「役立てるな」と言った人が、なぜ今いちばん使っているのか
この回は、コテンラジオの番外編として、普段の仕事や生活での気づきを話す形で始まります。樋口さんが切り出したのは、深井さんが以前の講義で「リベラルアーツ ── もとは古代ギリシア・ローマで自由人が身につけるべきとされた学問群。現在は人文・社会・自然科学にまたがる幅広い教養を指すことが多い言葉ですをビジネスに役立つ文脈で考えるな」と話していたことでした。
樋口さんから見ると、深井さんはリベラルアーツや歴史を仕事に生かしているように見えます。深井さんもその見方を認め、ただし「結果的に」仕事にすごく生きているのだと位置づけます。
(リベラルアーツを)一番最初、その若い頃はそんなに生かしてなかったんだよね。
深井さんによると、プレイヤーとして仕事をしていた頃は、今ほどリベラルアーツの領域を生かせていませんでした。変わったのは、取締役などとしていくつもの会社に関わり、人の意見を聞いて集約する機会が格段に増えてからです。
人の話を聞いて理解するっていうところに(リベラルアーツを)めっちゃ使ってると思う。
深井さんが生かしているのは、以前話した「人文学は、自分が持っている思考フレームワークの外にあるものを理解しに行くもの」という考え方そのものです。自分の経験や立場、手元の情報から判断するのではなく、目の前の社員やパートナーが置かれた状況、人格、思考回路、過去の経験を踏まえて、言葉の奥にあるものを理解しようとする姿勢だといいます。
人の話を人の文脈で理解するっていうのはものすごく難しいから。
深井さんは、感情的に共感するだけでなく「理解する」ことが難しいのだと強調します。そして、その難しさを知っていること自体も大事で、知らなければ理解は絶対にできないと話しています。
「わかったつもり」は人類全員の状態?
樋口さんが「理解しているつもりで理解できていない人が多いということか」と尋ねると、深井さんはさらに踏み込みます。深井さんの見立てでは、それは人類全員の状態だといいます。
それ人類全員がその状態だと思ってて、それに気づいてる人と理解できてると思っちゃってる人の違いしかないんじゃないかなと思ってる。
深井さん自身も、相手を全然理解できていないと考えています。そのうえで、無知の知 ── 古代ギリシアの哲学者ソクラテスに由来するとされる考え方。自分が知らないということを自覚していることに価値がある、という姿勢を指しますに近い感覚として、理解できていない前提で話を聞くことを大切にしていると話します。
深井さんが挙げる、相手の話を聞くときの姿勢の違いは、次のように整理できます。
自分の感覚を基準に相手を判断し、わかったつもりのまま話を聞く
自分の感覚はずれている、相手の状況は理解できるはずがないという前提で、真摯に聞いていく
深井さんは、後者の姿勢こそが「リベラルアーツっぽいところ」だとまとめています。
未開の民族を理解しに行く学者と、職場の会話は似ている
深井さんは、人の話を聞く感覚を社会文化人類学 ── 人間の社会や文化を、現地での調査などを通じて比較・研究する学問。異なる文化をその内側の論理で理解しようとする点に特徴がありますの学者のフィールドワークにたとえます。言語も習性も宗教も違い、互いにほとんど理解していない民族を、どんな人たちなのか理解しに行く感覚に近いというのです。
その感覚持ってなかったら、例えばもう自分たちの宗教をベースにして考えて、この人たちは全然キリスト教って信じてないんだ、じゃあこの人は遅れてるんだって結論になってしまうもんね。
深井さんは、最初期の学者たちは実際にそうなっていたと応じます。そして同じことは、仕事の中でも往々にして起きていると話しています。
自分の既存のフレームワークで評価できないものを評価下げた状態で認識してしまうっていうことはすごくよくあるけど、それをしてしまうと、相手が言ってることは本質的にはもう全然理解できない。
深井さんが、いろんな人の話を集約する立場になってからこそリベラルアーツが生きていると感じるのは、この落とし穴を避けるためでもあります。
言葉は氷山の一角にすぎない
意見を集約する場面について、深井さんは、人はそれぞれのポジションから得られる情報と、逆に得られない情報を持っていると話します。生い立ちや経験も違えば、使う語彙も違います。
深井さんは、語彙はその人の人生を表現するものだと考えています。どんな言葉を使うか、どのタイミングでどう振る舞うか、目線や言葉の強弱まで、すべてを話を理解するためのインプットとして使っているといいます。
