、と改善を語る
社会の捉え直しから出発し、根本から違う学校を構想する
深井さんが面白いと感じているのは、ルターが学校を作ろうとしたわけではない点です。新しい社会を構想したら、学校が全然違う角度からできちゃったという現象が、のちのルソーでも起こるといいます。
そもそもさあって言ってますよね。そもそもさあって言ってて、やっぱ文字必要かってもう一回そこにたどり着いた感じですよね。
ルターは聖書を母国語のドイツ語に訳したことでも知られます。それまでラテン語は大学の共通言語であり、聖書は神聖な言語であるラテン語で書かれるべきだという考えがありました。エリートにとって母国語で書くことは恥ずかしいことだったのです。
ルターも翻訳の際、本来は好ましくないことだが自分はやる、という断りを書いていたといいます。キリスト教会の権威失墜と連動してラテン語の権威も落ちていき、母国語で学ぶことが受け入れられるようになっていきました。
コメニウスの「あらゆる人にあらゆる事柄を」はなぜ画期的だったのか
宗教改革から七、八十年ほど後、今のチェコにあたる地域にコメニウスが生まれます。深井さんは、社会に連綿と受け継がれた思想の潮流を、数十年に一度の天才が受け取って爆発させ、思想を前に進めていくと語ります。
ルネサンスによって変わったのは、人間が自らの頭と体を使えば社会と自分を作り変えていけるという信念を持ち始めたことでした。それまでは、自由意志さえ神に決められていると考える人もいたといいます。
あなたが目で見たこととか、感じたこととか、手で触ったこととかは、(中世では)価値が低い。それはもうただ単に個人の体験に過ぎない。
コメニウスは、あらゆる人にあらゆる事柄を教える普遍的な技法が必要だと言い始めます。楊さんは、一部の人に独占されない共通言語や知識の体系、それを教える仕組みが必要だという考えだと補足します。
深井さんによれば、これは大きな転換でした。ギルドでは職人は職人と決まっていた時代に、あらゆる人へ、あらゆることを教えようと考えた人はほとんどいなかったのです。
背景には、観察によって真理に到達できるという考えの広がりがあり、自然科学も発達していきます。楊さんはさらに三十年戦争 ── 17世紀前半にドイツを中心に起きた、宗教対立を発端とする大規模な戦争。ヨーロッパ各国が介入し、長期化しましたを挙げ、平和のために共通言語が必要だという問題意識が、プロテスタントの知識階級にあったと話します。
楊さんは、戦乱の中で統治のあり方を考えた中国の諸子百家にも似ていると例えています。コメニウス自身も無一文で逃亡し、亡命や諸国放浪を経験するなど、生涯不安定な暮らしを送りました。
学年別教育はコメニウスから始まった
コメニウスがたどり着いた答えは、階層別や職業別ではなく、みんなが同じ段階を踏んで一つの教育体系で学ぶという考えでした。深井さんは、これが今の学校教育の基礎になる考え方だと説明します。
小学校と中学校でやってることを、この人(コメニウス)がなんか貧乏な生活の中でいきなりバーンと思いついちゃうんだよね。
ただしコメニウスの発想は、あくまでキリスト教的な考え方から出てきたものです。あらゆる物事を知り、自分自身を支配し、万物の源泉である神へ自分とあらゆるものを返す者になる、という成長の目標が語られています。
当時はまだ子どもの概念が段階的に生まれている途中で、さまざまな職業になりうる子どもを年齢で分けて一か所に集める発想はありませんでした。古代の国家教育にも学年別に近い仕組みはありましたが、それは官僚育成のためだったと深井さんは対比します。
コメニウスは、年齢ごとに学ぶ内容を具体的に示しています。
発達段階に合わせた手法自体は古代ギリシアにもありましたが、ここで手法が復興され、概念はまったく違うという状態が生まれます。この次の時代に啓蒙思想家が人権の考えを生み出し、神のための教育から、自分とみんなにとってよい自分になるための教育へと考え方が変わっていきます。
臨界点に達したとき、社会はどう変わるのか
深井さんは、エラスムスからコメニウスまでの特徴をあらためてまとめます。彼らは修道院教育を批判しながらも、キリスト教教育の中でバージョンアップされた教育を語っていました。
大学で学ばれたスコラ哲学は、キリスト教とギリシア哲学の融合体でしたが、キリスト教が優位でした。それを学ぶうちに、人間は自分で考えれば結構いける、というギリシアの要素が蓄積されていきます。
キリスト教のOSの中で精一杯それを実現しようとすると、やがて臨界点が来ます。深井さんは、その臨界点が宗教改革でありフランス革命だったと説明します。
蓄積
多くの人が少しずつ考えを積み重ねる
天才の登場
数十年に一度の天才が思想を一気に進める
リテラシー向上
全体の理解水準が上がる
臨界点
既存の秩序で説明がつかなくなり、OSが大転換する
根本から考え方を変えないと矛盾が生じて生きていけない時代には、このような根本から物事を考えるということの価値が高まるということですね。現代と一緒です。
深井さんは、この状況は現代とも重なると繰り返します。次回は、啓蒙主義によって教育がどう変わったのかが語られる予定です。
まとめ
宗教改革期の教育の変化は、思想家たちが先にビジョンを描き、社会がそれに追いつき、そのあと教育が変わるという段階的なプロセスでした。とくにルターやコメニウスは、教育の改善ではなく社会の捉え直しから、新しい学校の姿を生み出しています。
- エラスムス、ラブレー、コレットは、体罰批判や聖書の再解釈などでキリスト教教育に異を唱えた
- ルターは聖書を誰もが読める社会を構想し、個人と神のための学校という新しいロジックを生んだ
- コメニウスは、あらゆる人にあらゆる事柄を教える学年別の一つの教育体系を考えた
- 変化は段階的に蓄積し、臨界点で社会のOSが大転換すると語られている





