前回のおさらい。人文主義はどう教育を変えてきたのか?
教育の歴史編の第11回は、前回までのルネサンス・宗教改革期の教育を振り返るところから始まります。深井さんによれば、ローマが滅びてからの中世ヨーロッパは、キリスト教の信仰を「OS」として生きる社会でした。
その後、大学が登場し、イスラーム世界に渡っていた古代ギリシアの古典がヨーロッパへ逆輸入されます。そこからキリスト教的な観念と古代ギリシア的な観念の葛藤が始まり、社会は段階的に変わっていったと深井さんは整理します。
ルネサンスの人文主義によって、人間には理性で考える力があり、良い社会や世界の真理に到達しうるという自信が生まれました。その自信を背景に、エラスムス ── 16世紀オランダ出身の人文主義者。聖書研究や著作『痴愚神礼賛』で知られ、教会の腐敗や形式的な信仰を批判しましたやフランソワ・ラブレー、ジョン・コレットらが、既存の宗教教育を否定し始めます。
次の段階としてルターがカトリック教会を全面的に批判し、誰もが聖書を読めるようにするための公立学校という構想を語りました。すぐには実現しなかったものの、そうした発想を持つ人が出てくる転換点だったといいます。
さらにコメニウスは、あらゆる人にあらゆることを教える普遍的な技法を目指しました。深井さんは、図を使って世界を説明する教材を作ったのもコメニウスが初めてだと紹介しています。
だけども、ここまではあくまで信仰というOSに基づいた信仰をよりよく信仰するためには何が必要かということを彼らは言ってるわけですね。
コメニウスたちの改革は、あくまでキリスト教の中で、より良い信仰者になるための教育の見直しでした。今回登場するのは、その枠組みさえも覆していく人たちです。
中世初期
キリスト教の信仰をOSとして生きる社会
大学と古典の逆輸入
古代ギリシアの知がイスラーム経由で戻り、信仰との葛藤が始まる
人文主義
エラスムスらが理性への自信をもとに宗教教育を批判
宗教改革
ルターが聖書を読むための公立学校を構想
コメニウス
あらゆる人に教える技法と、図を使った教材を開発
国王の統治権を疑う。ジョン・ロックの「自然権」という衝撃
深井さんによると、人文主義や啓蒙思想の流れの中で、キリスト教会と並んでもう一つのものが否定され始めます。それが国王です。なぜ王は人々を統治する権利を持つのか、それは不当ではないかという考え方が出てきました。
この考え方は、のちにフランス革命で国王が「王であるだけで犯罪者」とされ処刑される流れの出発点になったと深井さんは説明します。その考えを示した人物として挙げられたのが、イギリスのジョン・ロックとフランスのルソーです。
民主主義の父とも呼ばれるジョン・ロックは、人間は身分に関係なくみんな対等で、誰も他者から生命・健康・自由・所有物を奪われてはならないと主張しました。しかもその権利は、生まれながらに神から与えられた自然権 ── 国家や法律ができる前から、人間が生まれながらに持っているとされる権利。近代の人権思想や社会契約論の土台となった考え方ですだとしたのです。
これいきなりすげえこと言ってるわけです。
それまでは、王が神から権力を与えられて人々を統治し、人々は王の臣下として対等ではない立場で生きるのが当たり前でした。深井さんは、ロックの主張を人権の考え方の萌芽だと位置づけます。
全く違うOSで、これOSなんです、これ。つまり社会の基礎となる論理を違うことを言い始めてるわけです。
深井さんの例えでは、ロックの論理が通るなら社会をすべて作り直さなければならず、今動いているアプリケーションが全部使えなくなるほどの変化でした。楊さんも、権利は外から制限されて当たり前だった時代にこれを言うのは「ほぼ革命に近い」と応じます。
ロックは自然権を守るための抵抗権も主張していました。ロックがこうした考えに至った背景として、深井さんは思想の積み重ねに加え、ロック自身がジェントリー ── イングランドの地主を中心とする中産階級。貴族ではないものの土地や財産を持ち、地方の有力者として社会を支えた層ですの出身だったことを挙げます。
ジェントリーは貴族ではなく、自分の資産や才覚、努力で人生を切り開く立場でした。国王権力に財産を強制的に取り上げられるような状況の中で、ロックの言う「人間」は、自分たちジェントリーを指していると言っても過言ではないと深井さんは話しています。
ロックの「人間精神白紙論」と、ジェントリーのための教育
ジョン・ロックが活躍したのは17世紀、ニュートンと同時期の科学革命の時代でした。ロックは自分の考えに基づいて、教育がどうあるべきかも論じています。
ロックが唱えたのが人間精神白紙論です。人間は正しく観察さえできれば、自らの知的能力で真理に到達できる。そのためには偏見や先入観なしに、物事を歪めずに見る必要があるとロックは考えました。
