1万人の善意は、どうやって用水路になったのか?
後編は、中村哲医師の暮らしぶりから始まります。樋口さんが家族について尋ねると、橋本さんは「家族は日本に住み、中村医師は単身でアフガニスタンに赴いていた」と答えます。
中村医師が日本とアフガニスタンを行き来していた理由は、川の仕事の性質にあります。橋本さんによると、夏は雪解け水で川が増水して洪水が頻発し、工事が難しくなります。その時期に日本で家族と過ごしたり、講演活動をしたりしていたといいます。
講演の目的の一つは、活動資金を支えるペシャワール会 ── 中村哲医師の活動を支援するために1983年に結成された日本のNGO。福岡市に事務局を置き、会費や寄付で現地事業を支えていますへの理解を広げることでした。用水路の建設も医療活動もお金がかかりますが、困っているアフガニスタンの人々が費用を払えるわけではありません。
橋本さんの説明では、大きな事業を可能にしたのは、日本全国にいる1万人以上のペシャワール会員の会費、つまり寄付です。中村医師の事業は、みんなの善意のお金で成り立っていたことになります。
全国の会員
1万人以上が会費という形で寄付をする
ペシャワール会
集めた資金で中村医師の事業を支援する
現地の事業
用水路の掘削や医療活動に使われる
橋本さんが現地で一番強く感じたのも、善意で事業が回っているという点でした。言葉はわからなくても、アフガニスタンの人々が心から丁寧にもてなしてくれているのが伝わってきたといいます。
橋本さんは、現地の人々がハンマーで打っている鉄筋の1本1本も、決して裕福な人ばかりではない日本の一人ひとりの善意から来ていると実感したそうです。樋口さんはこの話に「めちゃくちゃいい話ですね」と反応しています。
なぜ中村哲の判断がいちばん正しかったのか
樋口さんは、日本のODA ── 政府開発援助。日本政府が開発途上国の経済や社会の発展を支援するために行う資金協力や技術協力のことですは使われなかったのかと尋ねます。橋本さんは、JICA ── 国際協力機構。日本のODAを実施する機関で、途上国での技術協力や資金協力を担っていますと事業によって連携したことはあると答えます。
ただし橋本さんは、ペシャワール会の性格を強調します。ペシャワール会は「アフガニスタン復興のための会」というより、極論すれば「中村哲医師を応援するための会」であり、最初はファンクラブのように「先生、頑張って」と応援する集まりだったといいます。
橋本さんによると、ペシャワール会は中村医師がペシャワールに行く前からすでにありました。医師仲間などが軸になり、「てっちゃん、頑張れ」と送り出したのが始まりです。樋口さんは「行く前にあったんだ。すげえな」と驚いています。
赴任当初のペシャワールの病院には、医療機器がほとんどありませんでした。橋本さんの話では、中村医師は患者を背負って運び、壊れた聴診器を耳にはめて耳を怪我することもあったそうです。
現地には、実働組織としてPMS ── 平和医療団・日本の略称。中村哲医師が総院長を務めた現地の組織で、医療活動や用水路建設を担ってきましたがあります。ペシャワール会は日本側の支援組織で、中村医師はPMSの総院長とペシャワール会の現地代表を兼ねていました。
現地の実働組織。中村医師が総院長として現場を率いる
福岡市に事務所を置く支援組織。中村医師は現地代表
橋本さんは、この体制こそが大事業を可能にした理由ではないかと考えています。組織の中で一番現地を知っているのが中村医師なので、中村医師の判断が組織の中で一番正しいことになります。
もしペシャワール会が復興そのものを第一の目的にしていたら、日本側の事情からあれこれ口を挟んでいたかもしれません。橋本さんは、現場が「事情が変わった」と言えば「そうか、頑張って」と任せられたからこそ、紆余曲折のあった用水路事業も臨機応変に進められたのだろうと話します。
すげえな。もうだからなんて言うんですかね、信頼がすごかったってことですね。