全ての人間が自分が思ってることをそのままダイレクトに表現できるわけじゃないじゃん。というか、そんな人多分1パーセントもいないから。
深井さんは、表に出てきた言葉を氷山の一角にたとえます。言葉の下にある氷山の本体を理解しに行くマインドとスキルこそが人文学の領域で、それは医学でも心理学でもないと話しています。
決断はしても、「こういう人だ」と決めつけない
樋口さんが「すぐに結論を出さないということか」と確認すると、深井さんは、結論を出さないことが超大事だと答えます。相手を「こういう人だ」と決めてしまわないことが、とても大事だというのです。
樋口さんは、決断するのが経営者の仕事であり、だからこそ経営者は良くも悪くも人についてもすぐ結論を出しがちだと指摘します。深井さんはそれを仕方のない面もあると認めたうえで、判断と認識を切り分ける考え方を示します。
経営者なりマネージャーなりの立場にある人は、当然その瞬間瞬間で判断して進めていかないといけないんだけど、その判断と自分の人間としての認識を分けるっていうのも大事だから。
深井さんの話では、期限の中で暫定的に判断はするけれど、それが事実かどうかはわからないと考えておく必要があります。相手がどういう人間かはわからないと思っていないと、「わかった」となった瞬間から自分の認識の世界でしか生きられなくなるといいます。
深井さんが語る「わかった」と思ったあとの流れは、次のようにつながっています。
わかったと思う
相手がどういう人間かを決めてしまう
理解をやめる
自分の認識の世界でしか生きられなくなる
人の意見を聞けなくなる
相手も「わかっていない」と指摘するしかなくなる
誰も指摘しなくなる
立場が上の人ほど「わかってないですよ」と言ってもらえなくなる
僕の言ってること分かってないのに分かったって思ってる人にもう何も言うことないよね。それ以上。
だからこそ深井さんは、立場が上の人ほど、自分がわかっていないことを理解しないといけないと話しています。
劉邦と劉備は「人の話を聞いて決める」名手だった?
深井さんは歴史の話に絡めて、人の話を聞いて判断するのが得意だった人物として、漢帝国を築いた劉邦 ── 秦の滅亡後、項羽との争いを制して漢王朝を開いた初代皇帝。農民出身ながら、多くの有能な人材を使いこなしたことで知られますと、三国志の時代の劉備 ── 三国時代に蜀を建国した人物。字は玄徳。人望の厚さで多くの人材を集めたとされますを挙げます。
樋口さんが「大してスキルも能力も持っていない」と言うと、深井さんは、自分にスキルがなくても、優秀な人たちの意見を集約して国の決定にしていくのは実はすごく難しいことだと説明します。
だってみんな頭いい人たち5人ぐらいが全員それらしいこと言ってくるわけ。
A、B、C、D、E全部それらしいから、その中から選択するってすごい難しいんだけど、それができる能力っていうのは、人の話を聞いて判断する能力として、劉備とか劉邦が得意だったから、彼らはその能力によってあそこにいると。
樋口さんは、劉邦と項羽 ── 秦末に劉邦と天下を争った武将。圧倒的な武勇とカリスマで知られましたが、最終的に劉邦に敗れましたを比べると、華もカリスマ性も戦争のうまさも項羽のほうが上だったと話します。深井さんも、戦争は圧倒的に項羽のほうがうまいと同意します。
でも結局漢帝国何百年続いたっけ?
420年。
一方で深井さんは、劉備については、むしろ曹操 ── 三国時代の魏の基礎を築いた人物。政治・軍事に加え、詩文にも優れた教養人として知られますのほうが人の話を聞けていたかもしれないと付け加えます。曹操は教養があり、それこそ人文学を勉強していた人物だからです。最後は、樋口さんの「劉備はゴザしか作れないから」に深井さんが「草履」と訂正する掛け合いで、話は締めくくられました。
まとめ
深井さんにとってリベラルアーツは、仕事に役立てようとして学ぶものではなく、結果的に人の話を理解する場面で深く生きているものでした。自分のフレームワークの外にある相手を、わかったつもりにならずに理解しに行く姿勢が、意見を集約し決断する立場で特に重要になると語られています。
- 深井さんは、取締役として人の意見を集約する立場になってからリベラルアーツが生きていると感じている
- 人類全員が相手を理解できておらず、違いはそれに気づいているかどうかだけだと深井さんは考えている
- 言葉は氷山の一角で、その下にある本体を理解しに行くマインドとスキルが人文学の領域だと語られた
- 判断は暫定的に下しても、相手を「こういう人だ」と決めつけないことが大事だとされた
- 劉邦や劉備は、優秀な人々の意見を聞いて判断する能力に長けた人物の例として挙げられた