さらにロックは、人間の精神は誕生した時には何も書かれていない白紙で、そこに徐々に知識が書き込まれていくとしました。正しい知識が書き込まれれば良い状態になり、間違った知識が書き込まれればそうはならないという考え方です。
ロックは『教育に関する考察』という本で、どの時期にどんな情報をどう渡すかを細かく論じています。ただしその対象は、あくまでジェントリー層でした。
その人権の概念は唱えつつも、それはみんなにあるというのは言いつつも、教育に関しては現実的にはジェントリー層を対象として教育する必要があるよねということを言ってる
楊さんは、ロックの言うジェントリーは社会性や使える知識を備えた教養人という意味だと補足します。人権はすべての人にあるとしながら、教育論は限定的だったという点が、次に登場するルソーとの大きな違いになります。
神ではなく社会との契約。ルソーが「全員」を対象にした意味
ジョン・ロックが亡くなったあとに登場するのが、深井さんいわく「天才かつ変態」のルソーです。ロックが自然権は神から与えられたとしたのに対し、ルソーは権利を社会との契約によるものだと考えました。
離れましたね、完全に。神って言葉が今出てきてないですね。
ルソーの考えでは、神様の存在いかんに関わらず、社会がある以上はその社会で権利があることになります。ルソーはまた、みんなの意思を持ち寄り、みんなの利益になる合意を見出して社会を統治する必要があると説きました。
ルソーにとって多数決は最適な解を導くものではありませんが、多数決によってみんなが納得したということがとても大切でした。深井さんは、これが今の民主主義の概念のベースになっていると話します。
対象が全員なんです。この社会の構成員全て入るんです、これ。
貧乏でも金持ちでも、生まれや人種がどうでも、ルソーの社会契約には基本的に全員が入ります。ルソーは良い社会とは何か、人間とはどうあるべきかを考え直し、その社会を実現するための教育について本を書きました。それが『エミール』です。
ただし、ルソーもジョン・ロックも、自分自身で教育を実践したわけではありません。深井さんは、ルソーが子どもの大切さを強く主張しながら、自分の子どもを孤児院に送っていたことにも触れます。
それでも『エミール』を読んで自分で実践する人々が現れ、次の時代にはペスタロッチ ── 18〜19世紀スイスの教育者。孤児や貧しい子どもの教育に生涯を捧げ、近代初等教育の父と呼ばれますやフレーベルといった、近代教育や幼稚園を作る人たちが出てきます。
| 観点 | ジョン・ロック | ルソー |
|---|---|---|
| 権利の出所 | 神から与えられた自然権 | 社会との契約 |
| 社会の統治 | 抵抗権を含めて自然権を守る | みんなの意思を持ち寄り合意形成する |
| 教育論の対象 | ジェントリー層 | 社会の構成員全員 |
孤児同然から思想家へ。ルソーの波乱の半生
ルソーの思想を理解するために、深井さんはルソーの人生をあらためておさらいします。ルソーは1712年、フランス語圏スイスのジュネーブで時計職人の次男として生まれました。
ルソーの母親は出産後すぐに亡くなり、ルソーは自分のせいで母が亡くなったという罪悪感を抱えて生きていくことになります。幼い頃は読書を重視する父と本を読んで育ちましたが、父は暴力事件を起こしてジュネーブから姿を消します。兄もすでに家を出ており、ルソーは孤児同然になりました。
その後ルソーは牧師の家に預けられ、彫刻職人の弟子になりますが、親方から散々殴られます。15歳の時、ジュネーブの市門の閉門に間に合わず、翌日殴られるのが嫌でそのまま街を出奔し、放浪生活に入りました。
食べるためにカトリックに改宗しながら生き延びたルソーは、神父の紹介で13歳年上のヴァランス夫人と出会い、その愛人になります。ヴァランス夫人の邸宅の図書室で、ルソーは独学で知識を得ていきました。
ルソーは音楽家を目指した時期もあり、深井さんは「むすんでひらいて」がルソーの作曲したオペラの曲だと紹介しています。30歳ぐらいまでヴァランス夫人のもとにいましたが、夫人が別の若い愛人を作ったことで離れました。
その後、家庭教師になったルソーは、子どもがうまく理解できないと怒鳴るなどして1年で辞めます。一方で、雇い主の弟が啓蒙主義の哲学者だったことから知的な刺激を受けました。
38歳の時、ルソーは論文『学問芸術論』でコンクールに入選し、一気に評価されます。文明が人間を良くしていると誰もが思っていた時代に、文明が人間を堕落させたと主張したのです。熱心なファンと同時に多くのアンチも生まれる、尖った思想家の登場でした。
自然人と社会人のバランス。子どもの力を阻害しない教育とは?
