体調不良でも世界へ広がるコテンラジオ
オスマン帝国編の初回は、約1ヶ月ぶりの収録から始まります。深井龍之介さんはこの日も体調がすぐれず、車酔いで移動中からぐったりしていたことが冗談まじりに語られます。
ないです。今日もね、安定して(体調が)悪いです。
オープニングの話題は、コテンラジオのリスナーが世界中に広がっていることです。ZOOMオフ会にはいろいろな国から参加者があり、中国のメディアからの取材も受け、すでに中国で記事も出ているといいます。
深井さんには本の出版の話も来ていて、一気に4社ほどから声がかかったそうです。深井さんは「調子に乗らないための番外編」をやりたいと話し、人間が調子に乗ることについて別の回で語る予告のような流れになりました。
YouTubeで少しずつ字幕を付けていることにも触れられます。字幕は翻訳のしやすさにつながるため、まずは英語、いずれはペルシャ語などにも広げたいという希望が語られています。
台本60ページ。なぜ今オスマン帝国なのか
本編のテーマは「進撃のオスマン帝国 600年の栄枯盛衰」です。樋口聖典さんが印刷した台本は60ページあり、アメリカ編の40ページ台と比べても約1.5倍の分量でした。
特にオスマンはみんな知らないからさ。
深井さんによれば、台本が膨らんだのは、多くの人が知らないオスマン帝国の前提をどこまで伝えるか考えた結果です。全部を話すとただの世界史の授業になるため、話しながら適宜選んでいくといいます。
高校で世界史を履修していない樋口さんは、オスマン帝国を「聞いたことだけある」状態でした。深井さんは、教科書に太字で出てくるメフメト2世やスレイマン1世も、多くの人は「これ何?」のまま終わっているのではないかと話します。
オスマン帝国を選んだ理由について、深井さんは世界史への影響がチンギス・カンに匹敵するほど大きいことを挙げます。さらに、同じ王朝が600年続いたという長さも特徴です。
それでも日本人がオスマン帝国を知らない理由として、楊睿之さんは明治以降の教育が東洋史と西洋史の2つに分けられてきたことを挙げます。その結果、中東やイスラームの歴史はほとんど真面目に扱われてこなかったといいます。
深井さんは、オスマン帝国はイスラーム色がそれほど強くないものの、イスラーム国家群の中心的な存在だと説明します。ここがわかれば世界史の理解は「もう詳しい人」と言えるほどになり、ローマ帝国まで学べば樋口さんも歴史弱者を卒業できるといいます。
オスマン帝国はどこにあった?日本とつながるエルトゥールル号事件
オスマン帝国の位置について、深井さんは今のトルコにあるイスタンブールが首都だったと説明します。イスタンブールはかつてコンスタンティノープル ── 東ローマ(ビザンツ)帝国の首都として栄えた都市。1453年にオスマン帝国が攻略し、のちにイスタンブールと呼ばれるようになりましたとも呼ばれた同じ都市です。
オスマン帝国の領域には、今のギリシャ周辺にあたるバルカン半島も含まれていました。深井さんは、当時このあたりこそが世界の中心で、ヨーロッパは近代まで世界の中心ではなかったと強調します。
オスマン帝国と日本のつながりとして紹介されたのが、エルトゥールル号事件です。明治時代、オスマン帝国の親善使節の船が日本からの帰り際に、今の和歌山県串本町の沖で遭難しました。
深井さんによると、串本町はとても貧しい村だったそうですが、住民は献身的に救助し、食料も分け与えました。楊さんは、最後は明治天皇が2隻の軍艦を派遣して生存者をトルコまで送り届けたと補足しています。
この事件には後日談もあります。深井さんは湾岸戦争の時と言いかけ、楊さんがイラン・イラク戦争の時だと訂正したうえで、サダム・フセインの空爆宣言で現地に取り残された日本人を、トルコが飛行機を出して救った話が語られます。
深井さんは、トルコの人が親日だと言われる背景にはこの出来事があるらしいと話します。事件は映画『海難1890』にもなっています。
ただし楊さんは、美談だけでは終わらない面も紹介しています。当時の明治政府はトルコを見下していて、不平等条約を結ばせようとしたため、国交がなかなか結べなかったといいます。それでも楊さんは、現場で助け合った人々の心意気の尊さは政治のごたごたで損なわれない、と語っています。
ハーレムは「女性に囲まれる場所」ではない
深井さんは、よく聞く「ハーレム」という言葉の誤解にも触れます。ハーレムはオスマン帝国だけのものではなく、大きな家にあった、女性が男性と別に暮らす私的な空間を指していたそうです。
深井さんによれば、ハーレムは女性たちが子どもを育て、夫としか会わないような、信頼関係のある人だけで過ごす親密な空間でした。大奥に近いものの、厳密には違うとも話しています。
あれもだからすごく西洋史観だよね。
ハーレムを「退廃的な場所」とするイメージには、西洋がイスラーム国家を偏見をもって見ていたことがルーツにある、というのが深井さんの説明です。
あわせて、NetflixでオスマンNetflixのドラマが配信されていることも紹介されます。メフメト2世が主人公で、コンスタンティノープル陥落を描く内容のため、今回のシリーズとちょうど重なるといいます。
オスマン帝国は「トルコ人の国」だったのか?
