「世間」はイマジナリーなみんななのか?
切腹シリーズの第2回は、前回話題になった「世間」という言葉の振り返りから始まります。樋口さんの心に残ったのは、世間が「人の名誉や評判を評価する想像上の空間」と定義されていたことでした。
人の名誉や評判を評価する想像上の空間か。だから評価するものであるっていうのがまず面白いし、イマジナリーみんななんですね。
楊さんは、上の世代の日本人が「世間体」という言葉をよく使うイメージがあり、世間体が善し悪しを判断する重要な軸になっていると話します。
樋口さんは、田舎で実家暮らしをしていて髭も髪も伸ばしているため世間体が気になると笑いつつ、「みんなそう思ってるよ」という言い方の不思議さに触れます。本当は自分の考えを「みんな」と主語を大きくして言っていたり、10人に1人ずつ聞くと誰もそう思っていなかったりすることがあるといいます。
僕、確かにみんなって誰なんだろうって昔思ったことありました。日本人の言うみんなって。
樋口さんは、世間もお金も神様も、実体はないのに社会現象としてちゃんと機能していると指摘します。そして世間は、全員が少しずつ一端を握っていて、すり合わせると大体合致する点で「ブロックチェーンみたい」だと例えました。
世間から逃れる場所と、世間に支えられる暮らし
楊さんは話を少し広げ、今を生きる人々には世間から逃れる避難所のような場所が必要ではないかと話します。その候補として挙げたのが、樋口さんが関わるいいかねパレットでした。
世間で生きてたらもう切腹してるかもしれないんで、(いいかねパレットに)来たら、切腹なんて馬鹿馬鹿しいよねっていう風に、戦国時代の武士たちももしかして思うかもしれないですよ。
樋口さんも、その場所が「精神と時の部屋」のようだと言われることがあり、俗世間から離れて自分と向き合う空間という意味で言い得て妙だと応じます。
一方で樋口さんは、普段の生活は世間に支えられているとも考えています。人々が犯罪をしないのも世間のおかげであり、世間による監視は良くも悪くも働いているという見方です。
評価の目が強すぎると、人間らしい生き方を取り戻すために評価から切断する場所が必要になる
監視の目があるからこそ、人々は犯罪をしまくらずに暮らせている
追腹、無念腹、十文字腹。切腹にはどんな種類がある?
本題に入り、楊さんは具体的な切腹の仕方について話します。江戸時代には実際に切腹のマニュアルが登場しており、切腹には意味ごとに異なる名前が付けられていました。
死んだ主君に忠義を立てて冥土まで追いかけるための切腹は追腹 ── 主君の死を追って家臣が自ら命を絶つ切腹のこと。死に殉ずる「殉死」の一形態で、江戸時代前期には幕府が禁止令を出していますと呼ばれ、いわゆる殉死にあたります。
切腹したあとに自分で腸をつかみ出す切り方は無念腹と呼ばれます。理不尽な命令による切腹や、誰かへの抗議を示したいときに行われたといいます。
ただし江戸時代になると、主君に文句を言うこと自体がありえない時代になったため、無念腹は作法にのっとらない切腹として忌み嫌われるようになりました。
切り方にも種類があります。十文字腹は漢字の「十」の形に切るのではなく、左脇腹に刀を刺して横に切ったあと、そのまま上か下に切り下げる方法で、樋口さんが言うように正確には「L字」です。
十文字腹は命を絶つ効果と勇ましさのアピールを兼ねた派手な切り方として、戦国時代に好まれました。ただし、痛みに耐えきれず死ねなかった失敗例も残っているそうです。
江戸時代以降は、左脇に刀を突き立てて右に引き回す一文字腹が普通になります。これだけではすぐに死ねないため、最終的に命を絶つ役割を担う介錯人 ── 切腹する人の首を刀で落とし、苦しみを短くする役目の人。作法をわきまえた剣の腕が求められましたが登場しました。
右手は押し込み、左手で押す。切腹の手の役割
楊さんは、リスナーにペンなどを持って自分が切腹するイメージをしてほしいと呼びかけ、刀を扱う左右の手の役割を説明します。樋口さんは実際に手を動かしながら聞きます。