ルソーが重視したのは「自然の法則に従った教育」です。その中心にあるのが、自然人と社会人という2つの人間像でした。
自分のために生きる存在。自分の利益や、やりたいことのために生きている状態
社会を構成する人間としての存在。他者のために生きている状態
ルソーは、どちらか一方に偏るのではなく、一見矛盾するこの2つを1人の中に内在させることが大切だと考えました。自己犠牲だけでも、自分のことだけでもおかしくなるというわけです。
自分のこともちゃんと考えている、そして人のこともちゃんと考えている人が社会で集まれば、いい社会ができるということを彼は言ったわけです。
ルソーはさらに、人間には正しく生きる能力も、その能力が自然に発達・開花していく力も、生まれながらに全員に備わっていると述べました。深井さんは、選別して教えたスパルタと比べ、誰もが開花させる可能性があるという考え方は大きな転換点だったと話します。
だからこそルソーにとって、教育で重要なのは子どもがもともと持っている発達の過程を阻害しないことでした。当時は乳母に乳児を任せ、布でぐるぐる巻きにして壁に吊るすような習慣がありましたが、ルソーはそれを、手足を縛って発達を阻害するものだと批判します。
ルソーは、赤ちゃんは最初は快か不快かしか感じられないと考え、その段階で快と不快をきちんと理解できるように対応することが発達につながるとしました。急いで知識を詰め込む促成栽培もやめるべきだと説いています。
ルソーが目指したのは、名誉や富や権力といった社会的評価ではなく、自分の中に自分を測る軸を持ち、同時に他者への共感に基づく公共性を持つ人間です。そうした人々が合意形成のルールのもとで意見を出し合えば、良い社会ができるとルソーは考えました。
露出狂の天才が見つけた「子どもは小さな大人ではない」
ルソーの思想に感心する一方で、楊さんは、あのルソーからこうした考えが出てくるのは想像しにくいと漏らします。深井さんは、ルソーが露出狂で、町娘に裸を見せたといったエピソードがあることを改めて挙げます。
それ(露出)が彼にとっての気持ちよく生きやすい自然本性だと。本性だったかもしれないよね。
そのうえで深井さんは、子どもという存在を言葉で意識させたのがルソーだと強調します。大学の登場などで子どもは徐々に意識されつつありましたが、乳児を布で巻いて吊るす習慣はまだ残っていました。
ルソーは、子どもは決して小さい大人ではなく、子ども自身の特性を持ち、自分の権利を教育者に要求する存在だとしました。子どものための教育を考えることで、子どもは社会に必要な構成員として育っていくという主張です。
教育の中心に子供を据えるんですよね。
楊さんは、子どもには大人と違う独自の成長過程やものの見方があり、それに合わせるべきだというルソーの考えは、それまでの教育の目的とまったく違うと整理します。深井さんも、ルソーで考え方が一気に今に近づき、これを聞いた人々がフランス革命を起こしていったと話します。
楊さんは、生きづらさを抱えた天才肌の人物は他にもいたはずだと言います。そのうえで、思想を体系化し、ロジックで説明して発信できたからこそルソーは思想家として開花したのだと語り、「だからちんちんだけの人じゃないんです」と笑いを誘いました。
『エミール』の乳幼児期。わがままと自然な要求を見極める
ルソーが考えた教育は、『エミール』の中でとても具体的に書かれています。『エミール』は、架空の男の子エミールを家庭教師が育てていく過程として理想の教育を描いた書物です。
最初の段階は、誕生から話し始める2歳頃までです。ルソーはこの時期を、子どもが親に依存し、五感が未分化で快と不快の感覚しかない時期だと考えていました。
ルソーは親に対し、子どもが泣いて助けを求めた時、それが気まぐれな要求か自然な要求かを見極めるよう求めます。気まぐれな要求には応えず、わがままの習慣をつけさせない一方で、自然な要求にはしっかり応えるべきだとしました。
だから親側に育児スキルをちゃんと身につけるよって言ってるんです。
布でぐるぐる巻きにして縛ってる人たちだから。吊るしてる人たちだから。育児スキルもクソもないから。
ルソーは親子の情愛の大切さも説き、当時の上流階級の人々を驚かせました。
次の段階は、口が利けるようになってから12〜13歳頃まで、今でいえば保育園・幼稚園から小学校卒業ぐらいまでの時期です。ルソーはこの時期に、不確実な未来のために現在を犠牲にする教育は良くないと述べています。