深井さんがこのシリーズで特に伝えたいことの一つが、オスマン帝国は必ずしも「トルコ人の国」ではなかったという点です。アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸にまたがる広大な国土を持ち、さまざまな人々が暮らしていました。
そもそもトルコ系の民族は遊牧民で、チンギス・カンと同じくモンゴル高原が発祥の地らしいと深井さんは話します。そこから移動して、今のトルコにあたるアナトリア ── 黒海と地中海に挟まれた半島で、小アジアとも呼ばれます。古くから東西の文明が行き交い、多くの国家が興亡しましたにたどり着き、建てた国の一つがオスマンでした。
楊さんは、アナトリア半島が「東西文化の十字路」と呼ばれてきたと説明します。アレクサンドロスの回で出たイッソスの戦いやグラニコスの戦いも、お金の歴史の回で出た初めてのコインを作ったリディア王国も、この半島が舞台でした。
深井さんによると、遊牧民出身のため民族への強い意識がなく、人種差別もなかったといいます。オスマン帝国のマジョリティはトルコ系ではなく、アルバニア人、セルビア人、チェルケス人、ギリシャ人、アラブ人、クルド人、アルメニア人など、いろいろな人々が混ざっていました。
オスマン帝国には公用語もなく、場面によって使う言葉が違っていたそうです。
| 場面 | 使われていた言葉 |
|---|---|
| イスラームのモスク | アラビア語 |
| キリスト教徒 | アルメニア語、ギリシャ語、アッシリア語など |
| 商業 | ギリシャ語など |
| 宮廷 | オスマン語 |
深井さんは、多様なまま治める国の形が実際にありえたと強調します。農耕民族から見ると異質に見えても、それが当たり前の人々にとってはそれが標準であり、その点はチンギス・カンと同じだといいます。
皇帝の母も大臣も奴隷出身?寛容な統治のしくみ
言葉がばらばらな国で裁判はどうしたのか、という問いに対して、深井さんはギリシャ系やイスラームの人々など、それぞれの集団に自分たちでやってよいとしていたと説明します。
さらに深井さんは、現代の感覚から遠い特徴として、オスマン帝国の君主であるスルタンの母親がほとんど奴隷出身だったことを挙げます。大臣もほとんどが奴隷だったといいます。
その理由は後の回で説明されるとのことです。宗教についても、ムスリムでない人々、たとえばキリスト教の一派であるギリシャ正教の信者も多く、キリスト教とイスラームがめちゃくちゃ混ざっていたといいます。
統治の基本は、信仰はそのままでよい代わりに人頭税を払ってもらう、というものでした。深井さんによれば税はそれほど高くなく、寛容な統治で多様な民族を束ねながらも、皇帝が権力を持つ専制君主制の国家を形づくっていました。
濃厚な遊牧民国家
遊牧民出身だが遊牧民国家ではないイスラーム国家
深井さんは、自分たちを標準だと思っていても、この時代なら日本もヨーロッパも標準ではなかったと話します。オスマン帝国はヨーロッパより大きく、今の時代の感覚とは大きくずれていたといいます。
名君の多い帝国と、生活を決めるイスラーム法
樋口さんがモンゴル帝国の時と同じく「異世界を見るような感覚」になりそうだと言うと、深井さんはそれを受けて、オスマン帝国の特徴を挙げていきます。
異世界のまた違うバージョンですよね。
深井さんによると、オスマン帝国は常に最新の武器を取り入れ、名君がとても多い国でした。一方で、皇帝が即位する前に兄弟を全員殺すことが慣習になっているなど、残酷な面もあったといいます。
このシリーズのもう一つのキーワードがイスラームです。深井さんは、イスラームは宗教という枠では括りきれず、生活習慣や法律まで含むため、今は「イスラーム教」ではなく「イスラーム」と呼ぶことが多いと説明します。
イスラームにはシャリーア ── イスラーム法のこと。礼拝などの宗教的義務だけでなく、婚姻、相続、商取引、刑罰など社会生活の幅広い領域を定める規範体系ですと呼ばれるイスラーム法があり、人々はそれに従って生きていました。オスマン帝国も、国家の法律をイスラーム法に沿って作っていたといいます。
生活の中のルール
祈りだけでなく、生活のしかたや裁判のことまでイスラーム法で決まっている
人々がすでに従っている
国ができる前から、人々はそのルールで暮らしている
国の法律にする
国のルールとして定めたとき、非常に浸透しやすい
深井さんは、イスラーム法に従う国家としてのオスマン帝国もこのシリーズで紹介したいと語っています。
オスマンを知れば、世界史は「もう詳しい」
深井さんは、オスマン帝国の全体を理解すれば、リスナーはかなり世界史に詳しくなると話します。これまでにアメリカ、中国、モンゴル、明治維新を扱ってきたので、あとはローマ帝国まで学べば相当詳しいといいます。
楊さんが「初段クリア」と言い、樋口さんが級から段へ上がるのかと笑う場面もありました。番組の積み重ねを、リスナーの成長として楽しむ空気が伝わってきます。
オスマン帝国シリーズで話せるのは7代目までです。樋口さんが「30何代いる」と言うと、深井さんは「倍以上いる」と答え、600年の歴史の大きさがあらためて示されました。
まとめ
オスマン帝国編の初回は、600年続いた大帝国を理解するための前提を広く押さえる回でした。日本との縁、西洋史観による誤解、多民族・多言語の寛容な統治、イスラーム法といった視点から、日本や現代の感覚とはまったく違う国家の姿が見えてきます。
- オスマン帝国は600年続き、世界史への影響はチンギス・カンに匹敵すると語られた
- エルトゥールル号事件は日本とトルコの関係につながるが、明治政府の不平等条約交渉という美談でない面もあった
- ハーレムは女性に囲まれる場所ではなく、信頼できる人だけの私的空間で、退廃的なイメージは西洋の偏見に由来する
- オスマン帝国はトルコ人だけの国ではなく、公用語もない多民族国家を、人頭税と寛容な統治で束ねていた
- イスラームは生活と法を含む規範で、オスマン帝国もイスラーム法に沿って法律を作っていた





