SNSで人間はバカになったのか?
この回で深井さんが持ち込んだ問いは、知性は単一の能力ではなく、実はいろいろな種類があるのではないか、というものです。深井さんは、その多くが今の社会ではあまり評価されていないのではないか、とも考えています。
深井さんによれば、今の社会が大事にしている知性は、言語性の高さや論理性の高さです。樋口さんも、ロジカルシンキングがもてはやされていると応じます。
深井さんは、SNSの移り変わりのたびに「人間がバカになった」という声が出てきたことを振り返ります。Twitterでは短文しか読めなくなった、Instagramでは文字を読めなくなった、TikTokでは動画ばかり見ている、と言われてきました。
深井さんは、このような「知性がどんどんダメになっている」という見方に異を唱えます。きっかけは、クラブハウス ── 2021年ごろ日本で流行した音声SNS。ユーザーが「ルーム」に集まり、リアルタイムで会話を聴いたり話したりできますで写真家の方と話した経験でした。
その写真家の方によれば、Instagramではかなり複雑な情報がやりとりされています。何が写り込むか、どんな構図か、どのフィルターか、2日前の写真をいつ上げるか。こうした選択で、写真の持つメッセージが変わるといいます。
写真家の方は、これを世代の違いとして語っていました。しかし深井さんは、世代ではなく知性の特性の違いが、それぞれに合うコミュニケーションツールを選ばせているのではないか、と考えます。
それを僕たちってその階層性と思ってるけど、上下関係のある序列関係のある階層性じゃなくて、多様性なんじゃないかって。
楊さんは、この考え方を会話の場面に置き換えます。相手の表情から情報を読み取る力も知性の一つであり、言語野の処理だけを知性と呼んで、脳の部位によって優劣をつけるのはおかしい、と深井さんに同意します。
言語化がうまい人ばかりが褒められる社会
深井さんは、今の社会は言語性や論理性に特化していて、それ以外の知性を原則として認めないと指摘します。その結果、別の知性を持つ人が社会的に不利な立場に置かれているのではないか、という問題意識です。
ここで話題に上がるのが、身近な仲間の青柳さんです。言語性も高い一方で、他の出演者が持っていない知性を持っているのに、知性としてカウントされないために「バカキャラ」のようになっている、と語られます。
話は狩猟採集社会へ移ります。空間認識能力も知性であり、森の中でどこに何の植物があるかを把握し、たどり着き、帰ってくる力が求められる、という例が出ます。
樋口さんは、深井さんには危険察知能力があるのではないかと言います。状況を見て、将来クリティカルな問題が起きることを具体的に想像できる、という見立てです。ただ、それは将棋のように先の手を読む論理性であり、熱帯雨林での危険察知とは違う、という反論も出ます。
樋口さんは、山歩きをする父親と一緒に歩くと「何が見えてるんだろう」と感じるそうです。そこから、知性は経験やトレーニングで育つものでもある、という話につながります。
(全てを知性とカウントすれば)頭がいい人とそうじゃないタイプの人がいるじゃなくて、違った頭の良さだって話になるわけじゃん。
空間把握や運動神経も脳の働きなので、それを知性と数えれば「運動神経のいい人は頭がいい」ことになります。言語的な頭の良さも数学的な頭の良さも、それぞれ別の「頭の良さ」だという整理です。
狩猟採集時代にさ、どんだけ言語化うまくても、いやお前狩りしろやみたいな話だ。
今の社会で言語化が重宝されるのは、狩りをしなくてよくなり、言語化すると多くの人が動くからだ、と語られます。楊さんはこれを、どの知性に「レバレッジ」が効くか、つまり一つの活動から連鎖的にいろいろなことが起こるかの問題だと表現しています。ただし、実際には言語の知性が最もレバレッジが効くとは限らない、とも付け加えます。
さらに、人の表情を読む知性は数値化されていないため、本来その力が活きる面接のような場面にも、「頭がいい」けれど表情を読めない人が配置されてしまう、という指摘も出ます。
本を読む人は人口の何パーセントか?