一般的には、右手で刀を持って左脇腹に刺し、へそに向けて右手で引くイメージがあるかもしれません。しかし楊さんによれば、実際はどうも違うようです。
押すんですよ。引くんじゃなくて押すんですよ、左手で。
右手で押し込む理由は内臓にあります。人が呼吸したり腹に力を入れたりすると腸などが膨らんだりへこんだりし、外から刺された異物である短刀を押し出そうとする力が働くといいます。
ビヨンって上滑りして、刀の刃が外に押し戻されてしまうんですよ。これを防ぐために右手でギュッと下に押し込むんですよね。
へそまで切ってからどうする?介錯と逆からの一刀
へその辺りまで切り進めても、内臓の抵抗はどんどん大きくなり、さらに右へ切り進めるのは難しいといいます。無理に進めようとすると精神力を使い果たして悶えたり、倒れたり、腹わたがはみ出て収拾がつかなくなったりしました。
そうした状態は切腹の恥とされたため、醜態をさらす前に介錯人が首を落とさなければなりませんでした。別の方法として、へそのあたりで一度刀を抜き、反対側の右脇腹に突き立てて左に向けて切ることもあったそうです。
お菓子の袋をピーってやったらすぐブチッとちぎれたから、ひっくり返して逆からまたビーって破るみたいな感じで。
楊さんは、こうした切腹の細かい力の使い方についての研究も残っていると紹介します。樋口さんは、ここまで細かく研究してまとめている人がいることに驚いていました。
腹を割って話す、腹が立つ。なぜ腹なのか?
続いて楊さんは、そもそも「なぜ腹を切るのか」という問いに進みます。切腹以前の根源的な観念として、日本には腹に霊魂が宿るという信仰があったのではないか、という説があるそうです。
楊さんによれば、腹は魂だけでなく、生命力や意志、真実が宿る場所だと考えられていた可能性があります。樋口さんが「腹が据わる」を挙げると、楊さんはほかの慣用句も並べました。
日本語には、腹にまつわる慣用句が今もたくさんあります。楊さんが挙げたのは次のような表現です。
- 腹が黒い、腹を割って話す、腹が立つ
- 腹が収まる、腹わたが煮えくりかえる、腹落ちする
- 肝が据わっている、心臓に毛が生えている、胃が痛い
楊さんは、これらが内心の興奮や落ち着き、動揺を表すときに腹や内臓を使った表現だと整理します。腹は内面の真実が宿る場所として、今の日本語にもその感覚が残っているわけです。
武士との関係では丹田も重要です。武士が台頭するとともに禅が広まり、座禅ではへその下数センチにある想像上の部位である丹田 ── へその下あたりにあるとされる気の集まる部位。禅や武道、東洋医学で心身の力の中心と考えられてきましたに全神経を集中せよと教えられました。
そのため、切腹で刀が通るべき線も丹田であるべきだとされました。武士の中には、丹田こそが行動のエネルギー源であり、人間の真実のあり方を定める部位だという認識もあったといいます。
霊魂の座を開いて見せる。切腹は真心のアピール
樋口さんは、西洋ではドラキュラの弱点が心臓であることを挙げ、東洋や日本では腹、西洋では心臓という違いが面白いと話します。
楊さんは、腹や内臓に意味を見出すのは多くの時代や文化圏で見られる現象だとしたうえで、切腹とは真心のアピール、自分の真実を見せる行為だったのではないかと説明します。
本当に腹を割ってるってことなんだ。
楊さんは、昔の5000円札に載っていた新渡戸稲造 ── 明治から昭和初期の教育者・思想家。英文で書いた『武士道』で日本人の倫理観を海外に紹介しましたも切腹を論じていたと紹介します。新渡戸が示した切腹のロジックは「我が霊魂の座を開いて、君にその状態を見せよう。汚れているのか、清いのか。君自らこれを見よ」というものでした。
エジプト、ローマ、中国。人類は内臓に何を見てきたか
楊さんは話をさらに広げ、人類が内臓をどう捉えてきたかを紹介します。多くの文化圏で、臓物は神の意志や生命力の根源、人間の本性や真心、潔白を表すと考えられてきました。