だから塾とかに入れてつまんない毎日を送らせたりするなっていうことになっちゃいますね。
深井さんによれば、ルソーは子どもが束縛に囚人のように縛られてしまうことを嫌い、当時は死亡率も高いのだから今を楽しませようと説きました。自由な遊戯の重視はコメニウスらも言っていましたが、ルソーはそれを振り切って主張し、逮捕されそうになるほどでした。
理屈より感覚を育てる。12歳までの感覚教育と、15歳までの実験
12〜13歳頃までの子どもに道理を説いても意味がない、とルソーは考えました。理性的な判断能力がまだ十分でないため、理屈でわからせようとしても効果は薄いという考えです。
深井さんはここで、ルソーの主張が正しいと言って紹介しているわけではなく、取り入れるかどうかは聴き手の自由だと念を押します。楊さんも、しつけが大事な時もあると添えています。
この時期のルソーの教育で特に面白いのは、知識を教えたり頭で考えさせたりするのはまだ早く、体で感じ取る能力を育てるべきだとした点です。正しく考えるには正しい情報が必要で、正しい情報を得るには感覚器官が正しく働かなければならないという理屈です。
深井さんは『エミール』から、最初に形作られる能力は感官であり、感官を訓練することは感じることを学ぶことだという一節を引きます。ルソーは「私たちは学んだようにしか触れることも見ることも聞くこともできない」と書いています。
12〜15歳は、ルソーが「好奇心による研究の時期」と定義した段階です。ここで初めて知識を学び判断する教育が始まり、子どもに問いかけて考えさせることを繰り返します。
自然科学は実験の中で学びます。動物を学ぶなら動物に触れに行き、水の動きを学ぶなら川へ行く、という実体験の重視です。なぜそれを学ぶ必要があるのかにも本人が気づけるよう、『エミール』では方角を学ぶ意味を知らせるために、わざと道に迷わせる場面まで描かれています。
労働や社会の相互依存を教えるためには、実際の出来事の中で失敗させて学ばせます。ただしその失敗は、裏で大人が演技して仕組んだものだったりします。
今までのそのキリスト教の中での当たり前っていうのは、別に個人の体験とかどうでもいいんですよ。とにかく聖書を読め、覚えなさいということなんですよね。
15歳の時点で、エミールにはまだわずかな知識しかありません。それでも自分で考えを進められるようになっていることが大事で、その状態になった人間にこそ知識を与えるべきだとルソーは考えました。
深井さんは、自分の子どもを孤児院に入れたルソーは、そのことをすごく後悔していたのではないかと推測します。楊さんも、ここまで細かく子どもを観察しているのは子どもへの愛情の表れだと応じています。
15歳から20歳へ。自尊心ではなく自己愛を他者への愛に広げる
『エミール』の最後の段階は15歳から20歳までです。ルソーはこの時期を、判断力と性欲などの情念が出てきて、自然人と社会人の葛藤を克服していく時期と位置づけました。
15歳までは自分のために生きる自然人としての主体性を育て、15〜20歳ではそれを社会とバランスさせることを教える、という設計です。
この時期には自尊心が出てきます。ルソーは、自尊心ではなく自己愛に軸足を移すよう説きました。自己愛こそが他者への愛情につながっていくと考えたからです。
ちょっとだから自尊心と自己愛の区別もつけさせたってことですね。
深井さんの説明では、自己愛とはプライドを持つことや自分を強く見せることではなく、純粋に自分を大切にし、主体性を持つことです。ルソーは、自己愛を拡大させて、自分への憐れみの心を人類全体にまで伸ばすことで共感する心を育てるべきだとしました。
人間の弱さや苦しみへの共感からしか、助け合う気持ちは生まれない。だから自分の弱さも含めて愛し、その弱さがあるからこそ幸福を感じられる状態を目指す、というのがルソーの教育論です。
憐れみはいつ生まれるのか? ルソーの「共感の法則」
深井さんは、ルソーがいい人間の話をしているというより、ロジカルシンキングで倫理にたどり着いていると話します。その例が、ルソーの説く憐れみの法則です。
1つ目の法則は、人間は自分より幸福な人には共感できず、自分より哀れだと思う人の立場にしか自分を置けないというものです。ただし、幸福そうな人にも惨めな面があると理解すれば、その人にも共感できるとルソーは考えました。