深井さんがこのテーマを考え始めた背景には、著書『歴史思考』の制作があったと語られます。何度かリライトするなかで、そもそも本を読むのはどういう人なのか、という問いが浮かんだといいます。
日本は歴史的に識字率が高いと言われますが、深井さんは本当にそうなのかと疑問を投げかけます。江戸時代の武士階級は5%ぐらい、豪農や豪商を加えても7〜8%ほどの人だけが本を読み、論理的に考えていたのではないか、という見立てです。
深井さんはここで、ピエール・ブルデュー ── 20世紀フランスの社会学者。階級や教育、趣味の違いがどのように再生産されるかを研究し、『ディスタンクシオン』などの著作で知られますの「文化資本」を持ち出します。本を読む、音楽を聴く、オペラを見るといった文化的な財産を、子どもは親から引き継ぐという考え方です。
深井さんは、この二つの考え方をつなげると、本を読み論理的に考えるのは社会の一部の人なのに、学校教育やメディアを通してそれが人間の標準だと思われている、と整理します。そして、標準でない人を劣った人のように扱うことが、多くの問題を生んでいるのではないかと考えます。
具体例として挙がるのが、行政の子育て支援のパンフレットです。子育て世代と話すと、パンフレットの内容をほとんど理解していない家庭があるといいます。
刑務所の話も出ます。深井さんは正確なデータではないと断ったうえで、受刑者の平均IQは100より低いと言われていると述べ、一部の知性だけを重視する社会の構造が、そこにしわ寄せを生んでいるのではないかと問いかけます。
(文章や本が得意な人たちが)自分たち用の社会を形成することによって、もしかしたら6割ぐらいは画像認識が得意かもしれない社会なのに、その6割に配慮しないみたいなことが起こってる可能性を示唆したよね。
その可能性を裏づけそうなものとして挙がるのが広告です。多くの人に届けようとする広告が論理や言葉ではないもので伝えていること自体が、大多数はそうではないことを示しているのではないか、という見方です。
本が苦手な人は頭が悪いのか
深井さんは、身近な例として樋口さんを挙げます。樋口さんは知性がとても高いのに、本が苦手だといいます。
深井さん自身、昔は勉強ができた側で、本や文章が読めない人は頭が悪いのではと偏った見方をしていたと振り返ります。大人になっていろいろな人と付き合い、インプットの特性は人それぞれだと体験として気づいたことが、大きな転換点だったそうです。
楊さんは、学習障害の研究で、文章を読むときは眼球の動きに大きく左右されるという話が出ていると紹介します。眼球を上下にうまく動かせない人が本を苦手にしている可能性があり、頭の良し悪しではなく身体的な「デバイス」の問題かもしれない、という指摘です。
続いて話題になるのが、COTENの取締役を務めるタカチンさんです。ロジカルに話せる人でありながら、いわゆる王道とは違う知性を持つ、わかりやすい例として語られます。
一次面接最初の1秒とかでわかってるらしいもん、やっぱ。
本の目次を見ただけで中身がある程度わかるのと同じことを、タカチンさんは人間に対してできている、と語られます。自分が40分かけてわかることを1秒でわかっているように見える、とも話されています。
青柳さんの知性についても、ハーバード大学のような場所の人たちでも全くわかっていない種類の知性だと語られます。その知性があると社会が認識していないために、有用なのに活用できていない、という問題意識です。
福祉の現場とビジネス人類学が見せる別の知性
こうした感覚は、社会福祉の領域の人たちがすでに言っていることかもしれない、と話は移ります。多様な才能やニューロダイバーシティ ── 脳や神経の働き方の違いを、優劣ではなく人間の多様性の一つとして捉える考え方。発達障害などを含む特性の違いを尊重する文脈で使われますという言葉で語られているものの、うまく届いていない、という認識です。
楊さんは、障害福祉の施設を事業として立ち上げた経験を語ります。スタートアップでやってきた立場から見ると、福祉の領域は動いているOSがビジネスとは全く違ったといいます。
あの場に行って論理思考なんかしても何の役にも立たない、本当に。コスト計算しても何の役にも立たない。
楊さんにとって福祉の領域は、社会の中に含まれた、いちばんわかりやすい「別の知性」を使う社会だと映っています。
深井さんは、この発想の種が、先輩の卒業研究にあったと振り返ります。養護施設でアルバイトをしていた先輩が、養護施設でのやり方を一つの「文化」として卒論に書いていたそうです。文化人類学を学んだ深井さんには、何かを文化として見ると、そこで使われる知性の在り方が見えてくる、という感覚があるといいます。
深井さんは別の事業の話し合いで、ビジネス人類学における問題発見の方法を紹介したときのことも語ります。会社の立地、建物の大きさ、照明、社員の配置、小物、どの部屋に通されるか。そこからかなりのことがわかると話すと、コンサル出身の人たちはみんな驚いたそうです。
そうしたものの見方をしておらず、話を聞いて驚いた
立地・建物・照明・社員の配置・小物・通される部屋から多くを読み取る
深井さんは、同じものを見ていても全く違う知性を使っていて、どちらが上という話ではない、と受け止めています。
複数の知性で社会を動かせるか?