だってプロジェクト単位っていうよりは、もうその人(中村医師)やったら間違いないわっていう雰囲気だったってことですよね。
深井さんの問いに、橋本さんは「あんたを信じて、あんたを応援するばい」という感じだったと答えます。プロジェクトにお金を出すのではなく、人にお金を出していたということです。
橋本さんは中村医師の人柄についても触れています。中村医師は普段からペラペラ話すタイプではなく、ボソボソと話す柔らかく温かい雰囲気の人でした。会えば誰もが「こういう人がこれだけのことをするのか」と驚くだろうと橋本さんは話します。
銃撃事件の真相は、なぜわからないのか
樋口さんは、中村医師が銃撃された事件について、誰が何のために起こしたのかを尋ねます。橋本さんの答えは、おそらく今もわからないし、今後もわからないのではないか、というものでした。
一般論として、橋本さんは水の事業には争いがつきものだと説明します。水利をめぐる対立は古今東西どこにでもあり、「あっちに水を引いたらこっちの村に来なくなる」という対立には常に直面してきたといいます。当初の報道でも水利権の問題が取り上げられました。
それでも橋本さんは、最初から「おそらくわからない」と考えていました。日本に未解決事件が少ないのは社会のさまざまな仕組みが整っているからで、アフガニスタンは遅れているのではなく、そういう文化の国なのだと橋本さんは話します。ペシャワール会の関係者も、犯人の特定にはこだわっていないそうです。
橋本さんはもう一つ、理屈が通らないという点も挙げます。これだけの支援をしてくれる人を殺しても、得をする人がいるとは考えにくい。敵対勢力であっても、用水路がなければ人々は暮らしていけないからです。
中村医師の存在が知られていなかったとも考えにくいといいます。中村医師はガニ大統領から名誉市民権を授与されていました。橋本さんがカブール国際空港に降りたときも、空港スタッフから「君たちはガンベリでやってる人たちか」と声をかけられたそうです。
ガンベリは、中村医師が用水路を通した砂漠の名前です。首都カブールにまで名前が届いていたことから、深井さんも中村医師を「超有名人」と表現しています。
「一隅を照らす」とは、どんな生き方なのか?
樋口さんは、記事では伝わりにくいけれど本当は知ってほしいことは何かと尋ねます。橋本さんが挙げたのは、中村医師が好んだ「一隅を照らす ── 天台宗を開いた最澄の言葉に由来するとされる表現。自分の置かれた場所で精一杯つとめる人こそが社会の宝だ、という意味で使われます」という言葉でした。
橋本さんの理解では、一隅を照らすとは、自分が世界のど真ん中にいなくても、世界の片隅でもやれることをやる、という意味です。アフガニスタンでの活動は派手でわかりやすく見えますが、それを支えているのは、毎日まっとうに働いて会費を納める全国の会員たちです。
だからこそ、中村医師が伝えたかったのは「みんなアフガニスタンに来てくれ」ということではない、と橋本さんは考えています。それぞれが自分の持ち場で一生懸命まっとうに生きることが、世の中を良くし、人間の本分なのだ、という考え方です。
橋本さんは、収録場所である福岡県田川の例も出します。田川で地域を盛り上げようとする活動も、アフガニスタンでの活動も、趣旨は全く同じだというのです。姑息なことやせこいことをせず、まっとうに生きることが何より大事だと橋本さんは中村医師の考えを紹介しています。
樋口さんは、この言葉そのものは最澄 ── 平安時代初期の僧で、日本の天台宗の開祖。比叡山延暦寺を開きましたに由来するのだろうとしつつ、それぞれの場所でまっとうに暮らすという考えは、中村医師が読んでいた論語、つまり儒教から来ているのではないかと話しています。
橋本さんは、中村医師のもう一つの言葉も紹介します。「平和には戦争以上の力がある。ただ、平和には戦争以上の努力と忍耐が必要だ」。現地で中村医師がしてきたことそのものの言葉だと橋本さんは話します。
