始皇帝が追い求めた不老不死と徐福伝説
コテンラジオのキングダムスペシャル最終回は、晩年の始皇帝が不老不死を求めた話から始まります。深井さんは、この話には徐福伝説という面白い逸話があると切り出します。
深井さんによると、始皇帝の時点で中国にはすでに千数百年の歴史がありました。その中で誰も成し遂げられなかった統一を果たし、王は自分しかいないという頂点に初めて立ったことになります。
王様が自分しかいないというところまで極めた時に、次何しようってなって。
異民族を攻めることもしていましたが、始皇帝は結局、不老不死になりたいと考えました。そこで方士 ── 古代中国で不老長寿の術や神仙の術を説いた人々。仙人に近い存在とされ、始皇帝に重用された者もいましたと呼ばれる人々に多額のお金を渡し、不老不死の方法を探させます。
深井さんは、当然ながら方法を持ち帰った者は誰もおらず、お金を持ち逃げされまくったと話します。伝説では不老不死の薬として水銀を飲まされたともされ、それが死因ではないかという説もあるそうです。
始皇帝の年齢について、深井さんは記憶が定かではないとしつつ、40代ぐらいで統一し、50代ぐらいで亡くなったはずだと説明します。統一から10年前後、自分の威光を見せて回る諸国巡行の途中で急死しました。
その不老不死探しにまつわるのが徐福伝説です。深井さんが「オカルト伝説レベル」と前置きした話では、薬を探しに出た徐福が日本に渡り、見つけられないまま定住したといわれています。
伝説によると、徐福は中国の男の子と女の子を3000人ほど連れてきたとされます。三重などには徐福を祀る神社もあり、その際にいろいろな技術を伝えたのではないかともいわれているそうです。
不老不死は私利私欲だったのか?
始皇帝が不老不死を求めた理由について、一般的には権力を極めた末の私利私欲だと解釈されています。しかし深井さんは、始皇帝の人生を見ていて別の見方をしたと話します。
多分ですよ、想像なんだけど、自分じゃないとこの国回せないことが分かってたんじゃないかなと思います。
深井さんが根拠に挙げるのは、始皇帝がきわめて属人的に国を回していたことです。毎日30キロもの書物を自分で処理していた始皇帝なら、自分が死んだら帝国はどうなるのかと考えたはずだと見ています。
深井さんの解釈では、始皇帝が求めたのは遊んだり楽をしたりする時間ではなく、仕事を続ける時間でした。自分がいなければ国が滅ぶという不安が不老不死への執着につながったのかもしれない、という見立てです。
深井さんはさらに、始皇帝には皇帝としての自負があったのだろうと続けます。自分ほどの人間はもう出てこない、息子たちも自分には及ばないと感じていた面があるのではないか、と語られています。
宦官と占い師が秦をかき乱す
不老不死は叶わず、始皇帝が亡くなると秦は大きく混乱します。深井さんがその鍵として挙げるのが、宦官の趙高と、側近の李斯です。
深井さんは、趙高はキングダムにもまだ少しだけ登場しており、超キーパーソンだと強調します。宦官 ── 去勢されて宮廷に仕えた皇帝直属の奉仕者。皇帝の身近にいるため、王朝によっては大きな権力を握りましたである趙高は、秦を自分の好きなように動かしていきました。
その混乱は始皇帝の晩年から始まっていました。方士に「居場所がわかると不老不死になれない」と言われた始皇帝は、自分の居場所を漏らした者は殺すと命じ、誰も始皇帝の居場所を知らない状態になります。
ただし、命令を伝える係は必要です。その伝達係を趙高が務めていたため、ほかの誰も始皇帝と直接話せず、趙高が言ったことがそのまま始皇帝の言葉になりました。
いや、こうやって始皇帝言ってたよって言ったら、もう全部それ始皇帝の言葉になるでしょ。
こうして優秀な人々が次々に殺されていきます。キングダムに登場する蒙恬も、深井さんの記憶では自殺に追い込まれたはずだといいます。
始皇帝の死因は病死とされていますが、深井さんは暗殺や毒の可能性も十分あると話します。その死後、趙高と李斯は長男ではなく次男を勝手に即位させ、その次男もまったく駄目な人物だったため、秦は衰退していきました。
遅刻したら死刑。商鞅の法が招いた農民反乱
秦の最後は農民反乱でした。深井さんは、始皇帝が帝国運営のために作ったインフラが、民衆に大きな負担を強いていたことを指摘します。
