天皇が本当に権力を持っていた時代はいつ?
天皇編第3回のキーワードは「天皇と日本史」です。樋口さんは、学生時代に習った日本史にも天皇はたくさん登場したとして、日本の歴史と天皇がどう関わってきたのかを深井さんに尋ねます。
深井さんによると、飛鳥時代から平安時代の初期までは、天皇が普通に権力を持っていた時代です。天智天皇や天武天皇が登場するのもこの頃で、天皇の全歴史を通じても権力がかなり強い時期だといいます。
本当に天皇の全歴史を通じてかなり権力がある方の時代。逆に言うと、これ以外は(権力が)あんまりない。
平安時代中期になると摂関政治 ── 天皇の母方の親族(外戚)にあたる藤原氏が、摂政や関白として天皇に代わって政治の実権を握った体制。10〜11世紀に最盛期を迎えましたの時代が来ます。天皇の親戚である貴族が実質的な権力を握り、天皇自身の権力はだいぶなくなっていきます。
摂関政治の全盛期を築いたのが藤原道長です。深井さんは道長を「すっげー俺権力あるっていう和歌を詠んだ人」と紹介しています。
平安時代後期には院政が始まります。引退した天皇である上皇が、天皇よりも権力を握る時代です。その後、鎌倉時代から武士の時代へと移っていきます。
深井さんがざっくり示した天皇の権力の推移は、次のように整理できます。
武士はどこから生まれたのか
鎌倉幕府への権力移行は、いきなりではなく段階的に進みました。その前提として深井さんが語るのが、武士の生まれ方です。諸説あると前置きしたうえで、勉強していて面白かった説を紹介します。
平安時代には、奥さんを非常に多く持つ天皇が何人か現れました。子どもが大勢生まれると、末端の子どもは天皇どころか貴族として出世することも難しくなります。
お兄さん何人死ねば俺が天皇なれるんだみたいな人が出てくるじゃないですか。そういう人たちが武士になっていくんですよ、ちなみに。
深井さんによれば、源氏も平氏ももともとは貴族です。地方の百姓が武士になったのではなく、京都にいた貴族のうち、出自があまり良くなく権力レースに参加できなさそうな人たちが武士の源流になったと考えられています。
そのきっかけとして挙げられるのが墾田永年私財法 ── 743年に出された法令。新しく開墾した田地の永久的な私有を認めたもので、それまでの公地公民の原則を大きく変えるものでしたです。それまでは誰が開墾しても土地は天皇のものでしたが、開墾した人の土地になる仕組みに変わりました。
権力レースから外れた貴族たちは地方に下り、土地を開墾して地盤を築いていきます。その人たちが最終的に武士になったのではないか、という説です。
はー、スタートアップじゃないですか。
フロンティア、フロンティア開拓した人たち。
樋口さんは、自分の利益になるからこそ開拓を選んだ人たちだと受け止めます。それまでは開墾しても自分の土地にならず、利益がなかったからです。
武士はどうやって天下を取り、天皇はどう担がれたのか
既存の権力を持たない武士たちの中から、平清盛や源頼朝が現れ、権力を握っていきます。深井さんが説明するのは、なぜ武士が権力を得られたのかという構造です。
当時は、天皇の外戚である摂関家と上皇の間で権力争いが起きていました。そこに第三勢力として武士がいて、どちらを手伝うかで権力構造が崩れていきます。
二大勢力の対立
摂関家と上皇が権力争いをする
第三勢力の登場
武士がどちらかを手伝う
見返り
手伝ったことで武士が権力を得ていく
承久の乱
後鳥羽上皇の倒幕失敗で朝廷の権力が落ちる
武家政権の成立
鎌倉幕府の権力が東にも西にも伸びる
君があの時手伝ってくれたからってなるじゃないですか。それによって徐々に権力が増していって、武士の。
深井さんは「超ざっくり言ってますからね、本当はちょっと違うんだけどね」と断りを入れています。最初の鎌倉幕府が権力を持っていたのは東日本だけで、京都から見れば野蛮なフロンティアだったといいます。
転機は承久の乱 ── 1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の打倒を図って挙兵した戦い。幕府軍が勝利し、上皇は隠岐に流されましたです。後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒して権力を回復しようとして失敗し、朝廷の権力は大きく落ちます。監視役として六波羅探題 ── 承久の乱の後に京都に置かれた鎌倉幕府の出先機関。朝廷の監視や西日本の御家人の統括を担いましたが置かれました。
それでも室町時代までは、征夷大将軍は建前上天皇の家臣であり、天皇の方が偉いという感覚がありました。ところが戦国時代に実力社会になると、戦国大名たちの天皇へのリスペクトは弱まり、江戸時代にはさらに権威が下がったといいます。
幕末に長州・薩摩・土佐が倒幕へ動くと、長い武家政権は一気に倒れます。樋口さんは、将軍の力がなくなったことで、相対的に天皇の存在がまたドーンと戻ってきたのではないかと整理します。