パシュトゥーン人 ── アフガニスタンで最大の民族集団。独自の慣習法を持ち、名誉や勇気、客人へのもてなしを重んじることで知られていますが最も重んじる美徳の一つは勇気です。中村医師が亡くなった後、ガニ大統領は「中村哲医師は最も勇敢なアフガン人だ」と語ったといいます。
橋本さんが現地で何人ものアフガン人にインタビューし、最後に「何が望みか」と聞くと、皆が「アマン」、つまり平和と答えたそうです。イギリスやソ連の干渉を受け、戦乱と内戦が続いてきた国で、銃ではなくシャベルを持って人々の生活をつくった中村医師が「勇敢」と評されたことに、橋本さんは学ぶことが大きいと話します。
お金とか仕事とか。だからそこで平和って言わないことが、いかに自分たちが恵まれてるかっていうのが相対的にわかるんです。
議論は無用、ジャストドゥイット。「巨人」の言葉と行動
樋口さんは、中村医師には「俺はこうするんだ」と鼻息荒く進むというより、自然に生きている印象があると話します。橋本さんはそれに同意し、中村医師の言葉は力強いのに排他性を感じさせないと答えます。
橋本さんの考えでは、中村医師の言葉は本を読んで頭で作ったものではありません。ずっと現場を見て聞いてきたうえで出てくる言葉なので、語気が強くなくても説得力と迫真性がある、というのです。
新聞記者である橋本さんは、中村医師の多数の著作にも触れます。1日1日の事実と自分の経験に裏付けられた力強い筆致で、「こんな文章をいつか書けるようになるだろうか」と感じるほどだそうです。今回の企画で初めて著作を読んだ樋口さんも、その上手さに驚いたと話しています。
橋本さんは、自分の理解はほんの一部に過ぎないとしたうえで、機会があれば中村医師の著作を手に取ってほしいと勧めます。著作は中村医師のいわば肉声だからです。
樋口さんが中村医師の「嫌いなこと」を尋ねると、橋本さんは自分の想像だと断ったうえで、空虚な議論ではないかと答えます。生産性のない議論や、感情をぶつけ合うだけの憎しみ合いの議論です。現地での中村医師の言葉は「議論は無用、ジャストドゥイット」だったといいます。
樋口さんは、中村医師にはガンディー ── インド独立運動の指導者。非暴力・不服従を掲げ、行動によって人々を動かしたことで知られていますに通じるところがあると話します。橋本さんも、中村医師をよく知る人から同じく「ガンディーと一緒だ」と聞いたことがあるそうです。
その人によると、中村医師は方針がよく変わったといいます。単年度予算を理路整然と使うのではなく、情報や空気の変化に合わせて方針を変えなければ、現場はやっていけないからです。樋口さんは、遊牧民のリーダーやベンチャー企業にも通じる判断の仕方だと受け止めています。
橋本さんは、取材で多くの人に会ってきた中でも、中村医師は「巨人」だったと話します。会ってからは「中村さん」では失礼で、医者だからではなく本当の意味を込めて「中村先生」と呼ばずにはいられなくなったそうです。
国宝級の文化財が灰皿に? 理解しきれない世界との向き合い方
伝え残したことを聞かれた橋本さんは、一言では語れないとしつつ、中村医師から聞いた話を紹介します。用水路を掘っていると、貴重な文化財のようなものがたくさん出てくるそうです。
橋本さんによると、現地に文化財行政が行き渡っているわけもなく、おそらく国宝級のものでも、中村医師は「しょうがないから灰皿にしとった」と話していたといいます。橋本さん自身は実物を見ておらず、一流のジョークかもしれないと笑っています。
橋本さんは、自分以上に中村医師と現地で働いた日本人の元ワーカーたちが、もっと多くを知っているはずだと話します。一人ひとりの中にそれぞれの中村哲像があり、心酔しすぎるのも変だが、本当に偉大な先人だというのが橋本さんの受け止めです。
現地で中村医師がどう尊敬されていたかについて、橋本さんは一つの光景を挙げます。小柄でボソボソと話す中村医師の言葉を聞き漏らさないよう、アフガニスタンの人々が腰をかがめて周りに集まっている姿です。
用水路に水が通ったとき、人々は「ドクターサーブ中村を遣わした神に感謝する」と言ったそうです。中村医師自身は「わしへの礼はいいから、水は天からの授かりものだから神様に感謝しなさい。わしにはスイカを1個ぐらい持ってこい」と応じていたといいます。