古代エジプトでは、魂が宿るとされた心臓は、死者の国で神オシリスの裁きを受けるときに天秤に乗せるため、ミイラの中に残されました。一方、肝臓や肺、胃、腸は取り出され、カノプスの壺 ── ミイラ作りで取り出した臓器を納めた壺。臓器ごとに別の壺を使い、蓋には守護神の頭部をかたどりましたに入れられます。
楊さんによると、カノプスの壺はそれぞれ異なる神の形を模しており、その神が中に入った臓器の守護神になっていたといいます。
古代ローマには、動物の肝臓を見て神々の意志を読み取る臓卜師、ハルスペックスがいました。内臓の形や色、模様を見て出した占いの結果は、国家運営の方針を決める判断材料にもなったそうです。
中国にも、事例は少ないものの切腹がありました。中国の切腹は親孝行のためという特徴があり、自分の腹を裂いて肝を切り取り、病気の親など目上の人に食べさせる風習があったといいます。
| 文化圏 | 扱い | 内臓に見たもの |
|---|---|---|
| 古代エジプト | 心臓はミイラに残し、他の臓器はカノプスの壺へ | 魂の宿る場所、臓器ごとの守護神 |
| 古代ローマ | 臓卜師が動物の肝臓で占う | 神々の意志の兆し |
| 中国 | 自分の肝を親に食べさせる | 生命のエネルギーの源 |
| 日本の武士 | 切腹で腹を開いて見せる | 真心、魂の宿る場所 |
楊さんは、古代の人間にとって腹や臓器はとても重要な対象であり、その観念が切腹につながっていったのではないかと考察します。
なぜ内臓に真心を見るのか?コントロールできない体
樋口さんは自分の想像だと断りつつ、内臓が「自分の意思と関係なく動いている自分の一部」だからではないかと話します。
興奮したくなくても、興奮したら心臓はバクバク言うし、ストレスを感じたくなくても胃は痛いしみたいな。コントロールできないけど、何か蠢いているものって。
樋口さんによれば、腕や脚はコントロールできている感覚があるのに、内臓はそうではありません。心臓の鼓動は止めようと思っても自分では止められないからです。
楊さんはそれに加え、内臓が生命に直接関わるという認識もあったのではないかと話します。腕や足を失ってもすぐには命の危機にならないが、内臓が1つ欠ければすぐ危機が訪れる、そうした原始的な体験が古代の人々にあったのかもしれないという見方です。
狩猟の風習が切腹を生んだ?東国武士説
楊さんは、本の中で仮説程度として紹介されていた説を取り上げます。武士に狩猟と生贄の風習が引き継がれていったことが、切腹につながった可能性があるという説です。
武士は弓と馬の道、つまり弓馬の道に生きる人々で、戦だけでなく狩りもたしなみとしていました。獲物の腹を裂いて生の臓物と向き合うことが多く、腹を切り裂く行為との距離が非常に近かったと考えられます。
その体験の中で、武士は人間と獣の違いはそれほど大きくなく、人の内臓も生命と精神の根源だと考えるようになったのかもしれません。内臓を目で見ることで、自分や他人の本心や誠意を確かめ合えると考えたとしてもおかしくない、という説です。
今よりだいぶ死に近いですね。死との距離が近い。
楊さんはさらに、鎌倉前後の武士を西国と東国に分けると、切腹の風習は東日本の武士から生まれたのではないかという見解を紹介します。東日本の武士の方が、狩猟の風習が強く残ったとされるからです。
理由の1つは、西日本の武士が京都周辺の先進地域で貴族と交わるうち、生臭い行為から遠ざかった可能性です。もう1つは稲作で、弥生時代に九州に上陸した稲作は東へ広がったものの、寒さのためにある程度までしか拡大できなかったといいます。
稲作の限界
寒い東日本では稲作が広がりきらず、狩猟の風習が残る
東国武士の体験
動物の腹をさばき、臓物を見る機会が多い
切腹の原型
東日本の武士の間で切腹のプロトタイプが生まれる
西への移住
鎌倉時代後半、守護・地頭の赴任や開拓で東国武士が西日本へ移る
全国で共有
東西の武士社会で切腹が共有されていく
楊さんは、これはあくまで仮説だと念を押しつつ、面白い説として紹介しました。
狩猟と死生観、民俗学のアプローチとは?