万里の長城、運河、広大な土地をつなぐ道路の建設には、農民が大量に動員されました。しかも商鞅が定めた法はきわめて厳密で、工事への遅刻は死刑だったといいます。
秦の国内に適用していたころはまだ問題が少なかったものの、滅ぼされた他国の人々にとっては事情が違いました。深井さんは、国を滅ぼされた上に、わけのわからない厳しい法律で縛られる窮屈さに、人々が反発していたと説明します。
反乱のきっかけになったのが陳勝・呉広の乱 ── 紀元前209年に起きた中国史上初の大規模な農民反乱。秦の滅亡の引き金になりましたです。遠方の工事に向かう途中で大雨に遭い、川を渡れず期日に間に合わなくなった農民たちは、行っても戻っても殺される状況に追い込まれました。
戻っても殺されるんですよ。したらもうもうどうせ殺されるから反逆そうってなるんですよ。
陳勝と呉広が反乱を起こすと、同じ考えの人々が次々に加わります。その中から劉邦と項羽が現れ、二人の決戦に勝った劉邦が漢帝国を建てた、という流れが語られます。
秦が反乱で倒れるまでの経緯は、次のように整理できます。
大規模な動員
長城・運河・道路の建設に農民が大量に駆り出される
厳格な法
遅刻は死刑。天候のせいでも例外はない
他国民の反発
滅ぼされた上に秦の厳しい法で統治される
捨て身の反乱
どうせ殺されるならと陳勝・呉広が蜂起し、各地に広がる
楊さんは、殺されるというルールがあったからこそ捨て身になれたのだと受け止めます。深井さんは、秦を強くしたのも滅ぼしたのも商鞅の法律だったと応じます。
深井さんは、その時は良かったものが最後に毒になる例は歴史によくあると話します。時代に合わせて柔軟に対応することの大切さが、この皮肉な結末から見えてくると語られています。
秦の遺産は漢帝国でどう生きたのか
樋口さんは、さらに一段上の視点を示します。秦は滅びたものの、存続した期間に整えたインフラは漢に受け継がれました。
秦滅びたけど、鬼のような政治をして、奴隷のようなことをしてでも作ったシステムが世界にとってはいいんですよ。
深井さんもこれに同意し、そのおかげで中国はこの後ものすごい国力を保ったまま世界に君臨したと説明します。楊さんは当時のGDPはおそらく世界一位だったと話し、深井さんは産業革命までは中国のほうが強かったと補足します。
楊さんの整理では、漢はハードであるインフラをそのまま受け継ぎ、ソフトの部分だけをモードチェンジしました。秦と漢の違いは次のとおりです。
インフラを整備。厳格な法を敷き、貴族を廃止して全員を官僚にした
秦のインフラを継承。法を柔らかくし、貴族の存在も一部認めた
ただし深井さんによると、漢は後半になるにつれて結局秦のシステムに近づいていきました。最初に緩和してから徐々に厳しくしていったことが、かえって良かったのだと語られています。
キングダムからコテンラジオへ。エンディング
深井さんは、ここまでがキングダムの時代の流れであり、これを知った上でキングダムを読んでほしいと締めくくります。樋口さんは、キングダムを読んでから中国史に興味を持ち、コテンラジオにたどり着くルートもありだと話します。
エンディングでは、ポッドキャストとYouTubeの聴かれ方も話題になります。深井さんによると、ポッドキャストのリスナーは初回のころより増え、YouTubeは少し減ってポッドキャストに移っているようだといいます。
樋口さんが「再生数を稼ぐことに奔走して滅びた国はあるのか」と冗談を飛ばし、深井さんが「今のところまだない」と返す場面もありました。最後に深井さんは、改めて中国は偉大だと感じたと振り返っています。
まとめ
キングダムスペシャル最終回では、始皇帝の晩年と秦の崩壊、そして漢帝国への継承が語られました。深井さんは、始皇帝の不老不死への執着を私欲ではなく国の行く末への不安として読み解き、秦を強くした法が秦を滅ぼした皮肉を示しています。
- 始皇帝は方士に不老不死の方法を探させ、その中から徐福が日本に渡ったという伝説が生まれた
- 深井さんは、不老不死の追求を「自分がいないと国が回らない」という不安の表れと解釈している
- 晩年の始皇帝が居場所を隠したことで、伝達役の宦官が権力を握り、秦は混乱した
- 遅刻すれば死刑という商鞅の法が、捨て身の農民反乱を招いた
- 漢は秦のインフラを受け継ぎつつ統治を緩め、のちに徐々に厳しくしていった