樋口さんがその神はアッラーのことかと尋ねると、橋本さんはおそらくそうだろうと答えます。中村医師はよく「天」という言い方をしていて、人間の知恵を超えた大きなもの、自然のようなものを指していたのではないかと話します。ただし、現地でも非常にデリケートな部分だとも付け加えています。
一連の取材を通じて橋本さんが感じたのは、私たちは何でも調べれば理解できると思いがちだが、実際はそう簡単ではないということでした。銃撃事件もアフガニスタンの状況も、すぐには理解できないことがたくさんあります。全てを理解できると思うこと自体がおこがましいのではないか、と橋本さんは考えるようになったそうです。
僕たち人間のIQってマックスでも200とかじゃないですか。その脳みそで理解できないことってありえますよね。
フランス革命もね、いまだに200年後の今でもずっと解釈され続けて、(それでも)やっぱり結局あれが何だったかってわかんないんですよね、誰も。
樋口さんは歴史を学ぶ中で同じことを感じていて、わからないままにしておけることが大事だと話します。橋本さんも、アフガニスタンでは全てがわからなくても互いに尊敬し合ってやっていく部分がかなりあったと応じています。
樋口さんが、医師という理系の頭脳を持つ中村医師がなぜこうした思想に至ったのかと問うと、橋本さんはいくつかの源を挙げます。祖母の教え、荒っぽさの中にも弱きを助ける川筋気質、論語、クリスチャンとしての信仰、そして現場で接したムスリムの人々です。
橋本さんの見立てでは、それらを自然に自分のものとして学んだ結果が、自然や天への畏敬、まっとうに生きることの大切さ、空虚な言葉より行動で示す姿勢になったのではないか、ということです。
中村哲亡き後、ペシャワール会はどう続いているのか
最後に樋口さんは、中村医師が亡くなった後のペシャワール会の活動について尋ねます。橋本さんは、中村医師はペシャワール会とPMSの大黒柱そのものだったので、事業の継続は簡単ではないと見られていたと話します。
それでも訃報の直後、ペシャワール会も現地のアフガン人たちも「絶対に続ける。続けることが何よりの供養だ」と決めたそうです。日本人は簡単には渡航できないため、現地と日本の事務局が密に連携して、今も活動を続けています。
橋本さんによると、ペシャワール会の会長である医師の村上先生は、いつも「チーム中村でやる」と話しているそうです。中村医師の代わりはいないが、みんなで及ばずながら代わりを務めていこう、という考え方です。
ペシャワール会の会員になっても義務はなく、年に数回届く会報で活動を知ることができると橋本さんは説明します。現地に行き取材を続けてきた橋本さんは、支援は「絶対に無駄にならん」と言い切り、関心のある人はホームページを見てほしいと呼びかけます。
一方で橋本さんは、一隅を照らすという考えに立てば、それぞれに自分の活動があるので、全員が支援する必要はないとも添えています。樋口さんは、これほどの巨人に直接会えた橋本さんを「羨ましい」と話し、対話を締めくくりました。
まとめ
後編では、中村哲医師の事業が日本の一人ひとりの善意と、現場を最も知る中村医師への厚い信頼によって成り立っていたことが語られました。その根っこにあるのは、世界の片隅でも自分の持ち場でまっとうに生きるという「一隅を照らす」の思想です。
- ペシャワール会は1万人以上の会員の会費で中村医師を支え、現場を知る中村医師に判断を任せたことで臨機応変な事業が可能になった
- 銃撃事件の真相は今もわからず、関係者も犯人探しにはこだわっていないと橋本さんは話す
- 「一隅を照らす」とは、派手な国際貢献ではなく、それぞれの持ち場でまっとうに生きることの大切さを指している
- 「議論は無用、ジャストドゥイット」の姿勢と、理解しきれないものへの畏敬が、中村医師の言葉と行動を支えていた
- 中村医師亡き後も、ペシャワール会と現地は「チーム中村」として活動を続けている