深井さんが強調するのは、既存の最大勢力とそれに対抗する勢力のどちらが天皇を担げるかが、非常に重要だったという点です。担げた方が勝つからです。
幕府側は、薩摩などが錦の御旗 ── 天皇が官軍に与えたとされる旗。これを掲げる側が天皇に認められた軍であることを示しましたを掲げて官軍になったことで、負けが決定的になりました。官軍とは、天皇に認められた軍隊のことです。
だからもう一貫してそうですね。天皇の座を取りに行くんじゃなくて、天皇に認められるという座を取りに行ってんですよ。みんな。
権威と権力の違いは「創業者の会長」でわかる
天皇と将軍の関係は複雑で、深井さんによれば、幕末に来航したイギリスやアメリカの人々も天皇と将軍の関係を理解するのに非常に苦労したそうです。
(天皇と将軍の関係は)全然理解できないですよ。将軍、要は幕府と朝廷の意味と関係性が全くわからないんですよ、小学生だったら。
樋口さんは、小学生の頃に漫画の日本の歴史を読んでも、権威と権力の差がピンとこなかったと振り返ります。そこで深井さんは、天皇と将軍の関係を会社に例えてみます。
最初の例えは、実務をほぼしない上司と、すべてを決める有能な部下の関係です。部下が全部決めて「これでいいですか?」と聞くと、上司が「いいよ」と言ってくれる状態に近いといいます。
樋口さんがそこに「会長も創業者だからね」と重ねると、深井さんは創業者のおじいちゃん会長の例えの方がわかりやすいと応じます。たまに株主総会に出てきて全部いいよと言うものの、その一言でみんながゾワッと動くこともある存在です。
建前上いちばん偉い。実務はせず、承認を与える。その一言で人が動くこともある
実際に経営を担う。組織のメンバーが一番気を使う相手
この比較から、天皇と将軍は「どちらが偉いか」ではなく、偉さの領域が違うと整理できます。樋口さんも「偉いとか偉くないとかじゃないってことですね」と受け止めています。
武士はなぜ強さを求めたのか
樋口さんがこの話で一番驚いたのは、武士がどこから生まれたかを考えたことがなかった点でした。深井さんは、歴史学上もその答えは実はわかっていないと補足します。
深井さんが「全然嘘です」と強く否定するのが、かつての教科書によく見られた「腐敗した貴族政治を倒す勢力として武士が現れた」という描き方です。
でも全然それは違いますね。武家政権こそ貴族政治なんで。
樋口さんは、武家がなぜあれほど力を蓄えたのかを考えます。空手やボクシングのように、人間には本能的に強くなりたいという欲求があり、それもあったのではないかという推測です。
深井さんは、その領域はよくわからないとしつつ、武士の出方を説明します。武士は刀よりも、馬術と弓を極めた人として登場しました。平安時代の武士には弓の正確さをめぐる逸話が多く残り、樋口さんが挙げた那須与一 ── 源平合戦の屋島の戦いで、扇の的を一矢で射落としたと『平家物語』に描かれる弓の名手もその一人です。
あれが武士、武士のなんていうか教養なんですよ。反対に貴族とか、その時和歌とか読んでるじゃないですか。文化が違うんですよね、ちょっと。
楊さんは、血筋が優れていなかったからこそ、成り上がるには腕っぷししかなかったのかもしれないと付け加えます。樋口さんも、生まれ持ったものがない人が自己を確立する方法として力をつける、という文化から武士が生まれたのではないかと想像を語りました。
ローマ教皇と天皇は似ているのか
樋口さんは最後に、ローマ教皇は天皇と将軍のどちらに近いのかと尋ねます。深井さんの答えは、近いか遠いかで言えば天皇に近い、というものです。
深井さんによれば、ローマ教皇も自ら権力を握った時期がある一方で、皇帝を任命するような立場として存在していました。宗教のトップである点も、祭祀を司る天皇と近いといいます。
ただし大きく違うのは、継承の仕組みです。天皇が世襲であるのに対し、ローマ教皇は世襲ではなく、枢機卿 ── ローマ教皇を補佐するカトリック教会の高位聖職者。教皇選挙(コンクラーヴェ)で新しい教皇を選ぶ権限を持ちますによる選挙で決まります。
へー、なんか同じように見えても全然違って、同じような役割をしてたりとか、なんかもう流れと国の文化と何かもうむちゃくちゃですね。
深井さんは「みんな違ってみんないい」と笑いながら応じ、それぞれ少しずつ違うと締めくくりました。次回は、侍の時代以降の天皇、そして現代の天皇陛下について語られる予定です。
まとめ
天皇の権力は飛鳥〜平安初期をピークに、摂関政治、院政、武家政権と段階的に移り変わってきました。それでも天皇は「担げた方が勝つ」存在であり続け、将軍とは偉さの領域が違う、権威の担い手だったと整理されています。
- 天皇が実際に強い権力を持っていたのは、飛鳥時代から平安初期ごろまでとされる
- 武士の源流は、出世の見込みがない貴族が地方で開墾し地盤を築いたことにあるという説がある
- 武士は摂関家と上皇の争いで第三勢力として手を貸し、承久の乱を経て権力を広げた
- 権力者たちは天皇の座ではなく、天皇に認められる座を奪い合った
- 天皇と将軍の関係は、建前上偉い創業者の会長と、実務を握る社長に例えられる