深井さんは、狩猟をしている人の方が死をリアルに感じているという点が面白いと話します。
僕ら肉や魚食ってるけど、切り身をスーパーで買ってる時とか、焼肉で肉を焼いてる時に死を感じてないですからね。
楊さんは以前見た猟師のドキュメンタリーで、猟師の死生観がとても洗練されていると感じたそうです。生き物を殺し、さばき、食べる体験が濃密な環境にいる人たちの死生観は、都会で暮らす人とは明らかに違うといいます。深井さんも、臭いや感覚、温度といった情報量の多さを挙げます。
深井さんはこの回の話を、民俗学的なアプローチだったと整理します。前回の為朝をめぐる説との関係がわかりにくいと感じる人に向けた補足でした。
深井さんによれば、民俗学は因果関係を確定させるより、ある文化の人々が持つイメージする力、想像力をいろいろな角度から切り出して、一見わけのわからない現象を説明しようとする学問です。
痛くて死ににくい方法でわざわざ自殺するのはなぜか。深井さんは、狩猟文化や内臓観といった周辺の想像力と接続することで、切腹が社会的にどんな意味を持っていたかが見えてきたのが今回だったとまとめます。
生贄の儀礼も切腹の原型だったのか?
楊さんは最後に、生贄を捧げる行為の中にも、生き物の腹を裂いて臓物を取り出す行為があったと紹介します。それが日本でも行われていたのではないかという説が、本に書かれていたそうです。
日本にも、人身御供や、城や橋の安全祈願のために人を生き埋めにする人柱がありました。楊さんによれば「白羽の矢が立つ」という表現も、本来は矢が刺さった家の娘を生贄に差し出さなければならないという意味だったといいます。
楊さんは、豊作祈願や戦勝祈願のために、おそらく動物の腹を裂いて臓物を取り出す行為が行われ、それが切腹の原型の1つになった可能性があると話します。命を奪うことで農作物の生命力を盛んにする、あるいは内臓を見せて真心を示し神の恵みを期待する、という観念があったのではないかという考え方です。
むちゃくちゃっすけどね。真心見せたいのは切る側であって、切られる側じゃないですからね。
ほら、これが僕らの真心ですって言って、自分じゃない人の腹を割いてるわけでしょ?すげえなと思いますけどね。普通に考えたら。
深井さんは生贄という文化の意味がいまだにまったくわからないと言いつつも、そこで死と向き合う経験があり、それが切腹につながっていったという流れを受け止めていました。
まとめ
切腹は、左手で押し右手で押し込むという身体的な作法を持つ一方で、腹や内臓に真心や生命の根源を見る観念、狩猟や生贄の風習と結びついて生まれた可能性がある行為として語られました。
- 切腹には追腹、無念腹、十文字腹、一文字腹などの種類があり、時代によって好まれる形や評価が変わった
- 刀は引くのではなく左手で押し、内臓に押し戻されないよう右手で押し込むのが本来の作法とされる
- 腹には霊魂や真心が宿るという観念があり、新渡戸稲造は切腹を「霊魂の座を開いて見せる」行為と説明した
- 狩猟の風習が強く残った東国武士から切腹が生まれ、西へ広がったという仮説がある
- 民俗学的に見ると、切腹は内臓観や狩猟、生贄といった周辺の想像力と結びついて理解できる