楊さんは、複数の知性を使うことが大事だと語ります。歴史を見ると、身体能力の知性が重視された時代も、戦国時代のようにリーダーシップ系の知性が重視された時代もあり、それはマルクス ── 19世紀ドイツの思想家・経済学者。社会のあり方は生産の仕組み(生産様式)によって規定されると論じ、後世の歴史観に大きな影響を与えましたのいう生産体制に左右されてきた可能性が高いといいます。
楊さんは、一人ひとりに社会を変える権利が渡されている今、一つの知性だけで社会を引っ張る必要はなくなったと考えています。合意形成は難しいものの、複数の知性を顕在化させて相互理解できれば、これまでの人類にはできなかったことができるかもしれない、という見通しです。
深井さんは、以前の教育の歴史の回を引き合いに出します。文字と数字を扱うことは行政システムの根幹で、それが最重要スキルとして今の社会でも使われていますが、テクノロジーが進歩した今こそ、それを問い直せるといいます。
TikTokとかで伝えてもいいもんね、政策を。
TikTokで政策を伝えることを「レベルが低い」と見る考え方こそ、知性の違いを理解していない表れだ、という話になります。キリスト教が布教のために絵を描いたことや、音楽も一つの知性であることも例に挙がります。
楊さんは、自分の知性の外側を体験することには心理的にも時間的にも金銭的にもコストがかかると認めています。そのうえで、今の時代、特に多くの人と働いたり人を動かしたりする立場の人は、複数の知性を内包できることが求められていくのではないか、と語ります。
子どもの知性は教育で絞られていくのか
深井さんは、いちばん身近でたくさんいる他者は子どもだと話します。子育ての経験はないものの、Instagramで子育てエッセイ漫画を読むのが大好きで、子どもは複数の知性を使っていると強く感じるそうです。
その複数の知性が、成長過程の教育によって絞られたり落とされたりしているのではないか、という話になります。動物がこちらのイライラをダイレクトに理解しているように、子どもも多くのことに気づいている、と語られます。
深井さんは、以前扱った性の歴史と同じように、知性もまた社会によって規定されているのだろうと話します。子どもや知的障害のある人と一緒に過ごし、言語野ではない処理が自分より卓越している場面を見ることを、楊さんはリスナーにも勧めています。
言語性の高い人ばかり集めたCOTENに足りないもの
話は自分たちの会社であるCOTENにも向かいます。COTENは言語性と論理性が高い人ばかり採用している、という自己評価です。
ノーダイバーシティですわ。
社会全体の中で役割分担があるので絶対悪ではないものの、別の知性を混ぜないとクリエイティビティはなくなっていく、と語られます。コテンラジオではヤンヤンこと楊さんが別の知性を担当している、という見方も出て、本人も自覚はあると笑いながら応じます。
まず別の知性があると認知しないと扱えない、という話もあります。唯識論 ── あらゆる存在は心の認識のはたらきによって成り立つとする大乗仏教の思想。認識されないものは存在しないに等しい、という考え方につながりますを引き合いに、価値判断を入れすぎず、「子どもだからわかっていない」と決めつけるのをやめ、わかるまで聞き、一緒にいることが大事だと語られます。
「今日何飲んでるの?」が教えてくれたこと
楊さんは、福祉施設に通うなかで起きた出来事を語ります。施設は一度行っただけではわからず、ある日突然ヘレン・ケラー ── 視覚と聴覚の障害を持ちながら教育者・社会活動家となった20世紀アメリカの人物。井戸の水に触れて「water」という言葉を理解した逸話で知られますが水を理解したときのように、わかる瞬間が来たといいます。
ずっとね、僕にね、「今日何飲んでるの?」ってずっと聞いてくる女の子がいて。もう毎回聞かれてた。
楊さんは毎回「お茶飲んでるよ」「今日はポカリスエットだよ」と答えていました。すると十何回目かで、言語化できない何か、存在の価値に突然気づいたそうです。
障害の有無で区分するのではない、という考えは理屈ではわかっていて、だからこそ事業を作ったといいます。それでも、感覚で理解するのは言語野ではない知性を使った体験だった、と楊さんは振り返ります。
違う知性で理解してるわけ。で、(言語と)遠い知性で理解してるから、もう言語化もできないの。
楊さんは、この気づきは人によって違い、定型化できないかもしれないと話します。深井さんはそれを「悟り」だろうと表現し、楊さんも小さな悟りだと応じます。
最後に深井さんは、この話は何かのエビデンスに基づくものではないと断っています。今後扱う死と老いと障害の歴史のなかで、知性には何パターンあるのか、職人や料理人がどんな知性で仕事をしているのかを探してみてもいいのでは、という構想で回は締めくくられます。
まとめ
この回は、知性を上下の序列ではなく並列の多様性として捉え直す対話でした。言語性・論理性に偏った社会のあり方が、行政の情報伝達や採用、教育、福祉にどう影響しているかが、具体的な体験とともに語られています。
- SNSの変化は知性の劣化ではなく、それぞれの知性に合うツールが使われている結果かもしれない
- 本を読み論理的に考える人は社会の一部なのに、それが標準とされ、他の人が不利を被っている可能性がある
- 表情を読む力、空間認識、運動神経なども知性と数えれば、「違った頭の良さ」が見えてくる
- 子どもや福祉の現場など、自分と違う知性に触れる体験は、コストがかかっても得るものが大きい