2つ目は、自分の身にも降りかかるかもしれない不幸なら憐れむことができるという法則です。深井さんは、ホームレスを自己責任と言っていると共感できないが、誰にでもその可能性があると思えれば共感できるようになる、という例で説明します。
3つ目は、相手が不幸そうだと自分が認識したときに憐れみが生まれるという法則です。不幸な境遇でもあっけらかんとしていれば、人は憐れまないといいます。
楊さんは、儒教の思想家孟子 ── 中国・戦国時代の儒家の思想家。人間の本性は善であるとする性善説を唱え、人を憐れむ心を善の芽生えの1つとしましたが説いた惻隠の情 ── 他人の不幸や苦しみを見て、かわいそうだと思う心。孟子は、この心が誰にでも備わっていることを性善説の根拠にしましたに似ていると指摘します。
深井さんは、ルソーは憐れみが発動する条件を論理的に分析したのだと整理します。加えて、自分が敬意を払っている相手でなければ憐れみは生まれず、軽蔑している人が不幸になっても憐れだとは感じないとルソーは考えました。
この発動条件が全人類に対して作動するようにしないといけないよねってこと言ってる。ということは、全人類を敬意を払いなさいってことを言ってるわけですね。
ルソーはさらに、人間を通して社会を研究し、社会の中にあるさまざまな不平等を知るべきだとしました。ひどいことが多く行われる社会でも、どんな人にも綺麗な心は残っているから、その可能性を信じようという主張です。
恨みではなく希望を語ったルソーと、実践者たちの時代へ
深井さんがルソーの人生を紹介したのは、あの波乱の人生をたどり、最後はうつ病のような状態で亡くなる人がこれを言っていることの面白さを伝えるためでした。
(『エミール』は)自分の子供時代にやって欲しかったことを言ってるんだと思う。
楊さんも、自分の子どもにできなかった悔いが思想を言語化させたのかもしれないと推測します。こうしてルソーの『エミール』によって、子どもには子ども固有の世界があり、その必要性が満たされることで豊かな大人になれるという認識が広がっていきました。
深井さんによれば、次回はフランス革命が起こる中で、何のメリットもないのに人生をかけて子どもの教育に打ち込む実践者たちが登場し、教育が大きく変わっていきます。
楊さんは、ルソーの主張には今の日本の教育現場で最先端とされることも含まれていると話します。一方で、日本や中国の教育制度はアジアの教育概念も組み込んでおり、完全にルソーに振り切ったわけではないとも補足しています。
深井さんは、自己愛がないと他者を愛せないという点や、自然人と社会人のバランスに個人的に強く共感すると語ります。そして、人間は全員ポテンシャルを持っていて、教育さえうまくいけば良い社会が作れると信じたルソーの希望に注目します。
もう少し現代では別に諦めてる人もいるわけじゃないですか。人間ってバカだからって。僕も気持ちわかりますね。
深井さんは、ルソーの思想が市民革命につながったのは、全人類を対象にしたからだと考えます。ジョン・ロックのようにジェントリーに限っていたら、フランス革命は起こらなかったのではないかといいます。
楊さんは、ルソーが階級教育や職業教育にも反対し、役人や軍人、僧侶になる前に、まず人間として教育すべきだと主張していたと補足します。次回は、本当にすべての人間に可能性があるのかを証明する、実践の時代へと話が進みます。
まとめ
今回のエピソードでは、神から与えられた自然権を唱えたジョン・ロックから、社会契約と全員の可能性を説いたルソーへと、教育の前提が大きく転換していく様子が語られました。ルソーの『エミール』は、子どもを小さな大人ではない独自の存在として捉え、次の時代の教育実践者たちを生み出すきっかけになりました。
- ジョン・ロックは身分に関係なく誰もが持つ自然権を唱え、人権の萌芽となったが、教育論の対象はジェントリー層だった
- ルソーは権利を社会との契約と捉え、社会の構成員全員を対象に、自然人と社会人のバランスが取れた人間を育てようとした
- 『エミール』は年齢ごとに、感覚の育成、実験による学び、自己愛から他者への共感へと段階的な教育を描いた
- 波乱の人生を送ったルソーが人間の可能性への希望を語ったことが、近代教育と市民革命につながったと番組は整理している





